俳優と映画での役柄に関して、あまり語られないことがある(おそらくファッション誌では別かも知れないが):俳優たちの衣装だ。この”詳細な点”を忘れてしまうのには間違いなく理由がある、それは衣装が俳優を作る訳ではないからだ。しかし時には役に完璧にマッチした衣装のおかげである作品を思い出すこともある。この事は(よく帰納的に)衣装または外的な豊かさのサインを「印」のようなということではなく、ある考えや特異性または「マクガフィン」を示すからだ。レオーネ作品のマカロニ・ウェスタンのケープやタチの作品で靴が丸見えになるショート・パンツ、テシネ作品のドヌーブの控えめなパステル調のスーツ、ガレル作品の登場人物が着こなすダブダブの「服」、イーストウッドの『パーフェクト・ワールド』のコスナーが着ていたジーンズ、ユスターシュの『サンタクロースの目は青い』のダッフルコートなどを思い出してもらえば十分だろう・・・
『冷たい水』でヴィルジニー・ルドワイヤンが見せた驚くべき演技について言う前に前置きとして言っておきたいのは、あるディテール、バルトが言っていた puctum に僕は強い印象を受けた。それは彼女が着ているロング・コートの右肩に縫い付けられた小さなドイツ国旗だ。これはアサイヤスが偶然に選んだものだとは考えたくない。それには2つの特性があるからだ。ロックという面で言うと、70年代にだけ限定されないという強みもあるし(古くならないし、60年でも”モッズ”の連中が着用してたから)時代再現という意味では用心深いアサイヤスが仕組んだものだからだ。あの紋章は『冷たい水』が多くの面でインスピレーションを得たと思えるランボーの詩オフィーリアに登場するユリを参照しているのではないだろうか?常に着込んだまま、ヴィルジニー・ルドワイヤンは寒さから体を守る甲羅でもあるかのようにこのコートと一体化している。彼女には少し大き過ぎるので、これも冬のお話であるアラン・タネールの"La Salamandre"でビュル・オジエが着ていたコートを思い出さずにはいれない奇妙なシルエットをルドワイヤンに与えているのだ。
『冷たい水』ではヴィルジニー・ルドワイヤンは水を具現化して、誠心誠意演じている。流れ(スーパーでのシーン)淀んだ湖(精神病院の部屋での動きのない不透明な感じ)滝(父親が経営する店での卒倒)など、一度に様々なレベルで演じ分けている。天使の如く、悪魔の如く、明るくなったと思えばまた暗く、この女優は明らかに何も恐れてはいない。彼女は困難な賭けにも挑んでいる。クリスマス・イブに撮影された氷の様な水の中へ入っていくロングショットに堪えることだ:「最小限の時間でとても難しい状況で出せるものを全てを出す必要があったの、本当に物凄く寒かったのね!撮影はたった21日間だったの。絶えず緊張感があって、それが刺激にもなったのね。あまり自問せずに、直感で演技しようって思っていたの。本当は長廻しの撮影は好きなのよ。本当に長いやつもあったわ、警察署のシーンとか。その間は本当に激しさが保たれるの。いったん始まると、自分の台詞が途切れていかないから、とても短いシーンでは時々そうなる事が多いけど、持続性と突発性が壊れてしまうことがないのよ」
売り出し中の若手女優が持つ愛嬌さを振りまくでもなく、新人の臆病さもなく、ヴィルジニー・ルドワイヤンは17歳にしては驚くような冷静さを放っている。また『冷たい水』は彼女の初めての映画ではない。少女時代には宣伝にも楽しんで出ていた。13歳半でフィロメーヌ・エスポジート監督の『ミマ』に出演、それからクリスチャン・シャロンジュ監督の『子供泥棒』にも出演した。最近ではあのマルセル・カルネが彼女を主役に抜擢したが、その作品の撮影は中断されてしまった。彼女はどうやってアサイヤス監督と出会ったのか?「監督不在の最初のオーディションを受けたの、とても滑稽だったわ。幼いころやってしまった最も”バカ”げたことを話しなさいというインタヴューだったのね。でも私はトラブルが多い子供時代じゃなかったから、答えられなかったの(笑)本当に反抗的な人を起用して、私なんか絶対選ばれないって思いながら帰宅したわ。それから一ヶ月したら、監督に会わないかって電話があったのね
僕は彼女が初めてこの作品を見たとき、自分と作品自体をどう思ったのかを尋ねてみた。「常にうまく出来たとは思えなかったし、普段は大嫌いな自分の声を聞くのが大変だったわ。演技も一本調子のような気がしたし。でも映画はとても感動的だと思ったわ。自作で自分が出て来るのを待って判断を下さずにイスに座ったまま、映画を見たのは初めてだったの。ストーリーが自意識に打ち勝ったのよ」■

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