夏海来路 namikimiti

わたしは生まれた時から造船所街で育ちました
父親も造船マンで、物心付いた時から進水式のテープや紙吹雪き舞う中に
楽団の演奏と共に滑り行くタンカーを大勢の人たちと見送ったものです。
 そういう造船所の近くにはその鉄を成形するための溶鉱炉があり、
その溶鉱炉等の為の耐火煉瓦を作る煉瓦会社がありました。
小学校の登下校は正規の通路を使わず、もっぱらその「不思議の國」である
煉瓦会社の中をうろうろしながらの日々でした。
 ある時は煉瓦のくずの山の中にある、色ガラスの溶けて混ざり合う煉瓦をみつけだしたら、
それはもう「大航海時代の英雄たち」の世界でした。
そのまた側にあるごみ捨て場には当時流行った牛乳瓶のふたや飲料水の金属蓋が
ごろごろ・・そこはわれわれが見つけた黄金の国でした。
ある時そこで500円札を見つけた僕は「わあーーああ!500円札だ!ーーー」
という声をだすやいなや、文字どおり大乱舞の主役となったのでした。
そのあと、その話が母親に知れ、「あのお金はどうしたの?」と
問いつめられました。拾った事は伝わってなかったので、みょうに勘ぐられました。
また勝手に「猫ばば」したという大罪を知らされました(笑)
その煉瓦会社は海に面しいつも溶鉱炉の石炭の積み卸しを見る事ができました。
またその廻りの下請け造船所や大手の造船所のドッグやプラント制作の為作業員
でにぎわっていました、その人たちの使用するカイの付いたおんぼろ舟が
捨てられていたので、我々はそれに乗って大海(笑)に出る事にしました、
ところが、その日は風が強く前に進もうとすればするほど沖に流されていきました、
何時間も何時間も悪戦苦闘して、船長である私が下した最後の決断は
このまま流されて湾を出る手前で橋の橋脚に近づき脱出するというものでした。
なんとか無事に作戦に成功したわれわれは、そこから、膝まで泥につかりながら岸にたどりついたのでした。
その時あたりはほとんど暗くなっていました。
帰宅した私はたっぷり説教され・・・同行の勇士の兄妹(となりの)とは
それっきり遊べなくなりました・・・。
あれから長い月日がながれ、海岸も形を変え、永遠に広がっていたはずの
煉瓦会社は造船所の相次ぐ倒産によりその後 更地になりました。
我々の頭上で我々の航空隊であった「トビ」の鳴き声もいまは無く、
雨の降ったあとの水たまりに出来るかえるの卵も今は去りました。
思えば、あの時を最後に私は、こちらの大人の世界に来たように思います。
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