DS  magazine 2000年8月号

「僕は20才だった。それが人生で一番美しい年だとは誰にも言わせない。」とポール・ニザンは主張した。ヴィルジニーの輝くような笑顔は、苦悩した哲学者を明らかに否定している。23才にして、彼女は人生で一番美しい夏に、幸福感に溢れて入っていく。フランス人に愛され、アングロ・サンソンの国の人は彼女のせいでフランス人を羨んでいる。彼女のキャリアは順風満帆、やる気も満々だ。女優になることに憧れたオーベルヴィエの少女は、今ではポスターにでかでかと載っている。彼女が今したいこと、それはバカンスを十二分に楽しむことなのだ。

(バカンスは)どんな予定なんですか?

南仏の自分の家で少し休息します。気持ちが良くて、家庭的な場所で友人も来てくれるし、ここへ来ると気分は最高ですね。
その後は、(モロッコの)タンジールへ行くつもりです。

様々な欲望と危険のある町ですよね…

素晴らしいところ見たいですよ。複数の文化が混ざる港町で、ケルアック、バロウズ、ブライアン・ジョーンズ、テネシー・ウィリアムズやポール・ボウルズや彼の妻だったジェーンの軌跡と交える幻想のような町…

あなたもサハラでお茶を一杯飲むつもりですか?
*訳注:下線部分は「シェルタリング・スカイ」のフランス語タイトル

たぶんね。ボウルズのこの本は大好きなの。この本は今も古くなっていないと思う。この本に出てくるカップルをつないでいる共犯的なところが好きなのね。あるくだりは完全に憶えているの、彼が病気になって、彼女が後から来ることになっていて、全てが終わったと悟るところや、そのタンジールのある夜、道で迷って、彼が阿片を吸って、女を買わないかって言われて躊躇して、どこで目覚めたが覚えていないってところとかね…

東洋には惹かれますか?

私にとって、東洋って言うのは、「千夜一夜」や「アラジン」じゃなくて、「赤と黒」ね、つまり激しくて、情熱的。宗教的な気持ちを言っているんじゃなくて、土地や人間、生活と融合した強烈な関係ってこと。モロッコは大好きよ。驚きが一杯で変っていて、矛盾している国で、モロッコ人はとても熱烈なの。

年頭には「ザ・ビーチ」で我々をバカンス気分にさせた後で、今度は「レ・ミゼラブル」で皆を泣かせる訳ですね。

子供の時、可愛そうなコゼットの運命には涙したわ。ヴィクトル・ユーゴーのこの作品が嫌いな人はいないでしょう。原作を読んでいないとしても、この物語を聞いて私達は成長したのですから。十字架の道に似た道程を経たジャン・ヴァルジャンの贖罪には魂をゆすぶられる。時代と原作の神話的な側面を大切にしながら、ジョセ・ダイヤンは、単なるお涙頂戴ものではない現代的なヴィジョンを提案しているわ。

ロマンチックで意志が強いコゼットですね。

そう。感傷的な人物ではないの。惨めな少女時代のために、まさにそうよね、コゼットは人生に復讐したいのよ。戦い、自分を守るように彼女は作られてしまったのね。彼女はタブーに挑戦するの。成り行き任せにはしないわ、マリウスに恋した瞬間から、彼女は腹を決めているのよ。ドパルデューが演じるジャン・ヴァルジャンとの関係はとても美しくて興味深いわ。

ドパルデューとの出会いは、どうでした?

ジェラールはとても寛大で、凄いユーモアの持ち主ね。緊張している人を察して、彼らを楽にしてあげるのが好きなの。難しいシーンの前で私が少し困っていた時も、私の緊張を解してくれたわ。人が混乱しているのをあざけ笑ったりしないで、相手の経験不足やナイーブさを軽蔑せずに笑ってくれるのよ。でも「僕はこんなことは何百回もやってきたよ、なんでもないさ、大騒ぎしなくてもいいんだ。」って言うのではなくて、他人の恐れや心配を最小限にしなくても、大げさに考えないようにしてくれるのね。体は威圧的な感じでも、力と軽さが混在した動きが素晴らしいのね。

今回の「レ・ミゼラブル」の目新しいところは、ジャン・ヴァルジャンとコゼットの「近親相姦」的な関係がありますね。

この関係はもちろん成就することはないけど、それはファンタジーみたいなものだと思うの、でもジョゼはジャン・ヴァルジャンがコゼットの「父親」ではなく、一人の男だってことを見せたかったのよ。あの人物には変態を匂わせるところは全くないし、15、6歳で、サナギから出て若い女性へと変化を遂げる娘に当惑しているだけ。忍び寄るこの曖昧な部分を出すのが面白かったわ。彼女を失う以上にジャン・ヴァルジャンはコゼットがマリウスに恋するのを我慢出来ない理由のひとつがそれなのよ。ヴィクトル・ユーゴーの小説にはっきり出て来るこの曖昧なところは、父的なトーンで扱われていたわ、見捨てられた少女が寛大なヒーローに養子にされ救われるの!

脚色をしたディディエ・デコワンヌは、「ジャン・ヴァルジャンのコゼットに対する狂気の愛は、原作の中核をなすものだ。この本の冒頭の言葉にはニーチェのこのフレーズを書くことが出来るだろう。"愛が原因で起こった全ては、善悪を超えている"と。」

コゼットはジャン・ヴァルジャンの過去にだまされているわけじゃないの。その事をマリウスに「ありのままの彼を愛しているの、彼が何をしてきたとしても」って説明するでしょ。ニーチェの引用は素晴らしい愛の告白だけど・・・曖昧な文よね。善は何なの?悪って?今の世の中を見たら、こう言った考えはあらゆる場面で陳腐化している傾向にあると思う。同時に一種二元論的でもあるわね、一方が白で他方が黒。普通はもっと複雑なものだと思うわ。

「善意」や芸能界を売り物にした勧誘、特に人道主義に関することにはいつも気をつけていますね。

物事を変化させるために誠実に人が行動している時は、用心したりしないわ。違法在留の移民労働者たちのためにエマニュエル・ベアールが立ち上がった時は、彼女は誠実だったけど、ある瞬間に彼女自身に逆噴射して、散々な目にあった。誠実に行動できる人は少ないわ。エコー・ド・サバンナが違法在留の移民労働者を泊めてもいいかどうかを請願者たちに匿名で聞いた記事を発表したわね。唯一「ええ、もちろん。」と答えたのがエマニュエル(ベアール)だった。ベルナール・モンシェルも私は信じるな。他の人たちは皆逃げてしまったのよ。同時に皆自分のやり方で意思表明するし、公に政治参加することも出来るし、目立たなくてもそう出来るわ。毎日モラル的に参加することだって可能でしょう。私は「先鋒」にいたいとは思わないわ、請願することが無駄で必要のないことだと言うつもりではないけどね。でもそれは重い選択だし、重大な決定よ、署名することが大したことだと思えないとしてもね。選択をきちんと評価することでもあると思う。とても複雑だわ。

今はあなたにとって、全てが加速していますが、自分のキャリアの始まりをどう見ていますか?

メディアの加速には及ばないけど、まだ評価する段階には来ていないと思う。23歳で、まだまだ見ているつもりなの、自分自身ではなくて、自分の仕事をね。体系的にミス・キャストを探さないで、ある種の映画だけに自分を縛らずに様々なプロジェクトと異なる役柄を演じて来れて満足しているわ。アメリカの大作の「ザ・ビーチ」からラジカルな映画(Etat des lieuxや Ma 6T va cracker)を撮って来た若い監督のリシェの映画に出て、素晴らしい俳優たちと高尚なセリフでテレビ映画の「レ・ミゼラブル」を大勢の人に見てもられるのは、刺激的なことだわ。

ディカプリオと共演したダニー・ボイル監督作品の「ザ・ビーチ」は世代の映画と言う触れ込みで、期待ほどの大ヒットはしませんでしたが。

フランスでは200万人近い観客動員があったし、世界的に見たら、大丈夫よ、映画には売り方があって、特に大予算の作品はそうなのだけど、後でメディアが主導権を取る。新聞で騒ぎ立ててくれなんて誰も強制していないのにね。私は「ザ・ビーチ」は興味深い、ハイブリッドな映画だっていつも話してきたわ。それは本当よ。15歳の若者たちはこの映画と素晴らしい関係を持ってくれた。彼らには参考になる部分がたくさんあったと思うわ。

今では、どの俳優も、大スターでも映画の成功を保証できませんね。観客は裏切りますからね。

それはまた別問題よ!私が映画に出る時は、ヒットするかどうかは考えないわ。それに予想した時は必ず間違っていたもの!私は自分自身が楽しめて、自問出来て、驚いて、感動出来る映画が撮れればそれでいいの。映画に出るんだって言う核心的な理由がある、そう言う気持ちにさせてもらえればいいの。後は、映画館で観客があるシーンをどう受け止めるか観察するのに映画を見たいのね:4人は泣いていたけど、他の3人は退屈であくびをしてた・・・その理由は?本当に面白いわよ。

自分の選択では何を優先させたいですか?

感情ね。涙だけではなくて。エイズを扱っていた「ジャンヌと素敵な男の子」で私が好きだったのもそれよ。エモーションは主題の重さから来るものではなく、トーンや登場人物たちの気持ちやユーモアからも出てくるのよ、映画が提案する疑問からも生まれるわね、だからイライラもするし、腹立たしくもなるし、困惑もするの

カトリーヌ・ブレイヤの「ロマンス」やヴィルジニー・デスパントの「Baise-moi」のような映画が起した論争について考えました?

いいえ、あの手の映画の話はしたくないわ。例えば私が腹立たしくなったのは、スコセッシ監督の最新作やクローネンバーグの映画ね。「クラッシュ」は素晴らしい映画だけど、病的すぎるわ。中立な意見を許さない映画ね。感情に流されて、おかしな気分になって、どんな感情かも分らないし。「スー」にもショックを受けて劇場を後にしたわ、その時はうんざりした気分で、出ていた女優もへんなのと思ったけど・・・翌日この映画を素晴らしいと思ったの。感情を動かされたことを認めることが出来るまで時間がかかるほどショックだったのね。

上質の映画は、自分を探しに来てくれる映画ですね、忘れがたいイメージを残してくれるような。

そうね。この映画は私の中で埋もれていたものを呼び起こしてくれたのだと思う。

あなたがポーズを取るのを見るのは面白いですね、セクシーなイメージと簡単に戯れる感じで。

それがこの商売の基本ではないわよ、セクシーなドレスを着て写真を撮られるのはクレイジーな面があるの、別の演技形態ね。自分自身のイメージの反対側へ行くのは時には面白いこともあるの。

"ミーハー"にはならずに、あなたはエレガントな感じで装うのがうまいですよ。

肉体的には苦労しますね。女優は、状況によってはファンタジーにもなれるけど、衣装を着てなら、楽しいわね。でも私は不自然な感じになったり変装するのは嫌ね、15年もこの仕事をしてるから自分を分っているのよ。私は、少し夜には綺麗な服とハイ・ヒールを履きたいし、翌日にはジーンズとTシャツでセクシーな気分になりたい女性みたいなものね。(ジェーン)バーキンは最高にセクシーな女性の一人でしょ?

映画のプロモーションや国際的な(映画)祭、ロレアルのキャンペーンと、贅沢と幻想の極みで生活をしていて、現実に引き戻してくれるのは何ですか?

私の私生活でしょうね。近親者や友人、仲間、業界人ではない人もいるし、全員がそうではないですが、何が何でもこの仕事をやって行くぞと言う考えは私にはありません。映画の撮影で出会った人たちで、私を感動させてくれて、彼らとは仕事以外の話はしませんけどね。現実に戻ってと言うことですが、自分が生きている世の中を見るだけで十分ですよ。自分が幸運なのは認識しています、運も挑み合いますけど。この仕事をしていると、すぐに現実に戻れるんです。撮影や映画祭から帰宅するだけでいいんですから。ルーム・サービスもないし、送迎のリムジンもありません。宝石を身に付けたり、ボディガードなしでスーパーへ買い物しに行くんですよ。

あなたのような若い女性は夫婦愛をどのように想像していますか?

相思相愛かな、でも恋愛的な意味だけではなくて、つまり自己実現のため二人で知的に発展しあえるような、同時に自分で考え行動できるような愛し愛され方がいいと思う。経済的独立は絶対的なものじゃないわ、女性によっては自分の仕事で実現できるし、子供を育てるほうがいいと思う女性もいるでしょう、でもだからって彼女たちは満たさせてないと言うことにはならないし。

夏は誘惑が多くなりますが、貞節と言うのは、今でも健在、あるいは死んだ価値観ですかね?

私はアドバイスできないわ。互いに裏切らない夫婦は、欲求不満で幸せではない場合もあるでしょうし、裏切りあってうまく行くこともあるでしょうしね。でもとっかえひっかえの男性がいいとは私は言うつもりはないわ!「好きなことをやっていいよ、時間があったら明日会おうよ」なんて言ってた70年代に生きてるわけじゃないし。私は病的な嫉妬に苦しむタイプでもないから・・・「きちんと話しましょう」と私なら言うわね。でも選べるなら、私は知りたくないわ。でも本当に好きになってしまったら、「ねえ、僕は構わないけど、そうしないでくれないか。」って相手には言わないでしょ。

男性には何を望みますか?

幸福!自分を楽しませてくれて、毎晩クラブへ連れて行ってくれるとかじゃなくて、生きてるって感じさせて欲しい。おかしくて、知的で優しくて、親切で、驚かせてくれる人かな、でも一緒に暮らせる範囲でよ。知的にも肉体的にも競争心があって、大切よね、社会的にも気力の面でも。

そんな男性っていますか?

いて欲しい・・・いると思う。

今では強い女性たちに男たちは困惑していますが。

そうね。男性が不安定なのは女性の自由だけではないわ、変化する社会が原因よ。今の社会は昔に比べたら硬化してるし、冒険を許さないでしょう。人間関係もどんどん難しくなっているし、それが良くわかるから結婚もより張り詰めているのね。

あなたは楽観的なんですか?

私は人間性だけじゃなくて、個人個人の人間を信じているから、楽観的かな。私は人間嫌いじゃないし。エイズと言う暗黒の時代から抜けきれていないけど、そのお蔭で70年代とはかなり違った意識が生まれたのだと思う。世の中、よりプラグマティックになったけど、同時に、愛があるから生きていけるのだと思います。★

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