いやあ、寒うなりましたなあ〜。なんじゃかんじゃいいながらも、もう十二月。そう、そう、寒うなるはずですわ。まあ、寒い季節となると鍋物が恋しくなりますな。そこで、今月は鍋物でもゴージャスな、『ふぐ鍋』をご用意いたしました。漢字で書くと『河豚鍋』ですわな。ま、現在では高級な食べ物なんですが、この落語が設定されている時代は、随分と違った感じだったようでありますな。

 主人公に出てくる男、名前は大橋さん。まず、大橋さんが久々に知り合いの旦さんの家へやってくる所から話は始まります。このある男の人、名前、しかも苗字のほうが設定されているというのは、落語には珍しいと思いませんか?実は、この“大橋”という名前、故・三代目林家染丸さんの本名、大橋駒次郎から取ってあるんですわ。そういやあ、得意ネタで、ようやったはったらしいですな。この『ふぐ鍋』というネタ自体を作ったのが、二代目染丸氏であるといわれていますので、その弟子である三代目さんが、得意にしてはったんも当然ですわな。ま、この大橋駒次郎という名前、他に『三十石』の、伏見の船宿さんでの帳面付けの場面でも出てくることがありますわ。ちょっと落語では有名な名前ですな、大橋さん。

 久しぶりに旦さんの家にやってきた大橋さん、この前、温泉旅行に行ってきたなんぞと世間話を始めます。この部分、実は原作の時からあったのかどうか、私ははっきりとは知らないのですが、多分、後から後から付け足しで、おもしろくなっていった部分ではなかろうかと推測しています。そこで、旦さんがちょうど一杯飲もうとしていたところなので、大橋さんも一緒にご相伴にあずかることになります。前に出ているのは、鍋ですわ。旦さんは、“食べなはれ”とすすめますが、鍋の中身が何なのか、いっこうに分かりまへん。言いにくそうにしている旦さんの口から、ようよう聞き出すと、これが“てつ”、ふぐですわ。

 昔、関西では、ふぐのことを“てつ”と言うたんですな。今でも、ふぐの刺身は“てっさ”、ふぐ鍋・ふぐちりのことを“てっちり”と言いますな。これは、“下手な鉄砲も、数打ちゃ当たる”の“てつ”、つまり、“弾に当たる”、“たまに当たる”のシャレらしいです。ふぐも毒を持ってまっさかいに、たまに当たって死ぬこともありまんねんわ。しかしねえ、あなどったらあきまへんで。ふぐの毒は、テトロドロキシンなんかいうて、毒でも結構キツイ毒性があって、少量でも短時間で死に至りまっせ。ふぐに当たって死んだ有名な人いうたら、実在の人物では、やっぱり坂東三津五郎、落語の中の世界では、らくだはんですな。三津五郎はんて、京都で食べて死なはったらしいですけど、その京都の南座では、今月、顔見世で十代目三津五郎はんの襲名披露したはりますわ。あら、縁起のエエような、悪いような話してしもうた…。

 話は元に戻りますが、ところが、大橋さん、やっぱりふぐを食べるのは怖い。後は思い残すことがないというような年齢になったら、食べてもイイということ。そんな年まで、鍋煮やして待ってられへんがな。で、コノワタだけは食べまんねん。実は、旦さんも怖くて、誰かが来るのを待っていたということ。つまり、誰か来たら、その人に食べさせて、何ともなかったら自分も食べようとしてたんですな。このふぐ、よそからのもらいもんですが、素人料理ではなく、ちゃんとした料理屋はんが作って持って来てくれたもんと分かっていても、やはり食べたことのないもんで、しかも当たるかもしれんとなると怖いもんですなあ。と、なんじゃかんじゃ言うてると、台所のほうが騒がしいので、聞いてみると、どこぞのおこもはんが来て、お余りを欲しいと言うてるとのこと。つまり、物貰いさんが余り物を恵んで欲しいと言うてやって来たんですな。はじめは、“ない”と断ったんですが、そこは頭のエエ旦さん、一転して、“ある”と言い出して、このふぐをおこもはんにやります。

 つまり、おこもはんが食べて、何ともなかったら、大橋さんと二人で食べようという計略ですな。で、このおこもはんの後を見え隠れにつけて行った大橋さん、おこもはんがなんぞ食べるのを見て、安心して帰ってきます。体が温もったとみえて、食べた後にはうつうつとして寝ていたのを見届けてきたんですわ。しかし、一歩間違えると死んでしもうたんとちゃうやろなあと言い合いながらも、安心して二人で食べだすことにしますわ。と、箸でふぐを持ち上げますが、二人ともなかなか口へは入りません。ようようのことで二人一緒に食べると…。これがウマイ。ウマイ、ウマイと、どんどん食べていきます。この鍋の中身を食べる演者のしぐさ、寒い季節に見ると、よろしいなあ〜。ふぐはもちろん、白菜にネギに豆腐、あたかも本当に食べているように見えて、見ている側もあったかくなるように思えますなあ。

 最後は雑炊にして、お腹いっぱいで二人とも満足している所へ、さっきのおこもはんが、再びやってきます。こら、どうもおいしかったんで、もう一度おかわりをと言うて来たんやと、旦さんは追い返すように台所のほうに言いますが、今度は庭にまで回ってきますわ。“旦さんがた、先程のは…。”“もう、あらへんがな。食べてしもうた。”“お体のほうは?”“何ともないがな。”“それでは、私も十分に安心して、帰ってゆっくりと頂戴をいたします。”と、これがサゲになります。つまり、大橋さんは食べたと思っていたんですが、おこもはん、ふぐは食べんと待ってたんですな。で、二人が食べたかどうかを聞きに来たという、一杯食わせようと思ったら、逆に食わされてしまったということですな。しかし、なかなかよう出来た、おもしろいサゲでんなあ。

 上演時間は、十五分ぐらいから、二十五分ぐらい、だいたいは短いネタで、二十分前後でまとめられるみたいでありますな。笑いも多いので、落語会・寄席ともに冬にはよく演じられるネタでありましょう。実は私、最初から二人でふぐを食べる所あたりまでの大橋さん、なぜか太鼓持ちを連想してしまうのですが、失礼ながら、太鼓持ちの息子はんが大学を卒業してというのも、一昔前にはあんまり考えられないようにも思えますし、そこは、太鼓持ちのような、太鼓持ちでないような…。しゃべりからすると、母屋と出入りの職人という関係でもなさそうですし…。ちょっとなんともいえん関係ですな。旦さんは、お世話になっている人、というぐらいの所でしょうか?ま、にぎやかに、陽気な大橋さんのほうがよろしいわなあ。最大の見せ所・笑い所は、最前に言ったように、演者がふぐをはじめとする鍋の中身を食べて見せるところと、サゲでしょうなあ。おいしそうに見えますし、また、サゲが意表をつかれるもんで、おもろいでんなあ。

 確か、ふぐは豊臣秀吉公の時代以来、毒があるので、公には食べるのが禁止されていたはずですが、明治に入り、伊藤博文が、かの有名な下関の春帆楼でふぐを食べ、禁止令が解かれたという話を聞いたことがありますわ。ちなみに、下関なんかでは、"ふぐ”ではなくて、“ふく”と呼ぶらしいですな。これは、ふぐが不遇に通じ、ふくが福に通じるとかなんとかいわれてるからみたいです。それはさておき、まあ、そのへんの話からすると、やはり、明治・大正なんかの時代には、結構嫌がって、絶対に食べないという人もたくさんいたのでしょうなあ。今では、ふぐ調理師の免許がなければ、素人では料理して食べられず、大昔に比べると、調理法も改良されていますので、嫌がったはる人はごくまれですけども、やっぱりいはりますわなあ。というよりも、高級魚すぎて、食べたことがないという人のほうが多いかもしれませんが…。“乙ですと 言うがふぐには 手を出さず”という川柳の意味も、昔やったらよう分かったんですな。とにかく、そんな昔の気風がよく映し出されているこのネタ、私は大好きなネタであります。

 所有音源は、故・三代目林家染丸氏、故・桂小南氏、笑福亭松喬氏、故・桂吉朝氏、林家小染氏などのものがあり、他に故・笑福亭松葉氏(七代目笑福亭松鶴)などのものを聞いたことがあリます。染丸氏のものは、そんなにしつこい笑いの取り方ではないのですが、何ともいえんおかしみがありますなあ。大橋さんのにぎやかさもウマイのですが、それ以上に旦さんの太っ腹でいながらも、ちょっと小心者という、ちょっとした家の旦那さんという感じがいかにもよく出ていますな。実は、私、染丸氏のものを聞いてはじめて、本来はこういう風なネタだったのかと思い知ったのでありますわ。ちなみに、関係はありませんが、坂東三津五郎という名前、この方の『源兵衛玉』の中にギャグで出てきます。小南氏は、結構東京では得意ネタとして演じておられたようですね。寄席で演じるには、演じやすい時間ですし、笑いも多く、サゲも意表をつかれますもんね。この方のは、大橋さんではなくて、太鼓持ちの茂が旦さんの所へやってくる設定で、なかなかおもしろい描き方でした。松喬氏のものは、鍋料理がより一層おいしく感じられるためか、大橋さんの来訪が寒い夜の設定で、やはり松喬氏自身が、結構な料理好きとみえて、ふぐがおいしそうですなあ。吉朝氏のもの、この大橋さんの温泉旅行の話の部分、お土産のオチが赤福に落ち着く所なんか、腹を抱えて笑えますわ。また、骨付きのふぐの身がおいしそうですわな。小染氏のものは、やはり大橋さんが陽気で楽しく、また、鍋物を食べる所がいかにもおいしそうですなあ。松葉氏のものも、やはり大きい白扇を箸にして、ふぐの身を食べるあたり、なんともおいしそうに見えていました。

 とにかく、冬には年に一度必ず、ふぐ鍋を食べたいのではありますが、我々庶民にとっては、年に一度、『ふぐ鍋』を聞くだけでも、十分なごちそうになりまっせ〜。

<13.12.1 記>
<17.12.1 最終加筆>


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