「父が私に言った反対のことをしたの、声に仕事をさせたの」

彼女は20年間録音スタジオに足を踏み入れたことがなかった。しかし歌いたいという気持ちはあった、それは山のような不安の裏に秘められ、父の影の中にあったのだ。今日、自分に親密なアーティストたちに囲まれ、シャルロットは2枚目のアルバム 5:55 のために勇気を奮っている。会った後では、特にその声が記憶に残る。優しく繊細で、軽くヴェールでもかけてあるような、囁きに限りなく近いので、シャルロット・ゲンズブールが会う約束をしてくれたサロンのひっそりとした雰囲気の中でさえ、きちんと録音出来てるのか時々不安になったほどだ。生き生きとして偶然や亀裂に満ち、ためらったり、夢中になったり、恥ずかしそうでメランコリックなつぶやきから何も聞き漏らさないように注意した。フランス語にせよ英語にせよ、この薄れていく息使いが持つ不安と奥深さを掴もうとする映画監督たちはますます増えている。(1)そしてミュージシャンも同じように魅せられている。彼女が夢中だったポップ歌手のエティエンヌ・ダホを皮切りにマドンナは歌の中にシャルロットが囁く言葉を忍び込ませ、レディオヘッドのプロデューサー、ナイジェル・ゴドリッチは、シャルロット・ゲンズブールという名前に付く神話よりも、彼女の声に魅せられ、一緒に仕事をしたかったとコメントしている。エールのフランス人ミュージシャン2人も同じ意見だ。この2人がカムバック・アルバムの作曲を手がけた:「彼女の歌声はまだまだ健在さ、とその1人が言う。男性的で同時に女性的なんだ。信じられない位、幅が広いね」別の1人が言う「彼女はすぐに音楽に時空を超えたような印象をもたらしてくれるんだ」
歌手シャルロットを覚えているが、それはもう昔の事だ。80年代、黒のビニール製45回転の最後の時。そのアルバムの時代(シャルロット・フォーエバー 1986年)恋する父親に守られて、まるで催眠にでもかけられ、不機嫌そうな少女のレモン・インセストと酸っぱいリフレーンを記憶している。その女性はスタジオへの道と歌う楽しみを再見するのに20年かけた。そんな風にできた訳じゃない。彼女にとっては全てが軽快とは思えなかっただろう。引き継いだものの重みや「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」のカルトな愛のデュオが生み出した声に移植されたポップの幻でもない・・・ここ数年の間、歌の誘いが途切れたことはなかった、しかし不安とためらいに足をすくわれて来た。彼女はその勢いを一旦沈めて、機が熟すのを待つことにしたのだ。完璧な仲間が集まるまで待つことにした:エールのミュージシャンはソフィア・コッポラ監督(ヴァージン・スーイサイド)ために女の子たちの夢想の音楽を書いた;ナイジェル・ゴドリッチは彼女が大好きなグループ、レディオヘッドのツアーの仲間だ;そしてジャーヴィス・コッカーはかつてのパルプのメンバー、イギリス・ニューポップの新鋭作詞家の一人だ。エールのニコラ・ゴダンが言う。「スペシャリストの一団だよ。全員がベストを尽くしてくれるだろう。世紀の強奪のために集まった泥棒軍団みたいな感じさ・・・」
大人になったシャルロット・ゲンズブールの初アルバムは、8月下旬に欧州で発売され、その後日本とアメリカにも輸出されるが、スターの気まぐれじみた部分は全くない。不安な彼女は録音スタジオで数ヶ月を過ごし、くっつき、また離れるミュージシャンたちの裏で一本また一本と煙草に火をつけた。自分の不安と拒絶心に打ち勝つためには全てが良い状態に思えていた。自分を解放し、勇気を奮い立たせるために自身を酔わせ、(「余計にスローになってしまったの」)歌う時には身を隠し、最後には本当の恥かしがり屋が持つ厚かましさと寛大さで身を任せるために自身の声を聞くことを拒んでいた。映画の時と同じく、「演技指導される喜び」を探していたのだと言うが、しかし歌から次の歌へとベテラン・オーケストラのバトンを振って行くのは歌手本人なのだ。「自分にそっくりのCDにしたかったから」と彼女は言う。それが5:55、ノクターン(夜想曲)なアルバムだ、これまで知らなかった女性シャルロット・ゲンズブールを浮かび上がらせる:悩み、空想し、恋をして、セクシーで毒もある。このCDのトラックを豊かなものにしようと、彼女は自分の話をたくさんしてくれた。自分のやり方で、何食わぬ様子で、録音前には数本の映画同様『狩人の夜』『忘れられた人々』『シャイニング』『オズの魔法使い』・・・自分の人生と演じて来た役についての考察の一端をミュージシャンたちに聞かせている。これらの作品に共通しているのは幻想的な空間と困惑するような夢のシーンの演出だ。女優の彼女が好きだと言うデイヴィッド・リンチとアンジェラ・バダラメンティのCDやウォン・カーワイ作品のサントラのように5:55の歌を一つにし、糸口になり、見た目とは違うようにまとめているのは夢なのだ。女優そして今、歌手のシャルロット・ゲンズブールは繊細に感動的に歌うことで際立っている。夢の中での如く、自分を曝け出すことで、感情と思い出にも影の部分をつけようと、表現しながら。 (1)ミシェル・ゴンドリー監督最新作のこと。
 

テレラマ:お父さんと共に出した最初のアルバムから20年という月日が流れました。歌うのはイヤだったのですか?
シャルロット・ゲンズブール:ひっそりとよみがえって来たんですね。長い間、何かを口実に歌おうとは思わなかったんです。父と一緒に録音したのは12歳と16歳の時で、父なしで自分ではどうしようもないことは明らかでしたし、父が亡くなった以上、もう歌うことはないって思っていました。でも歌って楽しいなと思う自分もいたんですね、でも時間もかかって父の後、(歌うことの)正当性を見出さなくてはならず、それが私にはあまりに難しいことだったんです・・・いろいろやってはみました。初アルバム Dummy がとても良いと思ったポーティスヘッドとコラボレーションしようと思い、モビーに会ったのですが、うまく行きませんでした。自分の欲求がそれほど強くなかったんでしょうね。それからマドンナが歌の中で映画の台詞の1部である私の声を使ってもいいですかと聞いて来たんです。それを聞いて、突然私に(歌う)許可がおりたような感じで驚きました・・・・これは父とも無関係で、異なる感じで音楽に乗った私の声だったんですね。これなら私にも出来るって思ったんです。

テレラマ:歌は全く歌って来てなかったんですか?
シャルロット・ゲンズブール:来てなかったですね。自分は歌手だと思ったことはなかったですし。初めて歌うことに取り組んだという感じです。レコーディングの初回は酷い出来だと思いました。私が期待してはものとは程遠い感じで。自信が持てずに、それが声に出てしまいイライラするほどでした。声が震えてしまって。感受性が強すぎたんです。経験としては素晴らしかったですけど、すごく嬉しくなったり、落ち込んだり、完全にパニック状態になったりが混ざったような気持ちで・・・最後に歌うのにうまく行ったのは、自分を隔離することだったんです。シーツの後ろに隠れて、私の声を聞かないように頼みました。その方が自由になれたし、より楽に自分を解放できたんです。それに凄い量トレーニングしました、父はいつもボイス・トレーニングはするなって、歌のレッスンは受けるなって言っていました、脆さや偶然さを逃がさないよう、自分が歌手じゃないことを受け入れるためにそうしろと言われていたんです・・・

テレラマ:お父さんにとってはそれがコントロールを保つ、歌い手を自分の世界へ招き入れるやり方だった訳ですね・・・
シャルロット・ゲンズブール:そうね、父は演出家、ガイドになるつもりだったんですね。あまりに完璧でコントロールされた声って退屈になるかも知れないと思うんです。とにかくこのアルバムのために、私のガイドとして、父はいませんでした。それに私は脆い小声が聞こえて来るようなCDを作りたくはなかったのですから。

テレラマ:お父さんとはどんなレコーディングだったのですか?とても違ったやり方だったのでしょうか?
シャルロット・ゲンズブール:ええ、5日間でアルバムを作ってしまうんです!1日に歌を2曲、1曲に5回以上録音することはしないんですね。私も最大限がんばりましたけど、当時はあまりに幼かったので!客観的になれませんでしたし、歌えて嬉しいって訳でもありませんでした・・・父に言われた通りに、もう文字通りにやったに過ぎませんでした。父は指揮者みたいに私を見てマイクのすぐ前にいました。父に任せきりで、完全にされるがままでした。それが嬉しかったんです。録音できたものを聞きもしませんでしたね。当時はそのCDに満足していましたが、今では全く違います!今また聞いてみると、自分の声が全く気に入らないのですよね・・・でも反対にレモン・インセストは鳥肌が立つんです。あまり頻繁に聞くことはないんですが、とてもうまく行ったと思っています。父の声と私から父が引き出したもので、すごくチャーミングな脆さがたくさん出てて。

テレラマ:モダン・ポップスターたちと英語でレコーディングしたアルバムで、ゲンズブール色の世界から逃避したかった訳ですか?
シャルロット・ゲンズブール:そうですね。あらゆる方向にバリアを張り巡らせたんです!高音で歌うと、母の真似のような気がしたんですね。フランス語で歌うと父を思い出し過ぎてしまうんです。最初の頃は連想されるだけでも怖くて仕方なかったのです。だからすぐにCDは英語で作成したいと思いました。フランス語のあらゆる単語が私が好きだったり、それほど好きじゃなかった、父のもろもろの事を連想させてしまうんですね。フランス語で歌うには父への尊敬の念が強すぎるから。英語での方がもっと自由ですね・・・いまこうしてCDの話が出来るので分るんですが、いつも話が父へと行ってしまうんです。もちろん常に影響を受け続けている訳ですけどね!だからこそ、このアルバムのレコーディングはあまりにも微妙でした。なんとかやり繰りして自分の物にできたんです。でも自分の限界を感じた場面もあったし、父を思い起こすことが無理なこともあったし。まずあまりに大切で親密なことですし、亡くなった人のことを話すのってとても辛くて。どこまで話したらいいのか分らないし。スケジュール作成の問題みたいな感じですね。バカみたいなもので:一日2時間でも平気な時もあれば、駄目なこともある。体が硬直してしまうんですね。父のことをとても才能のあるミュージシャンとして話そうとするんですけど、そんなに簡単には行かないんです。

テレラマ:ジャーヴィス・コッカーの歌詞を選んだのはなぜですか?イギリスのポップス界では最も著名な作詞家の一人ですが、アシッド(辛らつな)な人ですが?
シャルロット・ゲンズブール:ジャーヴィスはまだ歌詞がなかった時に、全く偶然にやって来たんです。彼はいいタイムングで来てくれたのですが、最初は私が苦労してしまいました:彼が最初に書いた歌詞を自分は到底歌えないと思ったんです。ジャーヴィスはお互いに話をしないで一人で詞を書いたんですね、私のイメージや公での私とあまりに戯れていて、私が三人称で自分の事を話しているような感じでしたし、父の話もさせられました・・・全部私が避けたいって思っていたことばかりで。毒々しい一面も出してくれて、私が受け入れがたい感じでした。でも私に手紙をくれたので、それにも納得して行ったんです、でもアングルを広くするように彼に何度となく頼みました、彼のパルプとのスタイルは挑発的で、私も好きなのですが、自分には向かないって思うんですね、自分が取り込めるものには限度もあるし。

テレラマ:作詞家にとって、あなたにはお父さんがやったようにもてあそべる若い世間知らずというイメージが未だにあるのでしょうね。
シャルロット・ゲンズブール:そうですね。でもそれは私も面白いと思います。ニール・ハノン(ディバイン・コメディ)が正直とてもセクシャルな、少し大胆な詞を書いてくれたんですね、とても気にいっていたんですが、最後まで仕上がらなくて。別の曲ビューティ・マークでもとても親密なイメージがあったんです・・・エロチックなほのめかしで問題はないんですが、私は馬鹿じゃありませんから、お利口さんという自分のイメージと遊べるのは楽しいんです。私はそうしたことですぐにショックを受ける方じゃないので。

テレラマ:歌う時のことを、それ以来考えているんですか?
シャルロット・ゲンズブール:TVの生放送でもう歌う予定になっているんです。でも出口の用意もしてあります。当然ですよ、今まで経験のないことですし、自分に出来ることかどうか知るすべもないので・・・(人前で)歌うことはやってみたいと思いますけど、どうなるか分らないけど、どんな事をしてまでもやってみようとは思いませんね。リハーサルをしながら、少しは緊張を解せるかどうか見てみます。それが嬉しさの一部にならないと困るし。表情をつけるためにピアノで練習しようと思います、でも緊張すると楽器を弾きながらは難しいでしょうね、少し敷居が高いのかも・・・それにピアノではあまりにロック調じゃないし、でも「自分は踊れないし、動けないし、こんな風にマイクを持つのはイヤ」なんて思ってしまって。あやゆる事が問題になりそう、成功するとは言い難いわね・・・(笑)・・・でもやってみるわ、私は辛抱強い方だから。

テレラマ:このCDに関わった人たちは、あなたは自分をとても過小評価していると思っていますね・・・
シャルロット・ゲンズブール:全てそんな風に受け取ってしまうんです。映画の撮影でも同じですね。上手く行ったわという思いに安住できないんです。自分がしたことに満足する度に、その次の日になるとだめなんですね、自分なんか最低だと思ってしまって。自分で自分を不安定にしてしまうんです。それが私のやり方なのかも知れない。すごく疑う気持ちが強くて。時々辛くなりますね。疑い過ぎるのは、あまり役立たないので。

テレラマ:そうした疑いの気持ちはいつ沸き起こったのですか?
シャルロット・ゲンズブール:(キャリアの)始めにはあまり自問しなかったのは確かですね。レモン・インセスト(84年)と『なまいきシャルロット』(85年)の頃は、全てをお遊びみたいに捕らえていましたから。演技が楽しくなって、それを職業にしたいと思ったら、もうダメです、厚かましさを失ったんですね。成功したかったし、挑戦したかったの。『小さな泥棒』(88年)、『メルシー・ラ・ヴィ』(91年)に出演した頃から、本当に女優になる決心をしたんです、そしたら可笑しいんですが、しばらく役がもらえなかったんですね。18歳から21歳まで、大した仕事がなかったんですから。オファーされる役が好きになれなくて、いつも同じなんです、ミステリアスで少し秘密めいた感じの女性で・・・それから20歳位の時私は演劇を勉強したことがないって感じ始めたんですね。当時イヴァン・アタルと出合ったんです。彼はフロラン出身*で、そこに住み込みで勉強してました、役作りを楽しんでいて、アクターズ・スタジオや私が知らなかったワクワクするような事を話してくれました。彼にはメソッドがあるのに自分にはない事に困惑したんです。支えがなく、全く自分は女優とは思えず、本当の女優になりたいって思ったんですね。学校に入ろうとも思いましたけど、映画の経験がない他の生徒たちと一緒なのは恥ずかしいってその時は思ってしまったんです。その勇気がなかった訳ね。

(*)訳注:フロラン(演劇学校:フランス映画界の一線で活躍する俳優陣にはこの学校の卒業生が多い:イザベル・アジャーニ、ダニエル・オートイユ、ドミニク・ブラン、ヴァンサン・ランドン、ソフィー・マルソー、エマニュエル・デヴォス、オドレイ・トトゥら多数)http://www.coursflorent.com/

テレラマ:本当に勉強ができたと思えたのはいつでしたか?
シャルロット・ゲンズブール:舞台の仕事をした時です。モーリス・ベニショーと。稽古に2ヶ月。彼がパニックしてたのが分ったの。初日が来て私の声が聞こえないって言うのよ。完全に抑制されてて、私はかなり激しさを出す必要があったの。どちらかというと嫌な感じの暴力的な役を演じてて、劇場にも凄い反応を巻き起こるはずなのね。イギリスやアメリカではこの役を演じた女優を非難するほどだったの、でも私はそれほど過激な反応は引き出せなったけど、何かを挑発できたのは気持ちよかったわ。それに自分の進歩を感じることが出来たから。俳優なら誰でも知ってることを理解するのに私には長いことかかったんですね:あるシーンを練習すればするほど、即興的になって行くんです。父の話を聞いていて、最初のテイクが良いんだっていう考えを長い間していたんですね、台詞をすり減らしちゃだめだと言うんです・・・共演した俳優さんたちの見ながら多くを学んだと思います。例えばショーン・ペン。彼は監督との関係に皆が警戒するような緊張感を作って、些細な身振りでも彼を見てしまうようにしているんですね。他の俳優さんのテクニックにはいつも感心します。私は少し騙しているような気がします、自分が出来ないことを見てもらうんだって思うこともあって。まだまだやるべきことが山ほどあって、それが嬉しくもあるんですね:俳優の仕事って役を突き詰めて行くと、どんどん面白くなって。私は良く「凄く真実味に溢れているね!」って言われるんです、でもそれで決して十分ではないし、真実味があるって事は自分ではそんなに凄い事とは思えないんですね。メリル・ストリープやアル・パチーノのような俳優さんはそれを超えるような別の形の才能を持ってると思うの。

テレラマ:アメリカ人の模範をあげましたね・・・
シャルロット・ゲンズブール:ええ、特に男性ね。私は古典的なフランス映画の教養があって、ピアラやトリュフォーとか。でもイヴァン・アタルに会った時、彼が重要だと思う凄い俳優さんたちの事を知ったんですね:アル・パチーノやデ・ニーロ、ニコルソン、それに私の大好きな『狼たちの午後』のジョン・カザール。

テレラマ:音楽で、参考になっているのは?
シャルロット・ゲンズブール:もう長い間定期的に聞いてるレディオヘッド。今はルー・リードやデヴェンドラ・バンハートとかカミーユ・・・ミュージカルもすごく聞きます、母がそれで育ててくれたので、マイ・フェア・レディとかオリバー・ツイストとか・・・サントラにもすごく傾倒してるわ、ウォン・カーワイ監督の『2046』のサントラはいつも聞いてるの、あとソフィア・コッポラ監督の『バージン・スーイサイド』のサントラも。

テレラマ:初めて聞いたレコードを覚えてますか?
シャルロット・ゲンズブール:両親が33回転をたくさん家に持って来てました、名前の記載もない白いポシェットが付いたプロモ用のアルバムでしたね。私は次女なので音楽を教えてくれたのは4歳上の姉でした。ブロンディーを今でも覚えています、7歳の時は、あのセックスとドラッグとロックンロール・・・何て名前でしたっけ?イアン・デュリー!大好きでした:パンクのエネルギー、剥き出しで卑猥な感じで、面白くてとてもワクワクしましたね。

テレラマ:お父さんも、あなたに音楽を教えてくれたのですか?
シャルロット・ゲンズブール:それほどでもなかったです。グレン・グールドを聴かせてくれたのは父でした、あとディランを買えって言われました。父がくれたレコードを聴いていましたが、父自身はあまりたくさんの音楽を聴いてなかったんですよ、両親が離婚した時、私は9歳で父には週末にしか会わなかったし、いつも同じ人ばかり聞いてました、特にエルヴィスを。

テレラマ:今の生活では音楽は重要な位置を占めていますか?
シャルロット・ゲンズブール:そうね。特にお話できるわけじゃないんですけど、音楽はとても気分に影響しますね。陽気な音楽をあまり自分は聞かないんですよ。音楽をとても重たく受け取るタチなんですね。『2046』のサントラは大好きなんですが、凄く重たいんですよね!聞くという行為にはいつも少し回顧的な面があって、特別な気分になりますね。特にある感情が必要になる撮影中の演技する前に音楽を聞くんです。特に本当に劇的なシーンの時は、父の歌を聞くこともありますね。

テレラマ:そして今、女優ですか、歌手ですか?
シャルロット・ゲンズブール:こんな風に歌い続けて行きたいなと思うんですが、どうやって行ったらいいのか正直わかりません。女優と歌手二つを混ぜるのは難しいですね。これから封切りになる3本の映画があるし。(ゴンドリー、クリアレーゼ、ラルティゴー監督)それにボブ・ディランの映画をトッド・ハインズ監督と撮るし、ジェームズ・アイボリー監督の映画にも出るかも知れないんです。色々考えてみますね・・・全てはできませんし。今回は自分から見ても、このCDがとても貴重な企画になるように全てが集まってくれたわ、でも自分は歌手と言う前にどんな評価を受けるか知りたいし。反応を待ってるの・・・酷評されたら、考えるわ・・・私はそんなに勇気満々でもないから。


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