Interview Thierry Klifa インタヴュー:ティエリー・クリファ

Femme, Septembre 1997

ヴィルジニー・ルドワイヤンは確かに自分の時代を生きている女優だ。自分で運転している車の駐車にてこずっている。インタヴューを始める前に、彼女はさりげなく、持っている携帯を切った。夢想して生きている女優のはかないイメージを払拭して、彼女はジェラール・クラウジック監督の「プレイバック」の公開を見守っている。この映画では、栄光の光と影(頂点と失墜)を経験するロック歌手の役を演じている。

よく考えてみると、彼女の自然な陽気さとは悲しい程対照的な、白壁のありふれたこのオフィス以外の場所で、会えばよかったなと思う。時間さえあれば、彼女を木がそびえたつ、ルクサンブール公園へ連れ出せたのにと。天気が良ければ、ジェーン・オースティン、エディット・ウォートン、マルグリット・デュラスなど独立した小説家が好きな理由を教えてくれたかも知れない。

映画では、涙もののラヴ・ストーリーや、SFや推理物も好きだと言って、あなたを驚かせただろう。一緒に散歩しながら、すこしためらいがちに演劇学校で過ごした少女時代を語ってくれただろう。彼女の役柄にはどうして孤独な少女が多いのか尋ねると、そう言ったイメージを監督たちに沸かせるからと誠実に答えてくれただろう。現実に戻ろう。すぐに嵐になるそうな気配。イヤな始まり方の夏。ヴィルジニーは平気らしい。既に「ジャンヌと素敵な男の子」の撮影に入っている、ジャック・ドミー風のミュージカルで(実際の息子であるマシュー・ドミーが出演している)彼女は歌も歌うし(吹き替え)ダンスもする(息を切らせて)"撮影を見に来ません?"と無邪気に尋ねてきた。

こっちが答える前に、彼女の心はもう別のところに行っている。「プレイバック」の感想を聞いて来た。"いい役だったし、お話も気に入ったわ。ジェラール・クラウジックも親しみやすい人だったし。自分の世界を持っているし、私はある監督とは仕事するけど、他の人とはしないって言う女優じゃないから。自分は演じる役に似てるかなあとか考えないしね。役柄が最終的に自分に似てくるのよ。役に自分の声、体、容姿を貸すの。今回のジョアンナと私は全く共通点はないし、これまで演じた役にもないわ。自分に似ている子の役をするのは好きじゃないわ。自分を演じるなんてできないもの。" 軽く日焼けした活発な女性の姿の後ろで、全てが輝いている。すぐに華奢でおちゃめなシルエットに目が留まり、特に本当にあどけない微笑みに引かれるだろう。ヴィルジニー・ルドワイヤンはガラスのぶ厚いめがねの奥で、何分か前に髪を少し乱して到着した時、あなたが彼女を見たのと同じようにこっちを見つめている。自然にくつろいだ感じで、こっちが手にしているカードを気にせず、質問にはきちんと答えられることを一瞥で理解させたい時のある女優しか持ち合わせない確かさで、あなたの前に腰を下ろす前に、コーヒーと水を一杯注文する。見た目では、全く動じるところがない。なおさら好都合だ。ヴィルジニー・ルドワイヤンはこの世界でもう何年も仕事をしていることを言っておく必要がある。

彼女は二十歳と言う若さだが、「子供泥棒」ではマルチェロ・マストロヤンニと「沈黙の女」ではイザベル・ユペールと言う素晴らしい俳優たちと共演し、彼らを観察することで、この特別な職業のメカニズムやしきたりを時間をかけて理解してきている。ここしばらくの間、マスコミ、アメリカの映画監督(去年NYで「シングル・ガール」が公開され、ウディ・アレンが絶賛した)レベルでも注目を集め、2000年には、最も仕事を望まれる女優の一人になる条件が整っているが、ヴィルジニー・ルドワイヤンは冷静だ。脇役だった「メランコリー」と「沈黙の女」以外では、私が出演した映画は、ヒットした訳でもないしね。同時に、私は厳しく、筋の通った選択をしてきたつもり。迷ったことはないわ。観客は私に好意的だど思う。でも変なのは、女の子よりも男の子からよく手紙をもらうの。彼らが言うには、私に親近感を憶えるみたい。でもその方がいいもの、スクリーンできちんと見てもらうには、私と観客の間に近さがないとダメなの。演じるってことは、人を見て、観察して、人と調和を保つってこと。自分がUFOみたいな感じで見られたくないし、自分たちの関心事には全然関係ない人って思われたくないしね。

慎ましく、ヴィルジニー・ルドワイヤンはオーベルヴィリエでの自分の少女時代を語る。物に不自由したことはなかったこと、活発で、おしゃべりな子だった。自分の過去を語る時、彼女が使う言葉は、実直そのものだ。現実を飾り立てようとは決してしないし、感傷的なことも言わない。市場で働いていて、映画へも連れていってくれた父親のことを優しさを込めて語る。彼女の母親は、幼いヴィルジニーが、ファッション写真を撮った後、演劇学校へ入るために、通常の勉強を止めてしまうことが心配だったそうだ。しかし、幼く突飛な彼女の考えを尊重し、やりたいようにやらせてもらえた。彼女はダンスを習った。日付に厳格な彼女は、スクリーン・デビューは9才の時だったと教えてくれた。" les exploits d'un jeune don juan "「蒼い衝動」と言う映画だ。彼女以外、この映画を憶えている人は少ないだろう。栄光と認められることを夢みていたのね。そうじゃないって言ったら嘘になる。いつも女優になりたかったのよ。女優はみんなきれいだったもの。私も有名になりたかったの。でもフィロメーヌ・エスポジートの「ミマ」に出演できた後で、女優の仕事というのは、きれいな服を着て、髪をきちんととかせばいいだけではないのが理解できた。初めての撮影の幸福感の後には、不安、試練、作家主義で有名な監督たちと仕事をすることで、女優のいろはを憶えることが続いた。

オリヴィエ・アサヤスとブノワ・ジャコーが彼女を自分たちのミューズにした。彼女は美しく、自信に満ちている。誰にも止めることが出来ないだろう。セザール賞にも数回ノミネートされた。自由を満喫して成長し、なぜ女優になりたかったのか本当の理由も理解して、同じ横柄さを目の奥にたたえた大人に少しづつなっている。4年前、エリー・シュラキの「メランコリー」の撮影現場で、彼女とすれ違ったのを憶えているでしょう。彼女は決心していて感動的だった。この仕事の難しさについて忌憚のない質問をジェラール・ランヴァンにしていた。彼女には16才と言う年齢からくる横柄さがあった。彼女は若さがもたらす無頓着さが、言わなくても、気まぐれで高慢ちきであることを望んでいた。シャモニーへのこの旅行を思い出させると、彼女は少し顔を赤らめ、自分も少しは変わったと認めた…私って、何をしたいのかよく分からないことがあっても、したくないことはすぐに分るの。きちんとした存在感がある人物を演じたいと思っていたの。いつも白黒つけたがる面があるのね。自分の欲しいものを知っているの。

以前は、制度というものに対して反抗的だった。あるがままの自分を受け入れて欲しかった。単なるイメージじゃなくて、女優になりたかったの。ゲームには参加したくなかったのね。時間が経つにつれて、常に反抗している訳にはいかないし、あんたたちなんかクソくらえ、私の方が上よ!って言えないことも理解するしね。

同世代の若者に似て、一人よがりで、同じ時代を生きる者の未来を暗くされるのが、彼女は大嫌いなのだ。反対に、自分の世代は、勇気があり、力強く、変化する社会を意識していると彼女は思っている。かなりバイオレントな"Ma 6-T va Crack-er" では、躊躇せずに抗議の旗をひるがえした。それはジャン・フランソワ・リシェの政治的意見と同じでなくとも、彼女が固執した目配せだった。映画が心を開いてくれたとしても、ヴィルジニー・ルドワイヤンは、自分の青春がなくなったとか、普通の生活が奪われたとは決して言わない。その証拠に彼女は普通に恋愛もしているし、他の大勢の女性と同じように、いつか自分の子供が欲しいと思っている。

恋愛のほうはとてもうまく行ってるの。いつも女優をしてても、フィアンセとコメディーを演じないわけじゃないもの。男の人とは健康的なお付きあいをしていると思う。ただ楽しければいいって言うだけじゃつまらないもの。彼女はそれ以上、教えてくれなかった。ミステリアスな感じも彼女には似合う。彼女が行ってしまうと、頭に残るのは顔ではなくて、彼女の声だ。いつも熱っぽくて、メランコリックな声を忘れることができない。

ヴィルジニー・ルドワイアンは20才だが、自分に影響力があるとは思っていない。反対に、彼女が望んでいるのは、映画が人々にもたらす少しばかりの幸福な時間。幸福? へんですか!でもそれだからこそ、以前演じて来た悲しい女の子から離れて、次回作ではとにかく生きるのが好きな女性を演じるのだろう。待ち遠しいね。★

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