ヴィルジニー・ルドワイヤンがピエール・ジョリヴェ監督の最新作『天使の肉体』の公開について語る。互いにレストランで出会い、シナリオの話をした時に一緒に仕事をすることを決めたと言う。『天使の肉体』は貧しく途方に暮れた少女が、裕福で、なに不自由ない生活をしている弁護士の所へ押し入って来たので、相対する世界が衝突するお話である。この二つの世界は、同じリズムでもなく、同じ音楽を聴くでもなく、眠る時間も異なり、同じ夢を共有しているわけでもない。ただ同じ恋愛感情があるだけなのだ。『天使の肉体』はシムノンの小説" En cas de malheur"とクロード・オータン−ララ監督で、バルドーとギャバンが共演した最初の映画化にインスピレーションを得ている。それ故に、監督のピエール・ジョリヴェは自分のシナリオを何度も書き換えた。自分自身の物語を書き、それに没頭したかったのだ。監督について、ヴィルジニー・ルドワイヤンは演技指導のうまさと子供のような好奇心を常に持ち合わせていることを賞賛している。彼女はまた『天使の肉体』で演じたセシルと言う役柄についても話してくれた。相反する性格の女の子で、非合法的な方法で生活するためのアイデアに困らないようなとても成熟した面も持ち合わすが、一種の自発さを自分の中で抑制してしまい、自尊心に欠けている。自分自身の世界しか見えていないのだ。セシルの中の力強さと脆さが混じった所にヴィルジニーは惹かれたと言う。彼女はまたこの映画で共演した素晴らしい俳優ジェラール・ランヴァンについても語ってくれた。彼について、ヴィルジニーは、"映画の世界で会った人の中で一番素晴らしい人物よ。本当の優しさを持ち合わせた男性なの。"と語る。

Interview: Virginie Ledoyen

なぜセシルは、ファルネーズからヴァンサンへと、いとも簡単に鞍替え出来るのですか?

この役で私が一番興味あったのが、彼女は本当に愛情に飢えているんだけど、愛がどんなものだか知らないから、彼女には全て、何もかもそう思えてしまって、自分が分らなくなってしまっているのね!だから二人とセックスしてしまうし、それは彼女が開放されているんじゃなくて、むしろ"してみなければ分らないじゃない"って態度なの。最初は、嫌悪感を感じているんだけど、自分の友人を助けてもらえるように、この有名な弁護士のミシェル・ファルネーズに身を任せようとするの。それから段々気持ちが変化して・・・弁護士に体を許した時は、本当に彼と寝たいっていうより、彼女は絶望しているから。その瞬間、欲望があった訳じゃなくて、ただサミラを救いたいだけなのね。私は彼女が初めてファルネーズと出会うシーンが好き。いずれ社会的な庇護が必要になるんだろうなとか、彼にはよくあるんでしょうけど、一夜を過ごすだけなら都合のいい子だなみたいな目で彼女を見てはないのね。彼女に本当に関心を持つの。セシルにとっては、社会に認められた、大成した大人が自分に目を向けてくれたという事がおそらく初めてなのよ。興味深いのは、セシルはミシェルが弁護士で魅力的でお金持ちだから彼に恋したんじゃなくて、今まで経験したことがないような見方を彼がしてくれたからなのよ。

彼女を囲うことで、ファルネーズは、セシルを自分の同じような存在にしてしまう危険を犯しているのでは?

そうね。彼女はプチブルか、いずれコール・ガールにでもなってしまいそうだもの。ミシェルが彼女を保護するわけ。彼女の事が凄く心配なのね・・・同時にセシルは一等地のお屋敷に閉じこもっているのは自分の生活じゃないって思い出すためにヴァンサンが必要なのよ!セシルはいつも誰かに守られていたい路頭に迷った子で、いつも後ろでこうしろ、ああしろって言う男がいるのね。ヴァンサンは"見ろ、君は俺と同じなんだ"って言うし、ミシェルは"僕達は似た者同士だ。出身も同じだろ。"って言うの。結局、セシルは誰でもないのよ、彼女に惚れる男たちのコピーでしかないのね。

彼女にとって、ヴァンサンとは?

セシルはヴァンサンに恋しているとは思えないわ。彼はサミラと同じく、彼女の人生の一部を成しているけど。ヴァンサンとは"クラブへ行って楽しんで、最高じゃない・・・セックスしてもしなくても、問題じゃないわ。"って感じで。同時に彼はセシルにとって、ガードレールみたいなもの。ミシェルは彼女が生きていないような状態にならないようにと守るわけ。ヴァンサンは彼女が将来、ブルジョワにならないようにと邪魔するの。(原作者の)シムノンはこんな風に彼女の事を書いているの"彼女は途方に暮れていて不幸だ。もしまた一人きりになってしまったら、すぐにまずい事になる。飼い主を探す迷いイヌのようになってしまうだろう。"まさにそうよね!最後にはヴァンサンに付いて行かずに、サミラへ会いにモロッコへ行こうと決心するの。自分のために一人で行動するのは初めてなのね・・・逃げるようなやり方だけど、やっと自分って言うものを認識するのよ。彼女はヴァンサンに最後の夜をプレゼントするの。彼女は妊娠しているのにヴァンサンとセックスするのはショッキングかも知れないけど、でも自分の意志で、彼とのセックスを望むのよ。それが最後の贈り物なの。ヴァンサンとの関係をはっきりと認めてね。彼が自分に夢中でそれで不幸な思いをしているのも知っているの。自分のために彼がしてくれた事全てに感謝しているしね。彼と寝るのは、別れることを彼に理解させるための彼女のやり方なのよ。

セシルは、あなたの世代ではよく見かける子だと思いますか?

私の役柄が世代を象徴しているなんて言いたくないわ。世代って言っても別々の個人で成り立っている訳だから。でもセシルはとても現代的な人物よ、彼女と同じような境遇の子が同じような生き方をするとは限らないけどね。彼女に興味を引かれたのは、風刺になっているのはなくて、弱さや脆さを併せ持ち、自分が経験したことから来る強さもある、本当の個性を持っているからよ。私にとって意味深いのは、女性が恋愛の選択ではなく、恋愛で傷ついて自我に目覚めることなの。実際、多くの若い人がそうだけど、見捨てられて途方に暮れ、愛情に飢えて要求の激しい子なのだけど。若者が皆、絶望していると言うつもりはないけど、落ち込む時は本当に落ち込むでしょ。

あなたはセシルと言う役にリズム、物腰、エネルギーを与えたと思います・・・彼女は男性の欲望と視線の中で存在感が際立っています。

この手の役って、すぐ惨めな感じになるでしょう、流されて男から男へ渡り歩くようなアバズレって感じで。彼女には強くなって欲しかった、反抗的って意味じゃなくて自分の弱さもさらけ出せるってこと。活き活きとしていて精力的で、泣き寝入りなんかしないのよ。彼女はとても早口で、時々ちょっと声が大きいの。楽しむ時は本当に楽しんで、泣く時は本当に泣くの。私の仕事では見た目はとても大切だけど、綺麗に見えるようにって意味じゃなくて、衣装や歩き方、全てが大事なのよ・・・

俳優にとって体は声や視線と同様、大切だと言うことですね。ファルネーズと再会するシーンは大変でした?

ピエール・ジョリヴェを完全に信頼していたわ。このシーンにはある種の純粋さが必要だったの。天使のようなって訳じゃないけど、セシルには無垢なところがあるって私は思っていたから・・・彼女が何百回とそうして来たと思えてしまってはダメだったのね。彼女は汚れてはいないの。お店でスカートを盗む時も、ファルネーズを挑発するつもりはないのね。つい手が動いてしまったのよ。彼女はスカートをたくし上げるけど、内心は恥ずかしいと感じてると思うわ。それが最後の手段なのよ。

共演者たちについて話して下さい。

ジェラール・ランヴァンと共演出来て、本当に嬉しかったわ。相手役の俳優のことをまず考えて演技をしてくれるの。珍しいと思う。彼には本当にぶったところがないの。ギヨーム・カネは、本当に存在感があるわ。厳格な俳優よ。役柄に関して凄く考えるし、いつもうまく演技をしたいのね。キャロル・ブーケとはずっと共演したかったのだけど、妻と愛人とのシーンなんて、正当性がないものね。ピエール・ジョリヴェはエネルギーがあって、役柄の大小に関わらず俳優に特別な注意を払ってくれる人。彼とは本当に話が出来るの。★



ピエール・ジョリヴェ監督インタヴュー  オリジナル・フランス語版はこちら→

この映画をやってみたいと思われたのはなぜですか?

プロデューサーのアラン・ゴールドマンにロゼリン・ボシュが書いたシナリオを読ませてもらった時に感じるものがあったからです。一気に読みました。私をわくわくさせたのが何だったのかを正確に特定するのことは出来なかったのですが、様々な感情に感動したんですね。情熱、愛、矛盾した激しい感情が混ざった強烈なシナリオなのです。読み終えた時、「これは映画になる十分な土壌があるぞ」と思いました。アラン・ゴールドマンと共に冒険をして見たい気持ちになったんです。彼は「1492・コロンブス」や「天使の肉体」のような全くタイプの違った企画・制作したいと言う欲望を持っているのです。映画を作るだけではなく、彼は映画を夢見ているです!

「天使の肉体」の原案となっているシムノンの小説"En cas de malheur" は読まれましたか?それとブリジット・バルドーとギャバンが出演したオータン-ララ監督の映画を見ましたか?

いいえ、不思議なことに、50年代のフランス映画はかなりの数を見ているのですが、この映画は未見なのです・・・シムノンの小説もかなり読んでいますが、この小説は未読なのです。結局、読まなかった!翻案からスタートすることにしました。そうしてなければ、これほど自由にシムノンを見直すことは出来なかったと思います。

シムノンのプロットはよく圧倒的な情熱をベースにしていますが、あなたの映画もその素晴らしい例だと思われます。

私が先ほど土壌と言ったのはまさにそのことです。何不自由ないブルジョワで妻のいる男が若い女性と出会い、全てがひっくり返る・・・でもその情熱の向こう側に非常に興味深い要素があるんです。若い女性に夢中になる中年男と言うのではなく、自分の人生に突如として現れたこの若い女性を通じて、自分のルーツを見出す男の話が。突然、46歳になるこの男は、成功をした有能な弁護士である訳ですが、パンタンで19歳だった時の自分に似た若い女性と出会う・・・自分の出身を忘れキャリアを積んで来たこと、自分のルーツに背を向けてきて、落ち着かなかったことを悟るのです。この鏡の現象、これが基本テーマなのです。この映画をやってみようと決めたのはまさにそれです。

その事がこの翻案のオリジナリティをさらに強めています。セシルの若さに接して、ミシェル・ファルネーズを悩ませているのは中年の危機ではなく、それは彼自身の過去が自分に問い掛けて来ている!

ええ、ミシェルが問題にしているのはかわい子ちゃんの綺麗な目じゃない。彼には、非常に美しい妻がいるんですね。既に満足している訳です。しかしセシルの出現で、自分自身が失ったものに気付くわけです。

セシルは社会には自分の居場所がないことを知っていて、強制的に社会に参入してくるのですね。

彼女は、時々キレていた自分の両親に見捨てられた子供のようなものです。自分が操ると言うよりは社会に迎合している。彼女は愛することと苦しむことしかできないのです。

ミシェルは幸福になるための全てを持っていますが、セシルには若さと自由さ以外、大したものはない・・・

初めて会った時、彼女が彼に言いますね:"ここはお金でプンプンしてるわ。外で何が起きてるかあなたは知らないでしょう"と。かつては自分も同じ立場で、成長したミシェルとって、この言葉が凄いきっかけになる訳です・・・自分の立場が完全に変わってしまったことを彼は気付くのです。

ミシェルとセシルが互いに惹かれていく過程を巧妙に見せています:視線、好奇心、問い掛け、優しさ、不安や性的な惹かれることなど・・・様々な感情をどう演出設計したのですか?

弁護士の事務所での最初の出会いのシーンはとても単純なコンセプトでした、部屋の真中にセシルが動かずにいて、ミシェルが質問しながら彼女の周りを回ると言うものでした。彼女が彼にパンティを見せ、立ち去る瞬間まで、周りを歩くのです。多分このアイデアは私の男女感から来ていると思います・・・男は自分に自信を持たせるため、強く見せるために女性の周りをぐるぐる回って時間を過ごしているのです。

映画は危機を迎えた夫婦の素晴らしいラブ・ストーリーでもありますね・・・

危機を迎えた夫婦だと私は思いません。18年間の共同生活と言う少し時間のために擦れて、疲れた夫婦なのです。特にこれと言った出来事もなくやって来たのですが、日常生活の陳腐さがもたらす危険があるわけです。ミシェルは危機を抱えた夫婦間に亀裂を作ろうと劇的な出来事を求めているのではありません。彼には何かを待っていると言うのではなく、突然過去が自分に振りかかって来ると言う具合にしたかったのです。

ヴィヴィアンの役では、裏切られたブルジョワ女性のステレオタイプではない、素晴らしい女性像を見せてくれました。

ヴィヴィアンは感動的な人物になるように試みたつもりです。それでキャロル・ブーケには化粧をせず、泣きわめいたりしないよう頼んだのです。ヴィヴィアンは、自分の自信やお金、ブルジョワジーに完全にあぐらをかいた女性ではありません。考え、求め、疑う女性なのです。子供を養子にすることを考え、それを彫刻で表現したりもします。この不運な女性は自分の不幸をきちんと受け止めますが、残酷にもなれるのです。

登場人物たちについて、シムノンは福音主義を当てはめています:"汝、裁くなかれ"!と。

それはおそらくシムノンの小説同様、私の映画でも同様の原理なのでしょう。私は決して裁かない。「Force Majeure」は倫理の選択に関する映画でしたし「フレッド」は道徳的な選択に迫られ自分達の尊厳を保とうとする人たちの話です。「天使の肉体」もその事を扱っていると思います。道徳家になりたい訳ではありませんが、私は倫理や道徳についての映画を撮ってきました。モラルの終末が興味深いのではなく、同情への到達するまでの過程が面白いのです。

あなたは社会の動きにとても関心を払う映画作家だと思います。「天使の肉体」は、ブルジョワ劇なのですが、とても社会性を持ったドラマですね。

ブルジョワジーと言うのは社会事実ですから!それに私には実際社会的なコンテキストから逸脱した映画を撮るのは完全に不可能だと思えますね。世の中で何が起きているのか知らずに映画を撮ることは出来ないと思うのです。私は郊外で育ったので、社会欲動にはとても興味があるのです。

これまでのあなたの作品を見ると、今の若者へのあなたの視線の確かさが分りますが、セシルと言う人物を通じて描きたかったのは、特にどんな現実だったのですか?

"若さ"と言うことをことさら強調したいとは思いませんでしたが、恋愛に際して制御が効かない面、様々な体験をする時の情熱的な受容力を見せたかったのです。二十歳の時に持てる情熱には突き刺すような何かがあると思います。ファルネーズが感じたのはそれです。

ミシェルは自分自身にしてしまったことをセシルにもしようとしますね・・・彼女を囲ってしまおうとする。

恋愛の残酷な側面ですよ!互いに相手を自分の世界へと引きずりこもうとする。特にミシェルは影響力が強いですからね:教養もあるし、インテリでお金もあり、揺るぎない地位にある。セシルはそれに抵抗する術を持っていない。しかしミシェルは幻想を生きている。この映画を撮った理由の一つはそれなんです。捨ててしまった過去を計り知れない幻覚のようなに素早いやり方でしか発見できないんです。本当の人生の仕組みがしっぺ返しをする。

この映画は推理小説のように強調した編集がされています、アクション・シーン、つまり車/オードバイのレース・シーンが、感情的なシーンに食い込んで来ています。

私の映画は自分に似ているんです。小柄で痩せてて、神経質なんです!1時間35分を過ぎると、私は不機嫌です。これは気質の問題でしょうね。編集は早く、無駄なシーンがないようにしたい、重くなりたくないんです。

このお話では、郊外は非常に重要な地位を占めていますね。特にパンタンでのミシェルとセシルの共通の家柄を示すためにセットに凝りましたね。

若者の間には、魅惑と欲望が混ざったような、複雑な愛憎関係があると思います、成功や金持ち、またお金自体に反抗心があったり、うんざりしているのです。このコントラストがヴィンアンやセシルと言う人物を通じて面白く観察できるのです。だからこそ、セットは正当性のあるものでなくてはなりません。カメラマンのパスカル・リダオとセット担当のティエリー・フラマンを一緒に使えたのは幸運でした。完璧に馴染んでいます。

キャスティングはいかがでしたか?

ジェラール・ランヴァンを起用するのはすぐに浮かびました。彼には成熟さ、役の重みが出せます。彼の妻にはエレガントで生活感もあるキャロル・ブーケが良いなと。ヴィルジニー・ルドワイヤンは、初めて会った時から、単なるミーハーに成りかねないセシルと言う人物に自然に現代性と、特に深みを付けてくれるだろうと感じていました。最後にギヨーム・カネですが、激しさと魅力がヴァンサンの役に打って付けでした。★

>index