先月、三月九日に、桂文紅氏が七十二歳で亡くなられました。また、十二日には、桂文枝氏が七十四歳でご他界されました。そして、二十九日には、林家染語楼氏が、五十四歳という若さで。ご冥福をお祈りいたします。お三方共、最近まで、お元気なお姿を拝見しておりましたので、非常に残念です。特に、文枝氏のほうは、テレビにも、よく出てはったんでね。今月は、まず、文紅氏の遺徳を偲びまして、お届けしたいと存じます。

 文紅氏、師は、故・四代目桂文團治氏。お古い時代からの噺家さんでしたが、一方で、創作意欲も旺盛、青井竿竹てなお名前で、構成なんかもしてはったと、新聞の死亡記事に載ってましたけど、残念ながら、わたしゃ、その時分のこと、ほとんど知りませんねやわ。テレビとか、ラジオにも、時々、出てはったみたいなんですけどね。私の記憶では、もう、古老の、じっくりと語られる域でしか、知りませんねやが。それでも、好きな噺家さんやったんですよ。病院出たり、入ったりしながら、肝臓悪いのに、『肝つぶし』とか、やってはってね。笑福亭鶴瓶氏なんかも、文紅氏とこへ、よう通うてはったと聞いてますが。とりあえず、今月は、その追悼の意味を込めまして、『鬼あざみ』をお届けいたしましょう。『鬼薊清吉』ですな。

 ここにございました、お子達、清吉と申しますが、おかはんのお政はんに銭くれて。しかも、一銭・二銭やない額。そんなお金、どないすんねて聞くと、芝居見に行くねやと。それやったら、芝居見るだけの銭をあげると言いますが、寿司買うて食べるので、そんなけ要ると。そんな芝居行きやったら、おとっつぁんが休みの日に、連れて行ってもろたらエエ、お腹すくねやったら、家で御膳食べてから、芝居見に行きなさいと諭します。こら、尤もなこと。すると、どうや、この清吉、「ご飯は、三つの時から食べてる。継子やさかいに、我が子の口をひじめるのやな。」と、家飛び出して、道の水たまりに自分から入って、着物をドロドロにしてしまう。

 話変わりまして、こちらは父親の安兵衛さんのほう。商売は出仕事とみえますが、どこぞで一杯飲んでの帰りがけ、長屋の路地口へかかりますと、泣いてる子供がある。よ〜く見ると、これが清吉。言うのには、おっかさんが、子供にご飯食べさすのもったいない、勝手にご飯よそうて、食べようとすると、お膳ひっくり返して、折檻したと。それで着物が汚れてるて。何にも知らん父親、家主の坊ちゃんは、着替える着物がぎょうさんあるけど、お前は、これ一つやねぞと、子供を連れて、家に帰ります。まず、お仏壇を開けて、お灯明を上げさせると、三つの位牌。この一つが、清吉を産んだ母親の位牌やと。今まで生きていたら、三度の御膳は、三度ながらいただけますと、おっかさんに言えて。けったいなこと言うもんでっさかいに、お政はん、さいぜんのいきさつを言いますが、父親は信じるどころやない。近所で聞いてくれと言うても、“子供正直”ということがあると。後妻さんだけに、なんぼ言い訳しても、口ごたえに聞こえる。さあ、これからは、おきまりの大立ち回り。喧嘩ですな。

 しかし、この喧嘩、止めに入るもんが誰一人としていてへん。この子にかかっては、皆、どうしようも、こうしようもないのが分かってまっさかいに。ところへ、通りかかったのは、この家の家主さん。事情は十二分に知りすぎるほど知っておりますので、引きずるようにして、安兵衛を自分とこの家に連れて帰る。酔うてるもんでっさかいに、板の間へゴロッと寝かして、布団を着せておく。しばらくして、目が覚めると、家とは違う様子。家主さんの家と分かり、すぐに帰ろうとしますが、そこは戻せへん。家主さんからのご意見。

 清吉、この家主さんの店に並べてある品物、一つ・二つ、持って帰る。子供のことやからと、放っておいたんやが、近頃は、銭函から、銭を取って帰るねやて。こらもう、立派な盗みですな。しかし、これも、人さんの子供さんと思やこそ、安兵衛さんにも言わずに置いた。段々悪うなってきて、路地角に出る、しがらき餅屋の店の足を縄でくくって、角曲がった所まで引っ張ってくる。十人ほどの子供集めて、グッと引っ張ると、店がひっくり返る。しがらき餅屋が、怒って子供追いかけてる間に、清吉が出てきて、売り上げから、しがらき餅から、砂糖まで、すっくり盗んでいくねやて。こら、盗人一人前になってきた。しがらき餅て、もち米かなんかを棒状に固め、適当な大きさに切って、きな粉とかがまぶしてあるもんやったと思います。最近は、あんまり見ませんわ。多分、“信楽”の字を当てるんやと思いますけど、何でまた、信楽なんやろ?かわいいと思やこそ、他人の飯を食わす。つまり、堅いとこへ、奉公へ出したらどやと。今ならまだ、直るかもしれん。このまま放っておいたら、ろくなもんにならん。その気があるねやったら、お世話させていただきますと。こら、もっともなご意見。こんな話、ちっとも知らんかった安兵衛さんだけに、随分と考えてる様子。お政はんほど、エエ奥さんないでと、家主さんに言われながら、家へと帰ります。

 清吉が寝てると聞くと、表の戸を閉めさして、出刃包丁を持って、子供の元へ。自分で産んだ子やないだけに、私が殺したも同然と世間から見られると、お政はんは止めますが、無理矢理に振り切って、殺そうとします。しかし、そこは、自分の子供のこと、そう簡単には殺すことがでけん。そらそうです。この部分、よう分かります。夫婦が夜明かしで相談をしますが、さいぜんの奉公の思案しか思い浮かばん。そこで、家主さんに頼んで、清吉を奉公に出します。

 その後は、安兵衛もお酒をたしなめまして、誠に夫婦円満。十年後、頃は六月半ば、旧暦でっさかいに、暑いさなか。立派な風をして、どこぞの旦那さんという感じ、家主さんの家の表に立ちました方がある。聞いてみると、なんとこれが、あの清吉!家へ帰る前に、先に家主さんの所へあいさつをしに来るなんぞは、やっぱり、奉公はせんならんもん。礼儀ですな。しかし、そら家主さんにしてみると、先に家に帰ってやれと。というのも、奉公へ上がって、三ヶ月もせんうちに、安兵衛はんは、この家主さんから、奉公先に安否を聞いて欲しいというほどまで。しかし、里心が付いてはいかんと、そっちから連絡が来るまで、放っておいた。一昨日でも、清吉は死んだもんか、生きてるもんかと、心配してたて。十年の音信不通の後、やっと、今日という日が来たということ。立派なもんで、手土産の一つも渡しまして、また、後で、冷や素麺でも食べにおいでと言う言葉を背に、自分の家へ。

 この日、安兵衛さん、仕事休みとみえまして、表に縁台出して、裸に越中ふんどしひとつで、一杯やってた。そこへ現れました清吉、「お父さん」と言いますが、なかなか分かってもらえません。「お政、誰や来てはるで。着物を…」と言うてるところへ、お政はん、家から出てきて見ると、清吉。どこぞの旦那かいなと思うほど、立派なもん。「家主さんにあいさつに…」と安兵衛は言いますが、もう行って来たと。土産持って行ったと聞いて、「なんぼほどのもん?」て、ここら、上方らしいですな。家へ上がりますと、もう安兵衛、うれしさのあまり、目も見えたない。そこらとり片付けて、行水をすすめますが、それよりは、横町の風呂屋へと、お政はんが言います。安兵衛の着物と着替えまして、盗まれたらかなんので、下駄も替えまして、表へ。出たら出たで、うるさいもん。溝蓋にハネ上がるとか、病犬がいるとか、八百屋の荷に当たるので危ないとか…。

 しかし、そう安心ばっかりはしてられへん。お政はんが言うのには、清吉の着物、相当高いもんやて。どんなエエお家でも、奉公人にそんなエエもん着せる家はない。ちょっと怪しいので、紙入れを見つけて、開けてみると、小判がいっぱい。そこへ戻ってきたのが、清吉。安兵衛さん、表の戸を閉めさしまして、何を思いましたか、自分のそばへ引き寄せますというと、「おのれはな…」と、ここで、『四つの袖』なんかの、下座からお囃子が入りますわ。まだ、盗人根性が直っていないのかと、手を合わしてまでも、真人間になってくれと、涙ながらに訴えます。と、今度は、清吉のセリフ。これも、音が入りまして、実は、奉公も、すぐにやめて飛び出し、さまよい歩いたその後に、東の土地で、“鬼あざみの頭”とか、“兄分”とかいわれ、到底、仲間の手前も、改心できず、今日は、暇乞いと共に、勘当をしてもらうためということ。さいぜんの紙入れの金は、安兵衛にあげるためだったと。もちろん、そんな金、この安兵衛さんが受け取ろうはずがない。放り投げたのをしおに、清吉も出て行きます。

 と、これを苦にしまして、お政はんが寝込んでしまい、とうとう亡くなる。三年後に、越中橋から身を投げようとする安兵衛を、偶然にも通りかかった清吉が、抱き止めるということになる。盗みはすれど、非道はせず、貧乏人に施しをする義賊というものですが、三十二歳で刑場の露と消える。“武蔵野に はびこるほどの 鬼あざみ きょうの寒さに 霜と枯れゆく”という時世の歌を残した。つまり、鬼薊清吉の生い立ちの物語ということで、終わりとなりますな。

 この話自体にサゲがあるのか、ないのか、私は、はっきりと知りません。また、この出て行った後に、実際に身投げをする場面があるということなんですが、それも聞いたことがないので。たしか、桂米朝氏が、何かの時にやってはったとは、聞きますねやけれども。また、奉公している間の話があるとも聞いておりますが、それも、実際には聞いたことがありませんので、私風情が、言う資格はございません。また、詳しくご存知の方は、ご一報でも。

 上演時間は、二十分前後、そんなに長いものではありません。全部やると、長いんでしょうかねえ?笑いはそんなに多くありませんが、人間の情というものを考えさせられる気がしますね。ですから、寄席の番組の中でも、ちょっと引き締まった感じの一席といおうか。というのも、このお話、前半部分は、『双蝶々』の冒頭、後半部分は、『薮入り』と、えろう変わりませんねやわ。特に、『薮入り』のほうは、もうちょっと明るい感じで、最後には、お金がネズミの懸賞金とか、また、お金を出さないで、サゲなしにされたりする場合はあるんです。全く一緒ではあるんですが、雰囲気が全然違うというか。どっちが先に作られたんでしょうね?

 冒頭部分、清吉とお政はんとの会話から始まりますが、ここは、路地口にしゃがんでる清吉を見つける安兵衛さんから始まるものもあります。我々、聞き手は、後者のほうは、最初は、子供が正しいと思っていますが、実は、お政はんのほうが正しいというのが分かる所で、“アッ”と思いますね。その点では、効果的なのでしょう。この仏壇の中の位牌を見せるところなんか、一昔前の、どこの家でもあったような、叱り方やおまへんか。そこへ持ってきて、継母やということでね。割って入る家主さん、なかなかの器量人。こういうエエ人が、近所にいはると、助かるもんです。前半部分は、本当に、笑いとてございません。

 ですから、小拍子で見台を叩いて、十年後のところで、手紙のギャグが入っているのかも分かりません。“お急ぎの手紙を、小拍子の上に載せてもろたら、ソ連でも、満州でも、すぐに行きます。返事は、来るやどや、わかりませんけど。”いうやつね。後半は、我々、聞き手も、“立派になって、戻ってきはって、良かったなあ。”と、細かい笑いで、なごやんだ後に、これまた、元へと戻る。親というものはありがたいもんで、意見はするが、やっぱり、真人間には、戻れへん。そこで金をつき返して、清吉が出て行くと。この辺は、複雑な心境でしょうなあ。自分の子供が泥棒になってるて。この清吉、正体が現れてからの、ちょっとヤクザっぽいものの言い回しと、それまでの、律儀なものの言い方、この辺の違いは、聞いていて、よく分かるほどに、演者の方の心得もあるんでしょうな。

 東京でも、演じられているんでしょうか?私は聞いたことがございませんが。『双蝶々』、『薮入り』のほうは、もっぱら、東京が中心ですね。ただ、『鬼あざみ』自体、上方でも、珍しい話ですしね。そら、第一、笑いが乏しい割りに、演者としては、難しそうですし。説明の、いわゆる地の部分が多いように感じられる話ではありますしね。わたしゃ、個人的には、好きなんですけれども。

 所有音源は、冒頭に述べました文團治氏と、文紅氏のものがあります。文團治氏のものは、やはり、引き込まれていきますよね。多分、朝日放送の“上方落語を聞く会”のものだったと思いますが。講談もやってはった方だけにか、ホンマ、話に入ってしまいますわ。メリハリもきっちりとありまして、最後の、安兵衛のセリフや、清吉のセリフなんか、非常に芝居がかって、何か、昔の新国劇かなんか見てるみたいで。“やにこい”とか“わらんじ”というような言葉、あの当時やったら、普通にしゃべってたんでしょうなあ。文紅氏も、その師匠譲りで、つい、話に身が入ってしまいます。たしか、去年か、一昨年ぐらいの、NHKの“上方落語の会”かなんかの様子をテレビで見ましたが、今でいいますと、もう最晩年やったんですな。しゃべりにくそうにはしておられましたが、きっちりとメリハリのある、イイもので、四十分ぐらいしゃべってはったん違います?

 ちなみに、この鬼薊清吉のモデルは、鬼坊主清吉という泥棒らしいですよ。これも、あんまりようは、知りませんねやけども。それに、『十六夜清心(花街模様薊色縫)』の芝居の中にも、鬼薊清吉さん、出てきはりますよねえ。ま、俗説とは、こんなもんでっしゃろか?とりあえず、文紅師匠、『さらしくずし』で、安らかに。て、派手過ぎるてか…。

<17.4.1 記>


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