2000年 Gala septembre

彼女は裕福な家庭に生まれ育ったのではないが、不満を感じたことはなかった。「私はコゼットじゃないもの」とパリ郊外のオーベルヴィリエで慎ましく過ごした少女時代を語る時、彼女は好んでそう繰り返し言葉にした。父は市場で仕事をしていて、祖母は管理人をやっていた。今まさにTF1で放送されるヴィクトル・ユーゴーの傑作の翻案で彼女が演じているのがそのコゼットなのだ。彼女はさらに続ける:「絹の毛布をまとって育った訳じゃないけど、何かに不自由したことはないわ。町じゃなく、郊外に住んでいて、小さな家だったけど、自分の部屋は大きかった。私は甘やかされていたと思うわ。夏にはバカンスで海へ行ったし、冬はスキーもしたしね。」心配無用、彼女の両親はテナルディエみたいなところは全くない。確かに彼女は16才の時、自分自身のアパートを借りていたが、いつも両親の近くにいた。「両親と衝突したことはないの。いつも私を独立させてくれたし、この仕事をしたいって言う私の要求を支えてくれたのね。ジェネレーション・ギャプも少しもないの。私が産まれたのは母が18才の時だったのというのは本当よ。」ヴィルジニーは家庭の調和を証明する:今年の春、「ザ・ビーチ」のパリでのプレミアの際には、彼女は両親と一緒だった。「2人とも(映画に)魅了されて、楽しんで、とても誇りに思ってくれたわ。」
 今年の夏の終りに、ホテル・ジョルジュ・サンクの高級サロンに我々を迎えてくれたヴィルジニー・ルドワイヤンは大きな赤い花をあしらったパンタロンのジーンズを履いていた。「連続放送(レ・ミゼラブル)は良かった?と聞いて来た。感動的よね?私は凄くいいと思うの。」国際的だった「ザ・ビーチ」の撮影の後、「レ・ミゼラブル」への出演はルーツを再発見する良い方法だったようだ。スクリーンでレオナルド・ディカプリオとキスした特権は彼女にハリウッドからいくつかのオファーをもたらしたが、シナリオに感心しなかった彼女は、承諾しないことにした。「ロサンゼルスへ移り住んで、アメリカでキャリアを積む事が私の目的じゃないの。素晴らしい監督たちといい役が欲しいのよ、彼らが日本人でもスペイン人でもフランス人でもアメリカ人でも構わないの!」10数年のキャリアだけで既に20本近い作品に出演し、休憩する必要を彼女は感じている。「素晴らしい仕事だけど、それを味わうには少し距離を置くことも必要なのね。仕事に埋もれたくはないわ。」南西に夢の家も手に入れた。
「自分の世界を持たないとダメなの。自分の物に囲まれて家にいるんだって気分になるのが好きなの。そこへ行く時は、飼っている3匹の猫、ルル、モーグリ、オリーブを連れていくのよ。私って結構田舎くさいの。」23才で家の持ち主になった訳だが、同世代の人たちと差があるとは思ってはいない。「自分は特別だって感じはまったくしないの」でも一回りほど年も違う男性と3年越しで暮らしていることを彼女に言うと、ちょっとひるんだ。「それは話題にしたくないの。」でも週刊誌で既に話題にしたことがあるじゃないですかと食い下がると、こう言った:「すべきじゃなかったわ。だんだん、注意するようになるのよ。インタヴューも受け上手になるのね。私生活のことは話したくない。私が一緒に暮らしている人は私生活のこと。自分だけのために取っておきたいの。この仕事をしていると、もう充分自分をさらけ出してるから。」
 彼女を少しからかってみる。バリアを作ってしまうと、お利口さんで、つかみ所がないと思われる危険があるんじゃないですか?彼女は機敏にこう答えた。「私の表現方法は映画を撮ることよ。映画はどれも一緒よ。」灰皿で彼女はタバコをもみ消した。
完璧な成功の裏に、不安を隠してはいないのだろうか?「全て止まってしまうかも知れないのは知ってるわ。何の保証もないもの。」それ以上言う時間が残っていなかった。南西の家へ行くための飛行機に乗る前に、リパブリック広場近くにあるパリの住まいに寄る必要があったのだ。「私、陳腐なことを言いすぎた?」と休暇前の彼女は我々に聞いてくる。その言葉はまさにヴィルジニー・ルドワイヤンその人を体現している:本当の優しさで包まれたプロ意識と言う名の凄い自制心なのだ。★

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