[8人の女たち] 日本版DVD特典ディスク : ヴィルジニー・ルドワイヤン・インタヴューから

なぜこの役を引き受けたか?

出演を決めた理由はオゾン監督に注目していたから。空想的でありながらモダンな彼の世界に私も一度参加して見たいと思っていたの。他の7人と共演するという冒険にも興味引かれたわ。作品自体は分類しにくい独創的な映画で、推理劇的な筋だけどミュージカルの要素もあるの。台本を読み終わって”いざ冒険へ”と思ったわ。

女優たちの競演

ジョージ・キューカー監督の『ザ・ウーマン』が基になっているけど8人の女優の競演なんてフランスでは初めての試みよ。しかもそれぞれが別々の場面を撮るのでなくて、全員がからむ場面がある集団の映画なの。女性同士のラブシーンもあるし、変わった映画なのよ。他7人の素晴らしい女優との共演は刺激的だったわ。私が自分でカメラを回して撮りたいと思ったくらいよ。刺激的な体験だった。

微妙なバランス

監督が全てを把握して的確に指示してくれたのでやりやすかったわ。唯一不便を感じたのは、常にみんなと一緒だったことくらいね。からみのシーンには集中力が必要なの。セリフが多くて常に飛び交っているので、他の役の細部にまで注意を払って、微妙なバランスを保たなければならないの。

シュゾンの役作りについて

私の役は英国に留学中の若い女性よ。ピンクの服を着ていて、神経質なほど礼儀正しく、育ちが良くて、博愛精神の持ち主なの。でも他の人物と同様、途中で真の姿が見えてくる。実は見かけよりもずっと複雑な人物なの。監督と話し合って生意気な娘に仕立てたわ。背筋を伸ばして少しアゴを上げて、少しカン高い声の早口で腹立たしい感じも与える、よくいるすましたタイプよ。面白いのは8人全員に殺人の動機があることよ。シュゾンも例外ではないし、彼女かも知れないわ。

衣装について

どんな映画でもそうだけど衣装はとても大切よ。コルセットで胴を締め上げ細いヒールの靴を履く。ストッキングまで当時のものを使ったわ。そういう細部も役作りには大事なの。

映画の中で歌うこと

この作品はミュージカルではないわ。確かに歌う場面はあるけれど『ジャンヌと素敵な男の子』のような歌の映画ではない。この作品では歌は独白と同じ心の内をさらけ出す行為よ。セリフでは表せない感情を歌で表現するの。だから歌唱力より表現に重きを置いたわ。歌手のように上手に歌うことが目的ではなかったのよ。

「モナムール・モナミ」について

マリー・ラフォレの歌よ。私が大好きな女優なの。郷愁を誘う悲しい歌だけど二重の意味があるの。軽快な流行歌のようで別れの歌でもあるの。歌は前もってスタジオで録音したわ。撮影の時は録音に合わせて踊ったの。録音には半日かかったけれど、この間に監督と役柄を研究したわ。

振り付けについて

シュゾンの人物像は他の人と比べたら分かりにくいの。とても穏やかな性格で少し退屈な役柄。それで機械仕掛けの人形を思いついたの。他の歌とは随分違う振り付けで妹役のリュディヴィーヌと一緒に踊ることにしたわ。とても面白い経験だった。

女性と女優へのオマージュ

女性と女優と女性らしさを賛美する映画なの。だから当然見た目にも美しい作品になっている。女優たちは美しく着飾ってきれいに撮影されているわ。女たちは意地悪に見えるけど凄く人間的なのよ。彼女たちは母や娘や祖母である以前に、女性であり人間なの。だからこれは女性賛歌よ。強さも弱さも長所も欠点もあわせ持って生きている、それがうまく描けた作品だと思う。

映画作家オゾンについて

オゾン監督は女性を描くのがとても上手よ。でも映画に男性も女性もないわ。あるのは質の良し悪しだけ。彼は男性を描くのも同じくらい上手だと思うわ。今回は男性がいないけど、前の作品には出ていたわ。



ヴィルジニーが語る『8人の女たち』

ヴィルジニー・ルドワイヤン「若手の主役と言う私のイメージに一発くらったわ!」
 

決心:オゾン監督と会った時、この映画の企画以外で、様々な話をしたのね。彼の映画を見ていたからオゾン監督の事は知っていたの。ためらいは全くなかった。素晴らしいチャンスだったもの。

役について:スゾンは一番見劣りする役ね、チャーミングで申し分ない、その申し分なさが少し鼻につく位。もちろん他の女性たちと同様、彼女には大変な秘密があって、それを告白するのだけど。でもあれは作り話だと私は思うな、妹に不感症だって言われて、彼女を苛立たせるのに嘘を言ったんだと思う。あなたはスゾンの嘘を信じる?うーん、私はどうかなぁ・・・私にスゾンの役をやらせることで、オゾン監督は何でも自由になる若手の主役って言うイメージをからかっているのだと思うわ。

演じる喜び:みんなで揃って演技をする場面が多かったから、とても正確に各人のリズムに合わせることを要求されたわ。一人の登場人物がきちんと存在するためには、他の7人の調和が取れていないとだめなの。このバランスが一番楽しかったし、難しかったのね。騒いだり、喧嘩したりするシーンもそうだったけど・・・体験して分ったんですけど、映画では、自分だけ一人って事はないんです。他人に頼らざる負えないようになっているんですね。この映画ではある一人の女優だけが目立ってしまっているなんてことはまずなかったですね。

不安:全くなかったですけど、矛盾があるわ。『8人の女たち』は完全に作り物って感じなのですけど、登場人物もお話にも真実味があるんですね。結果的には何通りの見方も出来る映画だと思います。この映画には様々な角度があるでしょ。

シャンソン:私の役の延長ね。口には出来ない事を彼女は、歌で言っているの。

オゾン監督:撮影が早いの、魚が泳ぐような、サソリが刺すような感じ・・・

この映画が語っていること:秘密を持つことと、それを仕舞い込むのではなくて、伝えることの大切さ。女優と彼女たちが自分のパロディを演じていることね。



LE NOUVEL OBSERVATEUR Semaine du jeudi 31 janvier 2002 - n-1943

ヴィルジニー・ルドワイヤン

「どの役にも存在感があるの。」

「私は、長女のスゾンの役で、一見お利口さんなんだけど、こっそり妊娠してしまうと言う貞節感の持ち主なの、それでこれは全くの偶然なんですけど、この映画の撮影中、スゾンと同じく私自身も本当に妊娠していたのね。二重の意味で嬉しかったわ:役柄と同じ境遇ってことは、その人物をさらに演じやすくしてくれるから。とにかく、私が出演した映画一本一本が、ある意味ハシゴを上がっていくための横木だって思うの。最初の映画は私が9歳の時で、楽しかったのね。当時の私は郊外出身の女の子で、よく写真の仕事で声がかかっていて、私の無意識な感じが良かったのかな、自然でのびのびしていた所がきっと良かったんでしょうね。偶然にオーディションでブノワ・ジャコー監督(『マリアンヌの人生』『シングル・ガール』)に会ったの、ジャコー監督にはカメラを共演者にすることを教わったし、オリヴィエ・アサイヤス監督(『冷たい水』)には映画が何かを理解させてもらったと思う。それ以降、私は映画のテーマよりも監督を、スタイルよりも感情を優先させて来ているの。ドワイヨン、ジャコー、ラプノー、タヴェルニエやテシネと言った監督たちでは、女優は監督と観客のベクトルに過ぎないと思っていますし、それは私の考え方にも完全に一致しています。『8人の女たち』ではスゾンはもう思春期の女の子ではありません。母親になるこの子自身、私生児で、子供から大人へ移る途中で、人生の見方も2通りなのね。この映画で素晴らしいのは、どの役も他の7人の女優に合わせて、きちんと存在感があることね。すごく大げさで同時にグラマラスで、一緒に仕事をする女優たちはきっとお互いに嫉妬しあうだろうって言う考えをあざけ笑っているの。オゾン監督は映画をきちんとリードしたけど、傲慢なところがないわ:確かなのは、監督は私たちの提案もきちんと聞いてくれたことね」



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