「もののけ姫」を観て

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はじめに 1997/09/25
宮崎駿監督と「もののけ姫」 1997/09/25
アシタカ 1997/09/25
カヤ 1997/09/26
シシ神 1997/09/26

はじめに
 私が、「もののけ姫」を観たとき思ったのは、どうもすっきりしなかったということです。もちろん感動しましたが。 はっきり言って、この映画はこういうことを言わんとしたものだと偉そうに言うことはできないように思えました。 全体としての感想を説明しにくいのです。 この映画は、娯楽映画とは言えないかも知れません。見終わった後、すっきりといい気分で帰れて、 何の疑問もわかないという作品ではありません。 大きな問題に対して、安易な結末をつけていい気分にさせ、その問題を忘れさせて私達を映画館から帰して しまうようなことは決してしません。

 私は、「もののけ姫」をいっさいの予備知識なしで観ました。それは、純粋に感動することができたという意味で、 幸運であったと思います。 ここには、私個人の「もののけ姫」を観た感想を書いてみたいと思います。 文章を書くのは苦手なので、読みにくいかも知れませんがご容赦ください。
宮崎駿監督と「もののけ姫」
 宮崎監督は、ナウシカやトトロで、自然に優しいジブリというブランド化ををとても嫌がっていたようです。 また、「もののけ姫」時代設定は室町時代ですが、従来の領主と武士と農民しか顔を出さない時代劇のイメージ を払拭したかったようです。

 「もののけ姫」において最も重要なテーマは、自然と人間との関係であると思います。 人間がよかれと思ってやってきたことが、自然破壊など大変な問題を引き起こしています。 それをただ、人間が悪いと片付けるには、問題が複雑すぎて収まりがつかないでしょう。 自然を守る人にも、破壊する人にもそれぞれの理由があり、善悪の判断がはっきりとつけにくいのです。 環境や状況の変化によっては、善も悪になり、悪も善になるのです。 しかし、この問題に今、取り組まなくてはいけないという考えに宮崎監督は至ったのでしょう。 複雑にこんがらかった部分を切り捨てて、善と悪だけを見ようとしても、物事の本質はつかめないでしょう。 善悪の判断がはっきりとつけられないところに、人間の抱えている問題の難しさがあります。 「森とタタラ場が争わずにすむ道はないのか」とアシタカは言います。 しかし、その道は簡単には見つからないでしょう。 「もののけ姫」においては、その問題がこんがらかったまま提起され、結局それが解明されないまま作品として 提出されています。

 この映画は、見る人によっていろいろな解釈の仕方ができるでしょう。宮崎監督も、それぞれの感じ方で、 この映画を感じてほしいと考えていると思います。宮崎監督は、大きな疑問を私達に投げかけました。 その答えは、宮崎監督のみぞ知ると言いたいところですが、本人も答えは分からないのではないでしょうか。 結局答えが出ないまま映画は完成しました。しかし、そこには宮崎監督が真摯に悩んだあとがみられます。
アシタカ
 シシ神の池で、サンから食べ物を口移しされるシーンがあり、そこでアシタカは涙を流します。 アシタカは、呪いを解く方法を探すため、東から旅して来ましたが、シシ神は、傷は治してくれましたが、 呪いは解いてくれませんでした。また、体は、食べ物も噛み砕けないほどに弱っていました。 その悲しさから涙を流してしまったのでしょう。他の解釈もできますが…。 劇中では、とてもかっこいい活躍を見せるアシタカが、唯一弱さを見せるシーンと言えます。
カヤ
 カヤ(声:石田ゆり子)は、アシタカのことを兄様と呼んでいましたが、実際の妹ではないでしょう。 宮崎監督もそう言っています。 映画の中では、「一族の長となるべき若者」と言われていて、 将来の村を背負ってたつ若者がアシタカであったことは確かだと思います。 だから、きっと村の若い女性達からは、兄様と呼ばれていたと予想されます。 また、アシタカが旅立つ時に、カヤがアシタカに渡した玉の小刀(黒曜石の刀)は、女性が嫁ぐときに、 異性に変わらぬ心の印として贈るものであったそうです。 そうだとすると、あのシーンも、そしてその黒曜石の刀をサンに贈ったアシタカの行動というのも感慨深い ものです。
シシ神
 シシ神は、エボシ御前の石火矢によって首を飛ばされてしまいます。 生と死を司る神様なのに、人間にやられてしまうのは何故でしょうか。 シシ神は、森を象徴するものでもあります。この時代あたりから、人間の手によって、森は変えられ、 コントロールされるようになってゆくということを暗示しているのかも知れません。

 サンは、「シシ神様は死んでしまった。」と言います。 アシタカは、「シシ神は死にはしないよ。命そのものだから。」と言います。 これは、どういうことでしょうか。深い森は、元には戻らず、明るく浅い森になってしまいました。 これは、現在の日本の森の姿です。昔、森の中に住むと言われた神々は、形を失い命として私達の心の中に 生きるようになった、ということを象徴する言葉なのではないでしょうか。

 冒頭の、「昔 この国は 深い森に覆われ そこには太古からの神々が住んでいた」という一節が、もし 映画の最後に流れたとしたら、心に訴えるものが大きかったでしょう。

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