Virginie Ledoyen  Interview: POSITIF paris, le 25 mars 1997
 

-演劇学校で勉強していたと言うことで、あなたは早くから広告、テレビドラマや映画の仕事をしていました。監督のアサイヤスが『冷たい水』にあなたを起用したのはなぜですか、この映画が描く世界はあなた自身の子供時代とはすごくかけ離れていると思うのですが?

オリヴィエは、嘘っぽいことや作為的感じがする事が大嫌いな人です。私のエージェントが彼に話をした時、彼の返事は、「彼女はもう数本映画に出ているし、子役と言うのはいつも表情を作っているんだ、なんでもかんでも暗記してしまう。僕はそんな芸をしこまれた猿みたいなのは大嫌いなんだ、それに彼女はこの役を演じるには美人過ぎると思う。」だったのです。これを聞いて何て馬鹿げた事を言うのだろうと私には思えました。第一、私は絶世の美女でも何でもないし、自分自身であることに居心地の悪さを感じている少女を演じたり、見たりする時、人は美人過ぎるかな?などと考えたりしないと思います!当時、"Une nouvelle vie"(原題直訳:新しい人生)を見たばかりだったので、アサイヤス監督と一緒に仕事をしたいと思っていました。結局良く分からないまま、私は主役を演じることになったのです。役柄に関してはほとんど話し合いを持ちませんでした、オリヴィエは撮影をしながら、登場人物に驚かさせたいと思っていたんですね。

-あなたにはこの映画以降、ある種のエネルギー、ある衝動をよく連想されられます。

『冷たい水』はカメラを担いで、生き生きとした感じの長回しの撮影でほとんどのシーンが撮られています。流れるような、躍動的な感じがほとばしっていて、カメラがそのエネルギーを観客にも伝えている訳です。『シングル・ガール』ではカットを多く割っていて、私が歩くシーンが多く、カメラは私の行く先に必ず付いて来て、私の共演者と思える位なんです。私には彼女が認める事とカメラが同等の位置にいる必要があるんです。カメラが前に置かれていて、これ見よがしの演出で、技術面やいかにもお金がかかっていますと言った感じで、他の人物や俳優たちを犠牲にしてまで、主人公しか見えない作品は退屈で独り善がりだと思います。衝動と言った面では、自分が演技をする時は、全く動きがないか、あるいはあちこち走り回るという意味じゃありませんが、常に動いているのが好きですね。もちろんこれは私が演じる時のことですけど。私は早口ですし、演技には身体全部を使うのが大切だと思います:足、腕、手・・・顔と口だけで表現したり生活したりはしていないですから。不安を感じている場合、人は手をよじりますよね。もちろん典型的な場合ですけど。でも身体は考えていること、心理状態を写すと思います。『冷たい水』のクリスティーンも『シングル・ガール』のヴァレリーも彼女たちに特化した動き方があるんです。でも私はこんな感じで歩こうなどと鏡の前で練習しようなどと思ったことはありません。演じる人物に適応するのであって、その反対じゃない訳です。ヴァレリーは意思が強くて、全てが目まぐるしいホテルで働いて日々を過ごしています。私にとっては、彼女はほとんど走っているかのような印象な訳です。最近『冷たい水』をまた見る機会があったのですが、この作品では私はいつも髪を引っ張ったり、指をねじったりしているのに気付いたんですね・・・意識的にそう演じた記憶はなかったのですけど。

-動かない場合の演技について、具体的な例をあげてもらえますか?

『沈黙の女』のメリンダの役で、お手伝いさんが文盲だと彼女が気付いた時、あちこち動くよりも目の前にたたずんでなぜ文盲を隠していたのかを探るような目つきをする演技がしたかったのです。この作品の中で自分が気に入っている演技を選ぶとしたら、このシーンの私の視線ですね、皆、私の目の色は黒いと思っているでしょうけど!『シングル・ガール』のエレベーターのシーンではカメラが私から1メートル位の距離でしたから、動く演技はあまりにも安易だと思えたのです。『マリアンヌ』では動く演技がほとんどないのですが、それは衣装のせいです。ヒール靴で20キロもある衣装を着たら、好きなようには動けませんから。それに誰かを演じる場合、衣装はとても重要です。毎日の生活でも同じですけど、身に付ける物は存在のあり方を決定します。着ている服に命令されて、行動が変わって来るんです。スカートを履くか、ズボンを履くかコルセットを身に着けるかで歩き方も変って来る訳です。ホテルの従業員の制服は、喉を締め付ける蝶ネクタイといつも肩に落ちてくるストラップがあって、『シングル・ガール』のヒロインをうまく定義しているような気がします。同じように『沈黙の女』では私が凄いボブ・カットでミニ・スカートとハイ・ヒールを履いている時は、最初から少し不安な感じになっています。

-あなたのフィルモグラフィと演技はその多様さと豊かに特徴がありますね。

互いにとても異なる映画産業とその世界で自分の居場所を見つけるのが私の夢なんです。エリー・シュラキ、ジェラール・クラウジック、ブノワ・ジャコーやオリヴィエ・アサイヤスと仕事をすることが出来て素晴らしいと思いました。私は所謂作家の映画と商業映画にさほど違いはないと思います。その両方を体験出来るのが豊かさなんです。それに外国でも映画に出たいと思います。映画は、引出しがたくさんある机のようなものじゃなくて、悩ませるような映画や、お金のかかる映画、貧しい映画・・・映画って多種多様なんです。エドワード・ヤン監督で、台詞は英語で、共演者は私に中国語で返事をしてくる中国人たちと仕事をするのに3ヶ月間台湾へ行ったのですが、私は嬉しくてしょうがなかったですね。『カップルズ』は本当に健全なやり方で若さを語るとても美しくて、凄く純粋な映画です。年を取った物が若者を軽蔑的な目で見るという話じゃありません。アジアの映画監督が、私を念頭に置いて、役を書いてくれたのに感動したんです、それはフランスから台北へやってきた女の子と言うものでしたけど。彼は私はそのまま演じればいいと思っていたみたいなのは面白かったです。でもマルトと言う役には自分を投影することなんか出来ませんし、「自分」を演じるなんて不可能ですから・・・でもこの多様さは同じ監督とも実験できることです。時代背景もプロダクションのタイプも撮影規模も全く違うマリボー原作の『マリアンヌ』と『シングル・ガール』の二本の映画で、ブノワ・ジャコーの演技指導を受けたのはすごく勉強になりました。私は監督が持っていた自分のイメージを払拭して、同じ演技をしないで、驚かせたかったんです・・・

-『シングル・ガール』は社会に深く根差した作品でしたが、なにか特別な役作りの準備をしたのですか?

朝食作りと実際にホテルで働いている人に同行してお客さんの部屋へ食事を運んだりして数時間過ごしました。監督は、仕草に真実味があって、きちんと収まるべきところに物があるように要求する人ですから。『冷たい水』では精神病棟で一日過ごしました。でもそれが映画にどう反映されているか分かりませんけど。実際に具体的にどうかと言うよりは雰囲気の問題ですね、優しい人はこうした行動パターンなどと示せないように精神を病んだ人達もこんな感じだとは言えませんから。入院していた女の子たちは薬を大量に飲まされているので、とても神経質で頭を掻いたりしていましたけど、私は眠たそうな感じが強く印象に残っています。とにかくステレオタイプを作り出す訳ではないので。『沈黙の女』でも登場人物はある社会階級に属していると基本的には定義されていますが、(クロード・シャブロルは、ブノワ・ジャコー同様、マルクス主義の映画を撮ったと言っていました)カリカチュアになっては駄目なんです。ステレオタイプに当てはまる人はだれもいないのですね。演じる人物に正直に仮にそれが風刺や扇動的であっても、その人物が何を言うかを誠実に考えて、その役に人間味を出せるようにしなくてはならないんです。ウラウジック監督の私の最新作は商業映画ですけど、万人受けする映画ではないですが、私の役はロックの歌手、美しいグラマーな女の子で、これまでやったことがないものです;すごく体を使う役で、ミニスカートを履いて、この映画ではダンスのシーンや吹き替えもあって、その吹き替えをやるシーンもあるんです!私には全てが新しいことばかりだったので、とても楽しかったですね。★

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