J-Pop Chronicle

明治維新 (1868年) から大正〜昭和〜平成と100年以上にわたるJ-Pop (歌謡曲) の歴史を探ろう、というのがテーマです。
昔懐かしいヒット曲を年代別 (発売年月/流行年代順) に集めて、データベース化しました。勝手なコメントもついています。

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発売年月 曲名 歌手・アーティスト ひとこと
1954.02. 高原列車は行く 岡本敦郎
1954.02. 真室川ブギ 林伊佐緒 山形県民謡「真室川音頭」を、ジャズのビッグ・バンドのアレンジで唄ったもの。小気味よいスウィングと民謡の節回しがマッチした名曲。他にも「八木節ブギ」など、民謡をジャズアレンジで歌った曲をいくつも発表しているが、その中でもこの曲がベストだと思う。彼は後に作曲家として「リンゴ村から」 (三橋美智也)、「てなもんや三度笠」の主題歌をヒットさせている。
1954.03. 伊豆の踊子 美空ひばり
1954.03. オウ・マイ・パパ/青いカナリヤ 雪村いづみ
1954.05. ひばりのマドロスさん 美空ひばり
1954.06. 君は遙かな 佐田啓二・織井茂子
1954.06. そよ風のビギン 小畑実
1954.06. 忘れ得ぬ人 伊藤久男
1954.07. 愛の讃歌 旗照男
1954.07. お富さん 春日八郎 春春日八郎の出世作になったこの作品は、歌舞伎「切られ与三」を歌謡曲化したもの。とはいえ、歌謡曲にするにしても時代考証や素養もいるのだが、作詞・作曲者はともに歌舞伎に疎かった。そのため、出典と照合すると合致しない部分ばかりだが、逆にいえば知らなかったからこそあのメロディができた、ということも考えられる。本当は岡晴夫に吹き込ませる予定だったが、契約更改がもつれていたため急遽春日八郎に振り替えた、ということらしい。作曲は、奄美大島出身の渡久地政信。実質的には、エルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」と同時期に流行していたという証言が多く、発売から2年近くは良く歌われたり耳にした。かなりのロングラン・ヒットになったといえる。宇崎竜堂は小学生の時、みんなこの曲を歌っていたが自分は対抗してエルヴィスの曲を口ずさんでいた、とも語っている。
1954.07. スペイン夜曲 菅原都々子
1954.07. ハッシャ・バイ 旗照男
1954.07. ふるさとの燈台 田端義夫
1954.07. 街のサンドイッチマン 鶴田浩二 作詞の宮川哲夫は、「ガード下の靴みがき」「夜霧に消えたチャコ」「湖愁」など哀愁漂う世界を描くのを得意としていた。左手を耳に当てて歌う鶴田浩二の姿が印象的。
1954.07. みどりの雨 藤山一郎
1954.09. ウスクダラ 江利チエミ
1954.10. 岸壁の母 菊地章子
1954.10. 野球けん 青木はるみ じゃんけんで勝負を決めるあの「野球拳」の歌。当時は負けた側が服を脱ぐ、という罰ゲーム的な要素はなかったといわれている。当時、キング、日本コロムビア、ビクターで競作となった。
1954.11. あなたと共に 津村謙・吉岡妙子
1954.11. 吹けば飛ぶよな 若原一郎 作曲は、「お富さん」で知られる渡久地政信。もうひとつの代表曲、「おーい中村君」も彼の作曲によるものだ。テンポのいい曲を作らせると、彼の右に出るものはいない (笑)。
1954.12. 瓢箪ブギ 春日八郎
1954.12. ワゴン・マスター 小坂一也とワゴン・マスターズ 小坂一也とワゴンマスターズのデビュー曲。この曲が世に出たときは、アメリカのカントリー歌手のカバーと思っていた人も多かった。実は作曲はレイモンド服部のオリジナルで、彼は服部良一の響友会という個人塾に通って音楽の勉強をしていた。彼は後にも、小坂一也やカントリー関連のバンドのプロデューサーとして名を残すことになる。

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