フランソワ・オゾンは、現在のフランス映画界のアンファン・テリブル(恐るべき子供)である。しかし彼はそんな表現のされ方は無視している。アンファン・テリブルという表現はフランス語ではほとんど使われないのだと説明してくれる。また意図的にショックを与えたいとも思っていないと言う。しかし彼は挑発し動揺させてくれるのだ。ヒッチコックやシャブロル監督と比較され、この数年で、罪、奇妙なユーモア感覚、そして巧みなペースとトーンが特徴である多彩な作品を連打し、独自の地位を築いて来た。何であれ、オゾン監督はこれまであなたが経験しなかったような暗黒の世界へとあなたを連れって行ってくれる。フランスの高名な国立映画学校フェミスを卒業後、1986年から1990年までオゾンは30作にもなる8ミリ作品を制作した。彼の中篇『海をみる』(1997年)は映画祭で、すぐに議論を巻き起こした。一人海辺で休暇を楽しむ若い母親が無愛想なキャンプ旅行者を家に招くという気色悪い物語で、サイコセクシャル・ホラー作品の傑作となった(オゾンが映画学校で知っていた実在の変人にインスピレーションを受けている)キャリアの当初から明白な手がかりなしに不気味なサブテキストを語る術をオゾンは見せていた。
『海をみる』の後で、現在36歳になるオゾンは振り向くことなく、一年に2本の作品を撮ったこともある。『ホームドラマ』(1998年)は変態性でビンビンの中流家庭を描いたブラック・コメディで『クリミナル・ラヴァーズ』(1999年)では、実在の犯罪を原作にした性的残忍性を描き、殺人を犯したカップルが森の小屋に隠れ、好色な木こりに監禁されるストーリーだ。オゾンの好きなおとぎ話『ヘンゼルとグレーテル』を元にしたゲイでS&Mファンタジーと呼ばれた。ファスビンダーの劇を脚色した『焼け石に水』(2000年)では初心な青年と、彼の専制的な年配の男の愛人との性のパワーゲームを描いた。オゾンが言うには彼自身の恋愛心の高ぶりを反映された作品だとか。同年、悼みをつきまとう如く、曖昧に描き批評的に絶賛され、シャーロット・ランプリングのキャリアを活性化させた『まぼろし』が続く。1960年代に書かれた推理劇を原作にしたミステリーであり、ミュージカルでもある『8人の女たち』で180度転換し、国際的な評価を得た。期待の新作『スイミング・プール』(カンヌ映画祭で上映)では、シャーロット・ランプリング演じるルース・レンデル風推理作家サラ・モートンが充電のために彼女の編集者ジョンの別荘があるフランス郊外へと旅行する。そこでサラはオゾンのミューズであるリュディヴィーヌ・サニエ演じるジョンの性的に奔放な娘ジュリーと衝突する。この作品はオゾンの好きなテーマであるセックスと殺人をミックスし、観客に“現実”とサラが執筆中の小説の世界の区別できるか挑戦する。オゾンの初期の作品は自伝的な傾向が強かったが、『スイミング・プール』で、円を描いたように一回りすて、再び自分自身にカメラを向けた。インディワイヤーはパークアヴェニューのリージェンシー・ホテル(配給会社フォーカス・フィーチャーズが選んだ。オゾン自身はより庶民的だ)で彼と話をした。ピンクのストライプのジャケットに袖と首が開いた白シャツ姿で、オゾン監督はジャーナリストたちの襲来を楽しんでいるかの様子で、よく笑い、少し危険な少年聖歌隊員といった無邪気なイケメンだ。

ジャーナリストたちから同じ質問をされるのは疲れませんか?
フランソワ・オゾン:そうですね、『8人の女たち』はとても退屈でした、皆女優さんたちのことしか聞いてきませんでしたから、自分の事を聞かれるほうが好きですね。『スイミング・プール』は自画像のような
ものですから。

でもこの映画は、編集者の娘とややこしい事になる推理作家の話ですよね?それがどう自画像になるのですか?
オゾン:これは自分の話、自分の創作方法を話題にしているんです。自分の仕事のやり方を見せたかった訳です。ジャーナリストに「毎年一本の映画を撮れるほどのインスピレーションはどこから湧いて来るのですか?」といつも聞かれるんですね。アイデアには困らないのを見せたかったのです、僕の頭の中はストーリーで一杯なんですよ。僕にとっての問題は、欲望なんです。記憶に残るような力を持ったストーリーを選び出すことなんです。2週間で済むって訳には行きません;その欲望が半年は持続しないといけないのです、映画の撮影には半年から丸一年は必要ですから。

それはリスクですね。
オゾン:リスクはいつもの事です。自分が何をやりたいのか絶対に明確でないとだめです。それに映画を撮るだけじゃなく、撮影が終わってからも宣伝やその他もろもろありますから。作品と長い付き合いになるのですから。でも自分では一時の興味しか持てないストーリーを感知することができます。頭の中にずーっとこびり付いている奴もあります。仕事をする時は、自分の潜在意識にとても近づいていますね。

この映画での自画像は暴力に満ちています。変態的な殺人的な衝動というのはどこから沸いて来るのですか?
オゾン:子供のころ、両親から教わったことがあるのですが、なにかアーティスティックなものを作るのなら、人生のもたらすあらゆる恐怖や自分は絶対にしないだろうと思うことや様々な形の暴力を注入しなくてはだめだと。芸術なのだから許されるのだと。想像世界だと言う事で、少年時代にも僕はサドを読むことを許されていました。フリッツ・ラングがかつて言っていましたが、「私は(映画)監督になっていなければ、殺人者になっていただろう」と。殺人は人生にあるべきものではなく、映画の中にある方が良いのです。

では、そういう暴力的な衝動もあなたの一部なのですか?
オゾン:みんなもそうでしょう。潜在的には誰でも殺人者になるうるのです。あなたにも人を殺すかもしれない衝動があるんですよ。

それは特に自分には分らないですね。
オゾン:それは危険ですよ!(笑)アーティストの役割は、こうした衝動に近づいて、他人のためにそれを表現することだと思うんです。映画であれほどの暴力が描かれる理由はなんだと思います?暴力を売りものにしたアメリカ映画がヒットするのはなぜだと思いますか?人間には皆、その傾向があるからですよ。スクリーンに描かれるのを見てカタルシスを感じる訳です。

ゲイではない幸福なカップルを描くような作品を撮る自分を想像できますか?
オゾン:現在取り掛かっている作品が正にそれですよ!”5X2”と言う題名の作品で、ストレートなカップルのラブストーリーです。ある夫婦の生活における5つの重要な時間を描く作品です。ベルイマン監督の『ある結婚の風景』のような作品です。

あの作品の夫婦は幸福ではなかったですが。
オゾン:僕の作品のカップルもそうじゃありません。幸福な時、そうではない時もあります。映画はまだ完成していないので、どんな結末になるかまだ分らないのです。でも明るい円満なカップルの話にはならないと思います。僕は現実主義者で、カップルっていつも上手く行かないでしょ?

あなたはカップルになるパートナーがいるのですか?
オゾン:(笑)それは作品の中の話ですよ。カップルの経験はたくさんありますよ。普通なかなかうまく行かない事も分っていますけど、それでも仕方ありません。人生の一部であるわけですから。僕が気をつけたいのは明晰さですね、それが幸福を可能にしてくれるのですから。

反社会的な欲求を解消する以外に、あなたが映画を撮りたい他の理由は?
オゾン:ストーリーを創造する楽しみと冒険できると言うことでしょうか。きっかけはカフェである女優さんと話し合ってあるアイデアが生まれるという本当に小さいところからスタートして半年経って見るとある形が見えて来るのです。僕の頭の中にあったことが何か現実味を帯びて来るんですね、そしてそれを大勢の人たちが見る事になる。それはとてもワクワクして来ますよ、映画を作るどの工程も大好きですね?しかし書くのは一番嫌いですけど。

『まぼろし』と同じようにエマニュエル・ベルンハイムと共同で脚本を書いたのですか?
オゾン:共同で書いてはいませんが、僕の映画にはよく女性が登場するので彼女と話をする必要があるんです。僕が正確を期すために女性の視点が必要なのです。

当初はジョンの娘ジュリーは青年にする予定だったわけですが、なぜ女性へ変更したのですか?
オゾン:そうするとフランス映画の年上の女性と青年という紋切り型になってしまうと早い段階で気付いたのです。イザベル・ユペールの作品を既に見ていますから。

作品への音楽の使い方について質問します?例えば『焼け石に水』ではマーラーの交響曲5番がとても思わせぶりでした。
オゾン:非常に皮肉的な意図なのです!あれはヴィスコンティが『ベニスに死す』でダーク・ボガードとタジオのために使った音楽です。あれも年配の男と青年の話でしたが。

『スイミング・プール』のほめのかすようなスコアは?
オゾン:僕が面白いと思ったのは、最初はメロディが良く分らないんですよ、音が少ないから。映画が進むにつれて、メロディラインがはっきりして来るんです。それはサラのインスピレーションと平行しているんです。最初は彼女にもストーリーがどこへ行くのか厳密には分っていないんです。でも徐々に彼女の本のプロットがはっきりして来ます。音楽がそのプロセスと平行しています。僕は音楽を語り口の要素として使うのが好きです。

あなたの映画の数本には面白いショットがあるんですね:カメラが登場人物の足から顔へとパンするのです。
オゾン:愛撫の一種だと思います。体に触るときは(笑)足から始めて、顔へと上がっていくでしょう。俳優たちの体を愛撫する方法なんですよ、目で撫でて行くんです。リュディヴィーヌとシャルロットの体を観客たちはそんな風に感じていく訳です。

でもあのショットは脅迫的でもありますね、フランク(地元のバーテン)の毛深い足が日光浴しているリュディヴィーヌに前に見えて、それからあの庭師が・・・
オゾン:ええ、危険と脅迫というのはセクシャリティの一部だと思います。危険があれば、セックスにより興奮できるのです。性的なゲームの一部ですよね。違犯と危険が欲情を増すからです。

あなたのそれぞれ異なる作品は同じテーマで結びついていますか?作家のサインがあるのでしょうか?
オゾン:ええ、あると思います。でも僕は自分の作品を分析はしません。それはあなた方ジャーナリストの仕事でしょう。でも作品は同じ脅迫観念があると思います。『スイミング・プール』では創造について僕の個人的な考えを反映していますし、これまでの作品への目配せがたくさんあります。あの愛撫のようなショットは『焼け石に水』にも出てきました。リュディヴィーヌとシャルロットの関係は『8人の女たち』へ言及しています。『スイミング・プール』は『まぼろし』にも似ています、あの2人の女性は、想像の中で生きているのです。でもサラのイマジネーションは創造性へ結びついています。『まぼろし』の女性は自分の喪いに耐えるために想像の世界を作り出しているのです。しかし狂気の世界へ向かっています。映画の終わりで彼女は頭がおかしくなってしまったのか我々にはわからないのです。

リュディヴィーヌ・サニエはあなたの3本の作品に出演してミューズになりましたが。
オゾン:彼女が性格俳優だからですね、役柄に溶け込める女優なんです。変身できる女優が好きなんですね。それにリュディヴィーヌはとても若いので、僕の型にはめられるわけです。彼女にはまだ定型がないのです。彼女にキャラを付けることが出来るからです。それに彼女は僕に自信をつけてくれます。僕らはとても良い友人なので、彼女と仕事をするのが楽しいんです。

でもランプリングとは、いつもシャーロット・ランプリングだと思うんですね。
オゾン:彼女のイメージと遊ぶことも可能ですが、違うんですね。『まぼろし』は彼女の生活の一部に関してのヴァーチャルな実録モノなのですが、『スイミング・プール』では自分には全く似ていない役を作り上げてくれました。冷淡な感じのイギリスのオールドミスというステレオタイプを茶化してみたかったのです。

そんな人物と何か共通点があるのですか?
オゾン:僕の中にはどんなイギリス人女性も少しいますね。(笑)

あなたのイギリスのオールドミス的な側面は何ですか?
オゾン:それは・・・言えませんね(笑)多分仕事のやり方と、インスピレーションの見つけ方だと思いますね。世界から自分を隔離して、集中する必要があるんです。ある企画のスタートでは、とても杓子定規なんです。田舎で引きこもるのが好きですし。ミステリーを書くのもシナリオも書くのも非常に似ていると思いますね。どちらもプロットと詳細が重要ですが、スタイルはそうじゃありません。ミステリーは文学の大作ではないですし、シナリオは映画の青焼きに過ぎません。

この作品の最大のじらしは想像の世界と現実が交わる部分です。現実が想像の世界へ入り込んでいく具体的な瞬間があるのでしょうか?
オゾン:僕は鍵のような物を渡したくはありませんね。もちろん僕自身の意見はありますけど。でも様々な考えが浮かぶような終わり方にしたかったので、観客たち一人一人が、望むものを想像してくれればいいのです。これは見る側に見たい作品を想像する自由を提供する映画なんですから。創造すると、人物も想像したものも書かれたもの皆混ざり合ってしまうんです。映画を作るとそれを生きたような気持ちになります。俳優や登場人物たちと気持ちを共有するからでしょう。さっき言ったように映画に殺人があれば、自分もその殺人を犯したような気がするのです。『スイミング・プール』は、空想、現実、創造を同レベルにしてあるのです。

ジョンがジュリーに電話して来るシーンで、彼女がサラに受話器を渡しますが、すると彼は電話に出ていません。あのシーンでは何が現実なのでしょう?
オゾン:どう思いますか?
分りませんでした。
オゾン:僕にも分らなかったですね。こう思って欲しかったのです:あれは本当にジョンだったの?ジュリーは現実なの?彼女は嘘をついているの?ジョンは罪悪感からサラを避けているの?

この作品はある種パズルのようでもありますね。
オゾン:その通りですね。フライイングがたくさんあります。物語を作り出す時はそんな感じなのです。ある方向へ行き、また別の方向へいく。観客はシャーロットとリュディヴィーヌの間にレズの関係ができるのではと思うのですが、それは母子的で優しさに満ちています。彼女たちを性的な関係へ入れてしまうのはあからさま過ぎると思ったからです。あらゆる種類のヒントを考えて、一つ選び、また別の方向へ行ってみたわけです。

ジョンのオフィスでのシーンには本当に頭が痛くなりました。彼の娘は本当にプロヴァンスへ行ったのですか?
オゾン:何を思いました?僕が考えたのはですねえ・・・(監督は説明してくれましたが、ネタばれのため、記載はしません)

なぜ『スイミング・プール』と言う題名を?
オゾン:プールは映画作家が書き始める前のまっさらなスクリーンのような感じです。それにまたリュディヴィーヌの生息地でもあり、サラがジュリーを創造する場所でもあるのです。

なぜこれほど多くの作品を続けて撮るのですか?
オゾン:これが僕のリズムなんですね。前進するのが好きだからです。僕はキューブリック監督のように1作に5年も費やす必要はないからです。映画がうまく行かず、傑作でなくても僕は平気なんです。次回作ならうまく行くかもしないでしょう。僕は過去は振り返らないですから。映画は終わってしまえばそれまでです。恋愛のようなものですね ? 僕は前に進んで行きたいのです。


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