気まぐれシエスタ
さるせりんが勝手気ままに書きつづる日記風のエッセイです。目標:毎月更新だー!

1999.6.5(土)..........(ホントは99.6.22)
さるせりんのトホホな「初来日Orq.Adolescentes の4人観察記

毎年恒例のドミニカ共和国大使館がらみのイベント、Merengue Tabaco y Ron '99に行った。
今回は目玉としてスペシャルゲストにベネズエラから Orquesta Adolescentes の4人がミニコンサート兼プロモーションにやってきた。

左から Juan Carlos Garcia, Porfi Baloa, Nestor Rivero, Socrates Cariaco...(たぶん)
写真提供:MUSASHE MUSIC

来日したのはフロントの4人だけなのでOrquestaとは言えないな。
とは言え、フロントのボーカル3人にキーボードのPorfi Baloaがそろえば一応 Adolescentes だ。
(4人いたボーカルのうちの一人は来日前に脱退していたらしいです。)
単にAdolescentesと言っておこう。
なぜドミニカ共和国のイベントにベネズエラのAdolescentesが?...なんて野暮な質問などどうでもよい。間違いなく今のサルサシーンのNo.1バンドがはるばる日本にやって来たのだ。素直に喜ぼうじゃないか!
誰ですか?それ?という人もいるだろう。ここで詳しく説明したいのだが、長くなるのでお近くのサルサ好きの方に聞いて下さい。もしくは別の機会に紹介します。最近サルサを踊った人なら彼らの曲で何度も踊っているはずですよ。

来日メンバーが少ないのでライブはカラオケもしくはクチパクかと思いきや、国内で手配した外国人を含むバンドがバックをやって生演奏で始まったのだ。
私は彼らがステージに登場する直前のスナップを撮ろうとデジカメ片手に待ちかまえていたが、デジカメ素人の私はあたふたとうろたえてしまい思惑通りのショットが撮れなかったばかりか、ライブのスタートの決定的瞬間に完全に乗り遅れてしもうた。いつのまにか始まっているではないか。
さらに連れともはぐれてしまい、みなさんがノリノリで踊っている脇をキョロキョロ、チョロチョロとやたら動き回るトホホな迷子君になってしまった。
くそ、こうなりゃカメラ小僧に徹するぞ。と何とか最前列に滑り込んだが、ギュウギュウでド突かれっぱなしで撮れたもんじゃない。

ド突かれながら撮った一発。TVカメラがじゃま。この後後方へ避難。

オマケに広い会場の中のステージ前だけに数百人が集中してあのかっとびサルサをガンガン踊るもんだから床がボヨヨンボヨヨンと波を打っているのだ。これマジです。
孤独で冷静だった私は床が抜けるんじゃないかと恐くなってずーっと後ろの梁がある部分まで避難しました。と、ちょうどそこにはぐれていた連れがいたのでした。
そうして私はようやく4、5曲目に念願の生ボーカルアドレセンテスで踊れたのでした。
演奏曲目はというと...実は、そんなこんなだったのとライブ前のビールイッキ飲みがそろそろ回ってきたのに加え、普段は生真面目でお堅そうなのにアロハ着てビール片手にすっかりトロピカルして踊っている知り合いのアボガドY氏に思いがけず遭遇し、挨拶を交わしちゃってたので演奏曲目はよく覚えていないのだ。トホホ。
ま、ご想像の通り3枚のアルバムからのヒット曲です。(あれ?Hoy Aprendi は演ったっけかな?)

アドレセンテスを知らない人もあらゆるサルサスポットで彼らの曲はよく聴いて知っているようで、すごく盛り上がりました。ラティーノたちもドミニカやベネズエラ、ペルーの国旗を振り回していました。
彼らの人気のすごさを改めて感じさせましたね。ノリやすい曲だしね。
ライブは小1時間ぐらいやったでしょうか?終了後に無謀にも私は「サルサHPとして取材させて!南米サルサを押しているんだから、お願いっ!」と頼み込んだら寛大にも何とか楽屋に通してくれました。

熱狂的ファンのラティーナ母娘、愛のチカラ。ゴリ押し勝利の図

でも、結局は写真を撮って「Polfi君、期待してるぜ。がんばれよっ!」と声をかけただけ。SPに「Porfiは気が立っているぞ。」と脅されて小心者の私は怖じ気づいてしまったのでした。
一方で「娘に写真を撮らせてよー!誕生日なのよー!」とゴリ押しで一緒に写真に写る権を勝ち取った(?)ラティーナの母はすごかった。粘り勝ちだな。まるでVIP扱いでご令嬢のお誕生日記念のスナップにメンバーと一緒に収まっていました。

Porfiに対しては「神経質で気難しい。」という先入観を抱いていましたが、実際の印象は「おとなしく気さくな兄ちゃん」てな感じでした。
じっくり話したわけじゃないから分かりませんがね。
(それより、想像以上にみんなちっちゃかったなー。)

Merengue Tabaco y Ron '99終了後、Salsa Caribeに場所を移しての「ファンとの集い」(=実質、写真撮影会)があるというので行ってみた。(この日はドリンク無しの\2,500だったぞ。)
すると偶然にも我々が陣取ってた席のとなりのテーブルに彼らは通されたのでした。
残念ながら Porfi Baloa は来ませんでしたが、ボーカル3人はライブ後疲れていただろうにもかかわらず2時間近くに渡り笑顔でファンサービスに努めてました。Socratesが一番お茶目に振る舞ってましたね。写真攻勢やサイン責めの騒ぎが落ちついた頃にはそれぞれおネェーちゃん達としっかり踊ってましたね。
私は一応サルサのHPを管理してAdolescentesをイチ押ししてきた手前、少しぐらいインタビューを!と企みましたが、ぐちゃぐちゃの撮影会の間に「こりゃ無理だな。」とあきらめました。

意外と気さくだったLuis F Mendosa コートの背にはこんなロゴが。欲しい !!

そこで暇つぶしにさっき楽屋でも見かけたちょっと気になる眠そうにしている偉そうな太ったおじさんがいたので声をかけてみたら、Luis Francisco Mendosa でした。(ゲスブ99.05.24のTakeshiさんのカキコ参照)
ラッキー!とすかさずTomyさんに頼まれていた質問をしたら、「そうだ。」ということでした。(内容は当HPのコンテンツ「奇妙なfruta」に掲載予定。)
3枚目アルバムでPolfi以外全員が入れ替わった件は「クビにしたわけじゃない。連中が去っていったのだ。」そうです。この件はあまり触れて欲しくないような雰囲気だったのでそれ以上つっこみませんでした。某スジによると、Polfiはむしろ全員が去ったことでかなりショックを受けてた...そうです。

実は幻のもう1枚が存在する?

Tomyさんの執筆を待て!

奇妙な果実に掲載予定。
Reclamand Nuestro Espacio
SONY CD-81712
Persona Ideal
SONY CD-82231
La Misma Pluma
SONY KOK-82707

参考2枚目時の在籍メンバーは3枚目の「La misma pluma」に参加することなく全員脱退して Pasion Juvenil というバンドを結成。つい最近、2枚目のアルバム「en USA」をリリースしています。本国ベネズエラではこちらもヒット中。

アルバムを出す度にヒートアップしてきたOrq.Adolescentes。4枚目はどんな手で来るのか楽しみだ。そして今度はプロモーションではなく、フルオルケスタで来日ライブをやってほしい。
がんばれよっ!アドレセンテス。期待してるぜ。

お詫びとお礼関係者のみなさん、当日は無理を言ってすみませんでした。おかげでレポートが書けました。
でもこんな内容でどーもすみません。
m(_ _)m

--余談--
その日、Salsa CribeでAM2:00を回った頃、普段は朝までいるはずの友人ペルアノHがなぜか早く帰りたがっている。どうも気になるがはっきりした理由を言わない。当然私は朝までのつもりで来ていたので帰る足はない。

左が友人H(うがちん)。ブライアンのおじさんだ。
右は Juan Carlos Garcia

仲間うちで「もう帰ろう。」「いや朝までだ。」とすったもんだを繰り返したが、結局私が折れてみんなでタクシーで帰ることになった。ホントは次のアルバムのこととか一番重要なことをいろいろ聞こうと思ってたのに、だ。ちぇっ。!
家に着いてからHが帰りたがってた理由がやっとわかった。
ヤツはその日のキリンカップ「JAPON vs PERU」を横浜に見に行くから早く帰って休みたかったのだ。でも一人で帰るとタクシー代が高い。数人で帰ってワリカンで安くすまそうとしたHの企みだったのだ。
朝帰りでお昼までゆっくり寝てテレビ観戦するつもりだった私は彼の策略に見事にハメられたのであった。

うがちんよ、あの試合の審判のジャッジ、あれはないよな。
完全なエコだよ。認める。さすがの俺も同情するよ。



うわーっ ま、前に更新した記事がない!
消えてる!?
間違って消してしもた。

あちゃー、バックアップ無し。
まるで放ったらかしているみたいじゃないか!(それに近いものはあるが...)
と言うわけで1月頃、互助会最初のイベントに関する記事を書いていたんだけど
見事に消失してしまいました。

気力があれば思い出して復活させますが、いつになるかわかりまへん。
あーあ。
同様の現象がリンクコーナーでも起きました。
ぼちぼち復活しますのでリンク先のみなさん、許してちょんまげ。(死語)


1998.10.4(日)
人はなぜ私を "Salserín"と呼ぶ?---(はい、僕が勝手にそう名のったからです。)

いやいや、毎月更新の目標を掲げながら、気が付いたらなんと半年近くも放ったらかしにしていました。いかんなー。

ところで、そろそろ"Salserín"のハンドル名の由来を説明せねばならない時機に来てしまいました。
というのも最近、本物の"Salserín"がいよいよ日本でも話題になりつつある気配を感じたためです。このままいくと "なんだ、こいつ、ネームの盗用じゃねえか。" と根も葉もある真実をズバリ指摘されそうになってきたのでその前に白状してしまおうっていう魂胆です。

例によって、成り行きをドキュメントタッチに非常に回りくどく弁明、いや説明します。

それは1995年3月、僕が初訪秘した時、つまり初めてペルーに行ったときのことだ。
町のレコード屋でも見てみよかと Chimbote の繁華街の一角のとある電気屋の前を何気なく通り過ぎようとしたそのとき、電気屋の店の奥の方から "コンニチハ!" と声をかけられたのである。
"なぬ?今の日本語だぞ!" と驚いた僕は思わず店の奥をのぞき込むと、おもいっきりペルー人な青年とその友人がにっこりと僕に微笑んでいた。
こんなシチュエーションは外国の観光地なら別に珍しくない。ところがここは Chimbote である。魚の加工工場と製鉄の町で観光地とはほど遠いただの地方都市だ。何もない。いうならば釜石、気仙沼といったところか。せいぜい清水、焼津だろう。どこでもよいが。
要するに日本語を話す人が居るようなところではない土地でおもむろに "コンニチハ!" と声をかけられたことが素直にうれしかった僕はひょいひょいと店の中へ入っていった。
(女性はこういう時には細心の注意を払いましょう。)

彼らは日本に出稼ぎにいって2、3カ月前に帰ってきたばかりなのだそうだ。群馬にいたそうで sudada や caribe の話で盛り上がった後、僕はサルサのCDを買いたいので店を教えてくれと頼んだ。
すると、彼はそれならうちでも少し売ってるし、おススメもあるよ。ってなことで数枚紹介されたうちの3枚を購入したのだ。
その中の1枚のコンピレに奇妙な曲が一つあった。
メロディ、テンポともに非常にイケてるサルサなのだが、いかんせん歌っているのが男の子、つまり子供なのだ。ボリュームを上げて何度聞いても5、6歳の子供の声だ。サビの部分を合わせて歌おうとしてもカン高くて歌えたもんじゃない。まぎれもないガキんちょのボーカルなのだ。
曲自体とってもイケてるので "なんなんだ、こりゃ?" とアーティスト名を見ると聞いたことのないバンド名だ。 "あー、なるほど。こりゃ南米モノのコンピレによくあるパクリでゲテモノだな。" とその時は思ったのである。でもヨイ曲なのでそれならオリジナルを探してやろうと思ったのだ。その時は。

それにしても演奏はしっかりしてるし、曲名の "El bebe salsero" っつうのがどうも引っかかる。こんなタイトルつけるアーティストがいるか? フツー。 "赤ちゃんサルセロ" なんて。大のオトナで・・・。
曲名まで替えた手の込んだパクリでモト歌を見つけるのは困難と判断した。その時は。

そして日本に帰って友人に話のタネにと この曲を聴かせては皆で笑っていたのだ。その時は。

そうこうしている内、ペルーの友人が送ってくれた現地TVの音楽番組(MTVのようなもの) "Taxi"を観てて びっくり仰天!、いやー驚いた!、笑った!、微笑んだ!、そして解決した。

なんと、あの"El bebe salsero" を演っているではないか!.....子供たちが。
そう、パクリのゲテモノだと思ってたのは正真正銘のオリジナルだったのだ。ひえ〜。うそだろー。

バンド名は Orquesta Salserín 。曲名 "El bebe salsero"。コンピレに書いてある通りだった。脱帽。

その後の調べで彼らはベネズエラのれっきとした18人編成のちびっ子サルサバンドで 1st.アルバムの1曲目が"El bebe salsero"であることが判明。驚いたことにこの1st.には Oscar D'Leon が友情参加し、6曲目ではちびっ子と一緒にデュエットまでしているのだ!ぎょえ〜〜。土下座。
"El bebe salsero"を歌っていた Tonito Herasmo Huerta君は当時7歳でその後ソロデビューし、1枚アルバムを出したそうです。なんともはや...

さらには今をときめく Servando y Florentino の2人はこの時のメンバーだったのだ。
Servando y Florentino は今やラテン諸国の少年少女(特に少女)に爆発的人気で、ペルーでのツアーではぎゅうぎゅう詰め満杯のホールでファンのあまりの熱狂ぶりのため、コンサート中に4人の少女が圧死するという事故がおきた。事故発生直後に直ちに演奏を止めず、ヤバイと察知するやベネズエラへとんぼ返りしたのがあまりに迅速だったため物議を醸しました。日本でも IPCのニュースでやってました。
最新有力情報筋によると、更に近々2人が独立するらしい。おそらく年長者の内の2名だろう。
まさにアイドル養成サルサバンド、ベネズエラ版ジャニーズJr.といえよう。

---噂ではOscar の孫がメンバーの中にいるという。(未確認情報。ガセネタの可能性あり)確かにトロンボーンに Jose Leon の名があるけどこれがそうか?この人、その後 Adolescent's を経て 今は Pasion Juvenil にいる。Juvenil ジャケ中の Jose Leon (Peru)とある。でもこの (Peru)っちゅうのはなんだ?Oscar と Peruana の愛人との子なのか? 全くの別人か? ---

まあ、とにかくすごい人気のちびっこサルサバンドなのであります。

Orquesta Salserínは1発だけで消えるかと思いきやなんとその後も人気は衰えず、今までに3枚のアルバムを出して、ラテン諸国中をツアーで回り相変わらずの絶好調。おまけに次々にアイドルを輩出するもんだから余計に注目されてきた。でもまあ、日本まではその波も届くんだろうとタカをくくってたら、最近あるサルサのフリーペーパーでも紹介されてたし、当HPでも話題に上ることが多くなったので、Salserin のままで Orquesta Salserín の話をしてたらワケがわからんようになると思い、私、Salserin は 今現在より さるせりん に改名することにしましたっ。じゃじゃじゃじゃ〜ん。(しんちゃん風に)

そこで、なぜ僕が Salserin をハンドル名にしてたかというと、サルサをとっても愛してやまないが、まだまだ勉強不足、研究不足、練習不足であり、サルセロ には到達してないという意味で他愛のない理由です。-in は語尾につける赤ちゃん言葉の接尾語です。ま、借用したわけですな。
ただ単にそれだけです。ハイ。

ではなぜ、それだけのことをこんなに回りくどく説明したかというと、Orquesta Salserín が知られるようになって "あっ!こいつ、こんながきんちょのサルサなんか聴いてんのか!"と笑われそうだったからです。
ただ単にそれだけです。ハイ。

ま、そゆことでこれからも さるせりん をよろしく!

ところで先述のペルーの電気屋でのCD購入には続きがあります。
買った後何かがおかしい。ペルーでは店頭試聴のCDも販売するからホログラムの封印シールが開封されてるのはいいんだが、いかんせんケースにキズが多すぎるぞ。半透明に近いのまである。なんだ?日本の演歌のCDまで置いてある!? しかもここは電気屋だ。なぜCDを売ってるんだ?売るにしてはタマ数が極端に少ないし...

そうです。この兄ちゃん、ただ単に店番のとき聴いていた御自分のコレクションを定価で僕に売っていたのでありました。......絶句。

でも、ま、イケてたし、Orq. Salserin を発掘できたからヨシとするか。

P.D.
Orq. Salserin を聴くときは一人こっそり聴くか、理解ある友人と聴きましょう。
知らない人の前で聴くとちとはずかしいです。
あと、歌詞は100%お子ちゃま用ですからね。マジになってハモったりしないようにね。

Orq. Salserinのデビュー当時と最新メンバーの写真はこちら。


1998.6.11(木)
ワールドカップについてふと思ったぞ。

リッキー・マルティンの「LA COPA DE LA VIDA」とともについにCopa del Mundo'98が始まった。
そこでふと思ったことがある。まずはワールドカップ出場国をみてみよう。

 A ブラジル スコットランド モロッコ ノルウェー
 B イタリア チリ カメルーン オーストリア
 C フランス 南アフリカ サウジアラビア デンマーク
 D スペイン ナイジェリア パラグアイ ブルガリア
 E オランダ ベルギー 韓国 メキシコ
 F ドイツ アメリカ ユーゴスラビア イラン
 G ルーマニア コロンビア イングランド チュニジア
 H アルゼンチン 日本 ジャマイカ クロアチア

本大会出場国32カ国のうち、6カ国がスペイン語を母国語とする国(赤文字)である。その他ラテン語から派生した言語を母国語とする国が5カ国(青文字)。 またラテン語系の言語を公用語とする国もしくはわりと通じる国が4カ国(下線)。合計すると15カ国だ。つまり、半分の国はラテン語系が通用するの国っちゅうことになるではないか! 
これじゃあ試合の時、これらの国同士で会話が成り立ってしまう。少なくとも赤文字国+ブラジル、イタリア、ルーマニアの9カ国はおそらくもろに通じるぞ。
しかも、これら以外の国でもスペインやイタリアのプロチームでプレイしている選手は片言話せるだろうし、審判員も当然ラテン系が多いと思われる。げーっ。

...となる現象は予選時からわかっていたこと。みんな敵国同志なのに審判も含めて会話してたり、ののしりあったりしてるのはお馴染みのことである。
じつはそこから先が問題なのだ。

っちゅうのは、これだけラテンな国々が出場していながら、サルサを母国歌(というかは知らんが)とする国はコロンビアの1カ国だけじゃないか!
なんということだ。なんか非常にもったいないぞ。
プエルトリコからわざわざリッキー・マルティンが「あれ?あれ?あれ?」と歌う背景にはサルサの国がワールドカップに出てないのを不審に思ってのことだ。(ウソ)
そうか、今回は中米の代わりにジャマイカがでてきたんだ。南米ではペルーがいいとこまで行ったが最後にチリに奪われた。おしい!
さすがに、アルゼンチンやチリ、パラグアイのサルサなんて聞いたことないしなー。(あるのかなあ。)そういえばキューバやプエルトリコ、ドミニカ共和国は野球っていうイメージだもんな。コロンビアだってサルサよりクンビア・バジェナートのほうが勢力が大きそうだしな。そうか、必ずしもサルサ=サッカーではないのか。

ワールドカップにスペイン語の国が6カ国も出てるのにサルサのイメージが湧かない。やはり、ブラジルの影響が絶大でむしろワールドカップ=サンバっていうイメージだもんなー。

よし、こうなったら日本ではサルサをサッカーに印象づけたいではないか!オルケスタ・デル・ソルが日本代表チームのサポーターソングをやってるんだし。
メレンゲ=サッカーの方がいいかな。

なんとかしたいものである。....とふと思ったのであった。所詮無理な話だが。

ところでワールドカップの南米地区予選て一年半もかかるんだって。すごすぎる。


1998.5.1(金)
インドに行けばラテンな人生!?

思いつきでエッセイを書こうと思ったが、もともと文才がないのでいきなり行き詰まってしまったぞ。
しかたないので手始めに僕がサルサにのめり込んでしまったいきさつを書いてみようっと。

実は就職して2年目まではサルサの存在さえ知らなかった。
それは8年前のことだった。同じ会社の寮に住んでいた同期のKが学生の時、サルサ中心のバンドで活動していたというので そのサルサとかやらを聴かせてもらった。
"なんだこりゃ、変な音楽!"と言うのが最初の感想だ。全く、ぜーんぜん、なーんも興味なかった。

そんな折、突然ぼくはスペイン語学習に目覚めてしまった。理由もなく突如独学を始めたのだ。サルサとは何の関係もない。スペインには興味あったが、とりわけ語学を習得しようとは思っていなかった。
それが、ある日の暇なとき、テレビのリモコンがたまたまNHKのスペイン語会話をヒットしてしまった。
そして以前、インドを旅したとき知り合ったグアテマラの青年に汽車の中で簡単なスペイン語を教えてもらったことをなつかしく思い出したのだ。(牛はバカだよ、とか乾杯はチンチンともいうとかそういうバカ話っす。インドでその人に良からぬ事を教えてもらったりもした。)

おー、なつかしいなーと思いながらただ番組を眺めていたのだが、コントコーナーや南米の文化背景の紹介がことのほかおもしろい。それにアシスタントの女の子の笑顔が妙に愛くるしい。超美人という訳じゃないが、天真爛漫な彼女を見てると心がなごむのだ。ちなみにその頃は山崎先生とMerche Sanchez嬢でした。
そして、いつしかテキストを買って番組を見るようになり、そのうち毎週ビデオに録画して繰り返し見るようになった。
完全にハマってしまった。単語帳を作り、通勤電車の中で会話テープを聴くようになり、会社から帰ると夜遅くまで勉強するようになった。はっきり言って大学受験時よりも勉強したな。自分でも "オレ、一体何でこんな事してんだろ?" と思ったほどだ。
ちなみに、その頃の番組の中でなぜか頭から離れないフレーズが、「ほ えすた とらばはんど とだ ら のちぇ。」だ。どーでもいいことだが。
まあ、そういう訳で聴く音楽もスペインのPOPSに傾いていった。Gipsy KingsとかMecanoとかね。

そしてある日、Mecanoの新譜を聴いているとき例の友人Kがやってきて "何だ、おまえもサルサを聴くようになったのか!" と言うのだ。あーん?Mecanoのどこがサルサなんじゃい、と思ったが確かに一曲だけちょっと変わった曲があり、 "Bailando salsa......"と歌っているではないか!
"これがサルサか!なんだ、いけるじゃん!"と思った。さらに友人Kから衝撃的な事実を知らされた。
なんとサルサっちゅうのは全部がスペイン語なのだと言うではないか!なんだよー、もっと早く言えよー。ってな訳でそれからはスペインPOPSをやめてサルサ発掘を始めることにしたのである。
渋谷のWAVEで "とりあえずサルサならなんでもいいや" と数枚買ってみた。

ちょうど同じ頃、後輩Nからおもしろい中南米料理レストランがあるから行こうと誘われた。なんでもラテン系外国人がいっぱいいて楽しいらしい。さっそく会社帰りに行ってみた。そこでまた衝撃を受けた。まるでディスコのような雰囲気で男女が組んずほぐれつ音楽に合わせて踊っているではないか! しかもその音楽は最近研究を始めたサルサっちゅう音楽だ!

そうか!サルサはダンス音楽なのか!(このときはそう思った。)しかもペアダンスだ。さらにさらに歌詞はスペイン語!
こりゃ一石三鳥だー!!おれもセニョリータと踊りたいーーっ!組んずほぐれつ。

それからの僕はまるで何かにとりつかれたようにサルサに陶酔していった。
毎週恵比寿や六本木に行くようになり、見よう見まねでサルサを踊り、試行錯誤の後何とかサマになるようになった。サルサ、メレンゲ、クンビアの違いを理解するのに数週間を費やしたが・・・。
そして、いろいろあって(いつか書くかも)会社を辞めた。
あれから5年。相変わらずサルサしている現在の僕がある。その間、いろいろあったけど・・・・。

うーん!インドに旅行したことが結果的にこうなるとは、人生わからんもんです。
風が吹けば桶屋が儲かる方程式のように、インドに行ったらサルサを覚えた。
考えてみると、インド -> ジプシー -> スペイン -> 中南米料理 -> サルサ と連想できなくも無い。
インドの大地、グアテマラのDANILO RODRIGUEZ、山崎先生、Merche、友人Kに、後輩N、ボデギータで出会ったたくさんのアミーゴス、数奇な運命をどうもありがとう!
おかげでこれからもラテンな楽しい人生をおくれそうです。

P.D.
尋ね人
さて、くだんの友人Kは某有名かつ無名メーカーで空飛ぶ物体に関するプロジェクトを推進する部署にいたが、その後同社のそれに代わりうるであろう物体の推進する部署へ移動したらしい。
現在何しちょる?
よもや僕がかようなHPでサルサ普及活動をしてるとは夢にも思うまい。
"ほせ えすた とらばはんど とだらのちぇ" だ。わかるか?オレは生きてるぞ!
このフレーズにピンときたら、メールせよ。
おいっ!小林、おぉまえのことだぁいっ!(カブ風に)