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2003年12月1日 月曜日

 更新が大変滞っております!

 現在新しいサイトを作成中で、間もなくオープンできると思います。

 今しばらくお待ち下さいませ!


2003年10月1日 水曜日

 雑誌の創刊号は、今までの(それほど多くない)経験から言って、創刊まで準備する期間があるからか、練られていて、これこれこういうコンセプトの雑誌を作ろうという意気込みのようなものが伝わってきてとても好きだ。

 今日は朝早くから東京に出た。やることが沢山あったのだ。朝早くと言っても9時に錦糸町に到着したので一般的には早くない時間だ、と思う。

 渋谷では今まで見たことがない本屋があって、そこの一階の雑誌のコーナーに入っていった。音楽の世界では「渋谷系」という言葉があって、一般的な売れセンとは少し異なり大雑把に言ってお洒落な音楽を指している。渋谷のレコード店で売れはじめたのでそういう名前が付いたはずだが、つまり渋谷のレコード店では他の街とは多少品揃えが異なる、と、そういうことだろう。昔HMVの一階でCDを見ていたら、普通のレコード店ではないだろうというような、インディーズの格好良さそうなCDが沢山あり驚いたことがある。

 で、本屋にしても渋谷に於いては似たような状況らしく、それは実に魅力的だった。レジの目の前の棚には英字のデザイン関係の雑誌が平積みにされていたりするのだ。日本語の本も通常の書店ではあるかないかという本が並んでいた。「ku:nel」という雑誌が創刊された。駅の広告で目を付けていたのだが、初めて手に取り読んだ。

 一番最初の記事がロシアの週末の家に関してで、ロシアでは週末や夏休みを過ごす簡単な家があり、それは豪華とは言えない作りではあるものの、そこで野菜をつくって冬の間の食料にしたり、のんびりとした時間を過ごして、結果人間はとても豊かだという話だ。

 二番目は自分で壁に白いペンキを塗ったようにシンプルでありかつ品の良い下北沢にあるカフェの話で、これは28歳の女性が昔から自分のイメージを膨らませて、色々な家具や調理器具を地道に買い求め、「アキ・カウリスマキの映画に出てくるようなひまなカフェがいいね」と、ついにはそのカフェ「チクテカフェ」をオープンしたという話。

 どちらも大量消費文化からはちょっとはずれたところにある話で、これはよく言う「スローライフ」を基本にしている、と私は思う。他の「フィンランド・ホームステイ記 北欧エコ・ライフの一面を覗く。」などは私にとっては読まずにはいられない記事だ。雑誌の中程では再生紙とおぼしき少し茶色がかった紙が使われている。一般的に再生紙は色の再現性が悪いと言われているが、私にはこのざらついた紙に印刷された色はとても魅力的に見えるのだが。

 私の希望はこのようなスタンスでこれからもこの雑誌を作っていってくれ、ということ。この本には洋服やバッグ等々のブランドの広告は見たところない。そういった企業は多分スポンサーにはならないだろう。この雑誌の目指しているところは大量消費文化の対極にあると思う。だが、本を作る側からしたらスポンサーは欲しいところで、いつのまにか広告主の意向に添った雑誌作りになってしまうというのは良くあることだと思う。記事だか広告だか分からないような文章の横に、その記事を書かせただろう企業の広告が入っていることは良くあることだ。そうやっていって、雑誌は単に消費を煽るだけの存在に落ちてしまう。

 裏表紙の広告はあの「トヨタ」でしかも「プリウス」だった。中央に「世界トップレベルの低燃費よりも、その加速力を自慢したい。」とある。初代のプリウスはさほど売れなかったらしい。二代目はその反省を活かして作られ、随分とイカツイ顔つきになった。パンフレットを最近読んだが、「エコ」に関することよりも走行性能やら内装やらそういったことにページが割かれていた。少し残念な気もする。しかし、これが現実であり、こういった変化球を使わないと良いものも売れないのかも知れない。もちろん私は直球の方が好きだ。



2003年9月29日 月曜日

 中央線の工事が遅れて、何百万人の足に影響が出て、JRが謝罪して云々。

 謝るほどの問題か・・・?と私は思うのだが、これは一般的な日本人の感覚からずれているのだろうか?

 事故があって死傷者が出たら、それは問題だ。やはり安全に列車を運行するのはある程度鉄道会社の義務だとは思う。

 しかし今回のように、徹夜の工事が終わらなくて、次の日の夕方までかかったなんてことは、別に目くじらたてて騒ぐような事件ではない。怒っている乗客にひとこと言いたい「まぁ、おとなしく待て」と。

 そもそも、徹夜で工事を終わらせようとしないで、初めから3日間くらい完全に電車を止めてしまえばよいのだ。

 それよりも、満員電車という非人間的な運搬手段を未だに放置していることの方が、問題だ。以前一度、朝8時頃錦糸町の各駅停車のホームを使ったが、それこそ人が溢れんばかりだった。電車を待つ行列の先頭の人の本当に目と鼻の先を黄色い各駅停車が駆けていくのだ。げに恐ろし。

 一部の地下鉄やゆりかもめのプラットホームには扉があるが、JRには全然ない。どうせ、「一つの駅につけてしまうと、他でも付けねばならず、費用が膨大になる」という論理だろう。これはおかしい。「自殺したい人は死なせておけばいい」と言った人がいた。青酸カリを市販していたら彼だって問題だと思うだろう。JRの駅は自殺装置を放置しているのと同じ事だ。私はホームからの飛び降り自殺と、事故の半分以上はJRに責任があると思う。あれだけ人の密度が高ければ、そりゃ事故も自殺も起きる。私は最近電車を見ると思うのだ。この列車は何人の人をひき殺したのだろうと・・・。

 運転再開が遅れて怒るのと、危ないプラットホームの放置。別のことのようだが、「経済論理の優先」ということにかんしては同じだ。

 まだ海部氏が総理だった頃だったか、その前後だったか、JRは「いくら効率的な経営をやっても運賃を上げられないのは困るので、物価スライド制(物価と運賃を連動させる)にさせてくれ」という趣旨のことを言っていた。

 私は言いたい。「なぜ今言わないのだ!!!!」。このデフレ下。運賃は当然下がるはずだ。だが彼らはそんなことは絶対に言わない。



2003年9月15日 月曜日

 ピアソラ作曲「リベラタンゴ」の編曲がやっと終わった・・・。

 ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ベース、ドラムにアレンジした。

 自分が出した当初の見積もりのなんと10倍位の時間が掛かってしまった。

 以前頼まれたディズニーの「美女と野獣」をフルート、クラリネット、バスクラリネット、シンセサイザーにアレンジするという作業がほぼ一晩で終わったので(というより一晩しか時間がなかったのだが!)、それから換算して・・・2日もあれば十分終わると踏んでいたのだが、なんだかんだで一週間以上掛かってしまった。

 時間があったので、それだけ手をかけてアレンジした・・・とも言える。だからこそ、自信もある。やることをやって力を出し切った。音を聴くのが楽しみだ。残念だが、北海道で演奏されるので生で聴くことは出来そうもないが。

 とはいえ、予想よりこんなに時間が掛かってしまうのは困る。否、時間が掛かるのは良いのだ。正しく見積もれないことが問題なのだ!

 こういうことになると、いつも思い出す。昔々その昔、新卒で入社した会社での新人研修で先生にあたる上司のOさんの言ったことだ。

 「情報処理技術者試験までの計画を立てなさい」と言われた。試験はまだ2ヶ月くらい先だったのだが、その計画は試験一週間前位の学習予定も立てなければいけないものだった。私は「今やっている勉強のがどういう成果をもたらすかもわからないのに、2ヶ月先の学習予定まで立てられるわけはない!」と反論した。するとO氏が言ったことは「状況が変わったら、また予定を立て直せば良いから、今の段階で分かる範囲で計画を立てよ!」ということだった。「あーそうなのか・・・」と思った。そうやって計画を常に立てていれば、そのうちそれだけ先を見通せるようになるのだ。これは、多分、業務に入ってから役に立った。大きな仕事でも見積もりができて、それが当初の見積もり通りに終わるようになったのだ。

 そして今。リベラタンゴが見積もりの10倍掛かってしまったので、きっと何か私は忘れているのだろう。だから思い出すようにこの話をココに書いたのだった。



2003年8月22日 土曜日

 「火垂るの墓」を観た。

 圧倒された。

 反戦は一つのテーマだが、本当のテーマはもっと広く人間の暴力についてだと思った。哀れな兄妹を「みなしご」呼ばわりする叔母や、栄養失調と診断してもそれ以上なにもできない医者など・・・だ。善悪を抜きにしても、これが人間の本当の姿・・・という。

 それにしても・・・と思う。今まで私は豊かな時代しか生きてこなかったということが良く分かった。

 「重い」映画は観るのに勇気も体力も必要だが、それはなにかを残してくれる。体のシンにズシンと響くなにかを。

 「果たして私の音楽にそんなものがあるのか・・・」と思ってしまうのである。



2003年8月18日 月曜日

 昨年からか、もっと前からか、音楽の「拍子」をなくしたいという思いを持ってきた。

 昔からある、演奏者が自由にテンポを揺らすテンポルバートはその一種だと言えると思う。人間の心臓も一定のテンポでビートを刻むが、運動をしたり、緊張すればそれは速くなっていく。美術家で建築家のフンデルトヴァッサーは「自然界に直線はない」と、彼の建築においても曲線を多用している。同じように音の世界でも一定のビートはない、と言える。雨だれの音でも、そこには確かに揺らぎがあるのだ。

 作曲者は拍子を記述するが、演奏者はそれを揺らして演奏する。これは一つの手段だと言える。私がピアノを弾いている理由の一つにこれがあると思う。細かいテンポの揺れまで五線紙には書ききれないのだ。演奏者に任せられてしまう。作曲者は最後に出てくる音に対して責任を持てない。もちろん分業することによるメリットは認める。

 武満徹の音楽を聴くと、もはや彼の音楽には明確な拍子というものはない。音になっているゆったりとした流れが気持ちがよい。ところが、スコアを見てみるとそこでは60BPMの4分の4拍子で書かれていたりする。出てくる音に拍子はないのだが、「演奏者のために(もしくは記譜のためにか?)」拍子が必要なのだ。

 それは一つの「規則」のようなものだろう。結果には規則を感じさせないのだが、その裏ではその結果を出すために演奏者を縛る規則がある。

 確かに「規則」を用いることで、高度なものが実現できるだろう。しかし、あの音楽に対して、実は裏では60BPMで4分の4拍子が刻まれているというのはどうも恣意的な事に思えてならない。64分休符にどのような意味があるのか、そこには作曲者の意図なり計算なりが込められている訳だが、それを忠実に再現しようとして頭の中で60BPMを刻み、64分休符の裏から音を出す演奏者が少し哀れに感じられる。

 かといって、それでは「自由なタイミングで音を出してください」という記述で作曲を完成させたとする場合、「それでは一体、作曲者は何をやればよいのだ?」という意見もでてくる。私の先生はそのように仰った。60BPMのなかで自由に各人がテンポを揺らすことも可能だ。記譜はあくまで記譜なのであるから、それは作曲者の「意図」として受け入れ、更にそこから自由に演奏することはできる。

 それにも関わらず、どうもしっくりこないのは、恐らく規則によって揺れを作り出しているからだろう。つまり予め揺れを確定させてしまっているからだ。演奏者の自由な演奏や毎回変わっている揺れを確実に記譜しようと思ったら、もっと自由な記述で可能になることだと思う。

 どうも私にとって、「裏では60BPMで4分の4拍子が刻まれている」ということは、なぜか「ベルトコンベヤー」やら「軍隊の行進」やらそういったものを連想させるらしい。だから、馴染めないのだと思う。



2003年8月11日 月曜日

 ピアノのスキルのレベルアップを狙って、4月〜7月はほとんどショパンやシューベルトを弾いていたのだが、大変な作業だった。難しい曲だけに、力が足りないと言ってしまえばそれまでで、まさに単なる勉強不足だ。でも、やはり私のピアノは「曲を作る人間が弾くピアノ」なのだと思う。作りながら弾くことで和声や構造といった音楽の骨格に対して意識がいく。作ることは弾く上でもプラスなのだ。

 ショパンのエチュードと言えば、ピアニストのH氏(友人の・・・と言いたいのだが、そもそも先輩であり、最近の彼は大先生の域に達しつつあるので、恐れ多くて書けない)はエチュードを全部弾いたのみならず、全部弾けて、自宅では何回か全部通して弾いたそうだ。これは凄いことなのだ。この話を聞いて私は彼を(さらに)大いに尊敬した。青い顔をしながらさらって、一曲を息を切らしながら弾く私とはえらい違いで、もはや「別世界の男」だ、と認識。もっともH氏といえども、学生時代は鍵盤をすり減らしながら練習した時代があっただろうから、才能のみならず、幼い頃からのそれだけの蓄えがあるということで、それは気の遠くなるようなことだ、と思うのである。



2003年8月8日 金曜日

 曲作りがいきなり胸突き八丁だ。

 もう時間がない。

 この春から、色々ため込んでいたものを、形にしたい。ちょうど、苗を買ってきて肥料をやって水をあげていたトマトが収穫の時期を迎えているように。



2003年7月31日 木曜日

 東京のレコードディストリビュータさんのところへCDのサンプル版を持っていき契約のご挨拶。バスで渋谷へ行き音楽ライターのYさんと色とりどりのお話をする。その後、川崎の伯父の家でパソコンのセットアップ(をするはずが、実はADSLが光収容のため開通していないと言う許し難い事態!ふざけるなY社!そういうことはもっと早く言ってくれ!)に行く。しかし鰻丼をご馳走になり大いに食す。

 そして千葉から家まで深夜バスで帰宅し、もうヘトヘトなのである。

 今日の結論。東京と千葉は結構離れている。



2003年7月26日 土曜日

 自民党という政党は好きではない。嫌いといってもよいかも知れない。選挙で投票したことはないし、選ぶ対象になったことは一秒たりともない。「利権」「談合」・・・私にとってはそういった日本の悪いイメージとピッタリ一致するのだ。

 自民党の政党支持率は常にトップで、30%以上を維持している。なぜこんなに支持を得ているのかまるで理解できなかった。

 先日、共産党の議員がセクハラで辞職したとき、自民党の議員、江藤氏にマイクが向けられた。

 女性問題があっても辞めない議員もいますが?

 インタビュアーが恐る恐る聞いた。恐らく山崎拓・自民党幹事長あたりが念頭にあったと思う。 すると、江藤氏は愛嬌たっぷりに、

 「おるね」

 「すぐに辞める共産党は、偉い!」

 と、こう答えていた。まるで絶賛するかのような口振りだった。

 共産党は自民党の対極にある政党なので、このセクハラ問題は「敵失」であり、厳しく糾弾してもよさそうなものだが、この答えだった。

 「政権党の余裕」といってしまえばそれまでだが、このように、なんというか素直に答えられるところが、自民党の人気の一部分なのかな・・・、などと思った。

 だからといってもちろん支持するわけではないのですが・・・。



2003年7月24日 木曜日

−鴻池防災担当相のもとには発言に賛同する人からのメールが多く寄せられているそうです。

 人々は、セキュリティーが悪くなっているのは我々ではない誰か、つまり『彼ら』に問題があるからで、我々の問題ではないというふうに処理したがっている。少年犯罪であれば学校、それが無理なら親。問題解決よりも、『責任者』を捜し出し、心理的な納得を得たいと望んでいる。セキュリティー指向は人間の根元的なものだが、それが他の価値とのバランスを失って全面化すると非常にまずい。今は、なかなかそれと拮抗するような価値観がないので、少し暴走しているのではないか

朝日新聞24日付朝刊13面 杉田敦氏のインタビューより


 以前、中国瀋陽の日本領事館に亡命を求める北朝鮮の一家五人が逃げ込もうとして、中国人の警官が領事館の敷地内に侵入して捕まえたため、これが国際問題になったことがあった。私は国会内での中国を強く非難する論調と、テレビのニュース番組で放送されていた実際の映像とのギャップに違和感を覚えた。「武装警官」と言われていたが、それほど強圧的とも思えない警官とその落とした帽子を拾ってあげる日本人の領事館員が映し出されていた。大使館や領事館はその国の領土と見なすので「武装警官が侵入」というと、主権を侵害しているように思えるし、もちろんその可能性もあるのだが、この事件の場合は映像を見ると「領事館に侵入した不審者を制止するために、館員の(暗黙の)同意を得て数メートル中に入った」あたりが適当なところだと思う。

 しかし結果的に感情的とも言える事態になってしまった。おそらく国会議員達は事前に映像を見ていなかったのだろう。映像がテレビで放映されるようになると、非難の論調は弱まっていった。「武装警官が侵入」という言葉が一人歩きしていたが、実際のところ実体はその言葉とは違っており、結局のところ皆が良く分かっていなかったのだ。

 このことは少年犯罪でも同じではなかろうか?大人は少年を分かっていると言えるだろうか?逆に「最近の子供は分からない」という感情が「厳罰化」を求める声に繋がっているとは言えないだろうか?

 杉田氏の「拮抗するような価値観がない」はまさにその通りだと思う。国境がなくなっていくような新しい展開を見せるこの世界で、「敵と味方」をはっきりわけて考える、単純で楽な考え方はえてして魅力的な考え方に映ってしまうのだ。それ対抗できる価値観はきっと複雑だと思われるので、なかなか姿を表さない。しかし私達は根気強く探さなければならないと思う。



2003年7月11日 金曜日

 鴻池・防災担当省が記者会見で長崎市の少年による男児殺害事件について


厳しい罰則を作るべきだ。(罪を犯した少年の)親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」「マスコミは〜中略〜犯罪者の親を映していない。14歳未満の子は犯罪者として扱われないんだから、保護者である親、担任、校長先生、全部前に出てくるべきだ


 と発言した。

 小泉首相がこれに関して「不適切な発言だ」とコメントしたらしい。きっと大多数の日本人は同じように不適切だと感じるのではないだろうか。鴻池氏は半分冗談として言ったのかもしれないが「市中引き回しのうえ打ち首」などとはほとんど大岡越前の世界だ。21世紀のこととはとても思えない。

 悪いことをした人間はさらし者にしてしまえ、という考え方は鴻池氏だけのものではなく、ネット上の掲示板を読んでいると、そういった考え方をしている人間が多いことに驚く。現在問題になっているが、掲示板「2ちゃんねる」には、男児を殺害したと疑われている中学生の本名、住所、中学校名やら趣味まで書かれている。書き込んでいる彼らは、それを悪いことだと思っていないようで、そうやってさらし者にすることで世の中が良くなると思っている。マスコミが書かないので、それを書くことが自分たちの仕事であると思っているふしさえある。

 そんなことをして犯罪がなくなるのか、市中引き回しをしたら被害者の無念が浮かばれるのか、はなはだ疑問だ。案外彼らがやりたいことは悪いことをした人間に対してレッテルを貼ることではなかろうか。江戸時代の「非人」のような扱いをしたいのではないか。

 日本の刑法は「犯罪者をいかに更生させるか」というところに主眼がおかれている。犯罪者を罰する為ではない。実際のところ更生できる犯罪者は随分少ないらしいが、だからといって厳罰を、しかも子供にもというのは見当違いも甚だしい。更生正されないのは更正のプログラムに問題があるわけで、改善するのはそちらの方だ。

 今日本には「異質なものへの恐怖」が蔓延している。北朝鮮にしても、白装束の宗教団体にしても、「注意」が必要なのは確かにその通りだが、もっと理性的な対応が出来ないのだろうか?



2003年7月2日 水曜日

 先日、おばがパソコンを買うということで、私がインターネットのサイトからデルのパソコンを注文しました。

 クレジットカードの番号や送付先等々を入力していったのは良いのですが、最後のほうに

大量破壊兵器へ転用しますか?



 こんなものがありまして大笑いしました。”する”の場合は以下関連項目を・・・というのがとてもキュートです。早く捕まえてもらいたいテロリストは”する”を選択するでしょう。きっと。



2003年6月28日 土曜日

 よくスポーツ選手が、「全力を尽くすだけです・・・」と言うことがある。難しいことはさておき、結局のところ全力を尽くすだけ、としか言いようがない、ということだと思う。

 音楽をやっている人間は「誠実にやるだけです・・・」と、最終的にはここうとしか言えない、と私は思う。



2003年6月20日 金曜日

 先日、横浜開港祭で一部のメンバーと一緒に演奏したのだが、その縁で(というかギャラの一部として(笑))シエナ・ウィンドオーケストラの定期演奏会へご招待いただいた。ありがとう。

 ブラスならではの透明感ある響きを聴いた。思えば、プロのブラスバンドを聴くのは実は初めてだったりする。大変失礼しました・・・。いやーーいいなぁ。とってもとっても素敵でした。

 「生き生き」していて、各個人が自分の主張をもって音をだしているところが、ややもすれば、控えめな演奏に終始してしまうこともある管弦楽団とも違い、若くて(もちろん良い意味で)エネルギッシュな音楽になったのだ・・・・と私は考えました。

 アンコール一曲目あたりで周りでごそごそ音がして、高校生とおぼしき人達がなにやらトランペットやらサックス等の楽器を取り出している(ここは客席です!)。「・・・え、そこのあなた。今コンサート中なんですけど・・・」と思ったが、これは恒例行事らしく、アンコール3曲目は星条旗よ永遠なれを楽器を持った観客も舞台の上に上がって、3倍以上にに膨れあがった人数で演奏した。凄まじい爆音!でも観客も大喜びで、これは素晴らしいエンターテインメントでした!

 凄いなぁ。是非今度シエナのために曲を書きたいです・・・!どうか、演奏してもらえませんか・・・ね?



2003年6月17日 火曜日

 ハンガリーファンクラブの会長、秋山氏のお誘いで、更科中学校で子ども達と遊んだ。20人近くの元気な子供達とバレーボールやバスケットをやる。大人になってからあらためて子ども達を眺めてみると、当たり前のことなのだが一人一人個性があるのが面白かった。運動神経の良い子、悪い子、積極的な子、消極的な子。自分が子供の頃は分からなかったことが見えてくる。「この子は将来どんな大人になるかな」などと考えてしまうが、そんなことはどうでも良いだろう。なるようになるのだ。

 子供と接する機会がある方ではないが、あった場合心がけようと思っていることは「向き合う」ということで、うまく言えないが「受け止めてみよう」ということ。だって、相手にしてくれない大人って嫌だったではないか!否定されようが、子供というのはトライアンドエラーなわけで(私なぞ、今でもそうだが)、きちんと反応を示してあげることが必要なのだと思うのだ。ある意味、大人として扱うということで、だからこそバレーボールでは私は容赦なくスパイクを打つ(笑)のだった。



2003年6月16日 月曜日

 自民党は秋に総裁選があって、小泉首相は再選を目指している訳だが、反主流派は小泉首相を支持する条件として「総裁選前に内閣改造を行え」と言う。自分たちのことも人事の上で考慮しろということ。

 これに対して小泉首相は「総裁選の前に内閣改造を行うのはおかしい。どうせ新しく選ばれた総裁が組閣するのだから。内閣改造は総裁選の後に行う。」とのこと。まぁ、これは確かに正論だ。

 これに対して反主流派のボス野中氏は「そんなアメ玉に騙されない」とのこと。総裁選で選んでしまったら最後、どのような改造を行うのか分かったものではないので、予め現在の反主流も人事で考慮しないと、支持はしないよ、ということだ。

 あー。実に、分かりづらい!!!

 なんで、一つの党の中で、こうゴチャゴチャやっているのだろう?そもそも、小泉首相が自民党の中で改革をやろうとしているのが間違いで、本当にやるのなから、「利権」を力の源泉にしている自民党からは出なくてはならなかったのだ。出なかったと言うことは、本気でやる気はなかったということか?

 国民は困るではないか。ハッキリ分かれてくれなくては、選挙でどうしたらよいのだ?



2003年6月13日 金曜日

 ハンガリーの名ヴァイオリニスト、コバーチ・デーネシュのコンサートを上野の旧東京音楽学校奏楽堂にて聴く。



2003年6月12日 木曜日

 昔大学時代にやっていたバンドで、一日中練習室に籠もってその場で曲を作り、どんどんテープに落としていくということをやったことがあった。作るときはその曲に集中しているが、次の曲に入ってそちらに集中しはじめると、前の曲はキレイさっぱりに頭から抜け落ちて、「はて、どんな曲だったか?」と忘れている。テープを聴いて、「あっ、これか。懐かしいー!」などと言ったりするのだ。懐かしいとは大袈裟な、と思うかも知れないが、なぜか懐かしさや既視感やら、ふだんの生活では味わえない変な感覚なのである。まず、聴いた瞬間に自分たちがたった数時間前に作った曲とは思えない。まったく新しい曲を聴くように聴けるのだ。他のメンバーも同じ事を言っていたから、これは僕だけでの話ではないと思う。

 今日は曲のさわりを作って録音したのだが、あらためて夜聴いてみると、同じ感覚が襲ってきた。聴いた瞬間「な、なんだこれは・・・」。はじめ8分の5拍子で、増4度の音程を多用している曲だったので、認識しづらいのは確かだが、自分で作った曲なのに拍子がまるで掴めない。ただの音の羅列のように聞こえるのだ。

 幸い、これは最初の一回だけで、二回目からは「あぁこれか。」とわかる。だが一回目に聴いたときの「客観的な耳」というのは貴重だ。記憶にも残っていない音。しかし、自分が数時間前に出していた音なのだった。



2003年6月11日 水曜日

 鳥越けい子氏著の「サウンドスケープ その思想と実践」を読む。

 音楽とは・・・と思う。



2003年6月10日 火曜日

 ハンガリーファンクラブの総会がハンガリー大使館で行われて、20分程バルトークと自作の曲を織り交ぜて演奏した。

 だいぶ調子は戻ってきたものの、とてもミスが多く、こんなことではプロとは言えない・・・と我ながら思う。人前で弾くのだったらもっと完成度をあげて、ミスが少なくなるように、ある種切実な「間違えたら二度とピアノは弾かない」とでもいうようなものが必要なのでは、と思う。

 それにしても、暖かく見守ってくれる聴衆に聴いてもらって幸せだった。なにより反応があるのが嬉しい。「良いね」と言ってくれる人でも、「私はもっと良いものを知っています」というリアクションの人もいて、それがまた嬉しい。一番悲しいのはなにも反響がないときだ。なんといっても、この日は曲の後の拍手にも「反響(つまりは聴いた人からのメッセージであり評価)」があった。特定の曲にやたらと、興味を持ってくれた人や、「針葉樹の散歩道」と曲に題名を付けてくれたり、受け止めてもらったのだなー、と実に嬉しかった。



2003年5月27日 火曜日

 大変更新が滞っております。「いつ更新するのかな?」と当ホームページを見に来てくださっていた方がいたら、本当に本当にごめんなさい。

 しばらくの間、書きたいことが言葉にならずに、言葉にするための時間もなく、というよりも言葉にする力がなく毎日を過ごしておりました。ホームページを全面的に更新したくてあれこれ思案しており(しかし全然進まず)古いページも残されたままという悪循環に陥っていたことも理由の一つであります。「公式HP」と銘打ったものを作ったにもかかわらず、両方更新していく労力をはらえるわけでもなく、かといって一本に絞ることも出来ず、何がなんだか分からず両方更新しないと言う本末転倒な状態。

 本当に中途半端な状況になったらいけませんね。すぐになんとかしないといけないですね。

 理想では両HPを一つにまとめたものをバンバン更新していくということなのですが、いつになるか未定です。デザインはもとより、「どのようなスタンスでHPを作るのか」さえ分かりません。ということはどのような姿勢で生きていこうか決まっていないのかも知れません。ちょっとオーバーな言い方ですね。ともかく、そうだとしたらこれはいけませんね。

 最近、作曲の本選会にいったり、今日は「英国音楽留学セミナー」なるものを聞きにいったり(実際に留学する可能性は非常に低いです。日本の消費税率よりもずっと少ない。)しておりますので、この辺のことも書けたら、きっと面白いと思っておりますが、先のことは分かりません。ともかく、こうして書こうという気になったのは、自分としては非常に嬉しい。近いうちにまた見に来てください。それでは。








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