イザベル・ユペール 「私たち各人が全ての中心であり、その一部だったの。」

シナリオを読んで:たくさんの事が読み取れたわ。残酷さや、爆発寸前の家族や、明らかな女性蔑視。それに女性への愛もね。男性の不在、そしてこの不在がどこでも確認できるの。それはフランソワ・オゾン監督の映画で『ホームドラマ』から『まぼろし』まで、ほとんどの映画に見受けられるテーマなのね。強い男であれ、ダメ男であれ、彼の映画にはいつも男性がいないの。

自分の役:オーギュスティーヌは意地悪で嫉妬深くて、いつも機嫌が悪いし、目つきが鋭いのね。本物の推理映画だったら不気味な感じなんじゃないかしら、でも彼女は正直で子供みたいなのだけど、映画が進むにつれてだんだん感動的になっていくの、オゾン監督は彼女がコミカルで、馬鹿馬鹿しいだけじゃなくて、感動出来る役にしたかったから、その方向へ行けるように私を助けてくれたわ。まずシャンソンを選ぶところからね。でも全体像は、亀裂が入っていくにつれて、少しづつ複雑になっていくと思うの。これは見た目に凝った映画で、テクニカラーで、撮影が凄く美しくて、セットも素晴らしいのだけど、その後ろでは突然、全てが爆発して真実が明らかになるの、恐ろしいのよ!全員がお互いを憎んでいるの。全てのダブーが犯されて、告白が終わると、皆生まれ変わったようになる。オーギュスティーヌが、最後に変身するのは、この生まれ変わりを象徴しているのね。

フランソワ・オゾン監督:不在の男性は、隠された真実を生み出す監督、そのためにはどんな方法でもいいの!オゾン監督は私たちから何かを奪うってことは全くなかったわ。

8人の女優たち:私たち各人が全ての中心であり、その一部だったってことは分っていたから。要求不満や自分のエゴが満たされないって感じたのは撮影の時じゃなかったわ。撮影時に気難しさを発揮してみようと思った人はいなかったわね。そうだったら不和・不調をきたしていたと思う。もちろん映画では対抗心ばかりを取り上げているけれど。でも私たちの中で出来あったものは、映画で演じていたものとは正反対のものだった。
まずとても女性的な空想があるのよ、閉じ込められて、互いをバラバラに引き裂こうとする女たち、そう8人の女優たち・・・でも一種優しい気持ちで見詰め合っていたのね。一人一人が他の7人の女優の鏡のようなものだったから。私たち一人一人が他の女優たちの中に自分を見出していたのよ、それは全ての女優には共通の秘密があるからなの。でもその双子のような関係も、各人各様ね。だから私は、自分たちはどう似ていて、どう違うのか観察するのが面白かったわ、私たちの秘密は何で共有できるのかなかって。



LE NOUVEL OBSERVATEUR Semaine du jeudi 31 janvier 2002 - n-1943

イザベル・ユペール

「卵の殻が割れるの・・・」

「オーギュスティーヌの役をフランソワからオファーされた時、この役は所謂キャラが強いわけなので、監督も凄い説得力で私に話を持ちかけて来たの。実際、意地悪な道化役って演じるのは凄く楽しいから、迷うことなく承諾したわ。オーギュスティーヌはフランソワの頭の中では十分出来上がっていたみたい。:少し華奢な部分も見せて欲しいって言われて、私はそれがさほど重要な事だとは思わなかったのだけど、だってカリカチュアになる位、あの役の意地悪な面が面白いと思っていたから。でもフランソワは最後の変身へとつながる彼女の弱さにとても拘っていたわね、自分で痛みも背負っているってことにね。ヒッチコックやハワード・ホークスの映画に出てくる秘書たちや、ベティ・デイヴィスももちろん参考にして、監督が示す方向へ向かって行ったの。さほどブスではない女優を凄く不細工に見せると言う当時の慣例と戯れるのも面白かった。凄く作られた役柄だって分ってもらえると嬉しいわね!登場人物たちに魅力を感じる時は、そう言ったお約束が見て取れるし、それは美しさやグラマラスさなんです。凄くクレイジーな束ね髪と、やり過ぎって思える眼鏡を探したの。この映画で遊んでいる別の慣例は、50年代のエレガンスさと派手な色の使い方ね。私が着ていたあの赤い襟が付いた青リンゴのシェミーズが大好きなのね・・・オーギュスティーヌは根暗なオールドミスじゃなくて、厚化粧のタイプなの。おかしさって親密さと同様、悲劇からも醸し出されるのねって思いながら、とても楽しんだわ:人は他人の悪口を言う時、こっそりああ言った皮肉を言うものね。これは普通考えられている事とは正反対なのだけど、おかしさって自分が持っているものに近い部分があるのね。私自身、実生活でオーギュスティーヌのようだって訳じゃないけれど、でも私をよく知っている人たちは、この映画での私の仕草を見て笑うんじゃないかしら。実際、オーギュスティーヌは自分自身を嘲笑することが出来るのなら、他愛のない人物になってしまうと思うわ。彼女にはユーモアもあるし、言動が決まり切っていて、言葉を衝突させるのね。『8人の女たち』では、おかしさが基本的には過剰で矢継ぎ早の言葉にあると思うわ、これは『沈黙の女』で既に実験済みのことで30あるいは40年代のアメリカ映画のコメディもそうなのだけど、言葉のリズムが極めて大切なの、分らない位早く、言葉にスピードを持たせることなの。ミッシェル・ドヴィル監督も"Eaux profondes"で、この作品はコメディではなかったけど、ウソっぽくなってしまっても、リズムが早くなければだめだ。っていつも言っていたわ。シャンソンで、違うリズムの幅が出来たと思う:オーギュスティーヌの歌は、彼女がずっと苦しんでいて、それに彼女はしゃべる機械じゃないことを主張しているのよ。撮影は快適で楽しかったわ。サスペンスだけじゃなくて、『8人の女たち』は女優について、また彼女たちがどう思われているのかについての映画とも言えるわね。コメディって事だけじゃなくて、辛らつな映画が中から出てくるような卵の殻が割れるような感じでもあるのね。」



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