----体験外記----
旧日向別邸 半地下インテリア 1933

           設計;ブルーノ・タウト 1880-1938
           photo by Internet


  以前からチャンスがあったら見たいと思っていた熱海の「旧日向邸」に、20代の同僚Uが行ってきまして、「今はもう私的には熱が冷めちゃったけど」と言いながら熱く語ってくれた。旧日向邸は隈研吾が少し書いていたのが思い出されるが、海を眺める設定が凄いんだって言っていたが、どう凄いのか内容は解らなかった。旧日向邸自体の写真を見ても(1994タウト展セゾン美術館)よく解らないという印象ばかりが残っていた。今回全貌が解ったし、Uの見せ場の解説が突き出していたので、再解釈に突き動かされたしだい。


google地図
左上が熱海駅、歩いて8分とのことです。海までは直線距離170mといったところです。

*1
中央に見えるのが旧日向邸。木造母屋と前庭とその下にRC架構らしきものが見える。
そのまた下に民家があり、道路があるが、海がみえるはず。結構高さがある。この写真は航空写真のようだ。


断面図による1から3期工事の説明。母屋から地下に下る階段が解る。
  日向別邸は渡辺仁(1887 - 1973)設計の木造で建てられ(1期工事)、崖地のため前庭を清水組がRCで設計施工していた(2期工事)。その地下躯体を利用して半地下室のインテリアを設計したのがタウトと言うことでした(3期工事)。
(見学時配付資料から)
半地下室の立面。床を支えるアーチ型の架構が解る。RCの架構は清水組による。
また立面右から折れるところが洋間の掃出し窓、次が日本間の掃出し窓。
やはりそれぞれの掃き出し窓には手摺りが見える。手摺りはないのかと思っていたが、単純に横バーだけのようだ。


この平面図は地下RC躯体が黒塗りで、室空間がよく解る。地中部分を濃く色塗り、メインのL字型空間を白抜きにしたので、そのマトマリを捕まえやすくなっていると思う。。
室名は下の平面図の方が詳しいが、バッハ・モーツアルト・ベートーベンの書き込みが楽しい。これはタウトが名付けたとのこと。

*2
波線の上が渡辺仁設計の木造住居部分、下がタウトの半地下インテリア部分。

洋間上段が洋間・社交室・アルコーブから引き込まれた空間になっていることを確認しましょう。この奥まった「上段の間」から海を眺める設定なのだ。階段面積は「上段の間」の45%もある。開口は遠く隔てられ、それほど大きくはない、h1900×w3700。1;2。
洋間と日本間が対になっている。和洋並列の時代と言うことか。


*3

*3
アルコーブから廻り階段を見る。この廻りを隈研吾がいたく感心したとのこと。(案内人談)
竹の手摺りに注目。階段をまっすぐ下りてくると左にある格子に突き当たり、曲がってこの円形段を下りる仕組みになっている。
裸電球がつり下げられている。タウトが日本の夜店の体験からきているとのこと。
私も前からこれがかなり引いたが、今は外人建築家の日本趣味と理解でき、受け入れられるようになっていた。かわいいじゃないですか。
床板が工芸品のように斜め貼りになっている。

*4
こちらの天井は矢筈貼りのような貼り方。

*6
タウトが撮った写真です。照明の吊り下げ方がうねっていて、波の喩になっているか。
この写真でタウトはそれを撮ったように感じる。それを感じさせる良いアングルだし、ほかにない。
上の写真には中央通りによけいな照明器具が付いた。

*3
上部が「上段の間」ここから海を眺める。段はベンチのように使うとのこと。この階段は結構なボリュームがある。一番上の段は蹴込み板と床板がぞろ納め。次の段は蹴込みを50ミリ下げている。次はぞろ、次は50ミリ、最後も50ミリ。蹴上げ踏み面はいちいち違う。ぞろのところが背当てになる。座る段の寸法190/475 154/468 階段としては踏み面が広くて上がりづらい。蹴込み板の色2種類になっている。

社交室とは建具によって仕切れるようになっている。欄間は透けている仕様。そしてこの洋間だけは織り上げ天井で大きく真っ白で、間接照明で浮き上がっている。

*3
左側が海。折れ戸が元設計。引き戸が追加されたもの。
向こう側が和室。欄間から和室の天井が良く見えるが、これが筬欄間(おさらんま)。縦格子檜、見付け7ミリ奥行き15ミリすき間11ミリとのこと。

*5
h1900×w3700くらいのようだ。あってもおおよそだがh1900でかなり低い。
当初は内側に付く折れ戸が外部建具だったが、耐久に問題ありと言うことで4本の引き違いアルミ掃き出し窓が付いている。これはひどい。しかたない?
海側の樹木が大きく深くなってしまって、他人の敷地でもあり、現在は海は見えないとのこと。

(配付資料)
階段がベンチのように使える。5段あり、2段目と4段目に座るように、段鼻と蹴込み板がぞろに仕上げられている。左の女性の足元を見ると、ハイヒールを履いているようだ。右の男性は運動靴のようなものを履いているのだろうか。工芸品のように仕上げられた床なのだが、関係ないか。

*5
「上段の間」には家具が据えられている。天井には埋め込み照明で、トップライトではない。壁の横長の白い部分はショーケースのようになっているようだ。階段の大きなボリュームがわかる。蹴込み板に色を付けている。

(配付資料)
和室の開口、海が見える。全面開口になるようだ。手摺りは横バーが見えるのみ。

*3
和室の文机。階段は4段。奥に書院。
1段目と3段目に座るように踏み面と蹴込み板がぞろ仕上げ。

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*3
タウトの自邸の居間。壁の色が旧日向邸 洋間の壁と同じか。同様に段をつけている。

*8

*7
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       タウト「旧日向邸」、吉村「軽井沢の山荘」にからめて

  最後Uにこの旧日向邸の最大の見どころは何かと問うてみました、
この空間について語ってくれました。母屋から階段を下りてきて、アールコーブ+社交室+洋間+日本間という広がり=メイン空間から、階段ベンチを上がって奥まる凹み部分に入る=ここが洋間上段。ここから海を見る視線の在り方について熱く語ってくれました。それはこの階段ベンチで上がっていること、それとともに奥まった凹みによって落ち着く空間になっており、その落ち着きの意識から一人で海を眺めるなら、眼下の社交場が消えて、海のさざ波だけに集中できるのではないか、と言ったのでした。

お−−−、それ当たってるかもしれない。

  私が吉村の「軽井沢の山荘」に見た意識の内面性を保証する空間の設定をUは展開していると思った。軽井沢の山荘では、2階の居間から外を眺めるとき、窓際に立ちながら、身体を外に出さないで、体にとって安定した状態で、かつ浅いバルコニーによって、居間がバルコニーであるかのように錯覚させ、内的意識だけは緑いっぱいの樹間を自在に浮遊できる設定になっていると。この体を外に出さないのに、出ているかのように錯覚させながら意識の自在さを手に入れるということでした。
  ところがここでは体は窓際ではなく、最も奥まった室内の凹んだところにおいて、社交場の喧騒を避ける設定なのだというのです。そうしたほうが安定した意識が確保できると。そのうえで海を見つめること、海のさざ波に違った思いを馳せることができるのではないかと。
  それは窓から大きく引きを取ったが故に臨場感は大幅に失われるが、この窓の廻りの暗がりの中から、光り輝く海の映像が浮き上がって飛び込んでくるということなのです。これぞ光の建築家タウトの真骨頂と言うことなのか。
  そしておまけにここでは人の場=社交場も喧噪として捕らえられることによって、自然だけでなく、人の集団もまた個人の内面性にとっては雑音なのだと。これらの多様な喧噪のもっともっと向こう側に、輝く幻想の海を見ようとしているのではないか。
  ここでは外部の海の喧騒と、内部の社交場の喧騒を二重に避けていると捉えることができ、この比喩は折れ曲がり上昇することによって、二重に守られた空間へと質を転換しているのでした。


  いまいちど丁寧に見ていこう。
洋間の開口は折れ戸を使い、全面開口を目論んでいる。手摺りは単純で、窓の外はバルコニーもなく絶壁であり、海への臨場感は抜群だ。既存の躯体だったからこうするしかなかったのかもしれないが、掃き出し窓の外が崖というのは破格の設定だ。これなら海の自然をめいっぱい満喫できる。この危なさは今では考えられない破格さだ。このころはこれで危なくなかったし、3mくらい落ちても何ともなかった。
そしてこの設定は吉村の「軽井沢の山荘」から奥行きの小さいバルコニーを取ってしまった設定だ。掃き出し窓の先はすぐ崖になっている。このほうがより高さを感じられ、緊張感の中に海を見つめることになる。けれど吉村の山荘は林のまっただ中に、ピロティで軽快に持ちあげられた浮遊感たっぷりの居間だが、ここ旧日向邸は海を見下ろす崖地に、半地下に埋もれた身動きできない鋭い眼差しと言うことになろうか。こう言うサラウンディングからくる感性の前提はどうしようもない決定的な差異として、建築の空間の外在規定として無意識のように通奏される。

  けれどタウトの海へのイメージはここではない。
タウトの内面性は段の上に上がった「上段の間」から、遙か下にある開口部の海を眺めることだ。
確かに横長比率1:2.0ではあり全面開口となるけれど、社交場に立つと、開口上部には大きな垂れ壁があるし、社交場のここだけ白い天井があり意識を明るい柔らかな間接照明に導く。この白い間接照明の天井は海を眺めるにはじゃまだ。タウトは洋間からは海を鑑賞させないようにしていないか。逆にタウトのイメージにあるのは、大きな暗がりの「向こうに」輝き浮かぶ海なのだ。それを洋間の広がりと階段の大きな面積を使った奥行きと高さへと、上昇しながら流れるような空間の導きを通して、見下げた暗がりに海が浮かんでいるようにすることだった。
  この時、洋間の板張りに光る床は、白い天井から反射した広がりであり、それは海の比喩と見えないか。窓から見える海は遠いけど、此床は水鏡と言うことなのではないのか。この仕掛けの周到さは「上段の間」からは白い間接照明の天井は見えない造りになっていることでも知れるのでした。
  この隔てられた海は、この何重もの隔てられ感が=建築の手法によって重層な眺めに変奏されている。これがタウトの海の眺めを間接化=抽象する建築手法ということになる。


  それにしても、ではこの重奏な眺めに、どんなことが暗喩されるのかを問うてみたくなる。
視界をもの凄く狭くして、窓枠を遠くに小さく暗がりの奥に海を見せようとするのは、何を感得させようとしているのだろうか。そう窓辺に立って海を見ることは、その危うい絶壁状態を感じながら、吹きすさぶ風もある外部を実感しながら眺めることになる。だが、上段の間で海を遠くに眺めることは、これらの現実感を間接化し、観念としての風を感じながら、だんだん海そのものも観念の中で想念するものになってくるのではないか。この海の実感を隔てる想念=それはタウトの諦めを表しているのか、断念を形象化したことになるのか。遠く離れて思うだけで、もう良いのだという諦念や、やり直しを意味しているのだろうか。

  それは窓から離れてしまうということが、海から離れてしまうと言うことではあるが、離れたが故に暗がりの視野に、海の明るさが光って浮き上がって見えているということなのだ。この感覚は遠い思い出のさざ波を思い出している=故郷の海を思い出しているような幻影を見たかったのではないか、とついつい思ってしまうのでした。

  ここが吉村の自然まっただ中を幻想したい建築家の内面性と、故郷やこれから何処に行くのかを思う=亡命建築家の自己意識として、思いの違いが、このように建築空間の設定となって表れたのではないでしょうか。

                                 2o13o2o9   mirutake

   *使われている寸法は概略です。
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        補足

  ところで海に向かったこの開口は掃出し窓です。
当初は手摺りとして横バー一本が着けられていたようです。現在はガラスアルミサッシュがつけられています。何たる状態という思いですが、安全のためと、元設計の折れ戸の耐久性が問題になったとのことです。
この掃出しの先はそのまま下の土まで3m位なのですが、この時代はこれくらいの高さでは危ないと考えなかったようで、簡単な一本手摺りの状態なのでした。この間違えば落ちる感覚が、外部への一体感になっていると思われます。ここまでは奥行きの小さいバルコニーさえなく、でも吉村の意識に近いと思う。軽井沢の山荘の、洗面室は手摺りすらない、引き違い掃き出し窓になっています。吉村はこの状態を居間にはやりたくなかったのでしょう。タウトはやってしまったのでした。

  そしてUは「タウト達は靴を履いていたかもしれない」と言ったのでした。
写真を探して、タウト達外人が例のひな壇最上段に籐の机や椅子をセットして談笑している写真を示してきたのです。なんと言ったらいいのでしょうか。日本趣味を理解するタウトにしてが、こうなのですか。いや彼らは床板ばりでも土足が常識なのですね。その時私は「なんだ裸足じゃないんだ」と思ったものでした。それは内面性とは裸で接する自然だと思っていたからでした。少しでも裸に近い状態こそ、求めているものと思っているからでした。
外部からここまで奥まったら素足でいられるんじゃないのという気がしますが。
葛西臨海水族園(1989 )

水 / ガラス(1995 )
  水 / ガラス(1995 )は隈研吾の旅館 (ゲストハウス) です。発表された当時、谷口吉生の葛西臨海公園水族園(1989)の方が早かったので、その「水鏡」のアイデアからきていると思っていましたが、そうではありませんでしたね。ここで取りだしたように、「水鏡」は旧日向邸のタウトからきていたのでした。隈研吾は旧日向邸を書くときに、そのからくりを明かさなかったのだと思えるのでした。
  なお「水鏡」は一般的には水面が鏡のようになることを言いますが、建築界では葛西臨海公園水族園ができてからは、人造の水面に幻想し、その向こうに実際の海が見える設定を言うことになったと思っています。これも建築雑誌の写真で見たときには、なんとたわいもないことと思ったのですが、実物の説得力には感嘆させられました。実物の同じ水面ですから、その水質感が連続性を感じさせてくれるのでした。

  これまで想像力を最大限活用して、タウトの解読をしてきました。
私達日本人は見学では裸足ですが、見学に行っても、この階段にも、「上段の間」にも上がることができません。写真も勿論許されません。こんなことではタウトの天才は誰にも体験されません。本当にこんな事でいいのでしょうかね。(熱海市役所さん)体験できればもっともっと見付けられるのに。



(撮影は禁止で隠し撮りもないので、ネットから集めた資料を使ったHP作成を思いつきました。写真のない語りだけでは とても伝わらないでしょう。出典を明らかにすれば良いでしょうか。)

*1 NPO法人 日向家熱海別邸保存会
*2 建築家ブルーノ・タウト 人とその時代 田中 辰明 (著)柚本 玲 (著) オーム社 (2010/7/31) ¥ 2,625
*3 すむすむ 住まいと暮らしの総合サイト 静岡県熱海市 旧日向別邸 パナソニック株式会社 エコソリューションズ社
*4 熱海市 重要文化財 旧日向別邸ブルーノ・タウト「熱海の家」
*5 NPO法人 日向家熱海別邸保存会
*6 タウトが撮ったニッポン 酒井 道夫、 沢 良子 (2007/2) 武蔵野美術大学出版局 ¥ 1,890 単行本

   谷口吉生 (ウィキペディア)
   葛西臨海水族園 (ウィキペディア)
   隈研吾 (ウィキペディア)
    kengo kuma and associates 隈研吾建築都市設計事務所
   隈研吾建築都市設計事務所 japan-architects
   ブルーノ・タウト (ウィキペディア)
   ベルリンのモダニズム集合住宅群 (ウィキペディア)


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      建築の形象表現は何処まで人間と関係するか

  建築の形象表現は「亡命建築家」を表すことはできません。同じように、「故郷を思う」と言うことも表しているわけではありませんね。空間の二重の設定だからと言っても、表すことはできないです。表れているのは空間が二重に奥まった設定を造っていると言うことです。そのことの意味をどう解釈するかは、感傷的(文学的)意味づけであり、個別の鑑賞者がそれぞれの生育歴の中で、個々の生活から感じた感性的な問題に属す意味づけになっているからです。建築の批評としてはそこまでの解釈は禁じ手でしょう。
  ですが建築の空間を捕らえやすくする為には、建築空間の持つ特性を、一般的に解りやすい文学的な意味づけをしても良いのではないか?という思いも大いにあるのでした。
  そこでこのタウトの空間設定である海を見る場を、何段階にも離して行く意味づけを、ここでは亡命建築家である境遇を思い、この国の、地方の建築言語を使って表現された空間を、故郷を何段階にも離されて行く自己表現として、この悲劇と結びつけた感傷理解をしてみたいと思うのでした。

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*2



     タウトの3段階の空間設定をカメラレンズの画角で表してみる

  それぞれの場所で窓への視野角が違い、上に昇るほど狭くなり、望遠系となる。
室真ん中と、階段の上のベンチ部と、上段の間の奥に座った時の、窓に対する画角を作図してみました。窓の竪横比は1:2なので、解りやすくライカ版の1:1.5でやり直してみました。54度32度21度でした。ライカ版レンズの焦点距離に直すと、24ミリ42ミリ65ミリです。室の中心だと準広角で始まり、段中部で純標準レンズ、「上段の間」で長めの標準レンズと言う結論です。「上段の間」で「注視」に行ってませんから、標準レンズで窓いっぱいに海をフレームできると言うことが確認できた。
  この解読は「上段の間」から窓全体を「標準レンズの視野」=普通の見方=楽な見方で見ることができるという確認でした。カメラレンズの標準という認識仕方を使って「上段の間」からの窓の見え方を探ってみたのでした。

       枝葉の補足
  カメラの世界では、100ミリ(対角線が角24度)で注視の状態、通常の視野で標準50ミリ(46度)で、35ミリ(63度)で形が解っている状態の限界で、この視界の外ではだんだんボヤーと見えている。このボヤーなら180度まであるが、周辺では形はないが色はありそう。けれど動くものだとこの範囲なら感じることができる。体験ではこのボヤーとした視野にも無意識が及んでいて、何かに備える状態になっていると感じる。外部に出て海の観賞をするというのは、注視野以外の視野外にも備えているから、注視していることの集中度が、安全な室内とは格段に落ちていると言うことが解る。(この事が吉村「軽井沢の山荘」で外に出ないで外を見ることが、より良く樹木に意識を浮遊できると言ったことの、眼の生理からの解説と言うことになる。)
  35ミリの画角以上になると、室内を見回してどうなっているかを確認した映像を、超広角レンズの視野で一画面に何枚か貼り付けたということになる。それは脳での室内空間の広がりの認識を、一画面にマトメたものになっていると言うことでもある。


(*35ミリとか100ミリというのはライカ版カメラの交換レンズのミリ数です。35ミリはパースペクティブが落ち着いて見えている最大の広角レンズで、建築写真もこのくらいまでの広角だと安定したカッチリ画面だ。けれどそのくらいの広角では広い空間が入らないので、超広角で撮ることになる。すると畳なんかの竪横比が感覚的に異常に見えてくる。けど、脳はもっと広い見回した範囲を認識しているので、それを一画面にまとめた18ミリ(対角線画角100度)とかの超々広角レンズが必要となる。でもほどほどに20ミリくらいが限度にしたい言う気持ちもある。

  ライカ版カメラレンズの視野とミリ数 対角線 水平 垂直
ぼんやり視野 超広角 魚眼 20ミリ以下  94°84 62  以上 非日常写真
広視野    広角       35ミリ     63°54 38
普通視野   標準       50ミリ     47°40 27
注視野    中望遠     100ミリ     24°20 14
凝視野    望遠       135ミリ     18°15 10
切取り視野  超望遠     200ミリ以上  12°10  7 以下 通常の視角を超えた切り取り

-----追加情報-------------------------------------------------------------------------------

*7
  洋間の断面図が手に入りました。
ビックリです。「上段の間」は、天井高さ1800−2000へと傾斜天井となっていました。断面図に人を書き込んでみると、頭のすぐそばが天井です。そう、視線を下に導くかのような傾斜天井なのでした。その親しく親密なスケール感は、茶室からきているのでしょうか。タウトが「この囲まれたスケール感いいだろう」と、客に談笑しているような気がしてきます。
  また「上段の間」が崖地を切り取って かろうじて作られた、ぎりぎりの大きさになっていることがわかる。この部分をもっと切り取れば切り取れたと言うことも言えそうで、切り取りを少なくしたほうが良いのだと考えたと言えそうに思える。言い方を変えれば、切り取ると言うことがあったが故に、上段とすることや、そこを天井の低い小さな塊にしようと言うことを、思いつけたとも言えそうに思えるのでした。
 けれど実際はおおよそはこのようなRC床ができていたのだろうとは思うのでした。

配付資料

  見学者に配布されたものに、清水組の2期工事になる、RC躯体の図面があって、母屋から下りてくる階段部分の断面図がある。その左側(赤丸したところ)海側にd=760くらいのバルコニーがあり、h=800くらいの手摺りが書き込んであった。えーー、これって、タウトはバルコニーを切り取ってしまったのだ。上記*7の断面図を見ると、d=400くらいしか出ていない。この400しか出ていないバルコニーは、タウトの意識的な創造であることが確認できる。この絶壁にたたずむ海を見る破格の設定をも、タウトは価値としていたのだった。
  すると次には吉村順三の「軽井沢の山荘」のバルコニーの設定も、実はこの日向邸からきている、とさえ言えてしまうことになるのでした。何と外部に感応するバルコニーが、二人の大家に符合が見つかってしまって驚いています。  (寸法は全ておおよそのものです。)

*8
 セゾン美術館のタウト展のカタログから取ってた写真です。印象に残る写真がほしいなーと思って、この写真と下の写真がベストアングルでしょうか。天井面は白い漆喰かと思っていたが、鼠色の漆喰とのことです。すると階段の青いところも同じ漆喰か?洋間だが柱割りを入れて和風趣味にしている。「上段の間」の天井はピッチの細かい竿縁天井だ。「濃いワインレッドの絹張りの壁」*6と書かれている。

*8
  「上段の間」からの海を見下ろす視線の写真。
鼠漆喰の白天井は「上段の間」からの視線では見えなくなる。だから「上段の間」からは床が光り、窓が光る。この斜めの竿縁天井は外部軒天井に見えないか?竿縁は垂木となって、ここは外部ではないかと錯覚に陥る。板張りの床が光って水面を錯覚させないか?それが海への連続性を感じさせないか?鼠漆喰の白天井は床に反射しないか?これらは「上段の間」に立たないと確認できない。と言うことはタウトの天才は誰も確認できないのか。
  この垂木の感覚が外部を感じさせることは、吉村の「軽井沢の山荘」の居間を上部から写した写真を眺めていると、あまりに狭いバルコニーが消えて、居間全体がバルコニーのような錯覚に陥る感覚があったことは述べただろうか。
  和室の海側には手摺りが見えないが?どう理解したらよいのか。和室は座っているのが原則なので、人の重心が低くなっているから、まず落ちることはないという判断があるのか?見学者配布の和室から海を見る白黒写真では手摺りが見えていると思うが、どうしたことか?。


*7 自然な建築 (岩波新書) [新書] 隈 研吾 (著) ¥ 756
*8 ブルーノ・タウト 1880‐1938 [単行本] マンフレッド シュパイデル (著), セゾン美術館 , Manfred Speidel (原著) 中古品の出品:13 ¥445より
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         <参考>タウト ドイツ時代の現存するジードルング
  「タウトは究めて短期間1920年代から1930年代に12、000戸もの集合住宅をベルリンに完成させた。想像も付かないハードなスケジュールをこなしてきた人である。」*2  ドイツ時代に建築家としての地位を確立していた。(take)

*2
ジーメンスシュタット地区ノンネンダム通り賃貸ジードルング 
*2
ヴァイセンゼー地区トリエラー通りジードルング 1925-1926 48戸
(ウィキペディア)
ブリッツの大規模ジードルング 1925-1930 1556戸 407戸タウンハウス
(ウィキペディア)
ジードルング・シラーパルク(Siedlung Schillerpark)
(ウィキペディア)
ヴォーンシュタット・カール・レギエン 1925-1930 33戸
(ウィキペディア)
ヴォーンシュタット・カール・レギエン(Wohnstadt Carl Legien) 1928-1930 1145戸
(ウィキペディア)
グロースジードルング・ブリッツ(Grossiedlung Britz) 1925-1930


ブルーノ・タウト (ウィキペディア)
ベルリンのモダニズム集合住宅群 (ウィキペディア)