
風月堂日乗『緑色の紙魚』
< Fugetsudo Diary
>
2001.1〜3
日々のつれづれなる思いを書いてきた「安宿の部屋・愛人房」を2001年1月からこのコーナーに引き継いでいます。
風月堂・常連客の交流BBS Serection
雪見のあとはちゃんと春風! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:3月31日(土)23時49分
今日は雪見か、花見かという天気だったね。でも、明日はみんなの願いも、ボクの願いも聞き届けられて、晴れるらしいよ!イェ〜イ!
で、ブッシュになったアメリカさんが急に97年の約束を守れないと言い出した。こんなワガママ、アメリカだからだって許していいというものではない。だから、明日は、おもいきり楽しみ、踊りまくって地球温暖化防止のコンセプトをもう一度、みんなで考えよう!
ゴミをなぜ出してはいけないかということも、そこにむすびつくんだからね!
(解説:1997年に京都でおこなわれた「温暖化防止京都条約」(正式名称:気候変動枠組み条約)で取り交わされた議定書が、ブッシュ政権になって不支持声明がだされ、2002年からの発効が難しくなってきた状況がある。29日付けの各紙新聞夕刊を参照のこと)
とまる指はここにあるよ!(目印) 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月30日(金)00時52分19秒
今度の日曜日(4月1日)に、2001年のフリー・エコパーティ『春風』が開催されます。完全フリー(つまり無料)のこのレイヴ・パーティは環境省が後援するように、地球温暖化防止京都会議の流れを引いています。
今日の、報道にもあったようにアメリカが京都会議の議定書から離脱して、来年からの温暖化防止の実施発効はほぼ絶望的になりました。そうであればこそ、ボクらはレイヴのパワーで音とリズムにのせて地球温暖化防止の主張を踊りながら、見せようではありませんか!
と、これは取ってつけたような言い方でしょうか?いえいえ、パーティにくれば、ヘンプもオルガニックも、21世紀をどう生き抜くかのヒントが得られますよ!てな訳で、みんなで行こう! という、お誘いの書き込みなのです。
花見も兼ねますので、なにかひと品持参して下さい!それから、自分用のカップと皿(割れないもの)下に敷くもの、ハシそうそうゴミ袋はかならず持参して下さい。
4月1日(日)12:30までにJR山手線原宿駅表参道口出て横断歩道の下あたりで、ビニールの可愛いヘンプ(大麻)の旗のようなものをかかげて待ってます!
ぐるばかさん以外の、とりわけ、オフ会が待切れない人は、よろしくね!
ぐるばかさんは、第1号に認定します。
と〜まったっ! 投稿者:ぐるばか 投稿日: 3月29日(木)18時37分28秒
今日は雨で急に寒くなりましたね。日曜日までにお天気回復してほしいなあ。当日必要なのはやっぱりお天気と桜と
Love & Peace ですね!
いろんな人達が集まって、シャンティな雰囲気が満ちる事を願ってます(アゲアゲもいいけど、それだけじゃ、ね)。
現地で目印になる場所/ものがあれば集合したいです!代々木公園B地区ってどこらへんなんでしょう??
一気に桜が咲いた東京です!春風!この指とまれ! 投稿者:フーゲツのJUN
投稿日:3月28日(水)22時58分40秒
>4月1日(日)午前10:00スタートです!なにしろ、ソーラー発電じゃけん、日中しかできないのよね(バッテリーに蓄電も可らしい。環境省の後援のパーティだよ!)。じゃ、トメ吉および皆さんのために! 『春風』はここだよ!
http://www.matsuri.net/harukaze/
BBSも覗いてみてね! みんな、とってもこのエコ・パーティに協力的なんだけど、なにしろ無料で、都心のパーティということもあって例年、1万人くらい集まるからね。でも、妊婦が行って大丈夫だろうかとかとってもフレンドリィ! あとは、参加者の心がけとSEED
Japanの活躍に期待する。もちろん、ゴミ集めには協力するが、家にまで持ち帰る訳にはいかず、やっぱりオルガナイザーの処理にたのむしかないだろうね。
>えびさんって、ビーズの露店商だったの!いいね、清貧に甘んじて、清く正しく自分の生きる道を生きようね。でも、パソコンとネットをできるゆとりが、あるんだからグーじゃん!
そんなに、みんな行くんであれば、待ち合わせます? 一緒に行くものこの指とまれ!
春風 投稿者:トメ吉 投稿日: 3月28日(水)14時35分33秒
今年の春風の情報のわかるサイトってありますか。今調べたら、4月1日代々木ということだけはわかったんですが。よろしくお願いいたします。
えびさん、初めまして、自由人でいいですねぇ。うらやましいです。
ぼくも自由人を自負して歩いていた時代がありましたが、最近はノリが重いのか、生活の金縛りにあっているようです。目標があって、この生活をしているのですが。
道端の露天商 投稿者:えび
投稿日: 3月28日(水)04時17分21秒
私は20才の時にデザイン専門学校を卒業し企業に就職しましたが日本人特有の皆、一緒という気持ち悪い風潮に馴染めず結局3年で退職しました。それ以降、私自身の手作りアクセサリーを道端や祭りなどで販売するカッコつければ自由業で日々の糧を得ています。一応結婚していますが主人も私と似たような人ですので我が家の経済状態はそりゃあ人様からみれば極貧そのものでしょう。でもそれも結構楽しいものです。我が家には湯沸し器がないので真冬に素手で冷水をひたしながら食器を洗った時なんかはキツかったけどね。
道端で商品を広げ低い視線でいろんなモノを眺めていると結構、人間模様をウオッチングできてオモシロイよ。よく見たら、かたちんばのソックスを履いている人がいたりしてね。
まっ私も服に関しちゃえらい事言えないし、道端で商売している時はチューリップハットにベルボトム、またはインドのパンジャビースーツを着ているけど普段はジャージだしね。
そういえば私は31年間の間、レイヴって行った事がないのです。どなたかそういった情報をご存知の方は教えてくださいな。どうぞよろしく!
Are You READY? 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月28日(水)00時28分17秒
>ボクも楽しみで楽しみで…。ずっと冬ごもりしてましたからね。やっぱり、レイヴは野外、オープン・エアがいいよね。『春風』はその上、花見もかねるようなもんですからね。もう。シートを持って、マグカップとアウトドア用の皿とハシとゴミ袋を持って、準備は万全! 大麻ビールを飲みながら踊るぞ!? そうだな、ボクはやっぱりシヴァのTシャツを着ていくことにしようかな。
春風! 投稿者:ぐるばか 投稿日: 3月27日(火)12時38分43秒
ドーモ、ご無沙汰しています。ぐるばかです。遂に春風まで一週間を切りましたね! もう待ち遠しくってしょうがないです。暖かく&お天気になってほしいなあ。
現地でお会いできれば良いですね。僕はタイダイのジミヘンTシャツ着てく予定です。(これだけじゃ分からないですよねえ。。。(^^;)
緑色の紙魚 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月26日(月)23時05分31秒
>しほさん! ありがとう! キミたちのような若い人たち、もちろんキミひとりでもいいのですが、ボクのこのサイト『電脳・風月堂』やBBSが読まれ(たとえ、書き込みは無くとも)何らかの影響や、ゆらぎを与えることが出来るのであれば、それはボクにとっての望外の歓びです!
そして、ボクはたとえ偶然に訪れた人にも、少しの時間でも、留まって読んでもらうに価する文章を書き継いでいきたいと考え、自分に課しています。
>シックスティーズに10代を過ごし、青春を過ごしたボクが片時も離さなかったものがあります。黒のビニール表紙のノートです。そう、ボクが夭折したほぼ同世代の高野悦子に恋したのも、彼女がその鉄道自殺の前日まで書き継いでいたノートの存在が大きかったと思います。そのノートゆえにボクらは『二十歳の原点』という手記を読むことができ、高野悦子の名前を深く心に刻むことができているのです。
>そして、ボクにとってはその緑色のボールペンで書き継いだノート(ボクは最初、それを『緑色のしみ(紙魚、染み)』と名付けていました)が、ボクの風月堂や新宿や60年代への記憶と証言の根拠となっているのです。なんと、そのノートは下手な詩やら、イラストやら短歌や、アフォリズムやらを満載してダンボール箱1箱をゆうに越えているのです。
(丁度、このBBSも一般的にはグリーンの文字で見えているはずです)
色眼鏡 投稿者:しほ 投稿日: 3月26日(月)14時17分53秒
はじめまして ちがう時代からきました
ここは興味深いことばがいっぱいあるんで要チェキります
またきまきまーす
http://members.tripod.co.jp/baca/baka1.html
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50年代のピンナップ・クィーン(アイドル) 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月25日(日)23時28分57秒
>フィフティーズの話題をもうひとつさせてほしい。今日、写真展を見てきたのだ。その女性は1926年に私生児として生を受けた。ノーマ・ジーンという名前である。そう、フィフティーズを生きた人たちのアイドルとなったのちのマリリン・モンローである(『マリリン・モンロー写真展』新宿伊勢丹美術館4月9日まで)。
ノーマ・ジーンの一生を写真で追っただけでも、悲しい思いがする。ピンナップ・ガールとして出発したノーマ・ジーンはわずか50ドルのためにヌードとなったカレンダー写真(1949年)で、いちやく有名になった。そして女優となってデビューしたのちもそのヌードが自分のであることを否定しなかった。その率直さが大衆の心をつかんだのだ。
ボクがこの数回フィフティーズにふれた文章を書く上で触発されたネタ本は上下に分かれていて、モンローは下巻にでてくる。だから、マリリンの章はまだ読んでいないのだが、何かの発見があった時はまたさかのぼって書くことにしよう。
>印象に残った写真が3点ばかりあった。ビーチの砂の上にハートのマークを描くかけ出しのピンナップ・ガール、ノーマ・ジーンの楚々とした水着姿。おつむの弱い肉体派女優と世間にレッテルをはられてそのレッテルから結局一生逃れることのできなかったマリリン・モンローになる前のフォトグラフィ。
さらに、ジョー・ディマジオと再婚して来日した時、おりしもぼっ発した朝鮮戦争に、従軍しているアメリカ兵を慰問してくれと頼まれて、二つ返事でオッケーした、その慰問の様子の内の2枚。極寒の朝鮮戦争の野外で、マリリンはコートもはおらずにノースリーブのドレス姿で兵士たちの前で歌い、しゃべり、生まれて初めての幸福感に包まれたと述懐しているのだが、その時、粗末な舞台のそでの仮設の更衣室から裸の肩を出して今にも、身を乗り出しそうな姿で写っている1枚。
あと1枚はその慰問の舞台で、一人の兵士の質問に答えているそばで、もうひとりの兵士が舞台に身を乗り出して、マリリンのハイヒールの先から顔をだしている指先を、おそらく、爪先だと思われるが、人さし指で触っているのである。しかし、質問に(おそらく、たくさんの聴衆のざわめきの中で聞き取りにくかったのだろう)一生懸命に答えているマリリンは、自分の左足の爪先に起きている状況に一向に気付いていない。これは、思わず吹き出してしまうほどの思いがけないショットだった。
日本が戦後、経済的に立ち直ったのは、この朝鮮戦争の特需によるのであった。マリリンがアジアの片隅に残したエピソード。
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スプリング・ウインドが吹き渡る! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月25日(日)00時54分19秒
駅前に買い物と言うか、古本のチェックに行ったら、駅前から広場を越えて桜並木があるのだが、商工会の人たちがハシゴにのぼって「桜まつり」のちょうちん掛けをしていた。なんだか、桜の開花の進み具合の方がはやくてあわてて掛け出したようである。例年なら4月7日なのだが、来週4月1日には満開となっていそうである。
そして、その1日には、開催がなかなか発表されずヤキモキしていたレーヴァーが多かったと思うが、代々木公園での『春風』が今年も開催される! 例年、そのエコロジカルなコンセプトを裏切るかのように心無い参加者の残した大量のゴミの処分費が開催者負担となっていたこのフリーコンサート(なんと無料なのである!)は、SEED
Japanなどが今年は参加し、根本的なゴミの出ないパーティを目指すようだが、なんと言っても参加者の心掛けだよね!
ボクも、マグカップ、皿、ハシとゴミ袋を持参して参加するつもりだが、今年こそはエコパーティを実現したいものだね。
で、ずっと冬眠していた『ナトラジャ・アンダーグラウンド』(踊るシヴァ神)も目覚めて久しぶりに更新した。サーバーが壊れたために障害となっていたムーンスクリプトもJavaになって復活である。やっぱり、ものが動いていく春だね。
キャンプ用品のホコリを払っておくとするか。いよいよ、オンエアーの野外のパーティ、まつり、フェスの季節が到来したのだ。野のヒバリとなって、恋の歌もさえずりたいものだ(老いらくの恋と言われそうだが?)!
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オールド・カフェでモガ、モボを味わうこと 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月24日(土)00時08分31秒
この国で何回目になるのかチトわからぬが、カフェ(それもCAFEと書くのが、いいようだが)ブームのようである。もっとも、おしゃれな繁華街に頻繁に行く訳ではないものには、アメリカ資本のさるオープンカフェくらいしか目につかないかもしれないが…。
しかし、雑誌の特集、ムック本を中心としてまるで右にならえするかのようにカフェ、カフェ、CAFEの言葉がならぶ。企画力や、編集力の貧相さもあるんだろうが、いわゆるカフェ本でコーナーひとつができるほど、酷似した本や雑誌が、出版されている。その中で、ボクの目を引いたひとつが『CAFE』であるが、どの本だかまぎれてしまったら分からないかもしれない。では、何がボクの目を引いたのかといえば、『ライオン』『ヴィオロン』『ネルケン』『ミニヨン』そして先日もいったばかりの『でんえん』などが、紹介されて「クラッシック喫茶は都会のオアシス」とキャプションされていたのが、気にいったというだけの話しでした。
クラッシック喫茶は代替わりしている店もあるが、もはやおばあちゃんになったウエィトレス、好々爺しているおじぃちゃんがコーヒーを入れてくれたりして、いま行かないと、こんな昭和や、大正のモガ、モボの雰囲気を生きてる人たちそしてその空気は数年後には失ってしまうのではないかと思われる。貴重な空間を今のうちに味わっておこう!
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(その3)ファースト・フードからフード・ファーストへ! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月22日(木)00時16分36秒
>さらにいえば、渋谷では一時チーマーのたまり場になろうとも、50年代マクドナルド兄弟が考えたコンセプトは不良や、皮ジャンの「族」などのたまり場にならない店をつくることだった。彼らのたまり場を、作ることは郊外にすむファミリーのお客さんが来ないことだったし、店の女の子さえも目当てにされかねないことだった。だから、毎日の店内掃除を含めてのマクドナルドのマニュアルは、50年代のアメリカの小市民を念頭に置いたコンセプトにみちている。
>そして、このようなコンセプトを「スクエアー」なものとして、まったく違った自分達の反逆的な文化とコンセプトを立ち上げようとしたのが、ビートニクであり、ビートニクもフィフティーズのただなかに誕生したのである。彼らはまったくもって黒人(ブラック)を模範に置いた妙なホワイトたちだった。わざと黒人たちのスラングを使い、ジャズを好んでいた(ノーマン・メイラーはホワイト・ニグロという言葉をつくってこのヒップな連中を定義した)。ビートニクたちが、麻薬づけ、アルコールづけの日々から立ち直ったのも、ひとえに彼らが詩を書き、小説を書くという文学、言葉の力を信じていたからかもしれない。そして、サンフランシスコという風土が神秘と混交する文化のるつぼのただなかにあった。「夢のカルフォルニア」はビートニクたちにカウンター・カルチャーという後ろ楯を与えた。
>21世紀にシフトした現在、私たちは化石燃料(石油)に全面依存したモータリーゼーション自体が環境破壊的なテクノロジーであったことに気が付いてきた。経済成長や開発が過度な成長率や、経済効率といった経済原理ですすめられるのであれば、地球環境に負荷をかける結果になる自体を痛いほど経験してきた。であるなら、ファースト・フォード(fast
food)など、そのスピードや効率をはかるジャンクな食物などには手をださず、むしろ安全で、健康で、質素なナチュラルな食べ物を選択していく賢明な勇気(有機?)がいま求められているのではないだろうか?
>Fast
Food(早い手軽な食べ物)から、Food
First(食糧第一、安全な食べ物優先)へと南の人々とのデバイド(格差)を念頭に置きながら、企業戦略や、コマーシャリズムを拒否していく選択。もはや、賢い消費者でもないライフスタイルをつきつけていくNPO(非営利団体)や、NGO(非政府組織)とは、私たちひとりひとりの別名であり、地域的かつ地球的(ローカル・イズ・グローバル)なコンセプトそのものである。
ファーストフードを何故食べるの? 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月20日(火)23時57分32秒
>マクドナルド兄弟が先べんをつけたファーストフードの功罪というか、いまや地球環境破壊に加担するまでに成長したと言うべきなのだろうが、罪もちゃんと書いておこう。じつは、昨日書いたことにはちゃんとタネ本があって、そいつはブック資料に掲載されているから、探してもらうとして、この功罪まではタネ本は触れていないからだ。われわれ、北の国(経済的先進国の意となる)に住む人々のその食卓もそうだが、南の国(第三世界の意)の人々の食糧を奪うものに等しいことを御存知か?
われわれが、食肉の形で食べているものは、いわば濃縮された穀物(牛肉の場合おおよそ20倍に濃縮されることになる。つまり単純に言って1kgの肉を生産するのに20kgの穀物が飼料にされる)であり、食肉用の家畜の飼料とするために南の国の人々の穀物が、買い叩かれている。穀物市場は、多国籍企業が暗躍する巨利を生み出す、おいしいインターナショナルな市場なのだ。当然、市場の経済論理によって一番高く買ってくれる国、企業に商品は落ちる。そして、その多くは先物取り引きで売買されているのだ。
>さらに、ファーストフォードのハンバーガーに使用されている牛肉は、アメリカの場合、アマゾンの熱帯雨林に火をつけ、焼け野原にしたところを開発し、牧場とする土地無し農民(都市難民)の営為によって支えられている。ファーストフードの多国籍企業は自らのフランチャイズ展開と日々の食材を確保するためにむしろこのような不当な開発をそそのかしている節もある。しばしば、地球の肺にたとえられるアマゾンの驚くべき、森林の消失面積はしばしば民衆の焼き畑農法にすりかえられて隠ぺいされてきた。ナイフも、フォークもとっぱらった(スピード化、効率のために。)ファーストフォード店の紙コップや、ナプキンの消費量を考えれば、二重の意味で森林資源を収奪していることになる。そして、このような隠された側面には人はしばしば、目をつむってしまいがちだ。それを承知で、あなたはファーストフォードの店でハンバーガーを買い食べ続けますか?
マクドナルド兄弟 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月19日(月)00時21分12秒
>きっとフィフティーズなんて、もうジィちゃんの世界で、自分たちには関係ないやなんて若い人たちは思っているのかもしれない。でも、こんなことを知ったらビックリするかもしれない。あの、マクドナルドはフィフティーズが生み出したものだったということを! そう、ハンバーガーのマクドナルドである。
50年代アメリカでは、緑の芝生の白い壁の瀟洒な家を郊外に持つことが、一般市民の夢でありまたブームとなった。遠いアジアでは、日本を含め多くの人々が貧困と栄養失調に苦しんでいた時代である。マクドナルド兄弟がモータリーゼーションの押し寄せつつあった時代を機敏に感じ取った最初の店を開いたのは、1940年であった。それは、ありふれたドライブインにしかすぎなかった。兄弟は調理をスピードアップし、たくさんのメニューをハンバーガーのみに絞って、ナイフ、フォークを取り去り、調味料までも店内に置かない現在ファーストフードという名で知られている方式をマニュアル化した店を1948年に再オープンし、それが大当たりをとったのである。しかし、マクドナルド兄弟は最初のフランチャイズ権を一千ドルで売り渡してしまう。50年代に驚くべきスピードで全米中に拡大していく、マクドナルドのフランチャイズ展開は自分達の分ではないと兄弟はこころえていたのである。
さて、いまやあの牛肉を食することは宗教的タブーであるインドにさえ進出しているマクドナルドは(インドで、それを最初に見たときにはたまげた)、世界的規模での多国籍企業的なフランチャイズを展開するまでになっている。その店のマニュアルと経営ノウハウは、フィフティズ、アメリカの50年代に作られたのである。どうだ、驚いたか!
(なんか言い方が、某俳優に影響されてきたかも?)
赤木圭一郎とその風景 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月16日(金)00時04分38秒
>本があいも変わらず、売れないんだそうだ。出版不況は数年前から言われていてそれでも、本屋さんには(とりわけマンモス書店には)たくさんの人がいて、ほとんどの人が手ごろなヒマツブシをしているのだろうか?
そのせいかどうか、消費のターゲットはいわゆる団塊の世代と呼ばれる(ボクは大嫌いな言葉である。堺屋太一が作った呼称)中高年になっているらしいことが、出版される本からもうかがうことができる。
いわく『「少年」のふろく』、『力道山―ライバルも登場する門外不出の写真集』『力道山伝説』『昭和の台所』(昭和ものはその他多数)などなど。昭和30年代に少年・少女時代を過ごしたものにはたまらない内容であろう。とはいえ、これらの本は懐古趣味の中高年向けのムック本のような企画である。
昭和30年代とは1955年から1964年までで、これはほとんどフィフティーズ(50年代)つまりその時代に青春を過ごしたロカビリー、ジルバ、ポマード(リーゼント?)のアメリカ的ライフスタイルに憧れた最初の世代である。現在60才以上の日本では60年安保世代や、太陽族と重なる世代である。
で、話はもどるが、そのフィフティーズの世代が泣いて喜びそうな、写真集が最近出版された。『赤木圭一郎写真集』である。出版元はマガジンハウスであるから、これまでの『平凡』などのスターグラビア雑誌に掲載された秘蔵の写真はたくさん持っているはずである。赤木圭一郎は、今の若者では知っている方が少ないと思うが、愛称「トニー」と呼ばれ和製ジェームス・ディーンといわれたプリンス的なアクションスターであった。で、ボクも知っていることは知っているが、別に生き方に影響を受けたとかそのようなスターではないんだが、パラパラとその本を手にして眺めていたら、やっぱり懐かしさで胸が一杯になり思わず買いそうになってしまった。何が、そんなにも懐かしかったのか?風景である。赤木圭一郎のバックに写っている風景が、ためいきがでるほど50年代つまり昭和三十年代の東京、江ノ島、日本の風景だったのである。とりわけ、後楽園のジェット・コースターには、泣けてしまった。あ〜ァ、ボクもデートをしたことがあったなぁ(初めてのデートの場所だったかもしれない)。そして、かもしかのようなきれいな足をしたその娘を思い出してしまったのである(いまじゃ、オバさんだろうけど)。ボクは、ナイチッチ!
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前衛と反逆 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月13日(火)23時11分07秒
>アヴァンギャルド(仏語。前衛の意)という言葉は、ある意味で政治と切り離せない面があるのですが、60年代までは美術の世界にもまだ生きていた。一番の典型はアンフォルメルから読売アンデパンダンまでの流れの中にあるだろう。読売アンデパンダンまでの戦後美術はアヴァンギャルドでなければ美術じゃない位の先進性を持っていて、その中からハプニングも、ネオダダも、ハイレッドセンターも暗黒舞踏も生まれた。これは、60年代を語る時の大きな背景のはずなのだが、美術評論以外ではあまり語られることがない。不思議なのだが、この意味がわからないと1970年の万博に岡本太郎(戦前からのアヴァンギャルドなアーティストのはずである)氏を筆頭としたもはや体制迎合派と万博破壊共闘にわかれて闘い合い、非難しあった意味がわからないだろう。1970年の万博は戦後日本のエポックメーキングな出来事であった。あれ以降、万国博覧会という20世紀をはなばなしい彩りでデビューさせた巨大イベントはたいしたことがなくなっていく。挙国一致のコンセプトが得られなくなっていくのだ。
ちなみに、体制迎合派に敵対したのは、ゼロ次元などのハプニング集団、ダダカンなどの孤独な反抗的ハプナーそして反骨の徒金坂健二氏や美術評論家の幾人か、アングラ派の映像作家たちだった。その東京での根城のひとつが「風月堂」であったのは、言うまでもない。
マック 投稿者:トメ吉 投稿日: 3月13日(火)13時59分35秒
そういえばiTunesはOS9が必要でした。ぼくのマックは元々PowerPC601チップの7500/100にG3カードをさして使っています。2万円でG3にできるんで。OSは9.04です。
ロシア・アヴァンギャルドは日本の昔の広告デザインや雑誌の表紙、レイアウトのロゴなどにも影響を与えたのではないかと、ぼくも思います。
ロシア・アヴァンギャルド! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月13日(火)00時52分34秒
東京都庭園美術館で何を現在開催しているかと言えば『ロシア・アヴァンギャルド展』である(4月1日まで)。これは名ばかり知りながら実際のポスターなど見たこともないステンブルグ兄弟の70年前のあざやかなデザイン感覚に富んだ映画ポスターを中心にしたロシア構成主義・フォルマニズムなどのフォト・モンタージュ、コラージュ、タイポグラフィなどの手法で展開される一大前衛芸術運動を回顧する展覧会なのである。ロシア革命数年後の1920年代をピークとしたこのいわば共産主義、レーニンの党に指導された時代に花開いたモダニズム運動は詩人のマヤコフスキーなどを巻き込みながら革命に奉仕する宣伝芸術プロパガンダや、社会主義リアリズムの教条主義によってやがて衰退し、弾圧の憂き目にも会うのだが、それにしてもステンブルグ兄弟のポスターは今見ても、その初々しいモダニズム感覚がまぶしいくらいだ。
映画ファンとしては、作品も記憶している『戦艦ポチョムキン』(1925年。監督/セルゲイ・エイゼンシュティン)はもとより『伯林―大都会交響楽』(1927年)『カメラを持った男』(1929年)などの作品のポスターを手掛けているのがステンブルグ兄弟であった。
映画がまだファントマテックな幻影の魅力を持ち、新しい20世紀の花形的なテクノロジーでそれゆえ、未来的な夢をむつぎだす装置だった1920年代、リトグラフで印刷されたそれらのポスターは日本では、昭和30年代(1956〜1965年)に一大ブームをつくり出した貸し本漫画誌の表紙などにまで影響を与えているだろう(これは、ボクのオリジナルな認識かも知れません)。70年前のポスターとは思えないくらい鮮やかな赤が印象的で、さすがに赤、赤軍、共産主義というイメージを作ったソビエト連邦が若々しい変革の希望に燃え盛っていた時代と言うのが確かに存在したということを感じさせてくれた。
東京都庭園美術館のことは、昨年5月の未来派デペロ展の時に書いたと思うが、旧朝香邸跡地で宮様のひとりであったらしい。いまさらながら、こんな一等地にとため息がでてしまうほどの、アールデコ様式で作られた建物と、入り口玄関正面にはルネ・ラリックスのガラスのレリーフや香水室などという客間があったり、それは驚くような贅沢ぶりである。
今は、東京都の美術館と迎賓館(そんなのがあるのも知らなかったが)東京都歴史文化財団の事務棟が建っており、それらをとりまく庭園がまたスゴイのである。
ボクらはジャズ喫茶で踊っていた! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月11日(日)23時06分36秒
>トメ吉!ありがとう! iTunesを使えると言うことは、OSが9.04以上推奨だから、つまりimacか、G4なんですか? トメ吉のmacって。power
MACユーザーでOS8.6のボクとしては、ここからステップアップするためには金がかかる。そりゃimovieも、DVDも魅力がある。そんなの勉強してる時間はないだろうけど、VJの真似事まではしたいなと言う願望はある。しかし、先立つものが〜(ガ〜ン。涙)。
>セルジオ・メンデスとブラジル66は、『ヴィレ(ジャズ・ヴィレ)』の時代におおはやりでこのレコードでよく踊っていたものでした(ボサノバの第一次ブームであった)。しかし、『きーよ』もそうだけど、ひと昔まえのジャズ喫茶は踊れたんである。フィフティーズの人たちが「ジャズ喫茶」と称するのは要するに今で言うところの「ライブハウス」であるが、この世代とシックスティーズのはざまの時代にモダンジャズ喫茶がゴーゴーやディスコの先べんをつけていたという時代があった。
>きょうは東京都庭園美術館に行ったのであるが、その報告は明日書くことにしよう。
遅れましたが。 投稿者:トメ吉 投稿日: 3月11日(日)15時25分57秒
1週間遅れてしまいましたが、お誕生日おめでとうございます。ぼくは、最近はiTunesというアップルの新しいソフトで、やはりラジオ番組を楽しんでおります。60年代ポップスというカテゴリーがありまして、そういう放送局で、ボサノバを聴いたりしております。ボサリオとか、セルジオメンデスとブラジル66みたいな世界です。懐かしくていいです。
ルナテック! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月11日(日)01時59分55秒
>今宵はまた見事なほどのフルムーンが、天空に煌々と輝いている! みなさん!今宵も、狂ってますか? ルナテックしてますか? 月に吠えていますか?
ボクは、最近、Real
Playerで、アクセスしたジャズのネットラジオをBGMに流しながらの、ネット三昧です。CDをCD
Playerで聞くよりも、「ながら」の負荷は少ない気がする。
これも、ブロードバンドの高速通信の仲間には入れてもらえないようだが、定額のフレッツISDNにしたおかげかもしれません。少なくとも、接続をこまめに切っていたころに比べれば、ストレスは減少した。時間も気にしないでよい。さらに、入ったとたん値下げである。喝采を叫びたい。しかし、将来、DSLにしたい時は、余計な出費が重なることになる。しかし、その時は光ファイバーにしてやる!
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酔いどれて、いろは。 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
3月10日(土)02時36分23秒
>エセ薫って面白いね。昨晩の『酔いどれの家』は気にいってもらったかな?新宿って動いていないようで、じつはとてつもないパワーで動いてるんだって感じることがある。最近では、映画『不夜城』のモデルにもなった歌舞伎町屋台村が更地になったり、新宿ウッチングは欠かすとおいてきぼりにされそう。でも、新宿ロフトプラスワンのトークライヴってコンセプトはすっかりサブカル話題それもエロっぽいテーマばかりになりつつあるような気がする。いや、ラブコールがかかっているからヨイショする訳ではないが、ダメだという訳ではない。それは、歌舞伎町のど真ん中に行った意味でもあるだろうし、毎日テーマを変えて営業するのはホント大変でしょう!なに、最近平野店長はすっかりライターしているのか、『バースト』最新号で、あのパリ人肉事件の佐川氏にインタビューしたりしている。これって、出稼ぎなんですか?ま、平野店長はバックパッカーとしてもスゴ腕で鳴らした人だから、ただじゃ起きない人だとは思っているが…。
>そうそう芥川賞の町田康ならぬエセ薫にちゃんと答えねば。かごめかごめの歌は、それこそ貴種のつまり囚われの身となった天皇もしくは支配者の怨嗟がこめられているんだという話はきいたことがある。「かごめかごめかごのなかのとりは」。一般には千葉のわらべ歌ということになっているんじゃないかな?
もっとスゴイのは、「いろは」うたで、いろはうたの歌詞の中には実はとんでもないメッセージがこめられているんだそうだ。イロハニホヘトチリヌルヲという歌詞の中に(色は匂えど散りぬるを)!
そもそも、「いろは」うたは「伊呂波」という具合に書き、仮名文字が成立する以前つまり平安朝より前の時代から伝えられるものであるらしい。たった四十七文字の中に、それも一文字として重複しない掟の中に歌い込まれたメッセージだそうだ。もっとも、平家物語の中に綿々と流れる「涅槃教」(直訳するとニルバーナ・スートラになるところもスゴイが!)の教えである諸行無常の思想の意訳であるという説が、有力であって一般通説となって辞書にもそう書いてあるはずである。
わらべ歌や子守唄は実にあなどれないボクらのDNAレベルへ埋め込まれた古いメッセージを持つんだと言う考え方がある。江戸時代の寺子屋から採用された「いろは」うたはそうやってサブミナル次元で子供たちの無意識に囁きかけていると言う。この国のミカドつまりオオキミとしての天皇がもう一人いたらしいことを。その正統性を「いろは」うたのなかで囁き続けているらしいのだ。
(今日の書き込みはほとんどフィクションであると考えて下さい。確証はありません)
JUNさん、JUNさん 投稿者:エセ薫(芥川賞) 投稿日: 3月
9日(金)04時17分02秒
この間は、貴重な時間をありがとうございました。タイ料理楽しみです。ところで、かごめ かごめ かごの中の鳥は‥っていう唄は埋蔵金の在り処を謎ときにした唄という話と処刑の唄とも風のうわさで聞いたのですが、どうなんでしょうかねえ?眠れません。
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ビートロジーに入門しよう! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 3月
8日(木)23時25分43秒
>今日ついに手に入れてしまった。1968年ノーベル書房発行の北田玲一郎著の『乞食学(ビートロジー)入門』である(書物の詳しいデータは、large_beerを御覧下さい)。それも、著者である北田玲一郎氏から氏が発行人となっていた雑誌『TAMTAM』とともに、プレゼントされたのだ。これも、このサイトをたちあげていたおかげだとも言えるのだ。もはや、忘れ去られたような貴重な書物や、雑誌がまだまだある。ボクの関心テーマだけに絞っても、資料リストにかかげながらも手に入れることのできない書物や雑誌はまだまだたくさんある。
そして、『乞食学入門』という書物の存在を知っている人もいまや、ある世代以上に限られてしまったようで、それが証拠に検索してもでてこない。その、唯一のサイトが『電脳・風月堂』だったのである。
さて、ましてこの書物が著者自身からプレゼントされた以上ボクは違った意味での、伝える義務を背負わされたような気がする。金坂健二さんのことも、いまだ問い合わせがあるくらいでまだ満足に完成していないのだが、60年代を発掘する作業は奥が深い! いま、30年ぶりに再会したこの本を読みふけっている。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2950/beer.html
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カマイタチ/キムジナー/ピー 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 3月
7日(水)23時06分51秒
(『でんえん』の続きです)>話の中で町田康に似たミュージュシャンが言うのだ。「最近、水道工事の仕事をしている友人が、何もしないのに手をザックリと切って、医者に行ったら、それはカマイタチの仕業とマジに言われた」と。で、ボクは沖縄の美少女に水を向けて「沖縄にもキムジナーというイタズラな妖怪がいるでしょう?」「うん、子供とか、オバァーだとか見たという人がたくさんいて、ガジュマルの樹に住みついているらしいんだけど」。まだ沖縄に行ったことのないらしいマリーさんはただただ「ヘー、ヘー」と感心して聞いている。キムジナーは本土(つまり内地というかここ)でも『ウンタマギルー』というおかしな映画に取り上げられて、出演した照屋林助とともに知られてきたが、ガジュマルの神秘もあるだろうが、なんというかイタズラ好きのトリックスターである。タイなどで仏教の国であるにもかかわらず、信仰されている精霊ピーはまだおそれうやまわれているが、似ている面もあると思う。
>今日はちょっと水木しげるさんが喜びそうな話題でした。
>マリー! お祝いのことばを、ありがとう!
ミステリアスな魚座 投稿者:マリー 投稿日: 3月 5日(月)23時56分47秒
JUNさん ☆お誕生日おめでとうございます☆ 昨夜はとても楽しかったです。どうもありがとうございました
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ボクは国分寺の『でんえん』でひとり自分のバースディを祝った(涙)! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 3月
5日(月)21時25分45秒
>一日雨模様だった日曜日、午後5時くらいから晴れてきて夕日が美しかった。そして、夕刻の不思議な光の射す中を電車に乗って国分寺へ向かった。武蔵野の面影の残る玉川上水沿いの木立の中の道がそれはかがようかのような神秘的な光にみちる日が落ちるまでのわずか1時間あまりの晴れ間だったのだ…。
>ここのサイトにも時々来てくれるマリーさんに呼び出されて、沖縄から上京している友人を紹介したいというので、国分寺へ行ったのである。マリーさんの友人と言うのは沖縄の美少女であった。そして、その彼というのも昨年芥川賞をとった町田康に似ていたから、彼を阿部薫に沖縄の美少女を鈴木いずみにキャスティングして『エンドレス・ラブ』をリメイクしようかというジョークも出たほどである。監督はもちろんボクで(若松孝二さん。すみません!)、マリーさんはプロデューサーだろうか?
>で、楽しかった彼らとのお喋りの前に、待ち時間にボクは『でんえん』で、チーズケーキとコーヒーをセットにしてささやかに、じぶんのバースディを祝った。そう、年は言えないけど今日はボクの誕生日でありました(『でんえん』のレアチーズは少し甘すぎた)。
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もう一人の… 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 3月
4日(日)01時26分51秒
>「高野悦子」で検索してみれば、一目瞭然なのだが、「高野悦子」はもう一人いて、こちらは美しく歳をおとりになって現在も活躍なさっている。そう、もう一人の高野悦子さんは岩波ホールの支配人をなさっている。映画人としても毛並みがよく(これって差別用語に入ってないのがおかしいくらいだね)映画の良識、女性のキャリア性といったものも代表なさってるみたいな方である。映画ファンの一人として、様々な名作の配給にも尽力なさっている方のことをこれ以上は云々しない。
>ワイダの新作にも行ってないし、このところ足が遠ざかっているが、岩波ホールに行くとかっての映画ファンだった頃の自分が蘇る。この前も、そんな話を誰かとしたが京橋のフィルムライブラリーや草月会館、果てはアテネフランセなど映画祭に限らず、よく見に行った。ドイツ表現主義のフイルムはそのほとんどをフィルムライブラリーで、ケネス・アンガーなどのアングラ映画は草月会館で、フランス映画はアテネでとマメにチェックしては、よく行っていた。60年代なかばの高校生の頃で、今みたいに「ぴあ」や情報誌もないから、新聞やフライヤーをチェックして情報を仕入れるのだ。ポスターも大きな意味を持っていた。日宣美がわが世の春を謳歌していた頃だったから、ポスターは革新的なデザインが好まれ、そのような流れが横尾忠則や宇野亜喜良などのアングラポスターに結びついたのかもしれない。横尾などのポスターは決して、日宣美の否定などから始まっていた訳ではない。写真やデザインの革新性もしくはポップさを成長させたという意味では雑誌『話の特集』の果たした役割も見逃せない。一時は、カルメン・マキが支那虎と組んで写っていたヌード写真の掲載された『話の特集』はボクの宝物的な一冊でもあった。あのカルメン・マキの美しかったこと!(カメラマンは立木さんではなかったかと記憶している)
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雨も降り、寒の戻りでちょっと寒い。 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 3月
2日(金)00時47分24秒
>T.Tさん! 久しぶりですね。その節はどうも、写真も送ってくれてありがとうでした。そういえば、T.Tさんは京都が近いんだよね。行こうと思い立てば、すぐにでも行ける距離だよね。ボクも、比較的最近行った時に河原町に「無印良品」の店ができていてビックリしたことがあったな。そうそう、「築地」でボクも時を忘れたいな。「YAMATOYA」は京都のジャズファンが集結する店であるそうです。ボクのネットワークの中からははずれていたけど。
他の市で風月堂への言及もちょっとあるここのサイトへ行くと京都のジャズ喫茶のことはよく分かるよ。その名もジャズ喫茶のマッチというらしい。
http://kitan.semana.co.jp/jazzmach/kyoto/kyoto.html
ご無沙汰です。 投稿者:T・T 投稿日: 3月 1日(木)01時38分30秒
お元気ですか。ここを訪れるのも久しぶりです。ちょっと忙しかったので。3月下旬に引っ越しますが新しい住所、アドレスなどまたご連絡いたします。
>高野悦子の本は私も学生時代読みました。大学が京都だったのでたまたま…。「二十歳の原点」って「はたち」じゃなくて「にじゅっさい」ってよむんですよね、たしか。
「みゅーず」も「六曜社」「築地」もよく行きました。つい最近嫁さんと河原町に行ったときに六曜社に行ったらすごく混んでいた。河原町も暗い路地まで明るく照らすほどファッショナブル?な建築物が増え、活気に満ちている。「築地」で時の経つのを忘れ、店を出ると河原町がものすごいスピードで走ろうとしているのが分かる。置いていかないでくれという感じです。
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今日は南からのSOUL
TRAIN! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 3月
1日(木)00時19分15秒
なにか強引に思われるかもしれないけど、『SOUL
TRAIN』はアメリカのヒップホップの人気テレビ番組の名前でもあって、それがジョン・コルトレーンとどうむすびつくのかは、ボクも分からないがコルトレーンのアルバムもブルースを下敷きにしており、つまり列車(TRAIN)というのは、ブルースの重要主題のひとつで、ブラックのストリート・ミュージックとして始まり、またマルコムXの演説やブラックパンサーの運動を下地にもつこのヒップホップは黒人の奴隷制度の時代からの長い歴史性を背負ったメッセージを持っているんだ。
で、どこかにもあったなぁ、と思っていたらこれってJ-WAVEの深夜番組の名前でもあったんだね。
東京は28日の昼、まるで春一番を思わせる強い南風が吹いていたが、どうだったんだろう?
いま、メールのやりとりでボクの魂の原点に触れるような出会いが起こっており、ボクはソワソワしている(気持ちが整理できたら、ここにも書きます!)。近い内に大阪に行くことになりそうだ。そしたら、もちろん京都にも寄りたいな! もう、3月だ!
ボクの生まれた月。ボクは魚座なのだよ。ミステリアスな!
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ライナーノーツ 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月27日(火)00時58分12秒
>下記の書き込みをしたのちボクは無性に『SOUL
TRANE』が聞きたくなってしまった。で、しかたなくCDを買いに行った訳である。このアルバムは1958年の吹き込みでコード進行に基づく分解した音を「シーツ・オブ・サウンド」といわれたこまかいフレーズを星のようにまぶしていく独自の奏法によってプレステッジに残した最高傑作といわれているアルバムなのである。で、やはり隣にうまくしたもので『BLUE
TRAIN』が並んでいる。これは、レコードをともに持っていない以上買わざるを得ないだろう。マイルスのバンドに加わってモード奏法を確立していくそれ以前の若きコルトレーンのスリリングな演奏が記録されたアルバム。コルトレーン(ts)がリーダーをやり、リー・モーガン(tp)、カーティス・フラー(tromb)、の2本の金管セクションがからみケニー・ドリューのピアノ、ポール・チェンバースがベースで引き締め、フィリー・ジョー・ジョーンズ(drm)のリズムセクションが色付けを豊かにしていく。1957年の作品。音は不思議である。ちっとも古びない。この音がフィフティーズの頃の音とは思えない。ジャズはバード(チャーリー・パーカー)が生きていた50年代が黄金期だったという人がある。ジャズがモダーンな音楽であったのは1920年代からであって、その頃はダンスミュージックであった。ビバップをバードたちが確立してジャズはモダーン・ジャズとしての、インストルメンタルな演奏自体を楽しむ大人の音楽になったようだ。あんまりたいした出来とは言えなかった97年の『死にたいほどの夜』というニール・キャサディを主人公にした映画のBGMにはこの頃が旬だったアート・ブレィキーやマイルス、セロニアス・モンクの代表的な曲が目一杯使われていた。ビートニクスが好んで聞いていたジャズというべきものだった。立ち読みしたんだが、村上春樹の『スプートニク』という小説は何故スプートニクと呼ばれるようになったかのくだりに、ビートニクとスプートニクを言い間違いしたためという理由が付けられているんだが、いまやスプートニクとビートニクのこの親密な名称の近似性を説明できるものはビートニクの研究者(アメリカ文学史という名称でビートニクは日本でも大学の立派な学問になっているらしい)と言えるかも知れないですよ。
>曲は『SOUL
TRANE』に変わった。ボクはのっけからのフレーズをコルトレーンに合わせてハミングすることができる。そしてまた、このふたつの録音月日も近いアルバムが『TRANE』と『TRAIN』であることに注意を喚起しておこう。(まるでライナーノーツを書いてるみたいで気分がいい!)
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コルトレーンの魂 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月24日(土)22時34分06秒
>今日は雨模様で寒くなってしまったが、春めいていた昨日、時間ができたのでちょっと中古レコードショップに寄ってみた。ま、手ごろな値段で掘り出し物をという下心で行くんだが、プロの目利きにはかなうはずもなくうまく掘り出し物に当たったためしはないのである。で、3枚位をセレクトしてレジへ持っていくとカウンターの上に入荷したばかりなのかこれから値付けをするレコードがのっていた。その、1枚がなんと『Soul
Trane』だったのである。おもわず値段を聞いてみた。と「これはオリジナル盤なので、そうですね。4万くらいかな」と言うのである。1万くらいだったら考えたかもしれない1枚だったが、こうなりゃCDでもいいやとアナログ好きのボクでさえ考えてしまった。しかし、『Soul
Trane』はジョン・コルトレーンの大好きな1枚であった。ボクはフリージャズの旗手だった時代のコルトレーンも好きだが、初期のコルトレーンのバラードが大好きなのである。
こうして、今日もウィスキーを傾けながら、昨日手に入れたレコードとともにジャズ漬けになっている。春になってまたオープンエアが気持ち良い季節になるまで、この心地よさでいこうかと思っている。
>ちなみに、昨日手に入れた1枚にミンガスの『ピテカントロプスエレクトス』があってこれは嬉しかったな。安かったし。で、もう1枚のケニー・ドリューの『ダーク・ビューティ』が、これは74年の演奏だが、いいんだな。ケニー・ドリューは結構好きで数枚もっているが、ジャケットもいいしピカイチかも。
ボクらはみんな、高野悦子に恋をした! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月24日(土)01時13分06秒
>きっと現在的なファッションやスタイルというものを含んだカフェは生き物なのだ。デザインという枠組みや情報というコンテンツがあるものは、カフェもウエッブも流動的で有機的でつまり生き物みたいなものなのだ。だから、情報やおしゃれなスタイルが集まらないカフェはさびれていく。
カフェの、もうひとつの生き方は老舗としての生き方だ。しかしそれは歴史性が必要だ。だとすれば、新興の店であれば、老舗におとらぬ「伝説」を作ることだ。だから、boxingleeよ! ボクがプレゼントした「きーよ」のレコードを、大切にして武器にしておくれ! なにしろ「きーよ」は新宿で新宿モッズ族みたいな族(アーバン・トライブ)を生み出した店なんだからね!
>久方ぶりに、ネット検索して『しゃんくれーる』の閉店を確認した。1990年頃閉店し、つい2年前くらいまでは、店のたたずまいも看板もあったそうだが、最近取り壊されたそうだ。かえすがえすも、残念である。というより、ボクは泣けてしまいそうだ。「『しゃんくれーる』思案に暮れる!」 こんなダジャレ感性を持っていた高野悦子に敬意を捧げる。だって、これほとんどオヤジギャグのノリだよね。でも、高野悦子はこの京都河原町荒神口電停前の2階のジャズ喫茶にいりびたって後に死後出版される『二十歳の原点』をしたためていた。
そうボクもこの店でノートを書いている。ま、ろくなもんじゃないけどね。高野悦子の『二十歳の原点』は新潮文庫の100選に選ばれていることを最近知った。だから、決して世代的な枠はなく、むしろ高野悦子は普遍的に読まれている青春文学なのかもしれない(この点ぐるばかさんへのレスを取り消します。ゴメン! 高野悦子を知っているからといって歳はわからないんだ)。だけど、同時代を生きたボクなどにとっては、やっぱり心の恋人という気持ちが強い。だから、タイトルをこうあらためた「ボクらはみんな、高野悦子に恋をした!」と。
>昨日、今日(いやもう、日付けは変わっていたのだ)とあたたかかった。もう、一斉に梅と桃が咲いて、街に色が付いてきた。陽気としては、まるで桜も咲きそうな暖かさだったのだ。ずっと、ジャズをバックにかけながら水割りを傾けながら、この書き込みを書いていた。レコードの内容は明日書くことにしよう。
京都の話題が続きましたね 投稿者:黒パン 投稿日: 2月23日(金)20時17分06秒
JUNさんの、このサイトに検索でたどったのと同様に松田政男の検索で行き着いた京都のカフェのウェブサイトがあります、行ったことがないし、面識もないのに、紹介するというのは気がひけますが電脳界ということで…
店主の日記をパラパラと読んだくらいですが寄って見たくなる雰囲気です。例の文藝誌も読んでいたのでは
http://www.cafeopal.com/index.html
店主は30代前半なのかな。
ほんやら洞は70年代後半に1,2回訪問。80年代にミニ集会をやったような記憶があります。
有名な「白樺」は行きそこないました。亡くなる少し前の高瀬さんの姿は「滝田裁判」で車椅子で傍聴にきたのを覚えています。
一部に有名だった「チボーの家」は短期に終わった大きめのスナックでした。80年前後に京都にいくたびに飲みに寄りました。カウンターをやつていた「マスター」の部屋にも泊めてもらいました。
娘は中学の修学旅行で阿部晴明神社に自由行動で行きました。
boxingleeさん、こんど寄らせてもらいます。
窒息寸前だった、2〜3日前。そして、今ようやくです。 投稿者:boxinglee 投稿日:
2月23日(金)12時44分17秒
JUNさん。僕の他の書き込みを読んでのことだと思いますけど、きちんとあの日からオープンしています。ただし、僕の理想のカタチ、あるいは看板、サイン類がまだまだ未完成だったのです。ついでに、次の日からのメニューもきちんと決める余裕が全くなく、突貫的にオープンしてしまったのでした。
(パーティーのお食事は、あまりに高くて普段は出せないわけです)一週間たって、ようやくカフェ全体のソフトが固まってきました。
JUNさんの風月堂もそうだったように、店という空間は生き物ですね。いろいろな意味や呼吸のしかたを吹き込まないと人がそこで生きていけない、なんて実感しています。いま、一番風通しのいい、店の呼吸法を考えているわけです。だから、しばらく、日々、変化してしまうのだと思います。
高野悦子に恋した世代 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月23日(金)01時45分26秒
>boxinglee! このあいだのオープニングは、まだお店の正式オープンじゃなかったの?最近の評判本の一冊に、「地図の読めない女、話を聞かない男」(でよかったんでしたっけ?未読。読む気なし)というのが、あったじゃないですか、それで言うとboxingleeは「地図の読めない男」? 京都って、そのアガル、サガルという住所もそうですけど、碁盤の目になっていて縦の道と、横の道の関係を覚えれば、こんなに分かりやすい街はないと思うんだけどなぁ? それも一条、二条って数字になってるんだし、ゲームの街かと思う程の見事な都市計画。どうやら、中国の都市計画を真似た風水にもとづく1000年前の理想都市をこの世に生み出そうと言う遷都時の意図が朝廷にあったらしい。
>で、そうはいってもボクが好きなのはいわば碁盤の目の周辺地帯。マージナルな地帯である。もしかしたら、かっては魔界と目されるところかもしれない。たとえば、鞍馬。鞍馬天狗の映画の見過ぎ(少年時代の映画体験のひとつ)もあるかもしれないが、鞍馬って一体どんな幽鬼ただようところかと思っていた。ちょっと泉鏡花の『高野聖』みたいなイメージを持っていたりしていた。実際、行ってみたら鞍馬神社周辺は聖地の雰囲気である。修験道がまだ息づいているような荘厳な場所であった。ここの祭りである鞍馬の火祭りは一度は行ってみたいと思っている。
>高野悦子さんに対しては、心に溜めているものがあって、それはやはりラブレターなのかもしれないが、同時代の夭折者のひとりとしてリスペクトしたい気持ちがずっとある。ビートニクスやフーテンじゃなかったが、やはり同時代の若者のひとりであったボクの心も動かしたから、「しゃんくれーる」もうで(「参り」より「詣で」がいい)もした訳である。
>祇園のジャズ喫茶といえばボクに心当たりがある店は『石』だが、きっともうないと思うな。
神様、お願い<テンプターズの曲が好き! 投稿者:boxinglee 投稿日:
2月22日(木)12時01分03秒
高野悦子さんといえば、僕なんか板橋のオンボロアパートの4畳半の壁に文庫本の写真を貼って、毎日対話していました。(錯乱状態が続いていました)で、“しあんくれーる”にも憧れたのですが、京都に行く機会があっても、あそこの街はまったく地理がよく分からなかった。昼間にブルーノートを見つけて、サンドイッチとビールと注文すると“お酒飲むとチャージがつくんですが……”と店員に言われて、コーヒーに替えました。(何故、昼間にあけているのに、チャージがつくのか理解不能)
数年前、京都の祇園の茶屋がたくさんある高級横町をふらついていたら、ジャズ喫茶みたいなあるいは飲み屋みたいな店に入って、そこはコキタナクて僕はゴキゲンでした。あそこな何て店なんだろう……。
話は変わってずっと下の書き込みの“恐山”についてですが、確かにアソコはキッチュな場所ですね。霊山アイスクリームとかがあったり、僕も2年ほど前にいって、思わず苦笑してしまった。ただ、僕が思うのは、やはり交通手段による景観の移り変わりの時間の問題もあるんじゃないかなぁと思ったりしますね。昔の人がどうやってあそこを発見したかわかんないけど、なんか、ふらふら歩いていると、妙に硫黄くさくて、気味悪い風景がドテンとそこに広がっていて、そんな印象から霊山になっちゃったのかねぇ、なんて僕は想像したりしていました。イタコもひっくりるめて、青森あたりの人たちは、山の神様とかオシラサマとか、そこらへんと戯れているというか、遊んでいるというか、そんな感じで進行している気がしますね。近所にも、何かがあると所謂“神様”(イタコの分家みたいな普通の人)のところへいって、相談してくる人が結構いて、回りでは“そんなに神様が好きか〜!”なんて呆れていましたもんね。まあ、そんな意味では、僕も“神様”が好き、なんだろうと思います。
京都の原点ノート 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月22日(木)00時15分44秒
>ぐるばかさんも、高野悦子を知っている! 年齢が想像できますぞ。『ニ十歳の原点』で、高野悦子の手記に登場していちやく有名になったのが「しゃんくれーる」ですよ。京都も府電が走っていた頃をボクは知っている。昔は、『ニ十歳の原点』をかかえて「しゃんくれーる」に入って来る「しゃんくれーる参り」というのが、あったんですよ。ボクは、『ニ十歳の原点ノート』をかかえて入り、ドルフィをリクエストしたことがあったな。ずいぶん後だけど、店は閑散としていたな。まだ、あると思うんだけどな。ちょっと、心配します。京都にお住まいの方(黒木さんをはじめ)、教えて下さいな。「しゃんくれーる」は現存していますか?
『ミューズ』は、ひらがなで『みゅーず』だったことを思い出した。『六曜社』は『六曜舍』だったような気がしてきた。
『ほんやら洞』は長く休業していたが、最近復活した。店主もカメラマンとして売れはじめてきたようで、慶賀の極みである。
『YAMATOYA』は知らない。いつごろできた店かしら。ボクが、最近(といっても15年くらい前だったと思うが)行った時にはレゲェのクラブというか店がたくさんできていた。つい最近、京都博物館(でしたかしらん?)で『伊藤若沖展』をやっていたころで、昨年の11月くらいは無性に行かねばならぬという気分になっていました。
『進々堂』のモーニングセットがそんなに高くなっていたなんて信じられない。だって、あそこは京大の学生さんでもってる店だったんじゃないの?そうか、最近の学生さんは金を持ってるんだ!?
進々堂 投稿者:ぐるばか 投稿日: 2月21日(水)18時11分07秒
懐かしいですね! 学生時代何度か行ったことがありますが、とても落ちつく雰囲気でした。
学生の財布には結構いいお値段する喫茶店だった(特にモーニングセットとか)ので、そう度々は行けませんでしたが。『六曜社』『ブルーノート』『ほんやら洞』も懐かしいです。
高野悦子の『二十歳の原点』に出てきたのは『ほんやら洞』だったかなあ。記憶が定かではないですけど。
東大路丸太町の近くにある『YAMATOYA』というジャズ喫茶はご存知でしょうか。もし京都に寄られることがありましたら、一度足を運んでみてください。おすすめです。
春風でお会いできるのを、楽しみにしてます!
あ〜ぁ、京都よ! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月21日(水)00時19分14秒
>黒木さん! そちらのリンクサイトの充実ぶりにビックリ! はや、昨日から2回めの用法ですがペダンチックです。そんなところに紹介いただいたのですが、ボクの「電脳・風月堂」だけが、あなたの言葉での紹介文ではありませんでしたね。それが、チト残念。ペヨトル工房は、ボクも好きでありまして結構本、雑誌のたぐいを持っていますから、今回の解散宣言は残念です。あなたのサイトのことだったか、うろ覚えですが。新聞にとりあげられませんでしたか? そう、そう京都は60年代の雰囲気を色濃く残している場所がたくさんありますよね。カフェなんか、そのままだもんね。『ミューズ』『六曜社』『しゃんくれーる』『ブルーノート』『ほんやら洞』などなど。あ〜、『進々堂』で朝のクロワッサンを食べたいなぁ!あ〜!京都!行きたいなぁ!
>黒パンさん! 構いませんよ! どんどん、本や映画やビデオの情報を書き込んで下さいな。で、時々は黒パンさんの感想などもよろしく!
そうだ、ポンを知ってたんですよね。ポンも秩父へ移ってきましたよ。
>今日はエビスビール500mlのみ。ボクは酔いどれのドリンカーでは、ありませぬ。
やはり量が多い 投稿者:黒パン 投稿日: 2月20日(火)13時32分17秒
自分のファイルのテキスで見ると、やや多いかな程度が掲示板だと、どっとスペースを占めて、すみません。鴻さんとは最近気があってしまい、個人的に講座まで頼んでしまいました。
70年代から90年までは突っ走っていたので、最近ようやく距離をおいてみることが出来るようになりました。
蛸足さん、たぶん「知合い」なのかなと思います。
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ペヨトル工房ファンサイト 投稿者:黒木實 投稿日: 2月20日(火)03時08分51秒
はじめまして。ペヨトル工房のファンサイトを主宰している者です。「解散」宣言をし、消失する過程にある出版社ですが、60年〜70年のカルチャーを掘り起こし、80年代を駆け抜けました。ご興味のある方はぜひ、お立ち寄りください。事後承諾ですが、貴サイトをリンク集でご紹介させていただいております。
私自身は実際の風月堂は知りませんが、80年代になじめなかったタチで、どこか60年代の名残りのある京都で早川義夫の「新宿風月堂」を聞いたりしています。
http://www.thought.ne.jp/peyotl/
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霊山なのか?キッチュなテーマパークだったのか? 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月20日(火)00時59分23秒
>ちょっと、(また?)酔ってるからまともなレスにはならないかもしれないけど、油断してたら4人もの書き込みで、ここで書いておかなくちゃ遅れちゃうから、ガンバルね。
>南帆さん! boxingleeのカフェにそのケーキもってきてもらいたかったなぁ。ちなみに、ボクはチーズケーキ(それもレアの)隠れファン(なんだそりゃ?)で、結構食べ歩いていてウルサイです。自分で、焼けるのはチャパティのみですが(チャパティはケーキではありませんので、念のため)。
>ぐるばかさん!『My Fair
Lady』なかなか、いいでしょう? 今度は、B面も聞いてね!歌っちゃうこと確実ですよ。レイ・ブラウンがいいという感性、いいねぇ。ベーシストでは、ミンガスもいいけどレイ・ブラウンは渋いよね。キミのテキストを読んでいたら、boxingleeとの共通点を感じた。キミは燃える闘魂が好きなんだよね。実は、ボクもプロレスファンなんだが、なにしろ力道山なんで、だれも付いてこれないんだよね(笑)。
今度、一緒にレイヴパーティに行こうか? とりあえず、「春風」では会おうね(もうすぐだ。楽しみである!)。
>黒パンさんの書き込みは、そのまま資料に転載できそうで助かる。しかし、あなたもペダンチックな(ちょっと懐かしい語彙かもしれない)人ですね。昨日は、埴谷雄高の命日だったんですね。また、あなたの書き込みで、シンクロしたみたいです。でも、実は70年代はボクは埴谷雄高の死霊がとりついて暗い時代だったんです。ものすごい思想的闘いを経て生命の領域、生きていると言う苦しみの中に帰ってきたんです。そう、「生老病死」の四苦の世界に…。
>蛸足! 完走!おめでとう! やっぱり、青梅マラソンのための早起きだったのですね。その体力が蛸足の声の大きさの基盤になっているんでしょうね? 路上で鍛えていると、野太くなりますでしょう? 蛸足が歌っている時の口は、ほとんど吸い込まれそうだもんね。そうそう、ボクも90年のいのちのまつりの時はツアーを組んで、恐山に行ったのですよ。衆人環視の中であの恐山の温泉に入ったりして、なんかアタマの中で描いていたイメージと違っちゃって、まるで地獄というテーマパークに遊びにいった感じでした。青森出身のboxingleeには申し訳ないが…。でも、あの湖はきれいだった。でも、すでにインド体験のあったボクには、聖なるものとしてあの場所は響いてこなかったんですが、何故なんでしょう? むしろ、ジャパネスクなキッチュを感じてしょうがなかった。
90年いのちのまつりは… 投稿者:蛸足 投稿日: 2月19日(月)23時37分07秒
たった一人、ギター担いで青森まで出かけていったのですよ。青春18キップで。あっちに着いたら、「知った顔」がいっぱいいて、不思議な気持ちで納得したこと記憶してます。
だから、バンドとしてのテーゼじゃなくって、当時のクレジットでいえば「高橋よしあき(テーゼ)」です。ちなみに、その頃の蛸足は、こんな「蛸頭」じゃなくって、肩甲骨くらいまでの長髪でちた。あの頃は、霊的なモノに魅かれてて、恐山に登ることの方が一番の目的で、青森まで行ったんですよ。
>黒パンさん ひょっとして、間接的に「知り合い」だったりしません???「マル共」にも、行かれますよねぇ(^^;
あ、最後に、「健康的」な話題を(笑)。昨日の青梅マラソンは、無事完走できました。左足の薬指ツメが死にましたが…
ちなみに、自分が10キロちょっとの地点で、折り返してくる高橋尚子とすれ違いました。彼女の方は、その時点で、すでに16キロぐらいかな? 同じ「蛸足」なのに、なんて「アシ」してんだろ(爆)
新宿高校の塀の穴 投稿者:黒パン 投稿日: 2月19日(月)12時03分15秒
蛸足さん、ウェブサイトに二、三回おじゃまさせて頂きました。平井さんは早稲田の二文で週一の講師をやっていて、昨秋は山谷の映画の上映会を学内で企画していました。
Junさん、固有時でした。クラムはそのクラムでデビッド・リンチの製作だったと思います。輸入版は青山ブックセンターあたりの書店ならあるかもしれません。コミックとアートのクラムの画集はイエナ洋書とか青山ブックセンターに数年前置いてありました。
アメリカで画集が出されたり、個展が開かれたりして「回顧」ブームがあったようです。本人は健在でヨーロッパへの移住を決意する日々を中心にしたドキュメントでした。
録画した日本語字幕版はメールでお知らせしたカフェ・あかねに置いてあります。
また60年代文化と関連して、鴻英良さん という演劇批評家の方がニューヨークの演劇に関した本を共同翻訳しています。別テーマですが「あかね」でも、この前トークを頼みました。
鴻さん著作・翻訳
『反響マシーン―リチャード・フォアマンの世界』勁草書房
(2000-11-10出版)巻上 公一・鴻 英良【編】・コート,ポーラ【写真】〈Court,Paula〉本体価:\2,800
NYアンダーグラウンド者、奇才、哲学犯、ひねくり男。脳髄を刺激する音、覚醒を促す光―その独特の手法により、ジョン・ゾーン、コリン・ウィルソン、ジョナス・メカス、ジョン・ケージら、優れた才能をインスパイアしてきた劇作家フォアマンの神髄と創造の秘密。
1 フォアマンとは誰か(巻頭対談 NYアンダーグラウンドいちのひねくり男;オントロジカル・ヒステリック・マニフェスト1)
2 フォアマニズム―「うまくいく」ことを拒む男(リチャード・フォアマン・ロング・インタヴュー オントロジカル・ヒステリック・シアターの起源;反響マシーン ほか)
3 フォアマンをとりまく人々―NYアートシーン(「パーソナル」であること。それは深く存在するためのものなんだ。―ジョン・ゾーンが語るフォアマン;対談 リアリティとは何か?―コリン・ウィルソン×フォアマン ほか)
4 エクリチュール(戯曲 エジプトロジー;フォアマン・インタヴュー オントロジカル・ヒステリック・シアターの現在―『バッド・ボーイ・ニーチェ』来日公演を前に)
30年以上に亘りNYアンダーグラウンドで活躍する劇作家、リチャード・フォアマン。観客をあえて不快な状態におくことにより覚醒に導くその独特な手法は、分野を超え、ミュージシャン、映像作家らにも影響を与えている。アートに商業主義が浸透するなか、優れた才能をインスパイアし続ける彼の創造の秘密に迫る。日本アートシーンを牽引するアーティスト巻上公一、批評家鴻英良が、フォアマンの仕事と彼を巡る人々――ジョン・ゾーン、コリン・ウィルソン、ジョナス・メカスら――を活写し、NYアートシーンの息吹を伝える。前衛不在の時代における唯一無比の鬼才フォアマン、11月に待望の初来日!
『二十世紀劇場―歴史としての芸術と世界 』朝日新聞社
(1998-12-05出版)鴻 英良【著】本体価:\3,000
絵画・舞踊・映画から現代を読む。激動の時代を刻印した芸術作品をめぐる思索の旅。
『現代アメリカ演劇―オルタナティヴ・シアターの探究
』[原書名:AMERICAN ALTERNATIVE THEATRE〈Shank,Theodore〉
]285,11p 21cm(A5
勁草書房
(1998-01-31出版)シャンク,セオドア【著】〈Shank,Theodore〉鴻 英良・星野 共・大島 由紀夫【訳】 本体価:\5,200
20世紀後期、ポストモダンのアメリカで繰り広げられた華麗なる演劇実践!オルタナティブなパフォーミング・アーツの多彩なアーティストたちが、21世紀へ贈り届ける豊饒なヴィジョンを歴史的に展望した。セオドア・シャンクの名著。
1 オルタナティブ演劇2 初期の探求3 社会変革の劇4 環境演劇5 新しいフォルマリズム6 内容としての自己
また5,6年前にNHKのETV特集で放映された『団塊の世代は今』というシリーズではシカゴ5のメンバーの当時のフィルムは豊富に使われ、イッピー、ブラック・パンサーアンジェラ・デービスの勇姿が写っていました。
たまたま埴谷の話題が出たので、今日は埴谷の命日ということで、アンドロメダ忌が開かれます。参加者を増やしたいということで、夕方5時からですが、連絡しなくていきなりでもいいようです。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~hayachan/haniken/whatsnew.htm
新宿高校の穴は今、無いようです。身内が在籍していてその伝説はOG,OBから聞いたのですが。
2,3年後に新築校舎を建てるようで、今のグラウンドに建てて、現校舎跡が新グラウンドになるようです。長い書き込みですみません。
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はじめまして 投稿者:ぐるばか 投稿日: 2月19日(月)10時25分29秒
初めて書き込みいたします。隠れJUNさんファン&風月堂ファンのぐるばかと申します。こちらにはヒッピー・カルチャー関連のサイトを探しているうちに辿り着きました。元々コルトレーンやマイルス、ジミヘンなどが大好きだったのですが、レイヴに行くようになってから一気にヒッピー・カルチャーに興味を持ちまして、風月堂のサイトで本当に様々な事を学ばせていただいてます。大感謝!
昨日boxingleeさんのcafeにお邪魔させてもらいました。『My
Fair Lady』も聴かせていただきました。
レイ・ブラウンのベースが深みのある音だなあ、と聞き入ってしまいました。(そういえばちょうど一年前くらいブルーノート東京でレイ・ブラウンの演奏を聴きましたが、まだまだ健在でした。)これからかも勇気を出して(笑)、時々書き込みたいと思いますので、よろしくお願いします。
http://www.g-com.ne.jp/~curry/grbk/
1万5千アクセス、おめでとうございます。 投稿者:御元南帆 投稿日: 2月18日(日)22時10分45秒
こんばんわ。1万5千アクセス、おめでとうございました。
boxingleeさんのカフェのオープニングは、どうしようかなと思ったのですが、その前日、仕事場にもっていくために、慣れないケーキなどを作ってくたくたになっていたので、断念しました。とても楽しそうなパーティだったようで、ちょっとしまったなと思っていたりして。
新宿高校のグラウンドというのは御苑の模索社とかがある方の入口の近くにあるグラウンドの事ですよね。先週そばを通ったのですが、なにか工事が入っていたようで高く砂が盛り上げられていました。もし穴が残っていても、見つけられて今度こそ修理されてしまうのでは?(笑)
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昔話は長くなる! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月18日(日)19時33分12秒
>蛸足へ! 90年のいのちのまつりの時はさまざまなところで村ができていましたが、ボクらも村を作っていてテントを7〜8張り建てていました。小さな出版社をやっている友人が親しかったため斉藤次郎氏や南正人さんがひんぱんに遊びに来ていました。この頃はまだチャイ屋はやってませんでしたが、遊びに来た人にはもちろんのこと無料でふるまってました。ステージには遠かったのですが、とろんとキラキラのテント村の近くでした。90年のステージもテーゼで出演なさったのですか?
(今日は青梅マラソン。参加されたんでしたら成績はいかがでしたか?それで、早起きしたんですか?)
>黒パンさん!貴重な情報をありがとうございます!その映画のモデルはティモシリィー・リアリィではありませんかね? サイケデリック・バスで逃げると言うそのアイディアはそういえば聞いたことがある。
『クラム』はジャニスの「cheap
thrills」のジャケットを描いたアングラコミックのロバート・クラムのことですよね。それってビデオで借りられるのかしらん?
坂本龍一が新宿高校だなんて知らなかった。うん、新宿高校は風月から数百メートルです。きのう、飲みながら新宿高校のこと(2部にかよった年下の知り合いがいるもんで)を喋っていたばかりだったので、この黒パンさんの書き込みにはちょっとビックリした。こんなことを書いたら、高校や公園事務所から怒られてしまいそうだが、新宿高校のグラウンドのアミの破れ目からとなりの新宿御苑にタダで入って真っ昼間、昼寝してたもんです。そしたら、その年下の知り合いが通っていた頃にも、アナはあったという話で大笑いしてました。
>吉本隆明の「固有詩との対話」は、「固有時との対話」ですよね。吉本隆明の処女詩です。吉本隆明の初期の著作には文学論や、転向論の前に序詩のように詩がそえられていてその才能が年下のボクらにもまばゆかった。その抒情性も高い思想性もが、まぶしくて埴谷雄高とともに現代日本文学の双璧としてそびえていました。じっさいお会いするとあんな力任せのガンコないかついオッちゃんだとは思いませんでした。あんなイカツイ顔で「エイリアンの手記と詩」を書くんですからね(エイリアンの詩は明らかに宮沢賢治の影響のもとに書かれているんですが、当時は気がつかなかったし、いまほど顔をさらしていなかったような気がします)。
隠れJUNファン、登場! 投稿者:boxinglee 投稿日:
2月18日(日)16時45分17秒
今日僕のカフェに2人の男女が訪れました。ここの書き込みで僕のカフェを知り、来店してくれたそうです。(書き込みは、おそれ多くてしていないんだけど、楽しんでいるらしい)
もちろん!“マイ・フェア・レディ”を聴かせてあげましたよ。
しっとりとした感じで、いいですねぇ、日曜の午後。
荻窪に引っ越してくる、アナタ!書き込んでみて!
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時間はループしている? 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月18日(日)14時31分46秒
>蛸足どん! 新宿某所でひらこうというオフ会というよりイベントになりそうな企画への協力の表明、力強く感謝の念で一杯です。企画をもう少しつめた時点で再び連絡をさしあげますのでよろしくお願いいたします。
>しかし、boxinglee's
Cafeのオープニングで同じパフォマー同志としておめにかかり、さらに自主製作版のCDをいただいて、「頭脳警察」的なノリのテーゼの遅れたファンになりそうですぅ。それにしても平成に元号が変わる13年前の渾沌の中の、とある集会でテーゼをこの目でみ、聴いていたことがおかげで、確認できてうれしかったです! これは、はじめましてではなく、ほとんど再会のよろこびにも等しいものです。それにしても、昭和は遠くなりにけれ、でしょうかね? 昭和の末期にXディと呼ばれた右翼・保守勢力と左翼・知識人との対立・反目するこの国を二分しかねない日々があったというのも、ついこのあいだのことのような気がするにもかかわらずなんだか30年前の「反乱の時代」以前の出来事のような気もする。このような奇妙な時間感覚は一体なんなんでしょうねぇ?
(蛸足企画BBSへの書き込み)
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やはり(^^; 投稿者:蛸足 投稿日: 2月18日(日)07時02分08秒
そーゆー場で、すでに見られてしまってましたか! >88年11月 日比谷野音
あの頃のテーゼを目撃されてるって、とても貴重です。今思い返しても、自分が最も殺気立ってた時期です。
その年?の「いのちのまつり」は行ってませんが、90年の青森六ヶ所村には歌いに行ってます。その時にも、ひょっとして遭遇してませんかね???
タンポポコーヒーやチャイを煎れてくれた人達の中に、JUNさんみたいな方がいたような、いなかったような…
>黒パンさん あ、どうも。どっかでお見かけしたと思ったら、OZASAくんの「豚産主義者」BBSですれちがってます。平井玄サンかぁ…
上記の頃(十数年前)は、一緒にイロイロ動いてました。ずいぶん会ってませんが。じゃがたらのアケミ追悼本の彼の文章読んで、当時の空気が蘇ってきましたね、最近。
>小夜子さん どーも。デカい声の歌を静聴していただき、感謝です。ちゃんとオハナシはしてませんが、JUNさんのテーブルにいたのが貴女ですよね?
わざわざのレスありがとうございます。 投稿者:黒パン 投稿日: 2月17日(土)11時41分19秒
ところでJUNさんのサイトに刺激されて気になること資料であげられている『シリーズ・20世紀の記憶』「1968年グラフィティ―バリケードの中の青春―」/1998.11/毎日新聞社の243頁
音楽1968年 [ザッパとアイラー 複数の音楽革命]の本文中で
「フーテン、物書き、アーティスト、活動家といった遊民たちが徘徊する喫茶店ウィーンや風月堂が並び、」
と当時、新宿高校生だった、平井玄[坂本龍一は一学年上]は記述しています。
出入りしていたとは書いていないのですが、ニュアンスとしては出入りしていたようにも受け止められます。ということは高校生・坂本龍一も常連でないにしろ、出入りしていたんでしょうかね?でも当時は「有名」ではないから顔は判りませんね。
同文中に平井はSとしていますが、新宿高校内で坂本が吉本隆明の「固有詩との対話」を自作曲にのせ芸大声楽科の女性に歌わせるコンサートを開いたとも記してあります。新宿高校と風月堂は200mくらいの距離ですかね。
映画では「クラム」のビデオはご覧になっていますか。アングラ・コミックのフリッツ・ザ・キャッツの作者のドキュメンタリィ・フィルムなのですが、未公開で「WOWOW」で二、三年前に放映されています。
タイトルは忘れましたが、デニス・ホッパー主演でFBIの指名手配から二十数年間潜行して、イッピーの誰かがモデルでしょう。
最後はコミューンに残されていた、フラワー・チルドレンの大型バスで逃げ切るという60年代回顧、たっぷりの内容でした。7,8年前の作品。小説でいうとピンチョンの『ヴァインランド』もアメリカの68年世代の物語です。
感謝のレスです! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月17日(土)00時20分33秒
>蛸足! あの日はCDをありがとう! ほとんど、ボクはテーゼの遅れたファンになりそうですよ。でも。おかげで、ボクはどうやらテーゼを見たらしいことが分かりました。88年の11月の集会です。あの日比谷野音の白塗りのボーカルがそうだったんですね。この年、いのちのまつりをふくめいろんなことがあって記憶がかなり錯綜しているんですが、13年前。つまり、今年は元号でいえば13年ですよね(あまり多くは言わない)。
>小夜子さん! もう、今は会うひとごとに「山口小夜子」に会ったとウソついてますよ。だって、「山口小夜子」にバレンタインチョコをもらったといえば、カッコいいもんね。でも、あなたはしっとりとした大人の女性です。正直に言って、ステキなひとですよ! うん、ボクもう、メロメロです。ホワイトディが楽しみです!(3月14日でしたっけ?)
>黒パンさん! そうそう、『文藝』ムックの副題は「RED
ARMY1969→2001」でしたよね。赤軍自体はソビエト共産党の正規軍ということなのでしょうが、転じて革命正規軍という意味があるはずです。だとしても、日本赤軍および共産同赤軍派がそのような存在だったのかは、歴史的な検証を経たのちも疑問があります。
松田政男氏の認識はほとんど埴谷雄高氏の認識レベルのパクリであり、で、松田氏が
埴谷雄高かぶれになったのは、それこそ黒パンさんが検索した本の書名『テロルの回路』の跋文を埴谷雄高氏が書いていることも関係があるかもしれません。パルタイが革命に必要なのかという議論は、日本共産党自体が自ら前衛党という看板を綱領からおろす時代にもはや議論自体が成立しません。そうではありませんか? だから、松田政男氏は重信房子氏が立案したと思われる『人民革命党綱領草案』の時代錯誤を指摘したかっただけじゃないんですか?
貴重な一日 投稿者:小夜子 投稿日: 2月16日(金)14時16分57秒
先日のboxingleeのオープニングパーティーは楽しゅうございました。素敵なお店でしたねぇ!
JUNさんのポエトリィ・リィディングも聞けて貴重な一日となりました。
蛸足さんのライブも迫力がありました。
また遊びに行った時には「MY FAIR
LADY」のレコードを聞かせてもらおう!
(無題) 投稿者:黒パン 投稿日: 2月16日(金)13時02分09秒
JUNさん、14日は楽しそうでしたね。削除ではお手数かけました。
さて、チラット書いた件で、あまり突っ込むとこのサイト全体の流れとそぐわないかなとも思ったのですが…下の内容は削除してもかまいません。
河出書房新社をマスとみるかどうかは評価が分かれますがマスコミであっても編集のスタンスが、しっかりしていればいいので、通常『文藝』の前々号の特集に続き、別冊の特集自体で「日本赤軍」自体をとりあげるのはなかなかの事だと思います。
そういう評価をした上で贅沢な注文というか、批判としてはタイトルが「赤軍」としたのは中途半端ではないかということです。
「共産同赤軍派」と「日本赤軍」の中間的な意味合いを込めているのかなと思うのですが、「赤軍」という語彙はロシア革命一般では共通概念になっていますが、重信たちの闘いの軌跡は共産同赤軍派からアラブ→日本赤軍であって、赤軍に拡張されるものではないと思います。また共産同赤軍派を基点にするならば「よど号」グループの主張や「紹介」もないし、連赤は植垣君の記事だけでお茶を濁しています。ようするに赤軍派内の「スター」的人物や「一般受け」し易い事柄をピックアップし過ぎたのではないかということです。JUNさんはがマスコミと感じたのはそういうところでしょうか。
私は松田政男さんがインタヴューで述べている「党という悪霊を超えて」に賛同しますし、共産同やよど号グループや重信グループには無縁の存在です。
このサイトにアクセスして懐かしいと感じたのは文化的な面で、JUNさんより下の世代なもんで、もっぱら高校を抜け出して、ATGや蠍座で映画や芝居をみたり渋谷の天井桟敷館に寺山の芝居を観にいったという忘れかけていた記憶が、少し復活したということです。
面識あるかどうか、またすでにご存知かもしれませんが奄美の無我利道場でポンの最初のパートナーだったミオは西武秩父駅の近くで、パンやケーキの店〔自分たちで焼いて〕をやっています。また、よろしく。
愛のおすそわけ(周りに昨日ゲットしたチョコを配った時のセリフ) 投稿者:フーゲツのJUN
投稿日: 2月16日(金)00時09分56秒
いやいや、ボクひとりいい気持ちにさせてもらったのかもしれない。ありがとうBoxinglee!
蛸足の歌もなかなか良かったし、ボクは蛸足の頭をゾリゾリできてうれしかった。小夜子さんにも、会えたしその上チョコレートまでもらってしまった(自分で催促したくせに!)。小夜子さんは、驚く程の美しい人でありました。なんだ、そうと知ってたら忘年会も、新年会もやったのに! 小夜子さん! ありがとうございました! ホワイトディには必ずお返しいたします。だから、また会ってね!
ポエトリィ・リィディングは最後には、酔っぱらって怒鳴っていたが、パフォーマンスは思う十分できました。おかげで、今日は二日酔い気味でありました。
boxingleeには、本当にボクが宝物にしていたオスカー・ピータソンの『MY
FAIR
LADY』をプレゼントした。このレコードは新宿幻のジャズ喫茶『きーよ』の閉店の時にもらったレコードの一枚なのである。ボクも『きーよ』で聴いていた営業していたレコードなのである。boxinglee's
Cafeの末長い発展を祈ってのプレゼントである。だから、がんばってください!
>黒パンさん! 御来店ありがとうございます。ゲストブックには「なつかしい」と書いてありましたね。この世代はどうしても新左翼運動などに目が向くんですよね。「違う観点での編集への批判」というのは、具体的にはどういうことですか?よかったら、教えて下さい。
風月堂、その魂を受け継ぐ者達 投稿者:蛸足 投稿日: 2月15日(木)22時22分09秒
こんなコンセプトで、次回のオフ会、企画してみたらどないでしょうか?いずれにせよ、ゆうべの「お誘い」には、是非に自分も協力&参加いたします。
それと、「投げ銭」はいいインスピレーションとなりました。
現在は歌う場として「路上」しか興味ないんですが、今後の室内ライブのコンセプトに活かしたいと思います。
ってなことで、ゆうべはお初にお目にかかれて、嬉しく楽しく過ごさせてもらいました。
JUNさんのテーブルにいらっしゃった方々は、ココの常連サン達ですか?こっちは勝手にキモチよく歌わせてもらいまして、アリガトウございました。ポエトリー・リーディングの舞台としては、ザワつき過ぎてましたね?
せっかくの三部構成だったのに… 私も、キチンと聞けず、残念&ゴメンなさいでした。では、新宿某所での、次回オフ会企画、成功させましょう!!
http://www.interq.or.jp/football/tacoashi/index1.html
(無題) 投稿者:boxinglee 投稿日:
2月15日(木)16時49分31秒
JUNさん!昨日はどうもありがとうございました。おかげさまで、素敵なセレモニーになったと思います。いただいたレコードは大切にし、ココ一番の武器にさせていただきます。
本格開店直前につき、簡略ですが、あらためて感謝!感謝!
あとでおちついたら、写真をお送りします。僕の“ハッピー計画”のほうでも後に報告させていただきます。
http://www07.u-page.so-net.ne.jp/sf6/boxlee/ogikubohappy.htm
テロルの回路 投稿者:黒パン 投稿日: 2月15日(木)12時16分16秒
で検索かけたら、たどり着きました。
風月堂は70年か、71年に数回行った程度の記憶です、高校の帰りはもっぱら狭い「トップス」に通っていたので、風月堂の記憶はチャバネゴキブリが徘徊しているのが片隅に残っています。
ポンとは無我利時代にトウキョウへ出て来たときに知り合いました。
JUNさんのこのウェブサイト創りに敬服します。
それから、文藝別冊の「赤軍」特集は、違う観点で編集に批判はありますが、≪マスコミサイドでゆがめられた編集≫ということでもないと思います。
前座の詩人です! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月14日(水)00時04分49秒
ども!おひさです。フーゲツのJUN、明日14日にboxingleeのカフェで、ポエトリィ・リィディングを依頼されており、やるわけなんですけど、なんでも蛸足どんは遅くきて駆け付けライブをやるとか。ボクは午後7時の回(?)でありまして、ルースターのマスターと蛸足のライブの前座であります。どうぞ、よろしゅうお頼み申します(ボクはおおよそ1時間)。
で、蛸足どんともはじめてお目にかかれますね。楽しみでがす。蛸足どんのライブの時間には、酔っておるかも知れませぬが邪険にしないように!ちなみにボクの誕生日は3月5日ですう。
(蛸足企画BBSへの書き込み)
ポエトリィ・リィディング イン オギクボ 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月13日(火)21時51分05秒
2月14日のboxing's
Cafeのオープニングは、indexページにも書いたが、1時間程の時間がもらえるようなので、久方ぶりのワンマン・ポエトリィ・リィディングになりそうだ。だいたい、何を読むかの構想もでき、BGMとなるレコードも決まった。新作はちょっと見合わして、ボクのこれまでの詩でまとめるが、音の傾向も3つ。つまり、3部構成になりそうだ。歌をうたう芸達者な人たちが後にひかえているから、もしかしたらボクは前座なのかもしれないが(午後7時過ぎくらいからやると思います)、言葉の力を思い知らせてあげましょう?乞う! 御期待!
>小夜子さん! いらっしゃるんですね。チョコレートをもって(?)。仕事が終わって駆け付けた頃にはボクのリィディングは、終わってるかも知れませんね? その時は、どうぞリクエストしてくださいね!
それから山崎朋子さんの連載が風月堂にふれた時には、どうか教えてくださいませ。ボクも、毎週チェックできている訳ではないので。では、明日!
いよいよ、オープン! 投稿者:小夜子 投稿日: 2月13日(火)13時44分05秒
JUNさん ご無沙汰しております。以前JUNさんが紹介して下さった週間朝日に連載中の山崎朋子さんの「サンダカンまで」毎週購読しています。
あの山崎さんが、まさかこんなことに遭遇されていたとは全く知りませんでした。本当に壮絶な手記ですね。教えて頂いて本当に良かった。有難うございます。
明日は、いよいよboxingleeのカフェのオープンですね!
楽しみだぁー!二重のオメデトウ!
私も仕事が終わり次第、駆けつけます。
JUNさんにお会い出来るのを楽しみにしております。それでは、また明日!
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ドキュメンタリー映画『ビートニク』 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月10日(土)01時15分46秒
丸い月が中空に浮かんでいる。とは言え満月は昨夜だった。あいにくの黒い雲におおわれて東京ではみえかくれするフルムーンに気付いた人は少なかったろう。その分、今夜の月を楽しもう。今宵は晴れ渡り星の輝きも美しい。
さて、映画の日でもあった7日―ボクは渋谷のシネマカノンの小さな試写室に座っていた。今春、シネマミューズでレイトショー公開されるという『ビートニク』(原題『The
Source』監督チャック・ワークマン)に招待され、この映画の存在を知っていたボクは期待しながら見入っていたのであった(99年山形ドキュメンタリー映画祭参加作品)。ビート・ゼネレーションについてのドキュメンタリーというよりさまざまな映像資料をコラージュし、カットアップしてつなぎ合わせ、インタビュー構成しジョニー・デップやデニス・ホッパーなどによるポエトリィ・リィディングを加えて出来上がったフィルムで、ビートの映像資料としては良質な映画ではある。ただ、50余年あまりを駆け足であとづけるために現代アメリカ史が頭に入っていないと分かりにくい部分があるかもしれない。それこそ原爆(アトミックカフェの時代)からアカ狩り、公民権運動からベトナム戦争、ヒッピームーブメントが時代背景として語られ、マーロン・ブランド主演の『乱暴者』や『イージー・ライダー』などの時代の隠喩としてフィルムが挿入されて行く。それにしても、このフィルムに定着されたビートニックの代名詞とも言える何人の人々が、鬼籍に入ってしまったことか。ジャック・ケラワック、ニール・キャサディ、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズについての言及はそのままビートが起こした最初の衝撃サンフランシスコ・ポエトリィ・ルネッサンスと周辺の詩人たちへと広がり、まことにヘイト・アシュベリーへとつまりヒッピームーブメントへとつながっていくのである。
ただの非国民的とののしられた反逆の徒、不良の連中がヤクもアシッドもマリファナも含めて先駆的存在として称えられていく戦後アメリカのいや冷戦の時代の価値観の顛倒が起こるのである。また、BGMに使われている音楽にも注目しておこう(ボブ・ディラン、トム・ウエィツ、ディジー・ガレスピー、ジョン・コルトレーンなどなど)。また、このドキュメンタリーの名誉のために言っておくが、タイミングよく書店に現在ならんでいる『現代詩手帖』2月号「サンフランシスコ・ルネッサンス/<ビート>誕生」を読むよりは分かりやすいよと、付け加えておこう。このドキュメンタリー映画を見て、ビート特集のものを読むと目の前が開けてくることうけあいである(評価★★1/2)。あとひとこと。甘いがジョニー・デップの読む『路上』『地下街のひとびと』(ケラワック作品)がカッコいい!デニス・ホッパーのW・バロウズ作品朗読もなりきりで秀逸。ジョン・タトゥーロの『吠える』はギンズバーグの朗読を意識し過ぎてしまっていた。
そうそう映画の冒頭にヒロ・ヤマガタの名前がプロデューサーとしてクレジットされる。あのヒロが絵で稼いだ金をこの映画製作に投資してくれていたのだ。あんたはエライ!
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2月14日はセント・ボクシング・ディ!新しいカフェの誕生です! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
2月10日(土)01時00分36秒
>boxingleeへ! 煙草は止めてしまったが、煙草よりももっといい吸引嗜好品の詩があるかもしれないから、そいつにからめて向こう横町のタバコ屋の看板娘を用意しといてね! ボクはどこいらで、ポエトリィ・レィディングをすればいいのかね? 打ち合わせに行きましょうかね?
>このフーゲツのサイトの常連さんや興味をお持ちの方はぜひぜひ、一緒にちょびっと昭和カフェの誕生を祝いましょう! あ、それからどうやら今日9日のようですが、1万5千アクセスを達成しました! ありがとう!
お約束のオフ会の設定はこれからです。しばし、お知らせをお待ち下さい。とりあえず、Boxing
Cafeに行ける人は行きましょうね。ボクあてのチョコレートも忘れずに!
昭和カフェのオープニング。 投稿者:boxinglee 投稿日: 2月
9日(金)10時46分25秒
何度も書き込んでちょいとスマナイ気分ですが、お知らせです。昭和の記憶・復活!boxinglee's
cafeのオープニングは2月14日(水)午後7時からです。サイトに地図を書き込んだのですが、容量オーバーでアップできなかったので、同じビルのライブカフェROOSTERのサイトの地図をご参考にお願いします。
7時からですが、時間がある方は、飲み始めなんかは30分前ぐらいでいいでしょう。誰がくるのか全くわからないのですが、この掲示板をご覧になっている方でちょっと惹かれる気分の方は、いらしていただければ幸いです。
料金は男性2500円、女性2000円、フリードリンク、フリーフードです。(ようするにサロンのバイキングみたいなワイワイな感じになると思います。)
必要と思われるお酒は、ほとんど用意すると思います。(ブランドの数は少ないですが)
JUNさん!煙草吸いますか?もし詩を読んでいただけるのでしたら、煙草をキーワードとした詩はありますでしょうか?カフェには煙草屋があるのです。時間はたっぷりあります。どうぞ、絶叫してください。→蛸足も絶叫します!
音楽はジャズと日本のブルースをかけたりしています。(日本のアメリカンブルースではなく、港町ブルース)
会いたい人と会えることを楽しみにしています。是非ご来場ください。
くわしくは↓“オチボ新聞”に掲載してあります。よろしくお願いします。
http://www07.u-page.so-net.ne.jp/sf6/boxlee/
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光と闇 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 2月
6日(火)00時42分58秒
セピア色の映画というのは、セピアの単色だけで出来ている訳でも、モノトーンのフィルムということを示しているだけではない。かっては、映画は現像段階での「銀残し」とか、脱色とかでフィルムの質感を高めようとしてきた。セピア色の映画には、とりわけ闇の部分の表現が重要で、そうであってこそ光りの部分が、つまり照明が当たっているところが生きてくる。忘れることが、できない邦画がある。溝口健二の『雨月物語』である。にじんだような月や、湖面や、うすものの表現がその摩訶不思議な中世的説話にあいまってふかく印象に残る名作だった。黒沢作品の『羅生門』もそのような光と影をもった映画だった。いまは、このようなエフェクターやフィルター効果をレイヤーや効果を使って易々と作ってしまえるのである。
セピア色の未来 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 2月
5日(月)00時46分00秒
『アヴァロン』を見た。率直にいって押井守作品では最高の作品だろう。しかし、惜しいことに物語世界を生かしきれなかったような気がする。どこか、やはり独自のゲーム観で自分の世界を構築しながら、やはり失敗作にしか見えなかったクロンネンバーグの昨年の作品を連想してしまった。
謎が残ってしまった。なぜ、愛犬は主人公であるアッシュの部屋から消え失せたのか、リアル・ステージ(最高ステージだが、隠されている)でのコンサート・シーンで歌われる「アヴァロンのテーマ」そしてそのコンサート・ポスターがなぜアッシュの愛犬なのか?
実写をデジタル処理した画面は、セピア色の未来、押井守の未来像「不景気の中でなすすべもない若者たちがたむろする暗い近未来」を表現するのにはぴったりである。別の言い方をするなら「レトロ・フューチャー」か。それも、石畳と石組みの建物の重厚な中世的な東欧の国で、そのような未来的な、バーチャル・ゲームのバトルの場面を作ってしまう。RPGが、まるで集合的無意識のように中世の騎士物語や、ギリシャ神話や北欧のサーガを下敷きにしてしまうように、闘いの目的に設定されるものは、おしなべて古臭いものばかりである。そして、『アヴァロン』も「アーサー王伝説」が下敷きにされていることを隠しもしない。主人公が図書館から、それも古文書館のような本皮装丁の書物が並ぶアーカイブスから借り出す本は「アーサー王伝説」にまつわるものばかりで、おそれいったことにその背文字は日本語であり、すべて観客であるボクらの現実に実在する書物なのである。つまり、ゲームの中に突如、参考文献のシーンが飛び込んでくるようなものなので、ますますおそれいってしまうのだ。
ラストシーンで再びゴーストと対峙するゲーマーである女主人公アッシュにかぶさる「WELL
COME
Avalon」。つまり「アヴァロン」はこれからであり、まだ何もはじまっていなかったというメッセージ。『アヴァロン』の本当のステージはこの先にあると、観客の想像力に訴えかける「終わりなき映画」。
さて、ボクが気にいったシーンは市電のシーンであり、市電の駅のシーンでありました。このあたりはボクにもう一本のレトロ・フチャーな映画、ボクが「カフカ・シネマ」と呼ぶ系列の作品群にも共通点があるような気がする。で、今回の押井守の作品でボクが一番気に入ったのは、白状してしまえば実は音楽なのでありました。サウンドトラック盤を探しにいったのですが、映画館同様どこも売り切れのようでありました。まして、初回プレスには特典がつくらしいことを後で知り、地団駄を踏んだボクってやっぱり子供っぽいのかしらん?(音楽・川井憲二)(評価:★★★★)
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ほ乳類は忙しい! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 2月
3日(土)02時03分10秒
やぁ、やぁ、そのような事情でございましたか? なにはともあれ! おめでとう!
ボクもそのような状況にはじめて遭遇した時、これでお前もやっとひとなみだなと言われ、何を言ってやがる。それを言うなら、やっとほ乳動物なみだい!と、反発したものでしたが、ほ乳するのは女のほうでありました。
美人のおつれあいは助産婦さんで、それもイメージトレーニングでお産みになったとか、いやいやそんなのもあるんですか?ラマーズ法と、水中出産位しか自然分娩は知らなかったよ。カフェの開店を目前にして、boxingleeもお忙しでありますね。
赤ちゃんのウンチでありますが、カニババというこの胎便はうまく出し切ってやると健康に育つと野口整体ではおしえておりますよ。ま、ウンチについてのウンチクでした!
カフェとキミの赤ちゃんに乾杯!(Hungry Voice for
You!への書き込み)
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宝か?ゴミか? 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 2月
3日(土)01時31分45秒
>合点だぁ!(合格点じゃないよ。ガッテンだと読む)しかし、実際、宝にしてたものをいったんゴミにするのは、勇気がいるなぁ。もっとも、ボクの場合、本もレコードもはたから見たらゴミに埋もれているようにしか見えないかもしれない。
>ともかく、boxinglee! おめでとう! 事情は、オチボ新聞で了解した。この件は、そちらの掲示板に書き込みましょう。
セント・ボクシング・ディに幸あれ!
リクエストは、宝のゴミ!! 投稿者:boxinglee 投稿日: 2月
2日(金)22時24分26秒
ちょっと遅めのレスです。JUNさん、熱いお心うれしい!
僕のカフェに何かしら恵贈していただくのは、すべてゴミにしていただいています。コンセプトのベースにあるのが“心のゴミを宝にかえる”ってことなんですね。
“昔”の記憶ってのは、人によっては今はゴミ、だけど角度をかえると“お宝”なわけです。だから、リクエストは無論、時代のゴミ、JUNさんの宝としての“レコード”。
できれば、バチンバチンノイズの入った聞き苦しいやつ。それをみんなで聴きながら、クゥーっと泣けてくるぜぃ、とやる。ともあれ、何でも結構です。少なくとも身一つできてください。
南帆さん、僕のメルマガ読んでもらっているみたで、仮に少しばかり愛読しているなら、無論、ヘンテコリンな人ですよね。ヘンテコリンがヘンテコリンな人をヘンテコリンというのもヘンテコリンなんだけど。うれしいです。
カフェは超モーレツに進行していて、“泪橋”のあたりまで進んでいます。オープニングは14日に決定します。(許可とかがあるのですが、何かあっても内輪パーティにすればいい!)詳細は、来週になったら書き込ませていただきます。
僕のレスが遅くなったのには、実は理由があります。それをうち明けるのは“ココだけ!”と決めているので、妙に気になる方は、↓の“オチボ新聞”を見ていただければと思います。今週はちょいとバテ気味です。
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雑誌の単価 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 2月
1日(木)00時25分05秒
>いいねぇ!2001年のポエトリカン・ジャムにも参加を表明しておこう。さいとういんこさんに断れない限り(昨年の進行でちょっと悶着があった。ま、またボクがクレームをつけたんだが)。さいとういんこのインタビューが「westeland」(でよかったんでしたっけ?)に載っている。この雑誌注目しているんだが、一冊単価1,600円というなんだかプライスばかりが、飛び抜けていていつも立ち読みですましているため、正確な雑誌の名前を確認できないのです(せめて980円つまり千円以内にしないと売れないんじゃないでしょうか?編集者殿!)。
>にもかかわらず、スワっ!赤軍派の機関紙が雑誌売り場にある!と小躍りしてすぐ買い求めたのが、文芸別冊(kawade夢ムック)の『赤軍/1969→2001』である。重信房子の現在の所信表明(裁判所に提出したもの全文掲載)およびかっての著作からのアンソロジーで構成され、そこに松田政男、平岡正明、中山千夏などのインタビュー構成となっている。大阪の人民新聞サイドの評論がないので、かなりこの特別編集版そのものが、マスコミサイドでゆがめられた編集となっているのだが、でも、久方ぶりに雑誌名を隠しながら電車の中で読んだ雑誌であり、その意味でも70年代初頭的な雰囲気を思い起こしてくれた。それにしても、松田政男がよく年月日も含めてよく覚えてらっしゃること!まだ、アタマの中は70年かいと思ってしまった(税込み1,200円)。
試写会 投稿者:yamaji 投稿日:
1月31日(水)02時22分43秒
JUNさん、瑞葉さんお久しぶりです。ちょっと遅レスで済みませんが、7日の「ビートニク」試写会僕も行く予定です。向こうで会えるといいですね。
そう昨日決まったばかりの最新情報。今年もウエノポエトリカンジャムを開催することになりました。3月1日発行のポエトリーカレンダー(知ってます?)で正式に告知がでます。
でも昨日のさいとういんこさんのBBSにもう書かれていたのでもうオープンでいいようです。まだどんな形態になるかわかりませんが、また僕も絡むことになりそうです。では。
http://www.tokyo.jcom.ne.jp/~sanei/
いつものあんた…! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月31日(水)00時13分07秒
>南帆さん!ボクも「アヴァロン」は昨年から楽しみにしており、前売り券も持っているにも関わらずまだ、行ってません。そう、2回も週末に雪が降りなんだかはばまれたような感じ。南帆さんが書いた感想はほとんど押井守の奥さんの感想と同じです。何かで読んだんですが、映画が完成してどんなもんだろうと押井守は奥さんに映画を見せ感想を求めたんだそうです。すると奥さまいわく「いつものあんたの映画じゃない」。で、押井守はそれって成功したと言うことなんだろうかと思ったという文章でした。
>「風月堂」でウエイトレスをしていた現在女性史研究家である山崎朋子さんが「週刊朝日」に「サンダカンまで」という壮絶な連載をしています。中野の「ロン」でのウエイトレス時代に知り合った男に、顔を斬り付けられた体験を調書まで情報公開で請求して調べて行き、記憶の彼方に埋もれていた当時の事件、関係者、心境をえがくというもの。いまのところ「風月堂」体験がどこらあたりで書かれるか一切不明ですが、この自らの若かりし頃を切開するという作業には同感するものがあるのです。
(ちなみに山崎朋子さんは現在でも女優なみの美貌の持ち主ですが、常に片方に長く髪をのばして顔の半分をおおってらっしゃいます。そのような自分のかくしおおせたいところを裸を晒すように自らえぐりだす作業にかかったというところに壮絶な決意と勇気そして葛藤を感じるのです。このような文章を書くことに生き死にを賭けるような必死さがウエッブの上の文章にも欲しいと考えるボクはないものねだりをしているのでしょうか?)
天声甚五郎 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月30日(火)00時39分29秒
>マイさん! 御来店ありがとう!森瑶子さんは、新宿風月堂には不良少女の一人として出入りしていたらしいですよ。もうひとりの森―森茉莉さんは下北沢の「風月堂」の常連でした。で、この店は新宿風月堂の姉妹店なんですよね。ま、これもマスターなきあと未亡人から確認したんですけど。
>今日の(もう、昨日か)アカイアカイ朝日新聞の「天声人語」はまるで「電脳・風月堂」化していた。ボクがトップページにこの正月明けからかかげている「宝島社」の広告のメッセージを、「最近のことばから」と称して「天声人語」に載せている。これは、アカイアカイ朝日がフーゲツ化してきたのか、それともこのフーゲツのサイトがアカイアカイ朝日化してきたのか?
ものごとは、すべて相対的である。天声甚五郎かアインシュタインのことば?
寒い、寒い、寒い、寒い・・・ 投稿者:御元南帆 投稿日: 1月29日(月)23時56分51秒
こんばんわ。冬のネットはきついです。指が悴んで、ろくにキーボードも打てません。イスの上に組んだ足だけは、我が家のめっちぇん(♀猫、8ヶ月)の定位置になっているお陰で、至福の暖かさではありますが。
で、先日の雪の土曜日は、『アヴァロン』を観てきました。演出とか、技術面、試みとしてやろうとしていたことは、凄く分かりやすく、成功している作品だったのではと思います。まあ、そんなに大作とかいうイメージではなく、ストーリーなどの面では、いつもやっていることをやっていたという感じ。
私としては相変わらず風景(ポーランドで撮影したそうです)を時たま思い出して、ちょっと気持ちよくなったりしています。評価は(★★★半)というところでしょうか。これといった盛り上がり感はなく、まあ、たまにしか逢えない友達と会って、楽しい時間を過ごしてきたという感じでしょうか。
オフ会、楽しみにしています。ぼちぼちと詩の方を書いてみてはいますが、間に合えば・・・という感じです。もし書けたなら、よまさせて頂けたら嬉しいなと思っています。
実は、boxinglee
のメルマガの方の読者でもある私ですので、“ちょびっと昭和”カフェのオープンを楽しみにしていたりする訳です。
ああ、またたまに来て、だらだらと長く書いてしまいました。それではまた。
はじめまして 投稿者:マイ 投稿日: 1月29日(月)20時30分17秒
森瑶子さんの著書に、「風月堂」の名前が良く出ていたことからいつも気になっていました。
検索をかけたら、このような素敵なサイトに巡り合うことができました。
嬉しいです。ゆっくり見させていただきます!
http://nyan_chu.tripod.co.jp/
出不精の日 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月28日(日)23時18分59秒
午前中、雪かきをして昼飯を食べてちょっと昼寝のつもりが昏々と眠ってしまった。よほど、疲れがたまっていたらしい。それに、最近、何十肩だか知らないが左肩が痛い。肩の回りが悪いというより痛みがある、ために夜、熟睡できないということが続いていた。で、オープン・マイクに参加できなくなって、「知ってるつもり」をまた見ていた。今日は、最後の瞽女(ごぜ)とよばれた小林ハルさんがテーマだった。瞽女さんは盲目の門付け芸人で、津軽三味線のボサマとも似ているが、越後地方にのみ残った独自の流浪の芸人さんである。
番組の中でも、水上勉作の「はなれ瞽女おりん」の話も出ていたが、今や伝統芸としては残っておらず、小林ハルさんが残した(今も101歳で在命中です)数々のテープが貴重な記録となっているらしい。それらの記録も、そして人間国宝に指定された時も小林ハルさんが現役を引退してそれゆえ瞽女の芸が滅びてから、何年も経ってからの事であるらしい。現役を引退してから幾年も経つにもかかわらずハルさんは500近いレパートリィを記憶していたらしい。
瞽女の芸が滅びることは、日本が滅びて行くことと「はなれ瞽女おりん」を監督した篠田正浩は語っていたが、雪深い地方がその封建的な遺制や苛酷な農作業の中で育んできただろうこのような芸は農業の衰退や、変化とともに滅びざるをえなかったのかもしれない。だが、韓国の「パンソリ」や中世以来の語り物の伝統「説教節」に通ずるこのような魂の影の部分というものは、日本人の魂をかたち作って来たもので「負」とかマイナス視するものではなくボクたちのソウル(たましい)だと思うのですが…。
ところで、番組の中の再現ドラマの部分でバックに使われていた音楽は、深草アキであったが、明日以降に彼のことについても書きたい。
トメ吉へ。 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月28日(日)23時16分56秒
>はい、原題は「The
Source」でした。チャック・ワークマンの監督の1999年作品で、ドキュメンタリー作品です。ところで、逆質問ですが、「ビート・エンジェル」というのは監督は誰なんですか?ケラワックに焦点を当てた映画があったんですか?
RE:ビートニク 投稿者:トメ吉 投稿日: 1月28日(日)17時52分54秒
自己レスです。ジュンさんの書き込みを読み飛ばしてしまって、今気がついて、CAN
BEERを見に行って、原題を確認しました。で、ヤフーで調べたら、知っていました。
ぼくもその映画を。いろいろすいませんでした。
ビートニクの原題は 投稿者:トメ吉 投稿日: 1月28日(日)00時26分23秒
トメ吉です。「ビートニク」というのは英語で調べても、そういう映画はないみたいなんで、もしよかったら原題を教えてもらえませんか。ややこしくなければ。
なんだろうと調べると、ビート関係では2本の映画がありました。1本はビート・エンジェルというケラワックにフォーカスをあてた映画のようで、99年に作られている。これのことですかね。
ではまた。
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「雪は降る」を歌いながら 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月28日(日)00時18分10秒
>映画『ビートニク』のことはすでにボクのcan_beer.htmlにリストアップされているんですが(山形ドキュメンタリー映画祭出品作品)で、実はボクにもプレス試写会の招待券が送られてきました。いやぁ、こんなことは3年もこのサイトを維持してきて始めてです。なんかうれしかったりして。26日には間に合いませんでしたが、7日に行くつもりです。瑞葉さんはそうやって職業特権を利用して色々吸収しているんですね。
>クアトロの情報ありがとう。白石かずこさんがこのようなポエトリィ・リィディングに復帰なさることはとてもうれしいことです。なにしろ60年代から読んでいる詩人でアレン・ギンズバーグの来日朗読会にも尽力なさったひとです。
>東京は今年3度目の雪。それも、大雪注意報が埼玉や栃木に出される程で、広範囲の地域が10センチ以上の積雪にみまわれました。雪国ではたいしたことのない積雪量でしょうが、雪に対するそなえのない関東では交通機関をはじめ影響が大変です。明日は晴れるらしいが、この雪雲は東北に北上するらしいので、そちらにお住まいの方は御注意ください。
詩人たちの集い 投稿者:瑞葉 投稿日: 1月27日(土)02時25分43秒
今日『ビートニク』という映画の試写に行って知ったのですがこのビートのドキュメンタリー映画公開を記念して3月23日(金)に渋谷クラブクアトロでリーディング・ライブのイベントが開かれるそうです。
出演は室矢憲治、白石かずこ、中川五郎、青柳拓次、レイ・サンドバルなどなど。
いやあ、ポエトリー・リーディング・シーンてほんとに盛り上がってるんですねー。
吟遊詩人JUNさんの次なる舞台はベンズカフェ?
セイント・ボクシング・ディ? 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月27日(土)01時29分19秒
>「ちょびっと昭和カフェ」の内装工事は順調ですかね?2月14日オープンまでこぎつけたんですか?スゴイなぁ。さて、その14日はもちろんオッケーですが、1月28日の方は行けそうもありません。オープンの日のためののどならしにベンズカフェのオープンマイクでちょびっと読んでこようかななどどと考えているもので。ま、これも分かりませんけど。
>しかし、boxingleeの行動力というか、あたり構わぬ饒舌ぶりもそうですが(誤字脱糞いや、誤字脱字変換ミスもものともせぬ)バイタリティありますねぇ。文章も無手勝流ブンブンはねまわってるところありますものね。それってコピーライターとして鍛えた結果なんですかね。どこか、力わざだもんね。でも、面白い人ですよ、あなたは!
>さて、そのオープニングの日のお祝いに何か持って行こうと考えていますが、さて究極の選択です。選択肢は4つ。下記の中からひとつを選んで、リクエストせよ。
1.金一封(中味はニセ札かもしれない)
2.花(造花かもしれない)
3.酒(ニツカか日本酒。メチルアルコールかもしれない)
4.アナログレコード(ジャンルはジャズ。針をおとしたら必ずとぶことは必至)
ところで。2月14日ってセイント・バレンタィン・ディでしたよね。チョコレートも加えましょうか?(岡本知子さんならともかく、男からもらってどうする?それも、オヤジ同士での交換なんてオ〜!寒い!)
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JUNさんの故郷、荻窪にもうすぐ再生!!! 投稿者:boxinglee 投稿日:
1月25日(木)21時33分23秒
boxingleeです。久々の書き込みです。則竹和光さん、岡本 知子さん、様々な方々への辛口でやさしいコミュニケーションの対処に再度感心していました。
さて、前にもお伝えいたしました、ジャズ喫茶みたいな、歌声喫茶みたいな、ロック喫茶みたいな、場末の一杯飲み屋みたいな、ワカゾウのカフェのような、浪曲子守歌みたいな、“ちょびっと昭和”カフェ、現在制作進行中です。
僕のサイトの方でも、メルマガでも伝えてありますが、2月14日オープンの予定です。その日は、いたってチープにフリードリンク、フリーフードのクローズドオープニングパーティのようなものをやりたいと思っています。
前にもちょっとお話しましたけど、是非、その日JUNさんにポエトリーで“魂入れ”をお願いしたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします!!(詳細はあらためてご連絡します)
それから、これはあくまで個人的な余談なんですが、1月28日(日)午後3:00から、僕の友人の宗教(仏教)研究者による、なぜかおそらく神道的な“魂入れ”を実施する予定です。
こちらはあくまで、内輪の行事なのですが、インターネットのお友達に限って、公開“魂入れ”にしたいと思っています。
もしご関心、あるいはお時間があるようでしたら、遊びにきていただければ幸いです。
(こちらは無料、各自勝手に飲み物、食べ物持ち込みです。ただし、まだ内部は廃墟、あるいはゴミ溜め模様必至ですが)
以上、ご連絡させていただきました。(さらに個人メールではなく、あえて掲示板に)
是非、僕のカフェを、JUNさんならびに、風月堂的な皆さまの第2の故郷にしていただければと思います。
ちなみに、“美空ひばり”のすごーく泣けるレコードを入手してあります。それも、カフェで皆で聴きたいモノです。(阿部 薫はCDしかありませんが)
僕のカフェの進捗状況、概要は↓でご覧下さい。(殆ど宣伝ですいません)
http://www07.u-page.so-net.ne.jp/sf6/boxlee/ogikubohappy.htm
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長崎物語・番外編 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月24日(水)23時48分57秒
>まだ、長崎のことを書くの?と、言われそうだが、先日、つい「眼鏡橋」のことを書いたら、なつかしく思い出されたことがでてきた。眼鏡橋の由来はあえて書かなくとも大丈夫だよね。そりゃ、ふたつのアーチがあって水に映る姿が、メガネのように見えたからだが、この橋は要するに中国様式の橋で石組みで出来ている。もはや、ボクらにそのような民族としての記憶があるのかどうかは疑問だが、少なくとも木で組まれた日本様式の橋とは異なっている。どうやら、ウチの菩提寺のある寺町の興福寺という唐寺を建立した中国僧が中島川に架けた橋らしい。実際、鎖国時代に西洋への窓口となった出島もあるが、長崎は対中国との貿易、交流でも長い歴史があり、おそらく日本で始めて出来た中華街というのが、「唐人屋敷」ではあるまいか。この点では、神戸も横浜にも先んじていたはずである、だから長崎は不思議な街であるとボクは言いたいんだが、アジアにもヨーロッパにも門戸を開いてオランダとの交流では昨年は400年目だったのである。
>そう、眼鏡橋はなにやら川べりからあおぎ見たらきれいになっていた。ちょっと、かってのレンガ組みの同じ橋なんだろうか?と、思ってしまう程であり、中島川の川べりも遊歩道のようにきれいになっていた。これも、観光客を呼び込むための整備なんだろうけど、この街で幼年時代を過ごしたボクには違和感ばかりが、先にたってしまう。でも、仕方があるまい。むしろ、そのようなボクの方が長崎から拒否されているのだから…。ボクは結局、無責任な観光客でもこの地の住人でもなく、中途半端な存在でしかなく、まるで自分の人生とか、生き方を思い知らされる気がするのが、いつものことなのである。
嗚呼!故郷よ、どうかボクを拒否しないでおくれ!
ボクを、無関心を装って迎えてくれるあのアジアの国のように、あたたかくそして気にもかけないでおくれ。
ボクが、愛するようにお前はボクを愛してはくれない。
故郷に片思いをするボクは、まるで故郷を失ったエグザイルスのひとり。
ボクは故郷喪失者。
ボクは家出したままに、それから自分さえも自失してしまったようだ。
故郷よ!どうか、ボクを、迎えておくれ!
ボクに、無関心を装いながら。
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旧正月 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月24日(水)00時24分11秒
>今日は旧正月の元旦ですよ! 2001年の新月。今日からがホントの新しい年なのかもしれない。
>23日の朝、マルセ太郎さんの訃報を目にした。ボクはそれほど知らないが、「泥の河」でいい味をだしていたコメディアンである。最近、病を押しながら波にのっていた。ご冥福を祈ります。
春まだき 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月22日(月)23時13分22秒
>ノリタケくん! ボクは風月堂チェーンを調査している訳ではありません。black_coffee.htmlページに書いたこと以外の事を知っている訳では、ありません。風月堂は洋風菓子の店としてどこが、老舗にあたるのか、ネットで調べて下さい。ただ、ひとつだけ情報! 神戸風月堂のホームページには明らかに、このボクのサイトを意識した「当店は阿部薫や、中上健次が出入りしたドラッグの巣窟だった新宿風月堂とは一切関係ありません」とわざわざ書いてあります! なんか思い違いをしてるみたいだが、ボクも今度トップページに「風月堂チェーンなんて1960年代に世界に知られた新宿風月堂とは全くかかわりありません」と書こうかしらん?
>岡本知子さん! いや、貴女が理解力のあるひとでよかった。あのくらいのボクの言葉でも怒り出すひともいますからね。でも、ボクは自分の考えてきたことを真摯に書いただけでした。貴女が現実主義でいくとおっしゃるのも分かります。それが、貴女の人生であり、現実であり、生きがたさをどう生きて行くかということでありますものね。
>東京の雪国風景は半日しかもたなかった。日中晴れ渡って雪はどんどん溶けていき結局先の雪の日に根雪のように残っていた状態と変わらない。何故だか分からないが、「北風と太陽」という童話を思い出していた。春は近いのだろうか?
あちこちの風月堂 投稿者:則竹和光 投稿日: 1月22日(月)15時42分03秒
鹿児島の風月堂の「さつまどり」をお土産で頂いたとき、神戸の「ゴーフル」の風月堂や東京大蔵省で売っている「お札のクッキー」の風月堂とどう違うのかで議論になりました。東京の風月堂は風の中が百だから違うとか、チェーン店だが、店毎に違う商品と作っているのではないかとか…。
正しい答えを教えて下さい。
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お返事ありがとうございます。 投稿者:岡本 知子 投稿日:
1月22日(月)00時46分32秒
JUNさんの言葉は、わたしの直面している問題に響きあうものがあり、わたしが追っているテーマでもあります。わたしの文章に真摯な意見を頂いた事に関して嬉しく思っています。
世の中の人みんながJUNさんみたいな人だったらどんなに素敵だろうと思いますが、世間一般では「オカマ」という言葉しか知らず、トランスジェンダーとか性同一性障害と言っても理解されないという現実があります。
もちろん「オカマ」という言葉はトランスジェンダー当事者にとっては差別語として忌み嫌う言葉ですが、現実に女性の姿で外を歩き、様々な人と接する上では(心理的な面で)受け止める必要があるのも現実です。
ですから、理論的な面を重視して世間と対峙するよりも、実際に人と接して行く事を考えたいと思っています。
さて、スズランクラブですが、まだ性同一性障害という言葉がなかった頃からあった団体のため、わたし個人の意見だけで変える訳にはいかないです。
雪国の朝 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月21日(日)10時28分39秒
正月に行っていた長崎が、34年ぶりの大雪という報道が先日あったばっかりで雪の積もった「眼鏡橋」の写真をみながらヘェーと思っていたら(16日)、今朝は目覚めてみれば東京も雪国のようである。年が明けて2度目の雪。旧暦(陰暦)で言えば今は師走であって、赤穂浪士の討ち入りも今頃ではなかったのか? 旧暦の元旦は24日で新月に対応している。ひと月という言葉に残っている語源は月日がムーン(月)の運行からきており、月の満ち欠けに対応していることを物語っている。
男たちの性の反乱? 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月20日(土)00時45分32秒
>あっ! 岡本知子さん! まるで、おーまきのサイトの掲示板に「お会いしたいです」と書き込んたために、まるで追っかけられてきたみたいな気分です。
このボクのサイトには、掲示板と別にジオが設定したゲストブックがあって、そこのほぼ2年前位の書き込みにジニーさんという人がいます。この方はフーゲツに通っていてボクと共通の知り合いがかなりいたからボクとそんなに年齢は変わらないと思うのですが、トランス・ジェンダーでした。で、彼女も写真で見たら(自分のサイトを自前のサーバーからたちあげている)美しいひとでデートを申し込んだんですが、本気にしてもらえませんでした。
>現在の経済的不況もあってか、働きバチで生きてきたとりわけ中高年の男たちが、自信喪失しており、それとともに自らの男-性にも疑念を感じてきたとボクは見ております。要するに「男を下りたい」と考えるようになってきたと。さらに、それに追い討ちをかけているのが、今や当然のように要請されてきた女性の社会への共同参画で、キャリアを積んだ女性がいまや上司にいる状況も生まれてきて、男たちの「男らしさ」という神話にのっとったアイディンティティがガラガラと音をたててくずれつつあると。性同一性障害ということばとその現実がマスコミなどにとりあげられたのは、ここ数年ほど前からだと思うのですが、自分のセックスへの疑念、乖離感といったものが真面目にとりあげられる背景にも、この障害を持った潜在的人数の多さとセックスのアイディンティティ・クライスがあると思います。さらに、「男らしさ」という神話は、20世紀いや封建時代からの遺物であるため(女らしさも同様。父権的差別社会がもたらしたもの)男のアイディンティティ・クライスはもろいジェンダー幻想であるにもかかわらず、いまはじまったばかりである、と考えます。
>岡本知子さん! ふたつばかり、苦言を呈していいですか? まず、社会一般はどうであれ、自らをおとしめるように「世間一般では「オカマ」と呼ばれる種類の人です」という言い方は、止めた方がいい(女装者は女装趣味者のことだろうとわかりますが)。たしか、おーまきのサイトでもそのような自己紹介をしてましたが、「オカマ」や「オナベ」はホモセクシュアルの隠語でもあり、そんな(新宿)二丁目的な言い方は止めた方がいいと思う。誤解のもとともなりますよ。
もう、ひとつは「スズラン・クラブ」ですか、このサイトへのアクセス数の11万5千という数が、潜在的な同一性障害の多さを感じさせますが、このクラブの名前、ボクには昭和三十年代の男女交際クラブか結婚紹介所を連想させてしょうがない。男と女の出会いの場もいまやパーティとか言ってる時代ですよ。なんか「光クラブ」とかそんなネーミングはダサイなぁ!
はじめまして 投稿者:岡本 知子 投稿日:
1月19日(金)00時44分06秒
おーまきちまきさんのサイトから来ました。
わたしは女性名を使っていますが、戸籍上は男性で、世間一般からは「オカマ」とか「女装者」とか呼ばれる種類の人です。
フーゲツのJUNさんがトランスジェンダーという言葉を分かっている方なので、どんなサイトかと思ってアクセスしました。
わたしは、60年代も風月堂も知りませんが、その当時の文化には関心を持っていて、ここのコンテンツは引き込まれるようなものを感じたため、興味深く読みました。
こんなわたしですが、今後ともよろしくお願いします。
http://www9.big.or.jp/~suzuran/home-j/
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古くて知られていないたくさんのことのひとつ。 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月16日(火)00時14分07秒
>ちょっと書いたことが古すぎたのか、反応がなかった。無理もない。なにしろ50年前位の話題で今時の若者が知る由もない(マ、ボクもよく知らない)、いわば戦後の秘められた歴史みたいなもんだが、ということは「知ってるつもり」ってそんなに人気がないの?
>なんか連想で「蟻の街のマリア」のことでも書いてみようかと思ったが、今日は止めておこう。マリア食堂のことを知ってる人があれば教えてください。
アンゼラスの鐘と如己堂 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月14日(日)02時01分28秒
<長崎物語その3>
市電を松山町で降りて、浦上天守堂に着いた時丁度、正午だった。天守堂の真下にいたボクはアンゼラスの鐘の音をやっと聞くことができた。鐘は高らかにそして華やかな音で、長崎の街に鳴り響いていた。この鐘は原爆で倒壊した旧天守堂に吊るされていたもので、双塔の鐘楼は現在の再建された天守堂のデザインにも生かされているが、奇跡的にも崩れ去った塔のガレキの中から無傷で掘り出されたものなのである。自らも被爆しながらも、被爆直後から被災者の救出、手当て、医療に当たっていた長崎医大の永井隆博士は、アンゼラスの鐘が発見された報をきくと
新しき朝の光のさしそむる
荒野にひびけ長崎の鐘
という歌を詠んで、この鐘が「被災者たちの心に希望を灯し、再建の意欲を奮い立たすためにこの鐘を鳴らそう」と考えて、浦上天守堂の神父さんや信徒のひとたちとともに丸木を組んで、原爆投下の4ケ月後である昭和20年(1945年)12月のクリスマスイブにこの鐘を焼け野原に鳴り響かせ、ミサをとりおこなった。『長崎の鐘』は永井博士の手で翌21年の8月に出版され、世界平和と原爆の廃止を訴えるベストセラーとなり、博士の代表作となっただけでなく、翻訳出版されて博士を世界の良心の一人にした。その後、長い間の放射線治療の影響もあって博士は白血病のため病にふせることになるが、病床にあっても筆を折らず、むしろ精力的に書き続けた。その病床には、ヘレン・ケラーも昭和天皇も見舞いに駆け付けたと言う。
俗世間的というか、民衆レベルで永井博士が有名になったのは、その作品が映画化されたためであり、またその著作のタイトルのままに『長崎の鐘』と名付けられた歌謡曲がサトウハチロー作詞で作られ、当時の国民的歌手であった藤山一郎が歌って大ヒットになったからである。
「アーァ、長崎の長崎の鐘が鳴ァる」という曲はたしかカラオケにも入っているはずである。そうでありながらも、永井博士の名も被爆体験の風化とともに忘れ去られてきた。それこそ、長崎、広島を修学旅行先に選んだところなら別だが、こんな話は若者たちはきっと知るまい。かく言うボクも少年時代の記憶の片隅に長崎にまつわるエピソードとして長い間、しまいこまれてきたものなのである。
その永井博士の病室であり、書斎でもあった「如己堂」が浦上天守堂から歩いて10分くらいのところにあるらしくボクは行ってみることにした。この機会に訪ねなければ、一生縁がないかもしれないと思ったからである。そこには、2階建ての白い永井隆博士記念館が建っていた。その隣に、庭に芭蕉の植えられた小さな小さな如己堂があった。縁側に座って眺めてみれば、中は畳みきっちり2畳。小さな本棚が据え付けられ、それに便所が付いたささやかな禅僧の庵のようなそれはそれはつつましい木造の家であった。このような家をかって見たことがある。奄美か沖縄にあったようなつましいコンパクトな家。ボクも小さな庵のような家を持ちたい(それも沖縄か奄美かバリのような温かい場所に)というのが長い間のつましい夢だったが、この如己堂の小ささにはびっくりしてしまった。永井博士はこのようなつましい家を病室兼書斎として世界平和と原爆の廃絶を世界に向かって発信し、発言し続けてその生を閉じたのだ。博士は重い白血病に冒され、一歩もこの如己堂から動けなかったのである。著作と言う形をとったにせよ、言葉のもつ力と言うのを感じてしまう。
そうそう、博士はとなりの自宅をこどもたちに開放し「うちらの本棚」という子供文庫、自動図書館作りもやっている。それが、記念館の2階部分の図書館に反映し、引き継がれているのだが、そこで博士のおびただしい著作をはじめて目にしたボクはまたそのことにも驚いたと言うことを付け加えておこう(個人全集としては2段組ならば1册でおさまるにせよ)。そう、そうこの事ももうひとつの驚きなのだが、永井隆博士は1951年(昭和26年)に亡くなられたが、享年43才であった。そして晩年のわずか6年間に病と闘いながらその生涯の業績を完成したことになる。死後、博士の担当医はその精神力が余命3年の宣告を長引かせたと発表したらしい。
>なんだか、今日の書き込みは「知ってるつもり」みたいになっちまった。実際、ボクは見のがしたがその番組でも永井博士はとりあげたらしい。そして、関口宏の司会番組でもこの番組は「どっちの料理ショー」(だったっけ?)とともに好きである。ついでに、言えば「関口堂書店」はとりあげるテーマに不満がある。
失われた50年? 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月13日(土)01時55分39秒
>原発立地地はこの国にこれだけのボーダー的な場所があったのかとあらためて思わせるような場所と風景の中に建っている。そうしてそこはさびしい辺境的な風景にもかかわらずどのような産業よりも巨大な金がおちる。電力会社の経営する発電所だとはいえ、それは国策―国家のエネルギー政策と不可分な関係にあり、辺境の地に一見建っているように見えながら、それぞれの地方に君臨する城なのだ。ミラージュ(蜃気楼、幻影)を海市と表記する。
何もない水平線上に宙に浮かぶように建造物や、摩天楼や、巨大な船が見えてくる現象だ。砂漠でもゆらめくはるか地平に幻影が浮かび上がる。原発はそのようなミラージュの城のようだ。これまでの、どのような産業が公害をたれながし終末的な風景を現出させながらも、原発のような無機的なコンクリートのかたまりのそれこそはじめから石の棺を連想させるような風景はなかった。もはや、原発は企業城下町ではない特異な空虚(エンプティ・ゾーン)をそれぞれの地に生み出している。
>柏崎にも行かねばなりません。ボクは四国の伊方原発、福井の敦賀の原発銀座、鹿児島の川内原発などを見ており、それらの風景に六ヶ所村、苫小牧の東苫などの日本列島改造論が生み出した破たんしたいまや草におおわるだけの風景を重ねています。バブル期まで続いた開発、土建(ゼネコン)、土地の神話を生み出したもので、ま、田中角栄がその元凶にいるのですが、60年代というか70年の万博を頂点とした高度成長もからんでくるでしょう。それで言ったら、日本の戦後社会というか日本人が世界に追い付き追い越せでガムシャラに働いて来た結果としてあった訳で、平成不況のまっただ中で忘れ去られようとしているが、このような働きバチの反省として、低成長もしくはゼロ成長を良しとしたのではなかったのでしょうか?
「失われた10年」として90年代を語る論調を見習うなら、それはむしろいまや忘れ去られようとしている戦後50年というべきではないでしょうか?
>再度、水俣の例をひくならチッソは戦争中は海外植民地を求める軍部の南進論に深くかかわっており、実はこのような旧財閥系の軍部、政界への圧力が東郷にリーダーシップを握らせ、戦争の道を遂行させたとも言えるのですが、このような戦前の話はさらに遠のいていくばかりである。
>こんなことをつらつら書いていたら、とても長くなって『長崎物語』その3はまたまた明日へ延期です。
詳しくは明日! 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月12日(金)01時36分42秒
ゴメン! ちゃんとトリさんにはレスしたいので、ボクも今日、酔っぱらって帰って来てしまい。まともなことも、それから『長崎物語』その3も書けそうもない。で、明日、明日レスします。そう、トリさんの勘のするどさにも、驚いたのでそれだけかいておこう。井の頭公園の北村西望のアトリエはもうボクの得意なデートコースのひとつでこれはボクが好きになった――イヤイヤやめておこう。とにかく、よくいくとこなんですが。これまで連れていった女性の一人としてこのアトリエの存在を知らなかったということが印象的なのですが、じゃ、何人連れていったの?という質問にはノーコメントということにしておきます。
研子さんは素敵な人。ナミさんの奥さんじゃなかったら、近付きたい人です。もちろん、会ったことあります。
銀嶺 原爆 水俣 炭坑
原発 投稿者:とり 投稿日:
1月11日(木)06時04分18秒
割り込み無礼お許しくだされ。
はい、『銀嶺』も、行ったです。金欠な僕等は、もち、コーヒー1杯、長居ですっ。
高二の修学旅行が京都で、国際反戦Dayの装甲車の隊列と、デモ学生と機動隊と、駅舎の窓ガラス一枚一枚すべてに貼られたテープのバッテンを目の当たりにした、私達。
卒業前の、囚人になるような気分で選んだ旅行先は、広島か長崎。広島の原爆ドームと、沖縄の戦没者墓地は、私が訪れなければならない場、と、なっております。
いまだに、未訪ですが、あせってはおりません。タイミングは、大切にしたいです。
ところで、イノガシラ公園の、彫刻の森(名称失念)は、行かれましたか?。熱帯植物園や、リスの小道の奥にあります。長崎のあの、『原爆の彫刻』の芯木の残りや、製作過程の展示などが、ありました。
水俣病、新潟でも、多くの患者を出してしまいました。阿賀野川です。有機水銀を垂れ流し続けたのは、昭和電工(株)鹿瀬工場です。かつての企業城下町、「鹿瀬町(かのせまち)」。今は、まったくさびれております。長引いた裁判は、近年和解しました。
水俣で、映画「無辜なる海」製作の助っ人をやった、佐藤真さん監督で、「阿賀に生きる」って、映画を、四年がかりで製作しました。機会がありましたら、みてみてねっ。
昨年12月3日、RAIN FOREST
JAPAN代表の南研子さんの講演が新潟市でありました。ブラジルアマゾンで撮影したスライドも上映したのですが、金採掘の水銀でやられた女性の写真もありました。
JUNさん、何故、人は何度も何度も、アヤマチを繰り返すのでしょう?????????。
...と、こんなことを、ブラジルのボーキサイトから精錬したかもしれないアルミ缶のビールを呑んだ勢いでカキコする私にも、ダーメジャン、ソレジャァとは、思うんですが...が...ぁ。
『アマゾン、インディオからの伝言』 南研子著
(株)ほんの本発行 1700円。
最近『ニライカナイの空の下で』
上野哲也著を読了しました。作者は1954年生まれ。福岡県立田川高校出身です。
田川の炭坑の鉱山夫一家の小学六年生、”竹ちゃん”と...その家庭に居候する東京青山育ちの”新ちゃん”の物語です。一坑は閉山し廃虚となりはて、竹ちゃんの父は二坑の地底で掘っています。
私は1952年生まれなのですが、同級生にも九州の炭坑の閉山で転校してきた子が、二人いました。
巻原発計画の頓挫にほっとしつつ、柏崎刈羽原発の柏崎市で元旦を過ごした私としては....国策ってなあに?地方自治ってなあに?新潟ってなあに?私ってなあに?って、????????????????????の続く日々です。
よっぱらいカキコ ごめんなさい。でも、私は、書きたかった。
長崎物語 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月10日(水)23時39分00秒
>まず、書き間違いのおわび。皆既月蝕は今朝、10日の4時49分だったのです。あいにくの天候で観察できた場所は少なかったようです。やっぱりムーンスクリプトがないと正確な月の把握ができずメロメロですね。早く復旧して下さい。
>今日は『銀嶺』という長崎のカフェ・レストランのことを書きたいと思う。思案橋から寺町の方へ歩いて行く左手にそのカフェはあって、寺町の一角にある菩提寺に墓参りをしにいくためには必ず通過することになる。しかし、ここでは書けない深い事情があって実はボクは長崎に16年ぶりに帰ったのだ。はっきり言って、ボクは胸をはって長崎を故郷とは呼べない。もう、東京の方が、はるかに長いボクは典型的なデラシネであり、根無し草なのだ。そして、『銀嶺』にも16年ぶりに行った訳だ。そして一瞬、目を疑ってしまった。白い壁のどこかスペイン的ポルトガル的なたたずまいをもっていた『銀嶺』は、こじんまりと2階で営業していた。階下は駐車場スペースになっている。これも仕方がないことかもしれない、だがかっての重厚な雰囲気も好きだったボクはとても残念に思えた。あの店にもう一度入ってみたかった。『銀嶺』が誇る博物館収蔵なみのもう骨董コレクションの域を超えたコレクションは手狭になった店内のガラスケースの中に陳列されてあった。なにしろこの店のコレクションには東印度会社のエンブレムがついたギアマンとか古伊万里の皿などがある。なぜか明治天皇が使用したと言う銀皿セットなどというものもあるのである。ここも、コーヒーをあるいは西洋料理をいただきながらBGMはクラッシックである。いまも、とても落ち着ける店だが、夕食時にコーヒーで粘っていたらそろそろお引き取りをと言われてしまった。ウエイトレスさんはとても感じがよかったのに。
>明日は。その3を書くつもり。
月蝕 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日:
1月10日(水)00時47分25秒
>小夜子さん! boxingleeの『昭和カフェ』はボクも楽しみです。オフ会の日取りはまず肝心のカフェが開店してからなので、お知らせを楽しみにしていてください。
>ムーンスクリプトがこわれているので、ここに書いておくと10日はフルムーンで11日の朝方にかけて今世紀はじめての皆既月蝕が見られるはずですが、この雨は(東京は雪に続いて現在雨が降っています)どうなんでしょうか?
>明日は長崎の報告のその2を書くつもりです。
2月は楽しみ! 投稿者:小夜子 投稿日: 1月 9日(火)12時24分51秒
JUNさん、皆様ご無沙汰しております。仕事に忙殺されているスキに年が明けてしまいました。
boxingleeさんのカフェでのオフ会楽しみですね!
今年も、どうぞ宜しくです。
長崎には軍都の面もあった 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 1月
9日(火)00時10分01秒
>とりさん!昨年は一度しかお会いできませんでしたね。ま、今年も祭りの時にお会いできるかどうかでしょうけど、新しい世紀のはじまりによろしくお願いします。
ところで、あの三菱造船所は戦艦武蔵なぞも戦争中は建造していて、つまり造船所の存在が広島と同様に(広島の場合「呉」がそれにあたるのでしょうが、たしか呉は戦艦大和を建造したんですよね)長崎を軍都にしておりそれが原爆が落とされたもしくは候補になっていた要因だったんじゃないでしょうか。ですから、山の傾斜に張り付くように建っている庶民の家並みから見下ろすように眺める造船所の景色は壮大ですし、ボクも夏の南国の厳しい日ざしをうけてキラリと輝く長崎湾も記憶の中に刻み込まれているんですが、実は内心複雑な気持ちなんです。長崎には、他に石油に全面転換するまでの明治以来の産業・軍事のエネルギーを三井三池炭坑などとともに荷なって最後には多くのいのちを落とした炭鉱夫とともに国家に見捨てられたような高島やその形状から「軍艦島」と呼ばれた端島などがあり、どこか国策や国家の命運と一体にされてしまい、ついには国家の存続のためにスケープゴート(犠牲の小羊)にされた側面があるんじゃないかとボクは思ってます。きっと、そんなことを指摘した人はこれまでいなかったかと(ボクは目にしたことがない)思うのですが、水俣が最近のいい例でしょうが、一企業の城下町にされるとロクなことはないんじゃないでしょうか?
今回、その動きはいのちのまつりのMLで刻々と入っていた「ピースウォーク」にはボクは間に合いませんでした。昭和20年8月6日のヒロシマの業火が、長野、東京、神戸を経由して8月9日のナガサキに届けられたということを考えるとこの3日間の中に戦後の45年があり、20世紀の半分があったのだと考え続けていました。大晦日の長崎のウォークに今回駆け付けられなくて残念でした(世紀をまたいでブルートレインの中だったのです)。
>
顕正居士さんにここをお教えいただきありがとうございました。
>boxingleeの歓迎のひとことでオフ会の場所も決まったようなもんですね。内装はデザイン力を発揮してくださいね。もっともゴテゴテせずに黒一色のモノトーンできめるのも、ボクの好みでもありますが金もかかりませんよ。いいなぁ、不良中年が集まり、若い子たちが群れる場所ができれば、それってほとんどフーゲツですよ!
でっかい造船所 投稿者:とり 投稿日: 1月 8日(月)17時18分58秒
JUNさん、みなさん、アケマシテオメデトウゴザイマス。
お故郷、長崎なんですね。僕は、高校卒業前の2月の下旬に訪れたです。北九州国鉄周遊券持って、最初の3泊は長崎の宿に泊りました。丘から三菱造船所を眺めていたら、見学したくなっちゃった!。電話してみたら最初は「事前予約が必要」と断られましたが、「新潟から来たんですぅ」発言。
「そんなに遠くからとは…」と、見学OKになりました^^;。18歳、オンナ三人、造船所の車に乗せていただいて、ドックやらあちこちゆっくり見学。
新潟も港町で、造船所もありますが、スケールが大違い。ガリバー用のクレーンって感じですもんね。鉄の鎖の一個一個が自動車くらいの大きさ。凄いなーー!!。ワンダーランドを堪能したです。
宿のお刺し身の醤油。濃くってびっくり@@。あれって『
タマリショウユ』?。
長崎・別府・雲仙・天草・阿蘇・高崎山・青の洞門と徘徊し、急行列車にて大阪へ。大阪からは普通列車で帰路につきました。
すっかり暖かい九州気候に順応してたのに、新潟の弥生寒波で風邪にてダウン^^;。九州では街角で地図広げていると、「どこ、行くと?」って聞いて教えてくれる。親切だわー。
阿蘇でも、ユースホステル付近の草千里で遊んでいたら、「どっから
来たと?」。
次の日、阿蘇町役場・観光課の車で、丸一日案内してくれました。イイノダロウカ??。お釜がモクモクで、数日後に立ち入り禁止になったみたい。ケムカッタァ〜。
新潟の直江津港から九州行きのフェリーあるので、また、ゆっくりと行ってみたいなぁ。九州。今度は、佐賀平野のカササギにも、出会いたいです。
☆
新潟の禅寺の和尚さん。フーゲツ通い人だったんですって。今64歳でいらして、学生時代とのこと。
横尾忠則さんに「絵かけば?」って進言なさったんですってさ^^;。
☆
boxinglee!さん。荻窪のカフェ、楽しみにしてま〜す。
http://www61.tcup.com/6103/nu.html
魂入れ!!お願いします。 投稿者:boxinglee 投稿日: 1月
8日(月)15時42分18秒
JUNさん、お帰りなさい。僕は長崎は会社勤めの時の主張で一度しか行ったことはなかったし、そのときはハードスケジュールでホテルでダウン。でも小倉の酒場で出会ったお姉さんの紹介で、その弟の居酒屋へ行き、またその紹介で“銀鍋”の前の安いスナックで楽しくオヤジの方々と語らったいい思い出があります。もう一度、きちんと行ってみたい場所です。
ところで、僕のカフェなのですが、おそらく2月中旬にオープンになると思います。今、まだ電話もISDNの関係で引けていない状況です。今週から内装の施工をはじめます。オープンの際は、おそらく超低価格でオープニングパーティなんかやろうと思っていますので、そのときに魂入れをいろいろな方にしていただけたら、と思います。
蛸足(テーゼ)にも絶叫型の歌をシャウトしてもらったり。是非、JUNさんの詩で魂入れをしていただきたい。
オフ会も無論、こちらからお願いしたくらいです。是非、是非!!
当然、僕がオーナーなので利益も出さなくてはいけないのですが、カフェレベルでは、限りなく低価格を目ざします。
場所は、荻窪の新進のライブハウス・ルースターのビルの3階です。(店主からここの物件を紹介されたのです)店作りの進捗状況は僕のサイト“荻窪ハッピー計画”で順次報告していますので、ご覧になってみてください。まだイメージはきっちりと決定されていないけど、僕の年代以上の方の居心地良い場所にするつもりです。
http://www07.u-page.so-net.ne.jp/sf6/boxlee/
生き残っているのは誰 投稿者:牧田吉明 投稿日: 1月 8日(月)00時37分59秒
ドモンなんて生きてますか 美鈴と亭主はいまいずこ おたよりもとむ
松の内にごあいさつ 投稿者:フーゲツのJUN 投稿日: 1月
8日(月)00時04分42秒
みなさん、今日は昔風にいえば七草かゆ、21世紀も7日もたっちゃいました。明日は、成人の日、あいにくの雪模様となりそうですが、これもまたおつなもの。いかなるお正月でしたか?
ボクは昼も夜もチャンポンと皿うどん三昧。思いきってのゼイタクは唯一シッポク料理を食べに行ったこと。行きたかったのは『花月』(寛永19年=1642年創業)でしたが、さすがに敷き居が高すぎました。『花月』はボクが5才くらいの時にジィちゃんに連れられていったきり。最近、映画化された『長崎ブラブラ節』(なかにし礼の直木賞受賞作・未見)の舞台ともなっているらしく『花月』前の丸山公園あたりにのぼりが立っていました。公園をはさんで公園の入り口近くにカステーラの『福砂屋』(創業寛永元年=1624年)があり、ボクの生家は丸山公園わきの坂をのぼって楠木の大木の下を通って佐古小学校を迂回したところにあるのです。幼い頃、はるか眼下の三菱長崎造船所のドックを長崎港の対岸に見ながら散髪してもらったことを思い出します。その体験があまりにも壮大だったせいなのか長じてすっかり室内で散髪してもらうのがきらいになり、それが長髪のきっかけになったのかもしれません。幼いころには山の向こうがわにあったはずの活水女子学院まえのオランダ坂までが生家から近いこと。チンチン電車と呼んでいた路面電車が走る町並みはやっぱり好きです。
坂、路面電車、西洋館これらの風景はどこか地中海風景とも共通点があるに違いないと思っていましたが、長崎がもっとも関わりの深いポルトガルのリスボンが長崎と良く似た景観を持つらしいと言うことが最近わかりました。スペインがずっと気になる国なのですが、ファドも好きなのでいつかポルトガルにも行ってみたいな(アジア好きのボクがヨーロッパのことを語るのは珍しいことなんですよ)。
>boxinglee! オープニングはいつ? 詩を読んでいいですか? いっそ約束のフーゲツのオフ会を『昭和カフェ』でやりましょうか?
>
Anneさん! ヒップなWEBサイトなんていわれるとウレシくなりますよ! ありがとう!
>
コーンミールポリッジ! ボブ・マーレーのソウルフードですよね。きっと宣伝しにいらっしゃったんだろうけど、レゲェもトランスもボクは好きなんで何かコラボレーションというかヘルプしてもらえると助かります。
>ところで、その『nataraja』(踊るシヴァ神)の兄弟サイトですが、リンクしているムーンスクリプトのサーバーダウンの影響をもろに受けて昨年暮れからおかしくなっております。ムーンスクリプトは月の満ち欠けがリアルタイムでわかって好きでしたので、そちらの復旧をしばらくは待ちたいと思います。
WebSiteに遊びに来て下さい。 投稿者:CMP 投稿日: 1月 5日(金)07時13分04秒
こんにちは。コーンミールポリッジといいます。私達は野外レイヴパーティーを主催したり、文章やグラフィックなどの作品をネット上で展示したりしています。まだまだこれからのサイトですが、多くの人に遊びに来ていただきたいです。
これまで行なったイベントレポなどもアップしていますので、みなさん、是非コーンミールポリッジWebにお気軽にお越し下さい。
よろしくお願いします!!!
http://www.tk.xaxon.ne.jp/~k2n2/
60年代に憧れて… 投稿者:Anne 投稿日: 1月 2日(火)21時25分12秒
生まれも70年代のAnneでございますが、こんなヒップなWEBがあると、雰囲気に浸れますね。ステキなサイト…。
どんどん充実させていって下さいね。