2003年夏、ルーマニアの田舎で。パスカル・ロジエ第一回作品である『サンタンジュ』の大変な撮影の一日が終わったところだ。我々をブカレストへと送ってくれる自動車の一台の中で監督は心配していた:一日分の撮影が嵐のせいで予定よりも早く終らせるハメになり、ある場面の撮影を明日に延期せざるを得なくなって、これでまだ撮っていない別のシーンの撮影を犠牲にしなけらばならない可能性を意味するからだ。ロジエ監督は不安を棚上げに、パリからの知らせを聞いている。その横でヴィルジニー・ルドワイヤンはもっと緊張している面持ちだ。彼女は運転手にラジオを切り、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカセットをかけてくれるように依頼する。音楽で落ち着ける様子だ。ヴィルジニーが演じるのはアンナ、『サンタンジュ』のヒロインだ。訳ありで謎に満ちた過去を持ったノイローゼの女性、難しい役どころだ。それから約一年、映画の公開を前に再会する:この差に驚いてしまう。ヴィルジニーは『サンタンジュ』の最終版を見た来たばかりで、とても気に入ったと言う。瑞々しくてリラックスし、微笑みながら、彼女が映画で演じた悩み抜いた役とは正反対なのだ。まるで新しい世界を発見したばかりの人のような調子で話をしてくれる。(彼女がホラー映画に出るのは初めてである)しかし何と言っても彼女のキャリアは豊かで多様な経験から成り立っている(27歳にして、これが20本目の作品になる)そして今後も多くの作品に出てくれるだろう。
 

プレミエ/『サンタンジュ』への出演依頼はどのようにあったのですか?
 ヴィルジニー・ルドワイヤン/シナリオを受け取った時、日本にいたんです。早く返事が欲しいということで急いでシナリオを読んだの。ストーリーに引き込まれたわ。シナリオ以外にもどんな雰囲気の作品になるのかを正確に伝えるためにデッサンも入っていたの。とてもワクワクして同時に奇妙な感じだったわ。パスカル(監督)に会ったのは、その後だったのね。

この作品では何に惹かれたのですか?
 深くて困惑したビザールな役があったのね。ジュディスの役(ルー・ドワイヨン)ほどじゃないけど、あの役は凄く夢想的よね。私の役のアンナは彼女の頭の中で起きていることをカメラが追って行くような感じになっているの。口数も少ないし、本当にノイローゼ気味なのね。彼女が物語を見出していくのと同時に自分を見出していくのよ。あの浮遊感が好きだったわ:彼女は自分の行動が事実なのか、自分の不安の投影に過ぎないのか判断できないでいるのね。

全てシナリオに書かれたいたのですか、それとも曖昧な部分もあったのですか?
 全てシナリオに書かれていたわ。この役の鍵の一つは彼女が変化する瞬間なの。その瞬間をいつにしたらいいのか知るのに何度もシナリオを読み返したわ。彼女はやって来た時から完全に迷子の状態なのかしら?具合が悪くなるって思い込んでいる人みたいに、あるきっかけを待っているに過ぎないの。反対に、ある時にはアンナを待っているのは家自体なんじゃないかしら?それから彼女は変わるんだけど、ヒステリーを起した時みたいなドラマ的な感じでないのね。この変化はドラマチックな大げさなシーンよりもより細部に依存していると思う。その一方でジュディスとのコントラストもあるから、彼女は本当に支えだったわ。彼女と演じたルーのお陰で私は休むことが出来たのね。あの役はアンナのヒステリーをさらに高めているのよ。とても助かったわ。

自分はアンナに近い部分もあるって感じましたか?
 ぜんぜん。自分の一部と折り合いがついたっていう印象は持たなかったわ。その反対ね。彼女みたいな人には会いたいかどうか分らないし。友達になりたいとも思わないかも。彼女の人生は私はいやだわ。自分が置かれた環境と自己の犠牲になっているの。同時に魅力もある人物よ。そうある必要があるの、彼女は自分を恐れないから、人は彼女を恐れるようにするの。一番最初に思ったのは、これは私じゃない。だからこそ興味を引かれたのね。私にとっては新しい仕事に思えたのよ。

演じる人物に自分を見出すことはありますか?
 時々はあるわ。世代という理由からね:役と同じ音楽を自分が聴いていることはあり得ると思うし、15歳、20歳でなら同じような服を着ているってことも考えられるから。私がいいなって思えるのは監督の頭の中に既にある人物を具体化することね。『サンタンジュ』では特にそれがたくさんあったわ。操り人形になったような気がしたわ:「歩いて、こうして、また歩いて・・・」って感じ。こういうやり方で仕事をするのが好きなの。代弁者って考えるのがいいみたい。それが一番正当な言葉だと思うな。観客と監督の間のベクトルになるのが。

シナリオを読んで撮影が始まるまで、どんな準備をするのですか?
 何をしなくてはならないかは監督次第ね。監督と共演者のルーとは、ジュディスとアンナの関係について、何度もリハーサルをしたの。立場が逆転する、互いに守りあう関係なの。最初はアンナの方が強いという印象があるんだけれど、結局デュディスのほうがアンナの面倒を見る傾向が強くなるの。ジェスチャーとか技術的な部分も何度も練習したわね。それに私は段階を分けて母親になるっていう部分を見せていかなくてはならなかったの:最初はそれを隠しているけど、受け入れるようになって、それから自分が妊婦だということを示すようになる。準備っていつも形式的で、心理的なものではないから。私は多くを知りたいとは思わなかったの。アンナには嫌で忘れたい過去がある。多分に処女的で、心理的な示唆をあまりしたくなかったわけ。演じながら作り上げていくしかなったの。

撮影中は、役柄と自分をきっちり分けますか?
 分けるのに全く苦労しないわ。撮影中は完全に役に打ち込むから。でもアンナみたいな細かい要素から成り立っているような役はとても消耗するわね。一日の撮影が終わる頃には、これで一息つけるって安心してたわ。

母親であることはアンナを演じる上で役立ちましたか?
 この役は基本的に母性を拒むことで定義されていて、それで彼女には脅迫観念があるの。シナリオを読んだ時は、彼女の行動[ある時、自分のおなかを叩く]にはぜんぜんショックを受けなかったの。でもいざ演じる段階になったら、とても苦労したのね。象徴的に嫌な気がしたの。母親であることは、自分の演じ方にも影響があった。そこから抜け出したくても、とても居た堪れない気持が強くて。常に自己の問題なんでしょうね。
 

一番大変だったのはどのシーンですか?
 映画の最後のシーン。白目になるように特別なコンタクトレンズをしてたから、何も見えなかったの。セットまで運んで行ってもらったの、裸でね、それで泣いている赤ちゃんを抱かされて。何も見えないけど、ルーマニア語を囁く子供たちの声が聞こえてたわ。裸のままで恥ずかしいとかじゃなくて、奪われたような感覚が辛かったわ。あのシーンは早く撮影が終わってと思ったの。

ヌードになるのは、いやですか?
 映画でヌードのシーンをやったことは何度があるけど、それが好きとは言えないわ。でもイヤだって訳でもない。シャワーのシーンは、ニセのお腹が守ってくれたし、あの瞬間は彼女の状態のせいで、アンナの役は欲望の対象じゃないし、性的な存在じゃないと思う。ヌード自体が気まずい思いをさせるんじゃなくて、裸に対する視線なのよ。ヌードのシーンは2ヶ所あるけど、なにもいやらしさは感じないわ。シーンが持つ意味が裸を正当化しているから。

ホラー映画には詳しかったのですか?
 その魅力を感じたことも少しはあるっていう意味ではね。ホラー映画をマイナーなジャンルとかどうでもいいって思ったことはないけど、パスカル(監督)が持っているような情熱は自分にはないけど。監督は暗記しているから、決まり事を玩んで、それを別の次元へ持って行けるようにしてるの。私はホラー作品をやったことはなかったし、もっと台詞も多くてよりフランス的な作品に出てたことは監督にとってはきっと偏見と戯れるような感じだったんじゃないかしら。撮影の前にリチャード・ロンクレインのLe Cercle infernal の試写をしてくれたの、それで監督が『サンタンジュ』にどんな効果を求めているかが分ったわ。怖いのは、迷って、自分が何を見ているのか分らないことなの。中田秀夫の『仄暗い水の中から』も推薦してくれたわ、曖昧なとても暗い雰囲気の作品なの。だれが何を見てて、だれが何に会うのか分らないのよ。こうした作品を試写したから、このジャンヌに近づくのに、ルーと私にはとても勉強になったわ。恐怖と奇妙さを生むのに、あまり多くのことは必要ないって分ったの。

パスカル・ロジエ監督の仕事ぶりは?
 演技指導をたくさんしてくれるわ。何をやりたいのか厳密に知っているし、心理的な細かいことは気にかけないわね。初監督作品だったけど、熟練ぶりに感心したわ。とても安心できたし。監督自身が決してこの作品に疑いを持たなかったから、私も信じることができたの。

この作品はあなたが慣れていることを変えるものですか? 
 これまで一緒にやってきた監督たちと比較するわけじゃないけど、パスカルはビジュアル先行の人ね。これほどフレームと絵作りに重点を置いた作品に出たのは初めてだし、多くのことが視覚的に語られているの。私が演じた役は台詞も少ないわ。全てデッサンがあったのよ。美術監督が必要だった作品にはこれまで出たことがなかったから。その意味では、私がこれまで出演した映画とはまったく違うわ。

衣装やメイクを選ぶのにあなたの意見も反映されているのですか?
 されていないわ。私に話が来るかなり前からこの作品の準備は始まっていたのね。衣装や髪型に違和感を感じないのは大切だけど、それ以外では何かを変える必要は何もなかったわ。唯一断ったのは髪を切ることね。監督は『ローズマリーの赤ちゃん』のミア・ファローみたいなショートヘアの私を想像してたの。でも時代を考えたら、正しいと私には思えなかったの:1950年代だから、髪を切るのって激しい行為だったと思う。ブルジョワの人たちならおそらくしてたかも知れないけど、メイドさんはしてないわ。特に人目を避けたいって思うアンナがする訳ない。彼女が髪を切ったはずないもの。

これまでの作品と比較すると『サンタンジュ』にはどんな意味がありますか?
 これまでの役と全然違うわけじゃないけど、これは初めての女性の役よね。恋をした女じゃないし、若い女の子じゃないし、欲望の対象でもないの。

それはあなたの実生活とも結びついていますか?
 そうね。私も変わってきて、それでいいのよ。今ならもう出来ないこともあるし、だからって残念には思わない。それでこの作品が余計好きなのね。子供が生まれたばかりだったし。それも絶対影響あるわね。一歩進んだって感じかな。

もうたくさんの作品に出演したという印象を受けますね・・・
 それはこの仕事を長い間やっているからでしょう。でも連続して映画に出ることはないし、プロとしてやっている仕事ですけど義務から仕事しないように注意しています。映画には大金がかかっているから、ベストを尽くすわ。金銭的には、幸運にも不自由していない。私が映画に出る時はいつも出たいって思うから。それに完全にコミットするから。バラエティに富んだ方がいいわね。ミュージカル・コメディ(ジャンヌと素敵な男の子)も好きだったし、エドワード・ヤン監督との仕事も楽しかったし(95年『カップルズ』フランス未公開)シャブロル監督やアサイヤス監督との仕事もね。全然タイプの違う作品でしょう。

次回作は?
 セドリック・アンジェールの第一回作品。驚くような強盗のお話。ギヨーム・カネとジル・ルルーシュ共演なの。(Fin)


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