五線譜1
Introduction


このホーム・ページは音楽・AUDIOTANNOY を愛する人達のページです
To all the audio philes,loving The Tannoy Dual Concentric Drive Unit

 TANNOYについて      五味康祐氏とTANNOY

五線譜1

 

 

 


§  All About Tannoy  §

 
§ Tannoyの沿革 (History)

Tannoyの語源は、タンタロム合金(Tantalum alloy)を使ったRadio用の電解整流器を製造していたGuy.R. Fountain(1900〜1977)が、1926年に商標登録を行ったことに由来する。そして1947年にTannoyの基礎となるデュアル・コンセントリック(Dual Concentric)同軸型スピーカーユニットの一号機を完成させ、1953年にその15インチ (38センチ)「Monitor Silver」を内蔵したAUTOGRAPH がN.Y.Audio Fairで発表されたことにより、現在世界のAUDIO PHILEに愛され続ける栄光のプレスティージ・シリーズ・ラウド・スピーカーの幕が上がった。
 
§ Tannoy Prestige Series の概要(Outline)

(Drive Unit Originally Applied−MS「Monitor Silver」、MR
「MonitorRed」、MG「Monitor Gold」、HPD「Monitor HPD」till Arden-'79
)
Prestige Series は、英国熟練木工職人の製作(Mr.Ronald Hastings Rackham et al)によるエンクロージァーをその特徴とするホームユースのSpeaker Systemであり、プロ用のStudio Monitor(for,e.g.,the UN Bldg.,the House of Commons in London,various music studios & broadcasters)と区別される。下記はその代表的製品群(一部参考の為Prestige Series以外の製品も含む)

*Autograph(1953〜2002)-MS'15-
*Canterbury(1953〜unknown)-MS'12-
*G.R.F.(1955〜1981)-MS'15-
*Lancaster 15C / 12C (1960〜unknown)-MR'15/MR'12-
*VLZ in Cabinet(1961〜early'70)-MR'10-
*Rectangler York(1967〜early'70)-MG'15-
*Rectangler G.R.F. (1968〜unkown)-MG'15-

*ABCDE Series -Arden,Berkley,Cheviot,Devon,Eaton(1976〜1979)
 -HPD385A for Arden & Berkley, HPD315A for Cheviot & Devon,
 HPD295A for Eaton-
*
Classic Monitor(1979)-K3838<'15-ferrite magnet>
*
Super Red Monitor/SRM 15K-(1979/1980)-K3808<'15-ferrite magnet>
*GRF Memory(1981〜2002)-3839M<'15-ferrite magnet>
*Westminster(1982〜early'90)-3839W<'15-ferrite magnet>
*Edinburgh(1982〜2002)-3419<'12-ferrite magnet>
*Stirling(1983〜)-2558<'10-ferrite magnet>
*RHR Special Limited/RHR Limited/RHR Normal(1986/1986/1987)
 -3839R each<'15-ferrite magnet>
*Canterbury 15(1988〜)-3889C<AlcomaxV-Alnico magnet>
*Westminster Royal(1989〜)-3889W<AlcomaxV-Alnico magnet>

*Kingdom(1997〜)4-way-system<'18 woofer,'12 dual.,'1 super
  tweeter>-Neodymium magnet-
*Kingdom 15(1998〜)4-way-system<'15 woofer,'10 dual.,'1 super
  tweeter>-Neodymium magnet-
*
Turnberry/HE(1998〜)/HE-75(2001)-'10 dual concentric hard-edge type <'10-ferrite magnet>          *Kingdom 12(1999〜)4-way-system<'12 woofer,'10 dual.,'1 super
  tweeter>-Neodymium magnet-                                             *Dimension12・10・8(’12‐2000〜’10&’8‐2001〜)-3-way-system<'12 /'10/'8-respectively,2.5cm super tweeter>-ferrite magnet                                                            *Yorkminster/HE(2002〜)-<'12 dual,AlcomaxV-Alnico magnet>                                  *Kensington/HE (2002〜)-<'10 dual,AlcomaxV-Alnico magnet>                                  

§ Tannoy の苦境と復活(Glorious Recovery

 1974年、心臓発作に襲われた高齢のGuy Fountainは、アメリカのHerman International 社(JBL社を傘下にもつ)にTannoyを売却した。Tannoyはその年5代目Dual Concentric「HPD」(High Performance Dual Concentric)を開発した。これはかつて無い大幅な変更であり、woofer振動板の刷新、edgeのウレタン化といった、小規模エンクロージャーからでも最低共振周波数の引き下げにより、低音再生を得ることを主眼としていた。しかしAutographG.R.Fの複雑なFolded Horn型エンクロージャーを支えつづけた伝統の木工技術者の不足、Alnico magnet安定供給難等も重なり、ホーン構造の無いバスレフ型及び音響レンズ付double woofer systemの登場と、従来のTannoyの伝統とは別の方向の製品が生み出されていった。
 1978年、Norman Clocker社長(since1985〜)を中心とする新経営陣は終にTannoyを買戻し、1981年GRF Memory により職人芸が復活、1982年WestminsterAutograph伝統の大型バックロード・ホーン(long folded horn)が復活、そして1988年にはCanterburyがAlnico magnet <AlcomaxV>を搭載と、現在のフラッグ・シップ・モデル の一端を担うKingdomまで、完全復活を遂げたTannoyは21世紀においても尚一層ファンの期待に応え続けている。

§ Tannoyの魅力(How we feel about Tannoy)

賞賛が繰返されているTannoyのスピーカーですが、比較的目にする長所として下記があげられるのではないでしょうか?

  • 燻し銀の音
  • Tannoy 劇場-(*1)-/良いホールの二階前列中央席
  • Dual Concentric故の定位の良さ(ボーカル・モノ録音)
  • 楽器型スピーカー(弦楽器のリアルな胴鳴り)
  • 真綿の弦を絹でなでる音(Violine等のふくよかな音)-(*2)
  • 刺激音(きつい高音)が無く優しい音-(*3)

 -注:(*1) 菅野沖彦氏 (*2) 五味康祐氏 (*3) 上杉佳朗氏-
 
以上の様な点から、Tannoyは漠然とイメージされているいわゆる高忠実度再生とは無縁なスピーカー・システムであるかの様に思われがちなために、また決して安価ではないために、一部のマニア(限定した音楽ジャンルFan)のみがDual Concentric の魔法の世界を経験できる傾向があったといえます。高忠実度再生の定義は全世界のAudio Phileの永遠のテーマで、今後も求め続けられることと思いますが、仮想現実(virtual reality)が高度に芸術性を持って達成されたときの至福感は、ジャンル、忠実度云々といったレベルとは別の物であろうと考えます。ちなみにStereo Sound誌111号での菅原昭二氏-「Basie」マスター-等によるJazz再生の聴感上のリアリズムの賞賛 、vocal, big band再生の奥行き・音場の広がりなど、Tannoyのprestige seriesは汎音楽的に語られるべきものと考えます(double bassのONE AND ONLYな再生、テナー・サックスなどの木管楽器の圧倒的存在感、rock vocal やドラムス・シンバルの強力な再生など)。オーディオ評論家の菅野沖彦氏、上杉佳朗氏もTannoyでのJazzその他のジャンルを賞賛・愛聴しておられることも汎音楽性を証明しているといえるのではないでしょうか。すべての音楽Fanのための,そしてAudio PhileのためのTannoyを今後も考えていければと思っております。


 § 五味康祐氏とTannoy § 

日本にタンノイを紹介した人物として、故五味康祐氏に触れないわけにはいかないと思います。タンノイ・ユーザーであったばかりか、日本のオーディオ評論界・音楽評論界にも偉大な足跡を残した氏の音楽・オーディオ・タンノイに関する著作は、時代を超えたファン座右の書と思わずにはおれません。

五味康祐氏〜芥川賞作家≪受賞作「喪神」≫(昭和55年没)

五味氏はTannoy "Autograph"(昭和39年7月25日搬入)をマッキントッシュのC22(プリ)とMC275(メイン)で鳴らしていた。Tannoyに魅せられた動機を氏は昭和27年に知人の家のタンノイSPで聴いたフランチェスカッティのベートーベン「ロマンス」としている。高城氏製作のコンクリート・ホーンに始まり、ワーフェデール砂箱型、タンノイ和製キャビネット型、テレフンケン、SABA等の遍歴を経た後の最終機種であった。氏の音楽関係の著作は「西方の音」(新潮社−昭和44年)、「天の聲〜西方の音」(新潮社−昭和51年)、「オーディオ巡礼」(ステレオ・サウンド社−昭和55年)、「いい音 いい音楽」(読売新聞社−昭和55年)、「人間の死にざま」(新潮社−昭和55年)、「音楽巡礼」(新潮文庫−昭和56年:選集)、「ベートーベンと蓄音機(オーディオ)」(ランティエ叢書−平成9年:選集)などがある。

五味康祐音楽評論選

「・・・スピーカーは沈黙を意思するから美しい。・・・いわば沈黙の、静寂の深さといったこの事を考えたことがあった。たしかに再生装置をグレードアップすればする程、鳴る音よりは音の歇んだ沈黙が美しい・・・」(「音による自画像」〜"天の聲"より抜粋)

「・・・『色はあるが光はない』とセザンヌは言った。画家にとって,光は存在しない,あるのは色だけだと。光を浴びて面がどういう色を出しているかだけを,画家は視ておればいい。もともと,画布が光を生み出せるわけはないので,他のものを借りてこれを現さねばならない,他のものとは,即ち色だ−『そうはっきり悟ったとき私はやっと安心した』 と,ルノアールも言っている,セザンヌの言うところも同じだろう。−この筆法でゆけば,ぼくらレコード鑑賞家にとって音楽はあるが、ヘルツはない,そう言い切って大して間違いはなさそうに思える。演奏はあるが,ナマの音は存在しない,そう言いかえてもいいだろう。・・・」(「フランク≪ヴァイオリン・ソナタ≫」〜"オーディオ巡礼"より)

「・・・音を記憶するのは難しい。それでいて,いい音を聴いたという記憶の方はめったなことで脳裏を去らない。どうかすれば,あの時の音(−演奏と言いかえても大して違いはない -)は,たとえようもなく素晴らしかった,凄かった,一生そう言いつづけそうなのがオーディオ・マニアで,音楽愛好家も畢竟はこのたぐいだろうと私は思う。・・・」(「レコード音楽の矛盾」〜"天の聲"より)

「・・・音(低音)がヌケると,よく言う。スピーカー・キャビネットに音がこもらず,風のように抜けるとでも言ったらよいか。「水の縁を切った水は甘い」とでもいうようなものだ。水を疲れさすという言葉があり,疲れた水は同じH2Oでも湧き出したばかりの山の水とは異なった味わいをもつ。即ち「水の縁を切った水」である。疲れて水の粗さを失った水は,滑らかで甘い。一丈の高さの滝と二丈の滝では,その滝壷に落ちた水の味は違うのである。風流士はそういう水の味の違いを味わうが,低音だって同じことだ。・・・」(「ピアノ・ソナタ作品一〇九」〜"西方の音"より)

「・・・演奏―つまり音の美を伝達する≪媒体≫の介在が今後必然視される限り,従前とは別個な,音の美が考え出されて不思議はない。たとえれば,バッハやモーツァルトはナマの演奏である。いかに周波数特性がよくなり録音技術が進歩しても,蓄音機がナマの音の臨場感にかなうわけはない。これはもう永久にかなわない。だからといって,かなわぬ劣等意識やひがみから,≪無明≫で音楽するのでなく,蓄音機自体を聴者にとっての楽器とするそういう新しいジャンルが,今後,創造されぬわけはあるまい。アイビスの独創性は,ここに目をつけていたと私は思う。蓄音機自体がつまり楽器なら,ジャズ的になろうと一向かまうまい。ティンパニーもまた楽器であるように,それはそれで音の美をつくり出せる。・・・」(「米楽壇とオーディオ」〜"西方の音"より)

「・・・ある曲の或る楽節でその曲と分かちがたく結びついた感動なり事柄,人物がいたとしよう。歳月をへだててその曲を聴く時,針がレコード面のその部分にさしかかると,突如として過去は,事柄や人物は,生々しい感動で甦ってくる。感動とわかち難く結びついていればいるほど,他の演奏者のどんなレコードであってもその楽節で鳴ってくるのは,過去の方の音楽だ。音楽が甦らせるこの奇怪な記憶力を抜きにして,レコード鑑賞は語れまいし音楽をくり返しぼくらが聴くこともあるまい。・・・」(「レコードと指揮者」〜"天の聲"より)

「・・・ベーゼンドルファーはそうではなかった。和音は余韻の消え残るまで実に美しいが,不協和音では,ぜったい音と音は妥協しない。その反撥のつよさには一本一本,芯がとおっていた。不協和音とは本来そうあるべきものであろう。さもなくて不協が―つまり和音が―われわれに感動を与えるわけがない。そういう不協和音の聴きわけ方を私はバルトークに教えられたが,音を人間にかえてもさして違いはあるまいと思う。・・・」(「大阪のバイロイト祭り」〜"西方の音 "より)

「・・・より高忠実の再生音を念願するにせよ,音の発源体となるのがせいぜい十五インチ程度のスピーカーであってみれば,これまた多くを望む方が無理だろう。結局,どこかで処理された,あるいは取捨選択された音を,生らしく聴くことで我々は我慢しなければならない。しかもナマそのままに刻まれたレコードなどあるわけがないとなれば,つづまるところ,耳にこころよい適度の臨場感をともなった,いかにもナマを彷彿させる音をもってよしとするしかないだろう。言ってみれば,かって感激して聴いた音,現実には求められないかもしれないが,記憶の中で浄化された素晴らしい音,そういう音の理想像に我が家の音を近づけようと悪戦苦闘する―ここにオーディオ・マニアの業のようなものがあると私は思っている。・・・」(「オーディオと人生」〜"オーディオ巡礼"より) 

「・・・末端の音色が変わったぐらいで曲趣の一変するような作品は,たかが知れているのである。ピアノ曲で,たしかにペダルを踏んだかどうかのはっきり聴き分けられる装置は,演奏の理解には欠かせないだろう。・・・しかしピアノ・リサイタルを聴きに行って,ペダルを踏み分ける音まで聴き取れるのは余程いい席に限る。それでも(たとえば三階のてっぺんで)実演を聴いて,ぼくらはそのピアニストを理解できなかったとは,ついぞ思ったためしはないのだ。どうして,再生装置の場合だけ,ペダルや音色の差で演奏が,つまり音楽が左右されると思いたがるのか。・・・」(「芥川賞の時計」〜"オーディオ巡礼"より)

「・・・指揮者は演奏以前に心象を先づ有つものだとフルトヴェングラーは言うが,似た心象はレコードをかける前のわれわれにもあるだろう。聴き馴れた曲ならそうだろう。毎度寸分のちがいない鳴り方でも(レコードでは)こちらの心象はその日によってちがう。・・・ずいぶんさまざまな楽器の,多様な音や旋律がレコードでは鳴っている,従来は聴き捨てにしたそんな旋律の一つにでも耳を欹てると,そこには別の曲趣が鳴っている,音楽がもう一つはじまっている。くり返し,家庭でぼくらはレコードを聴くことで,そういうちがった演奏の味わいを満足することができる。いわゆる名演奏・名盤は汲めども尽きぬそんな発見の歓びを無辺際に提供してくれるものの謂か。要するに,楽器の鳴っている旋律や音色への,別な注意を喚起されること,この喚起の歓びを期待して再生装置の改良がはじまるが,音がよくなった,と彼等は言うが,演奏が聴きよくなったというこれは意味なので,無機的に音だけよく鳴ればよいというのは,ちがう。・・・」(「レコードと指揮者」〜"天の聲"より)

「・・・音楽自体はたいへんぜいたくな,豪奢な心情をぬきにして味わえぬものであり,オーディオも又,贅美な音色を知らずに語れる道理はないのだが,心で知っていることと,現実はしばしば異なる。或る音を知っていても,それを実家の再生装置で鳴らせるとはかぎらないので,切ないこれは話である。この切なさが音楽の美というものへ結局は昇華して行く,それが各人の音楽の理解の仕方につながるだろうと私は考える。・・・」(「シューベルト≪幻想曲≫作品一五九」〜"オーディオ巡礼"より)

「・・・レコードのひびかせる音楽は,演奏ではない,なぞというたわけた意見にぼくらは耳を藉す要はない。レコードはむしろ最も純一無垢な状態で音楽をぼくらにきかせてくれると私はおもっている。レコードが,音楽鑑賞の妨げになる場合があるなら,再生装置の不備によると言っていいくらいである。録音技術の昨今とは比較にならぬSP時代の名盤をいま聴いて,最新録音の,いや,生の演奏からでさえ到底味わえぬ深い感動をおぼえる事実を考えると,もっとも装置の不備など大したことでもない。ハードウェアの驚異的な進歩がぼくらにもたらしてくれたものは,バッハの二つの受難曲や,『メサイヤ』,モーツァルトの歌劇その他ワグナーやブルックナーやマーラーの長大な作品を家庭で容易に鑑賞できるようになったという,このことに尽きるだろう,そしてこれこそ筆舌に尽し難いオーディオ技術者たちの,功績だと私は思う。文明ではなく文化を彼等は創造したのである。・・・」(「レコードと指揮者」〜"天の聲"より)

 

楽器Information    トップ アイコンTop     メール アイコンFan Room


五線譜1