フランソワ・オゾン監督が語る撮影監督:ジャンヌ・ラポワリー
 

パリの中心街、フィデリテ・プロダクション内にある彼のオフィスは小さくて、狭く、少しうるさい。最新作の仕上げに集中しているので、フランソワ・オゾン監督には映像とジャンヌ・ラポワリーとの共同作業について話してはもらえなかった。二ヶ月間の延期後、ついにアポを取ることができた。そこで驚いたのはフランソワ・オゾン監督は、”お約束通りの答え方”をして、逃げることなく、このインタヴューに応じてくれたことだ。

-短編からキャリアをスタートさせたことで、照明についてどんな事を学んだと思いますか?

とても重要なことの一つは、僕はいつも自分でフレームを決めること言うことです。8ミリ(Super 8)で撮影していた時も通常、カメラを片手で持ち、別の手でライトを持って、俳優の顔に当てたり、天井へ向けたりやっていました。映画学校では、突然分担で作業をしなくてはならないことが分ったのです:ある意味ではその責任から開放された安堵感があったのですが、一方では不満を感じたのです。僕は常にカメラの後ろに目を当てていたくて、それが出来次第、こう言うのです:”・・・さあ、このショットを撮るのは、僕なんだ!”と。同時に照明について学んだのも映画学校でです:昔は、絞りを握ってさえいれば、満足していましたから。

-映画監督の”照明への視線”と言うのはどのように培われるのでしょうか?あなたの映画では、何がある特質を意識させてくれましたか?

僕はすぐに色を使うのが好きになりましたね。フランスでは色使いにほとんど拘らないので、いつも少し一本調子な感じなのです。僕は実質的に色使いを考えて来て、かなりコントラストの強い色を使って来ているんですよね。僕が自分の映画で求めているのは、テクニカラーなんです。既に短編でも、様々な色をふんだんに使っていますし、ブルーは本当にブルーに、赤は”爆発するような”調子です・・・カラーで撮影するとなった時から、色使いを徹底させなければダメだと思います:それから照明はストーリーに合わせて調節します。シナリオの段階で照明はどういう方向で行くのか大体決めます。それでも僕はよく撮影監督にこう言うんですね:”色が目立つようにやって下さい!”と。もちろんそれはセットや衣装の色でも決まってくるものですけども。

-照明で、我慢ならないことは何ですか?

登場人物に二つの影が出来ることでしょうね。例えば、ある人物が壁際を歩いていて、そこに二つ影が出来ていたらぞっとします・・・影はそれに正当性がある場合以外は気に入りませんね。多分、それは僕がドイツの表現主義や50年代に行われていた直接的な照明が好きだからでしょうね・・・

-ジャンヌ・ラポワリーはどのようにあなたの信頼を勝ち得たのですか?

彼女の事を僕に話してくれたのはガエル・モレル(A toute vitesse を監督)なのです。彼の作品と『野生の葦』の撮影を彼女がやったのです。僕は既に『クリミナル・ラヴァーズ』の撮影も彼女に依頼したかったのですが、この作品の準備期間から関わることが出来なかったのです、僕としてはギリギリになって撮影監督が来るなどと言うのは論外でしたから。

-初めて出会ってからが、『焼け石に水』と言うのは大胆な賭けではなかったのですか?

良く知らない人に映画を申し出ることは、毎回、冒険な訳です。撮影監督と言うのは、俳優みたいなものですから:きちんとどうやりたいのか伝えなくてはなりませんし、演出の指示も示さなくてはならないのです・・・『クリミナル・ラヴァーズ』で会った時はジャンヌはかなり内気な人で、むしろ少し自閉的と言うか、しゃべっているのはいつも僕でした。『焼け石に水』を準備していた時は、彼女に説明したのは写真の本を自分で持ち込んで、これから作る映画の議論を僕として、一緒にその材料を決めようと言うことでした・・・だから彼女はファスビンダー監督の映画も試写しましたし、僕に色々と提案もしてくれて、僕らの間に自分らは良い方向へ進んでいると言うことで安心できる対話が生まれたのです。あの映画の撮影について僕がジャンヌに一番最初に言ったことは、”撮影を早く進めたい”でした。プレッシャーをかけたのです。これは撮影監督にとってはいつも楽なことじゃありませんが、僕は何時間も照明を待っているのが好きじゃないんですね。当初は互いに親しみを持って、観察し合い、お互いを発見することでしたが撮影が進むにつれて、彼女への信頼が大きくなり、満足して行きました。

-自分と仕事を共にする撮影監督に期待するものは何ですか?

感受性、対話すること、波長が同じであることと、お話に意味をもたらしてくれる何かを提案してくれることです。対話を期待するのは、僕がフレームと俳優さんに集中できるよう、同様に自分自身に自信を持って欲しいからです。また映画の趣味も近い方が望ましいですね。そうではないカメラマンと仕事をしたことがあります、覚えているのは、彼の仕事振りを見ていて、ある時こう言ったのです:”君の照明は、すごく美しいね!”と。彼は驚いた様子で僕を振り返り、”え?そうですか?僕は全然そうは思わないですけど!”こんな調子で仕事をするのは難しいですからね。

-監督によっては撮影監督を頻繁に替えたがる人もいますが・・・

僕は一人と長く付き合いますね:もし全てある撮影監督とうまく行くのであれば、その人と続けてやる方が簡単ですよね。いつも同じことをまた説明しなくてはならないのは面倒ですから。ジャンヌは今では僕の趣味も分っていますし、僕の好き嫌いも知っていますから。

-撮影監督は女性の方があなたの感受性により近いとの印象をお持ちですか?

どうかな・・・そう言っていいでしょう。それは多分僕が俳優の美しさに敏感だからだと思います・・・シャーロット・ランプリングのような50歳の女優と仕事をする時は、彼女が美しく、でも化粧が濃くなり過ぎないように注意する人があります。その点、女性の方が男性よりも、敏感ですから。

-この間のように、同じ現場にいる8人の女優たちのマネージメントはどうされたのですか?

8人が一緒にいると言うことで、そのうちの6人は大スターなのですが、各人のエゴは少しばかり消えたみたいです。彼女たちの一人だけとの仕事だったら、もっと複雑だったでしょうね。明確だったのは、彼女達が美しく、グラマラスで最高の照明が当たっていなくてはならないと言うことでした。彼女たちの年齢と顔の作りの違いの考慮も必要でした。マレーネ・ディートリッヒでも撮影するかのようなスタンバーク風の照明を作りだし、女優さんを崇高な感じにして欲しいとジャンヌに頼んだこともありましたね。彼女は何がうまく行き、何がダメなのかを知るためにテストを繰り返しました、横からの照明、正面からの照明・・・もちろんメイクや髪型、衣装に合わせながらです。僕らにはいつも女優を豪華に崇高な感じにしたいと言う意向がありました。『まぼろし』では違ったアプローチでした、シャーロット・ランプリングは自分の年齢を受け入れ、皺や疲労感を見せる用意があったのです。例えば『まぼろし』はフィルターを使わずに撮影しましたが、『8人の女たち』ではもちろんフィルターを使っています。

-あなたはテクニカラーからグラマラスさと50年代のアメリカ映画を賞賛、懐かしんでいますね。現在の映画における画には違和感を感じているのですか?

現在自分が見る映画の照明はあまり気に入らないのは事実ですね・・・おそらくアジア映画は例外だと思います、彼らは面白い実験をやっていると思います。形式的な面を恐れているように、フランスではコンテや演出の要素として照明を使うことはしていないと思います。80年代では、その反対の過剰さがありました:ベネックスやベッソンあるいはカラックスと言った監督は様式を強調して彼らの映画のイメージは広告のそれに近づいていました・・・ある種、粋でショッキングな耽美主義に陥ることはなかったですが、照明を効かせる違った方法はまだあると思うんです。

-本当に別の時代で映画作りをしてみたかったのではないですか?

ええ、ハリウッドで仕事をしたかったですね!とにかくスタジオで撮影するのに旅立って行ったヨーロッパの監督たちとその映画に親近感を感じるのです。当時は検閲があったのですが、かなりクリエイティブで、価値観を覆すような事が出来る可能性がありましたね。映画監督たちは、野心的な映画で自己表現する可能性があったと僕には思えるのです。

-『8人の女たち』に話題を戻しましょう。何日もかけてジャンヌ・ラポワリーが照明をしたセットで、この作品は撮影された訳ですが、絵コンテはその前から既に出来上がっていたのですか?

場面によっては、自分がどうしたいかはっきりと分っていましたが、時々はどうするのかと言う予感しかない時もありました:僕が登場人物を逆光やクローズ・アップで撮りたいと思えば、ジャンヌが照明を調節してくれる訳です。この映画はたった一日の異なる時間でお話が進むので、朝には日の明かりで演じ、午後には家の中の照明と外の少し暗い空があり、夜には電気が点いていて、その背後には暗い夜があるのです。ある女優さんには正面から照明を再び当てなくてはなりませんでしたし、若い女優さんたちには、より目立った照明の効果を試すことが出来ましたね。

-ファスビンダーの『焼け石に水』の後で、あなたとジャンヌ・ラポワリーが『8人の女たち』を様式化できた照明のインスピレーションは何だったのでしょうか?

照明で一番インスピレーションを受けたのは間違いなく、ダグラス・サークです。彼の作品は照明に関して見事な仕事をしていますし、確信的な先入観があるのです。ジャンヌとは50年代のミュージカルも見直しました、ミネリの作品とかですね・・・それからユニバーサルで素晴らしいカラー時代のヒッチコックが撮った『鳥』『めまい』『北北西に進路を取れ!』や僕が理想とする色使いをしている作品もたくさん見ました。繰り返しになりますが、テクニカラーを再現しようとしたのではなく、それを今日適応しながら同じような美的感覚を再見しようと試みたのです。

-ハリウッドでは、監督がフレームを決定することは出来なかったのではないですか・・・

僕は自分でクレームを決められなければ、俳優の動きを決めることは出来ませんね。集中するために僕には必要なことですね、本能的にやっていることですから。フレームを覗けば、すぐに俳優たちに当たっている照明も見えるのです。撮影が始まるとすぐ、僕は録音係りに、こう言うんです。”君を見てはいないからね、マイクは気にしていないから、君が気をつけてくれ。”って。それは自分の仕事は深く考えないと言うじゃありませんよ。例えば『焼け石に水』では予告編で遊びながら、フレームの中で隔離と言う考えを扱ってみたつもりでした。

-それだとあなたの映画はとても演劇的になりますね。

ある瞬間に自分たちは映画を見ているんだと言うことを観客に忘れさせないために異化の効果を押し付けるのも大切だと思っているんです。

-あなたとジャンヌ・ラポワリーの仕事での関係は単に照明という事を超越していますか?

もちろんそうです。女優さんがやりすぎていないかとか彼女の意見を求めることもあります・・・彼女がストーリーと俳優たちに向ける視線を考慮しているからです。技術スタッフも映画を作りたいと思えるためには、楽しんでもらえなくてはだめですから。始めに、観客でもある訳です。映画と言うのは、チーム・ワークですからね。他人の観点も大切です。

-口数少ない人とどう仕事をされているのですか?

今では彼女も前より話してくれますよ・・・同時にたくさんおしゃべりする必要もありません。『8人の女たち』の撮影では、僕らは女優たちに”対して”団結しようと言うような事を言っていたんです。そう、少しそんな風でしたね。

-ジャンヌ・ラポワリーで一番評価していることは何ですか?

効率良く仕事をしてくれることと、精細さ・・・また趣味が同じだと言うことですね。それに今では話し込まなくてもお互いを理解し合えること。本当に一緒に映画を作って行けると思いますね、過去の他の撮影監督ではいつもこういう気持ちになったことはありませんでしたから。★



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