ホン・サンス監督に聞く
「オー!スジョン」
これは2000年11月8日、東京国際映画祭コンペティション部門に参加した『オー!スジョン』上映時に行われたホン・サンス監督によるティーチ・インの採録です。韓国語の同時通訳は本編の字幕も担当した根本理恵氏。ホン・サンス監督の発言は根本氏がその場で翻訳したものです。観客からの質問・監督からの回答とも語尾修正などを行っています。




[上映前あいさつ]

本日は皆さまにお会いできて非常に嬉しく思います。この作品は平凡なカップルの愛の物語が描かれています。その男女のカップルのふたりの間で記憶のズレが生じる、そういう姿を描いているのですが、ふたりの間の記憶の細かいズレを新たに再構成したようなカタチで映画にしてあります。その点を念頭においてご覧いただければと思います。どうもありがとうございます。






[上映後ティーチ・イン]

(司会)寒いんですか?
(監督)大丈夫です。


Q1
おもしろい映画ありがとうございました。この映画、全部白黒になってたんですけど、白黒でやったという、その理由は何なんでしょうか。

まず最初は、この作品は記憶に関する映画です。白黒というのはけっこう記憶をイメージする時に有効だと思います。私たちが映画を作るときに、あるいは映画を見るときに、よく記憶の場面というのは白黒で描かれたりしますけども、記憶と白黒というのがぴったりするような気がいたしまして、白黒を選びました。
そしてもうひとつは、この中には、いろいろな台詞とか行動、小さな台詞や行動が出てきますけども、それを見ている方が逃さずに、まるでそれらの台詞や行動が見ている方の心をとらえるような効果もありました。これは前半と後半では記憶のズレが出ていますけど、カラーの映像ですとあまりにもたくさんのインフォメーションを皆さまに提供してしまいますので、そのインフォメーションを少し減らすことによって、やや内容が単純になるという風に思いました。そして単純になることによって、小さな台詞や行動がより見ている方に伝わるように、その助けになるような効果を狙って白黒を選びました。


Q2
ふたつほど聞きたいんですけど……
まずひとつめは、物語が二順すると思うんですけど、一順めと二順めの簡単な差と言うのか、違いを聞きたいのと、
もうひとつは、タイトルも「オー!スジョン」というように人の名前で、本編中にも名前ということに関してふれる台詞・会話が何度かあって、最後のベッドシーンでも「君はオ・スジョンだよね、君はオ・スジョンだよね」と確認するところがあったんですけど、名前というものがどういうこととして使われているのか、お聞きしたいです。

いろいろな記憶のズレに関しましては、前半と後半で特に決定的なズレというものはありません。小さな一つ一つの、本当に些細なズレが、大切になってくるというような気持ちを持っております。
ふたつ目の名前についてなんですけど、私たちはよく記憶を語るときに、けっこう名前についてふれることがあると思います。例えば誰かの名前を覚えていないですとか、あとは、よく名前は非常に大切だと思う人たちもいると思うんですけど、それを覚えているかいないか、名前を忘れてしまったことでケンカをしたり……で、この映画の最後にも、ベッドの中で名前を確認したりとか出てきますけど、記憶をたどっていって記憶のズレを見せるというときには、名前と言うのはひとつの重要なアイテムになると思います。





Q3
こういった手法は、つまりひとつの事実をなぞらえ直すとか検証し直すというのは、法廷モノでよく使われていて、僕は「12人の怒れる男」を連想したんですけども、主人公のスジョンは、彼の方が思っているよりも、自分のことをね、悪い女の子だと持っているところがあると思うんですけども、彼の方は、処女だって告白されたのをかなり深くとらえすぎていて、実際の彼女よりも、ちょっと美化しすぎているところがあったと思うんですけど、最初の方に出てきたエピソードが彼の記憶で、後から出たのがスジョンの記憶だと思うんですけど、前半が錯覚で後半の方が事実に近いのか、それとも単に二人の違いを描いただけなのか、お聞きしたいんですけど。

どんな事実も、人の行動である以上、それは誰も証明することができないと思います。起こりうるすべての事態というのは、人が受け入れたかたちで存在していますので、誰が合っているとかいないとか、という問題ではないような気がします。

それは、唯識論的な考え方で、世界はひとつなんではなくて、それぞれの人の心の中に世界はそれぞれ存在する、ということなんでしょうか?

はい、私もそう思います。私は、絶対的な事実というものはないと思います。存在するとしましたら、すべての人にひとつずつ、事実というのがあるというように思います。


Q4
ちょっとわかりにくかったんですけど、シーンシーンで数字が入ってきますよね、あの数字はどういう意味があるんですか、前半と後半とそのシーンを入れ替えると話が通じるという構成になっているのでしょうか、ちょっとそこを考えたんだけど……どういうことなんでしょうか。

これにはふたつくらい理由がありまして……
ひとつは、同じことを比較していただく上で、非常に役に立つのではないかと思ったことがひとつです。それからもうひとつは、私の映画のシーンの中で描かれている場面・行動というのは、きっと映画の中では、あまり重要なモノではないと思います。言ってみたら取るに足らない、非常に軽い場面なんですけれども、その軽さを数字を出すことによってより誇張できるのではないかと思いました。そして、ひとつずつ段落を区切るようなかたちで、大きな数字を前面に出して内容を見てもらうと、より軽いというような気持ちを抱いていただけるのではないかと思いました。


Q5
大変おもしろく拝見しました。細かいところなんですけど、後半の部分で、スジョンが電子オルガンを演奏する曲があるんですけど、あれは『パピヨン』という映画のテーマ曲じゃないかと思うんですけど、えーと、スティービー・ワンダーかどうかまではちょっと記憶がないんですけど、あの曲を使ったことについて何かあれば教えてください。

これは説明するのがなかなか難しいことなんですけども、この曲は撮影している途中で決めた曲です。で、『パピヨン』の主題歌を入れることによって、その映画を連想させて何かをシンボリックに描こうといったような意図はまったくなくて、何か曲を弾かなければいけないんだけど何にしようか、と思ってパッと前を見たら、ちょうど楽譜にその曲が載っていたので、撮影の途中でその曲を入れることにしました。見ていただく方にはどのように映るかはわからないんですが、作り手の私としては、あの曲を入れて非常におもしろかったです。で、あの場面では、スジョンさんはもうすぐ会社を辞めて結婚するというような立場なんですけど、言ってみましたら過去から抜け出すような、そういう立場で彼女はあの場面では登場していました。で、ちょっと私としてはあぁいった場面を入れる、あの曲を入れるというのは、半分はちょっといたずら心のようなものはありました。






Q6
ふたつ質問がありまして、まずひとつは僕の知識不足かもしれないんですが、韓国では性の表現に関して非常に検閲が、えー、けっこうカットされる事が多いって聞いたのですが、もしそうだとしたらこの映画というのはどのオーディエンスに向けて作られたのでしょうか。
で、もうひとつが……最後の場面なんですけど、二人が結ばれてとても幸せにハッピーエンドで終わったと私は受け取らせていただいたんですが、監督さんの意図としては、あの部分と言うのはあくまでスジョンさんの方からの見方なのか、それとも全体としてのハッピーエンドなのか、どちらをお考えなのかをお聞かせいただきたいと思いました。

えー、検閲する人たちの基準と言うのを私は信じていませんですので、ま、とりあえずなんとかパスをすることだけを考えて、作っております。で、韓国では、たとえば全身すべて脱いでしまってはいけないとか、身体のどの部分が見えてしまってはいけないとか、そういったものがありますので、何とかパスするために気をつけて、ちょっとひっかからないように、撮っていました。そして、どの観客に向けて、ということなんですが、私の心の中では、すべての観客のかたに見ていただこうという気持ちで作りました。私はこの作品を作っていながら、必ずしもハッピーエンドというふうには思いませんでした。こういう人物を想定して、二人の関係がこうなった場合に、きっと当然こういったカタチになるだろうということを、私のフォーマット、といいますか、フォームを通して作って見せただけでしたので、もしかしたらこの後この二人がどうなるかというのはわからないと思います。


Q7
おもしろい作品ありがとうございました。私はあれはハッピーエンドじゃあないと思いました。で、質問ですが、撮影ですけども、カメラがあまり動いていませんでしたよね。音楽もオルガンのあの曲くらいで、非常にシンプルだったんですけど、こういう作品は韓国に多くないと思うので、監督は多分、外国映画のほうをよく見てらっしゃると思うんですが、どういう監督がお好きでしょうか?私はジム・ジャームッシュを思い出しました。

私は映画を撮影するときと言うのは、自分の心と身体をすべて使わなければいけないと思います。例えば仮に、観客のかたたちがこういうものを好きだからといって、それに合わせるのではなくて、自分の中で生まれてくる、心と身体の中から生まれてくるものすべて使い切って撮影に臨んでいます。このような撮り方、カメラワークとかアングルというのは、おそらく私が1本目を撮ったときに関連してくると思います。私が最初の作品を撮ったときには、ほとんどコンテ無しで撮りました。で、コンテがない状態で、こういうアングルにしてみようか、というようなことを少しずつ考えながら撮り始めたんですけども、そのときの感覚というのがずっと後まで影響を及ぼしているような気がいたします。えー、私はやさしい構図とか、やさしいカメラワークを使うことによって、私の中にあるものを引き出すことができる、そういう風に思っていますので、けっこうカメラワークにしてもアングルにしても単純なものが多いのかもしれません。
それから、好きな監督あるいは好きな作品というのは、あまりにも多すぎまして、好きな監督好きな作品というのはきっと私の中に、私の心の中にずっと溜まり溜まって、意識する・しないに関わらず、多くの影響を与えていると思います。
(英語で)
付け加えますと、私のカメラアングルは動きをあまり多用しないことで、よりスクリーン上に自分のイメージしたものや表現したいものがより多く描けるということがわかりました。





Q8
(英語で)
非常に興味深く感じたのですが、映画の中の複線のひとつとして弟さんとの性交渉のエピソードが含まれていますが、非常にスジョンという人物をより複雑に、そしてより深みを与えていたとは思うんですけど、監督のこのエピソードの意図はどういうことだったんでしょうか?
(英語で)
これが意図したところは、やはり彼女の性格により深みを与えるということもありました。この事実は彼女は誰にも語れないことですし、結婚した相手にも言えない秘密です。ですから彼女が一生多分秘密にしておく、自分の心にしまっておくという点で、そういうことをディテールとして、ある彼女の性格の一部として描きたかったんですね、ですから記憶のずれということと、それから非常に主観的なさまざまな見方、そして彼女のそういう秘密の部分というものを描きたかったんです。


Q9
大変興味深く拝見いたしました。それでですね、あの、記憶というのは一人称になると思って見てました。で、後半、彼女のエピソードがずっと語られていくのですが、車を探しにいくときに男の方にカメラがついていきますよね。彼女は映りませんよね。彼女のエピソードなのに、彼の方にカメラがついていく、と。あとで彼女を探していくような彼の姿がずっと映っていきますけど、あれはおかしいんじゃないですか。それとも彼女の何かそういうイメージなんでしょうか。

私は最初にこの物語を設定するときに、どうした視覚で記憶というのをたどろうかと思ったときに、本人同士つまりスジョンさん自身の記憶ではなくて、スジョンさんの部分というのは、スジョンさんの周りにいる非常に近い友達が記憶をたどっていくものだ、そういう風に設定しました。男性の方の、ジェフンさんですけど、ジェフンさんに関しても、本人の記憶ではなくて、やはりジェフンさんの友達が書いた記憶、そういったことをまず設定してこの物語をはじめたわけです。そして2部と4部につきましては客観的に描いた方がいいと思いました。で、スジョンさんだけの記憶では客観性にかけてしまいますので、お互いの出来事を友人が見たとしまして、その友人が客観性をある程度持っていますので、それぞれの友人が見たその客観性というのを対比させることに意味があるのではないかと思いまして、そういったところに私の意味がこめられていると思います。
(英語で)
このスタイルというのは、スジョンさんの友達がこういうことが起こったすぐあとにスジョンさんからいろいろ話を聞いて、それを書いていったと、そういうカタチで脚本を書いてきましたので、えー、私がそういうやり方をしたのは、できるだけ客観的にものごとを見て物語を語りたいと、そういう気持ちからです。






(司会)とても静かにお話になるということで『オー!スジョン』のホン・サンス監督でした!

(拍手の中、退場)。


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