『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』
 
シャルロット・ゲンズブールと夫のイヴァン・アタルが新作『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』を討論する。by ロッド・アームストロング

 
芸術家と言うのは、彼らがどんな表現方法を取っていても、社会で興味深い位置を占めている。実際の自己ではなく、その芸で公人となっているからだ。このややこしい名声の二重拘束がイヴァン・アタルの監督デビュー作『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』のテーマの一つだ。この映画でアタルはイヴァンと言う名で主役の一人であるスポーツ記者で、彼はシャルロットと言う名の女優(実生活でもアタルの妻であるシャルロット・ゲンズブールが耽溺的なキャスティングの戦法で演じている)と結婚している。彼らはもうしばらく俳優をやって来て、テーマを熟知している。アタルはエリック・ロシャン監督作品2本でスタートし、(アメリカでは小さな公開規模だった)過小評価されたディアーヌ・キュリス監督の『愛のあとで』やチャーミングなロマンチック・ドラマ『ラブ etc』などに出演。ゲンズブールは、有名な芸能一家の出身(母は女優ジェーン・バーキン、父は悪ガキ歌手のセルジュ・ゲンズブール)で、彼よりは多くの役を、フランス語・英語の作品で演じて来た。彼女は変化を恐れない女優で、自分の叔父であるアンドリュー・バーキンの幻想的な『セメント・ガーデン』で近親相姦の兄弟を演じ、1996年フランコ・ゼッフレリ監督の『ジェーン・エア』には新しいひねりを見せてくれた。『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』のプロモで慌しくサンフランシスコを訪れた二人にこの映画と彼らの風変わりな職業についてReelが独占インタビューした。
 

Q: 自分が俳優になったんだって思えた瞬間について話してもらえますか?

シャルロット・ゲンズブール:私は完全に自分はプロだって思えたことがないのね。もうキャリアも長いんだけど、新しい映画をやる度に、やり直しをしているような気分になるの、だから自分は女優なんだって事に本当に自信が持てないのね。自信がついてくると、そうじゃない方がいいって思うの。

イヴァン・アタル:僕が軍隊に入らなければならなった時(注:兵役)どの部署に行くのか決定するまでに3日間かかった。軍隊に行きたくなかったから、問題を抱えている振りをしたんだ、僕を信じてくれるかも知れないって思った。あの事務所で泣くことが出来たら、僕はプレッシャーに耐えて、それで自分は俳優になれるかも?って思ったんだ。でも本当は俳優って何なのか、自分では良く分からない;変だけど。

Q:自分は役を完全に把握したって思える自分の映画のシーンを指摘できる瞬間でありますか?

CG:自分に何かを語りかけてくるシーンから本当の喜びを見出すことが出来る時もあるけど。私にとってはある映画出演できることが自慢に思えることが大きいわね。

YA:俳優をすることは、演じる役を把握することなのか分からないね。俳優の仕事は監督が満足すればそれで終わりなんだ。自分はうまいとかヘタとは俳優自身が思う時は、よく勘違いをしているんだよ。今、ロバート・デ・ニーロだったらその質問に答えられるんじゃないかな、俳優歴が長いから。彼は世界でも一流の俳優の一人さ。彼はあらゆる役を演じて来たし、彼ならその質問に答えられるだろうけど、僕らには無理だ。
 

              

Q: これまで演じた役で一番大変だったのは?

YA: 分からないな。どの映画も大変だよ、一本一本が違うから。役を作りあげる方法も違うし、監督への反応も違うから。一番簡単だったのはこの映画だよ、自分で脚本を書いたし、役を分かってた。自分の映画に出演するのは楽だったね。

CG:私にはこの映画は難しかったの。難しいそうに思えなかったし、役を作るあげる必要もなかったけど、彼は(イヴァンを指して)なかなか満足してくれなかったから。

Q:(イヴァンに)そうだったんですか?

YA: と彼女は思ったんでしょう。

CG: 本当よ。

YA: 早撮りだったし、毎回俳優たちに「ああ、今のよかったよ」って言う時間がなかったからだよ。

CG:(小声で)ううん、それだけが原因じゃないわよ。

YA:じゃあ皆そう思っていなかったのかも知れないけど、僕は満足してたよ。
 
Q:(シャルロットに)今回の役は自分には似ないように努力しました、それともそんな心配はなかった?

CG:撮影が始まる前は心配だったわ。だってどんな風に準備したらいいのか判らないんだもの。イヴァンは私が実生活でするみたいに自分の服やメイクをすればいいって言うし、完全に役を作り上げることも出来たけど、本当に意味がないもの、だから基本的には役に誠実であればいいって思ったの。でもどうしたらそう出来るのか知らなかったから、大変だったわ。

YA:とても奇妙な感じだったよ、役柄はなくて、全てがリアルでその反対じゃないと言うのが作品のテーマだったからね。”キスシーンを演じるのによく女優となんか暮らして行けるな?”と僕が男に言われるシーンがあるよね。あれは嘘さって振りを僕はするけど、他の人はあれを本当だって見ている、映画では何が本当で何が本当じゃないのかを話題にしたかったんだ。だから僕の役はイヴァンでシャルロットはシャルロットのままなんだよ、苗字が聞こえると思えるたびに、名前はゲンズブールって暗示するのに音を被せてある。その事実と遊んで見たかったんだ、だから役柄については話したくなかった。みんなにあるがままやって欲しかったんだ。俳優たちにとっては、自分の役がどうあるべきなのか分からず、違和感を覚えたんだろう。でも実際に撮影を始めると、これは喜劇なんだって分かって、問題はなくなったけどね。

               

Q: 俳優と言う仕事の奇妙な点について真面目な考察をしようとしたと思えるのですが。

YA:そう、その通り。映画に出たら、裸になって女性と一日中ベットの中にいるって事も珍しくないんだ。女優さんも本当に裸で、本当に彼女にキスして、撮影が終わる帰宅する、自分の奥さん、家族を見て今日は何もなかったと思う振りをする。あまりに多くの俳優が自分達の仕事について話すのを聞くから、これがおかしな仕事なんだって事を僕らは忘れてしまうんだよ。

Q:俳優の仕事は女性を食い物にしていると思います?

CG:食い物にしている?どうして?

Q:映画にヌードのシーンがありますよね?監督あるいは観客が女優さんのヌードを見たがっているって事ですよね?

YA:ある意味、そうだね。多くの映画で女優さんは裸になるし:それは全くノーマルだと思うけど。

Q:また最近のフランス映画では、さらに過激じゃないですか?例えば、カトリーヌ・ブレイヤ監督の映画とか?

YA: ああ、でも映画の中でセックスや愛を語る権利は皆持ってますから。

CG:私が大変だなって思うのは、女性が演じる面白い役が少なくなっているって事ね。私は映画でヌードになるのは好きじゃないけど、ヌードになる事よりもこっちの方が重要だと思うの。女優たちにもっと良い役が来るようになればって。

YA:例えば、マーティン・スコセッシの映画を例に取ろうか?彼がずーっと撮って来た作品では誰かが裸になるシーンはないんだ。僕はヌードのシーンを思い出せないよ。

CG:『カジノ』でも?

YA:ないと思う。映画学校でスコセッシ監督に会う機会があって、彼が言うには、俳優が裸になるシーンがあると、それが映画を止めてしまうって言うんだ。ストーリーの進行を妨げるって。それは俳優が裸になると役柄が消えてしまうからだって。だたの男、女になってしまう。僕がこの映画で言いたかったこともそうなんだ。やらせじゃない。君が男にキスしたり、ヌードになったりしても、それは役だって言わないでくれ。例えばシャルロットが映画でヌードになって、その映画がTVで放送されるとするよね、その翌日街に出て行くと、昨日皆が僕の奥さんのヌードを見たんだって僕は思うんだ。彼女が演じた役が裸になったって思えない。本当に変だけどね。

CG:(割り込む、少しムッとして)私は所有物みたいね。

YA:所有とかいう問題じゃなくて、問題はね、これが映画のテーマでもあるんだけど、親密さってどこで止まるか?君の本当の生活については何も知らない、関わり合いになる権利はないんだって言うことだけどね。本当に変だろう。この事に俳優は凄く気をつけなくてはいけないと思うよ。僕たちは話をしたよね、俳優になったらプライバシーなんて持てるのか?もちろんそれは可能だろうけど、自分自身をさらけ出す訳だから、全てにおいてプライバシーなんて持てない。

       

Q:ある映画で特に感情的なシーンについて同じような事が言えるでしょか?俳優が自分自身を暴露しているシーン、つまりプライベートで見せる時よりもそれが大きくなると言うことですが。

CG: それは私もそう思う時があるわ。ヌードになる時よりもあるシーンで何かを夢中やっている時、自分をよりさらけ出していると思う。

YA: 僕が言っているのはそうじゃないよ。自分をさらけ出していると言っても、役柄の後ろに隠れている振りをいつもする訳にはいかないよって言うことだよ。「あれは私じゃない」「私の世界じゃない」とは言えないんだ。ヌードになる時は、自分がヌードになっているんだから。役の後ろには隠れないし、観客もそれを知っている。僕の言いたい事が分ったかな?

CG: 分からないわ。ヌードになったら、自分をさらけ出しているって事?

YA: さらけだしているとかの問題じゃないさ。(緊張を解こうとして)どうしたんだい?問題はないよ。俳優も女優も大人だろう。好きな事をやっていいのさ。僕が言いたいのは、この映画で僕が演じた役、彼はそんなに狂ってはいない。彼には嫉妬する理由があるから。例えば、シャルロット、正直に言ってよ、僕が素敵な女優と一緒にいたらさ・・・

CG: そんな話をしていていなかったわ、話題を変えないで(フランス語で話題は嫉妬じゃなかったでしょ、続けて英語で)嫉妬の話じゃなかったわ。話していたのは何がプライバシーで何がそうじゃないのかだったはずよ。

YA:僕にとっては同じことさ。映画を見ている奴が考える事と、俳優と女優それに映画を見ている人の距離だよ。ヌードになれば、君の裸を見ているって事だよ。役を見ているんじゃないんだ。

Q: では観客の受け取り方にイライラする。

YA:イライラなんてしていないさ。

CG: ううん、違う、さっき嫉妬の話をしたもの。

YA: 自分の映画の話をしたいだけさ、もう何の話をしていたのか分からなくなっちゃったよ。

Q:あなたが話そうとしていたのは、この映画のテーマの一部だと思います。私には観客が見るもの・対・俳優・女優がスクリーンで演じている事と言うのは問題を産むものだと思います。テレンス・スタンプの話をしましょうか?彼は自分の役をすごく楽しんでいたと思うのですが、あの役には彼以外の俳優を考えましたか?

YA:最初から彼を考えていたわけじゃないよ。でもイギリスの俳優をどうやって探したらいいのか判らなかっんだけど、シャルロットの役にパリ以外の場所で仕事させたかったんだ。イギリスのキャスティング・ディレクターがテレンス・スタンプの起用を思いついて、僕もそれはいいと思った。存在感があるし、カリスマ的だし、彼がスターなのは疑いようがないしね。

Q: (シャルロットに)良く質問を受ける作品はどれですか?本当にユニークで大胆な作品に出演されていますよね?ベルトラン・ブリエ監督の『メルシー・ラ・ヴィ』や『セメント・ガーデン』とか。ファンが覚えている作品はどれですか?

CG:今なら、イヴァンの映画じゃないかしら、私も満足しているわ。以前ならいつも『小さな泥棒』や『なまいきシャルロット』ね、私が出た映画の中ではヒット作と言うこともあるし。イギリスとアメリカでは『セメント・ガーデン』もよく話題にされるわ。

YA:あの映画を見た事がある人は、あの作品をあげてくれるね。素晴らしい映画だよ。(シャルロットに)あの作品は君が出た映画で僕も好きなんだ。

      

Q: マドンナの歌"What It Feels Like For a Girl"が、ちょっとしたダイアローグになっているのを何人の人が気づいたでしょうか?自分では分かっていたんですか?

CG:ええ、とても嬉しかった。楽しかったし。私は何もしなかったのね。彼女に話をして、私が歌を気に入ったかどうかを聞かれたわ。電話で2回ほど話をしたの。面白かったわ。

Q: この映画はコメディですから、俳優の仕事に関して、シリアスになり過ぎると言う心配から映画には使えなかった事柄とかありましたか?

YA: それは分からないよ。役に飲み込まれるっている事はあるよね。役と一緒におかしくなるって事だけど。フランスでは僕は仏版トム・クルーズなんだよ。彼が出た全ての映画で、僕が吹き替えをやっているんだ。だから吹き替えをするためにスタジオに行くと、俳優としては存在しない他の声優さん会うんだ。彼らは演技をするんじゃなくて、声の吹き替えをするんだけど、自分たちは俳優だと思っている。これは危険なテーマであまり可笑しいとは思わないよ。おかしいと思える時もあるね。彼らに会っても、声にしか過ぎないわけ。でもシルヴェスター・スターロンの吹き替えをもう20年やっている奴は自分をシルヴェスター・スターロンだと思い込んでいるよ。

Q: 自分も筋肉隆々って感じで?

YA: ああ、本当に奇妙なんだ。僕も吹き替えの仕事を一生懸命にやっているとそんな気分になってくるんだよ。トイレで鏡に映った自分を見るとがっかりするんだ。

Q: 自分はトム・クルーズじゃないから。

YA: トム・クルーズじゃないから。本当に変だろう。

Q: なんだか悲しい。

YA: 本当に悲しいんだよ。狂っているけど。これをテーマにやったら面白い映画が出来ると思うよ。

CG: 私の母親が最近出た映画に似ているわ。ヴァネッサ・レッドグレイブの吹き替えをやっている女性の話なの。彼女の映画のポスターを全部貼っていて、自分の顔をそのポスターに貼って行くの。完全におかしくなってしまっているのね。
 

■原文はこちらから



「今は楽な生活ね」

30年と言う月日がかかったが、シャルロット・ゲンズブールはようやく自分の名声と折り合いをつけた。

ザ・ガーディアン 2002年9月24日 フィル・ダウスト インタヴュー

『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』に句読点のように聞こえる一種のコーラスがある:「シャルロット!シャルロット!シャルロット!」問題のシャルロットはあらゆる方向から包囲されているフランスの映画スター:サインを求めて目を大きく開いているファンや、独自の視点を求めている馬鹿なジャーナリストたち;彼女を数分は自分たちのために引き止めておきたい苛立った友人や家族。どんな瞬間にも、彼女がバラバラにされてしまうような気になるだろう。『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』は、これまでは俳優として知られてきたイヴァン・アタルの脚本・監督作品である。この作品の主役を務めるシャルロット・ゲンズブールと結婚している、明らかにこの映画の主人公:シャルロットを原型の一人はシャルロット・ゲンズブールその人だ。ゲンズブール本人が言うには役自体を”私と私じゃない”部分があるとの事。彼女はずーっと世間の目にさらされて来た:60年代のアイコンとも言えるセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキン(有名なセックス・ソング "Je t'aime moi non plus"の作者) の娘として、またローティーンを実物大に演じる俳優として知られてきた。20代では何本かのさほど物議を醸し出した作品ではない映画に出演したが、フランス外では、イアン・マクイワン原作の近親相姦と青春期の疎外感を描いた短編小説『セメント・ガーデン』(1993年)が最も有名だろう。

現在31才になる彼女は、自分の名声がもたらす不便さに関しては達観しているようだ。しかしこの状態になれるまで20近い時間がかかった。

「昔は誰かに気づかれるのが凄く嫌だったの」とロンドンのあるホテルでコーヒーを飲みながら彼女は回想する。その英語には全く訛りがなく、声も高くクリアだ:目を閉じたら、思春期の女の子と話していると思うかも知れない。「10代の頃はとても恥かしがり屋だったのね、だから道で誰かに気づかれたりすると、居心地が悪くなってしまって。スクリーンの自分を見るのも嫌だったの。コンプレックスだらけだったから。もう本当に長い間、自分の顔が大嫌いだったのよ。それに一番ひどいって自分で思っていたのが、声。ひどい声で、慣れるなんてことされ出来なったの」

じゃあ、どうして俳優に?「始めた時は、仕事とは思えなかった」と彼女は言う。「むしろ経験。楽しい休暇って感じだったわ、クルーの人たちと一緒で両親とは離れてね。楽しかった。そしたら仕事が入って来てさらに楽しいって思えたのね。飲み込まれたって感じ」

”楽しさ”は1984年のミュージカル『残り火』から始まった。この映画で彼女は後にたくさん演じるシャルロットの最初の一人を演じている、ここではカトリーヌ・ドヌーブの気難しい娘と言う役だ。1985年にはヒット作に出演クロード・ミレーユ監督の『なまいきシャルロット』で問題を抱えた少女を演じ、この映画でセザール新人賞を受賞した。その翌年彼女の父親のお家芸とも言えるスキャンダラスな作品『シャルロット・フォーエバー』で席巻、この映画でやつれたセルジュと最愛の娘はベッドを共にした  - 彼女は決して振り返ることはしなかった。

『シャルロット・フォーエバー』とリスキーな父娘のデュエット曲『レモン・インセスト』は、父親の引く糸で娘を芸能界入りさせたような印象を持たれる。しかしそれは全く違うと彼女は否定する。「映画に出ることを強制されたことは一度もないわ。父や母が私の映画の脚本について意見を言ったのを私は覚えていないから。たとえば、父も母も『残り火』の脚本を読んだと思うけど、その話をすることはなかったもの。当時は12歳で、あの年の娘を一人でどこかへやるのは両親にしたら心配なことだと思う、でも私が決めていいんだ、私がやりたければやればいいって思わせてくれたの」

それで彼女は宣伝にも協力しなくてはならなくなった。「ええ、インタヴューね」と溜息をつく。「13か14の時、インタヴューを受け始めたの。ひどかったわ。TVに出演して何も言えないんだもの:後でその番組を見て馬鹿みたいって思って。でもどうしてある映画に出たのかとかその映画のテーマに関する自分の意見は?とかを人に話すのが本当に苦手だったね。会話をするのとは全く違うでしょ。それでいつも両親のことを聞かれたのね(彼らは1980年に離婚)本当にウンザリしちゃって。あまり口を開かないようにしていると記者の人たちは、どんな風に育てられたのとか、セルジュはどんな人とか、プライベートでは何をしてるのとか聞かれて。それが辛くて。イヴァンは映画に出る人は、ある意味みんなのものになるって思っているけど、私はそんな風に思えない。全てを分かち合わなければだめだって思えないから」

それでも、インタヴューを受けるのは、既に悪夢ではなくなった。『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』を嬉々として語ってくれる、アタルはスポーツライター役だそうだ、彼女の笑いは、緊張ではなく楽しいから出たものだろう。でもファンはどう?サインや写真をねだるファンとはどう関わっているのだろう?「平気よ」と彼女は言う「みな良くしてくれるの。それは私の両親と関係があると思う。両親はとても人気があるから、皆家族全員によくしてくれるのよ。凄く特別な感じ。私たちに共感してくれるのね」

1991年セルジュが心臓発作で亡くなった時、彼はモンマルトル墓地で、もう一人の放蕩者:詩人シャルル・ボードレールの隣に埋葬された。彼のお墓はペールラシェーズ墓地に眠っているライバル:ジム・モリソン同様、ファンの巡礼地となっている。セルジュ・ゲンズブールのフランスでの人気を理解するのに、こう考えればいいだろう:我々イギリス人が歌も演技も達者でTV番組では酔っていたオリバー・リードを愛したのと同じなのだ。「醜さには美しさよりも魅力がある」と彼はかつて言った。「醜さは持ちこたえるから」シャルロットは父の死からその愛情を結晶化させようとして来た。サン-ジェルマン-デプレにある古い家をいつか博物館にしたいと願いながら管理して来た。「きちんと管理してるの、昔のままであるようにね。それで自分の損失感を埋めているような感じ。すぐ隣に住んでいて、行きたくなったらすぐ行けるの」

             

しかし10年経った今でも公式な援助を得るにはほど遠いと言う「本当に絶望的。ただドアを開けて、ファンの人たちに開放する訳には行かないのね。本当に小さな家で、物で溢れているから。冷静に考えてないとだめだし、誰か他の人に管理を頼む必要があると思う」

「助けて欲しいの、10年掛けて様々な関係各庁に話をしたけど、何もしてはくれない。”面白いですね、でも管理するのはあなたですよ”って言われたわ」今ではその家を売却することも検討中だ、そのプロジェクトを受け継いでくれる相応しい人物が見つかればの話だが。「私にも自分の生活があるし、もしここ数年で何もなければ、諦めるしかないもの」

この件が彼女の心に重くのしかかっているとしたら、それは彼女の気を紛らわすものが他にないからだろう。『僕の妻はシャルロット・ゲンズブール』は事実を述べているというよりも主張に近い。映画はフランスでヒットしたが、ゲンズブールはここ2年間仕事をしていない。今やっと『アモーレス・ペレス』の監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの新作の準備に入った。『21グラム』と言う題名のこの作品はベニシオ・デル・トロ、ショーン・ペン共演で、心臓移植をテーマにしている。

「仕事をしたくてしょうがないの」とゲンズブールは言う。「こういう時期が何度もあるのね、でも2年間は一番長いかな。選り好みをしすぎるのかも。作品を多く断れば断るほど、次の作品がいいって思うのが余計難しくなるのね」

次の世代はどう?彼女とアタルには5歳になる息子ベン君がいる。また第二子も11月に出産予定だ。自分の子供たちを映画に出しますか、ワージントン夫人?「出さないわ。私は他に何も出来ないけど、楽しいけど大変だから・・・」

「誰かを愛している時、彼らに苦しんで欲しくはないでしょ。もしろん大した苦しみじゃないけど、生活は楽だけど、他人の意思に頼るでしょ、それに自分をさらけ出す仕事だし。遅かれ早かれ自分を疑問視するのね。仕事以上の何かがあるのね。とても個人的な感じ、だから傷つく時は内心本当に傷つくの」

彼女は家族については少しプライバシーを保ちたいと思っている。イヴァンは息子の話をするのは平気だけど、私は問題を感じる、私の家族とそれを体験したからだと思うの。自分たちや生活のことを誰もが知っていて、すごく恥かしい思いもしたわ。息子にはあんな経験をさせたくないもの」

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