Studio N°166, Avril 2001.
Interview Thierry Cheze.

ディカプリオと共演したダニー・ボイル監督の『ザ・ビーチ』から1年、彼女はジャン=フランソワ・リシェ監督の作品:De l'amour のヒロインである。ある町を舞台にした愛と怒り、そして許しを描いた映画。彼女の映画への欲と好奇心は貪欲だと言うことが分かる。 ヴィルジニー・ルドワイヤンが撮影のためにポーズを取り始めるスタジオに日が差して来た3月のある月曜日、もう午後5時を少し回っている。もう春の日差しを感じさせる光が特別に輝いている女優をさらにきらめくものにしている。国際的な認識を彼女にもたらした『ザ・ビーチ』の後で、今月公開となる "De l'amour "に彼女は出演している。郊外のある町での愛と友情と激しさ、そして許しの物語である。政治的に正しくはない "Etat des lieux "の作者であるジャン=フランソワ・リシェが彼女のために書いたと言う役で、ものすごい演技力で彼女は私たちを煽り、ジリジリさせ、動揺させる。24歳で15年の映画でのキャリアがあるのだ、彼女に驚かされるのは今後も続くのは間違いない。
 

ジャン=フランソワ・リシェにはいつ、どのように出会ったのですか?

6年前のサラソタでのフランス映画祭でのことです。私は『シングル・ガール』、彼は " Etat des lieux "が上映されて。この映画には本当にはったりをかけられたなと思いましたね。驚くような生活をしている世界を描いていましたから。彼は彼で、『冷たい水』を気に入ったみたいです。少しづつ友情を深めた感じですね。

彼の2作目の監督作品である "Ma 6-T va crack-er "に出演を依頼されたのはいつだったのですか?

少し後になってですね。もうこの映画の撮影は始まっていて、いろいろな理由で中断されていたんですね。彼はもう全て投げ出して、この仕事もこの世界も自分には向いてないって当時私に言ってました。でももう少しで撮影も終了するし、続けるように彼を説得しました。それでちょっと出てくれないかと頼まれたんです。

この映画があなたに捧げられるとその時、知ってました?

全然知りませんでした。カンヌで見て、その時初めて知ったんです。とても感動したのを覚えてますけど、少し変な気もしました。内心、少し自分が死んでしまったようが気がしたんですね。

"De l'amour" の話があったのはその時だったのですか?

前ですね。 "Ma 6-T... "の撮影が終わる頃だったと思います。この映画は編集に凄く時間がかかっていて、ジャン=フランソワは、警察署で暴行された女の子に関する記事を読んで、それを題材に何か書きたくなって。彼は仕事が早いから、それから10日位経って第1稿を受け取ったわ。凄く過激なものだったの。 " Ma 6-T va crack-er "の雰囲気に近いものだったと思う。もっと映画的なものに移行したいって言ってたわ。そして、 "Ma 6-T va crack-er "が公開されて、彼にとってはとても辛く暴力的な映画だったの。だから距離を置いて音楽の製作をやり始めて、すごく自問したんでしょうね。その全てが今回の作品に影響していると思います。結果、型にはまった作品じゃないし、正当になっていると思う。題名も変わったんです。最初は、 "L'avenir est derriere nous! "だったんですけどね。 "De l'amour " なら希望が見えるし、それにジャン=フランソワが言いたかった事がさらに聞こえてくるようになっていると思います。

リシェ監督は現在の社会について本当の視点をもっていますが、 "De l'amour "であなたが惹かれたのは何ですか?

もちろんある視点に貫かれたプロジェクトに参加して、自分の意見がある監督と観客間のベクトルになれるのはワクワクしますね。監督の意見に完全に同意できないとしてもね。そのメッセージに自分を利用できると言うのが面白いんでしょうね・・・

このマリアと言う役はあなたのために書かれたと言う事で、仕事の仕方が変わりましたか?

監督が自分のために特別に書いてくれたと言うときはやっぱり色々考えてしまうんですね。監督は登場人物のように自分を見ているのか?監督が描く世界に自分が向いているからかしら?とか。でも直ぐにそう考えるのは止めました。この人物に肉付けして、より人間味を出すだけでいいって。それに撮影中に自分の演じる役が成長していきます。一人で演技をする訳じゃないし、撮られ型もそうですけど、共演者たちに応じて演技しますから・・・

ヤジット・エ、ストーミー・バグジー、マー・ソデュップとのグループはこの映画の成功の一つと思われますが、この調和を生み出すためにはどう演技したのですか?

 " De l'amour " は本当に集団の映画です。もちろんマリアがその中心にいるんですけど、カリムとリンダがいなければ、同じ人物ではなくなってしまいます。各自と本当に相互作用がありますから。そう、撮影現場でも同じでしたね:いつも一緒に時間を過ごしていました。

ジャン=フランソワ・リシェは現場ではどんな監督ですか?とても細かく指示を出す人ですか?

何をどうしたいか的確に知っている人です。でも頑固な人って訳じゃありません。現場では自分が撮影している対象にのめり込んでいるけど、意見には全て耳を傾けてくれます。演技指導のうまい監督です、俳優たちに全身で役柄に取り組ませてから、きっかり自分の望む方向へとリード出来るんですね。

この映画は『ザ・ビーチ』以来、あなたが出演した最初の映画ですよね。この2作品は全く違います・・・

理想的なキャリアがあるとしたら、きっとお互いかけ離れた映画的世界を通って行くことだと思います。実際、ダニー・ボイルからジャン=フランソワ・リシェへと移って、大スターとタイで4ヶ月を過ごした映画から、完全に作りの違う映画へ出るのは素晴らしいと思うんです。女優の仕事って正にそれなんです:完全に違った世界を移り歩いて、一つ一つの世界を吸収して、どこへでも行けるんですから。

『ザ・ビーチ』では特別なプレッシャーを感じましたか?

プレッシャーはこの作品の大きさや予算からって言うより、イギリスのスタッフの中に身を置くって言う心配だったわね、英語にはそこそこ自信があったけど、言われている事がいつもきちんと理解できないかもってね。でも全て凄い速さで仕事をしたから、怖がっている時間もなかったわ!

この撮影の4ヶ月間にはどんな思い出がありますか?

奇妙な感じですね。30人が島にいて、皆サマー・キャンプ風なんですから(笑)でも素敵な出会いもあったし、エレン(ド・フジェロル)とか。でも人気のない島に投げ出されたのは変な気持ち、閉ざされていましたからね。それにどこへ行っても誰だか分かってしまい、常にパパラッチに追いまわされてるスターと一緒だったのですから。

ダニー・ボイル監督はディカプリオに全神経を集中していました?

全然。彼はとてもバランスが取れている人で俳優全員に敬意を払っていました、私たち3人のトリオ:レオ、ギヨーム・(カネ)と私とコニュニティー全員にです。でも大勢が出る映画では場面によっては自分も群集に埋もれてしまって時々、少し途方に暮れてしまう事もあります。アクション・シーンでは毎回エキストラもたくさん必要ですし、カット割も多いし、トリック撮影もありますから。

この映画は、アメリカでのキャリアを促したのではないですか?あちらにはエージェントもいるんでしょう?

ええ、エージェントもいますが、最近になってからです。いろいろな企画もあったんですけど、今のところ気に入ったものがないんですね。アメリカに限らず、違う国でもいいんですけど、外国で映画の仕事をする気持ちは強いんですよ。だたアメリカ映画に出るためにやる仕事なら、私は興味ないですね。

『ザ・ビーチ』が公開されて、あなたは凄くメディアの注目を浴びましたけど、いかがでしたか?

それは単純に私の仕事の一部ですから。始めからこの映画はとても期待されていて、メディアに注目されるのは分かっていましたし。正直言って、自分がした仕事について話をしたいと言う人がいてくれるのは悪い気分じゃありません。(笑)メディアに注目される良い面は、この "De l'amour " のような小規模な映画にも間接的な助けになるからです。

メディアの別の面と言えば、あなたはロレアルと契約していますね。例えば、カンヌ映画祭での反応などですが、どう感じていますか?

正直言って、私は反応なんてどうでもいいんです。ロレアルとの契約は選択の自由を大きくしてくれるだけ。仕事のための仕事ではなく、自分が本当にやりたい企画を待つことが出来るわけ。カンヌに関しては、あの時、例の階段を上がったのは、コン・リーとミラ・ジョヴォヴィッチとアンディ・マクドウエルで、皆美しい女優ね。それで目障りって事にはならないんじゃない。それにカンヌへ行けって強制させた訳でもないもの。そうしたいから、しただけ。契約だからじゃないのよ。カンヌにには人を魅了する一種魔法のような何かがあって、その何かのためにこの仕事をしているのよ。

この仕事は、いつもやってみたいと夢見ていたものですか?

小さい頃、私のアイドルは『ラ・ブーム』のヴィックだったの。女優になろうか、歌手、それともマスコミで働こうかとか曖昧な感じでしたけど、それから母が少女を探している人と出会って、写真を撮ったり、オーディションに行くようになったんです。

映画にはよく行くほうでしたか?

父が何を見るか決めていつも連れて行ってくれたんですね。『ぼくの伯父さん』やイザベル・ユペールの映画や『ハンナとその姉妹』『カイロの紫のバラ』・・・全て理解はできなかったけど、映画の魔法が働いていました。映画から沸き起こる気持ちが大好きでしたね、映画館の席について、大画面の俳優を見て、観客を後ろから見る。スクリーンの向こう側へ行きたいと思ったのはそういう気持ちからだと思います。

初めて映画『青い衝動』に出たのが9歳の時ですが、不安もありました?

それ以前にTV映画も数本やりましたし、オーディションもたくさん受けましたから。学校へ行くのも好きでしたし、その後で撮影のなんとも言えない雰囲気も好きでした。特別不安にだった記憶はないですね。私はとても真面目でしたし、台詞も完璧に覚えましたから。(笑)でもとても撮影を面白がっていたと思います。他の人のシーンや各俳優のメイクのされ方とか色々見てました。でも比較すると思い出があるのは『ミマ』です。

あの初めての大役にはどうやって選ばれたのですか?

あれもオーディションです。私は14歳で本当に責任を感じましたね。映画はミナの肩にかかっていて、あの若さでそれを体験するのは複雑でした。あの映画で撮影の現実を意識したんです。嫌になっても止められないんだって。(笑)当惑しました。自分は女優なんだって気がして嬉しかったですけど、でも本当にこの仕事を続けて行きたいのかどうか分かりませんでしたから。

しかし直ぐに『子供泥棒』が続きましたよね、映画で初のキスシーンをマストロヤンニと演じた訳ですが、彼にはどんな思い出がありますか?

素敵な思い出です。彼はとてもカリスマ的で、この映画に出演した10人の子役にもとても優しくて、凄く普通に接してくれました。それ自体が変わっていると思います!

1994年の『冷たい水』は、あなたのキャリアのターニング・ポイントだと思いますが、オリヴィエ・アサイヤスはどうやってあなたを選んだのですか?

最初は、演技の経験のない人しか使いたくないと言うことだったのですが、キャスティング・ディレクターのピエール・アムザヤーグが私に会えと彼を説得したんですね。オーディションがとても長かったのを覚えています。 とても感動させられた" Une nouvelle vie "を見て以来、オリヴィエは一緒に仕事が出来たらと思っていた人の一人でした。この映画をやって、本当に女優の仕事をしたいって思いました。この映画の前は、まだ躊躇していたのですが、『冷たい水』に出て、女優をやるのは、突飛な考えでもなく、ミーハーな子の夢ではないと思ったのです。それに『8月の終わり9月の始め』の撮影前には彼とは交友関係が出来てました。でも私に対してピグマリオンのように振舞うこともありません。あの本を読んでごらんよとかこの映画を見ろよとか言いませんでしたね。自分の世界をしっかり持っていて、彼に17歳の時出会ったお陰で、私は新しい発見が出来たと思います、さらに映画への興味が出たし、映画史にも関心を持つようになりました。

アサイヤスの後は、ブノワ・ジャコー監督の2度仕事をしていますが、彼との仕事振りで、あなたが素晴らしいと思ったのは何ですか?

ブノワが Arte 社の製作の" La vie de Marianne "を準備していた時、私のことを彼に話してくれたのはオリヴィエなんです。ブノワは仕事中は凄く厳しい人ですが、彼の映画の現場はとてもリラックスしているんですね。テイクの数がとても少ない人です。信じられないような事が伝わってくるんです、彼の映画に出ると、自分の代わりを出来る人は誰もいないと印象を受けます。彼は人物を撮るとき、決定的な何かがあって、まるで舞台の一列目にいるかのように見てくれるなと言うのが分かるんです。

シャブロル監督との『沈黙の女』にはどんな思い出がありますか?

監督はとても優しくて、凄く印象深い人です。今でも初めて会った時の彼の鋭い眼差しを覚えていますね。カメラ・テストもしなかったんです。「3月の予定は?サン−マロに行ったことがあるかね?私とそこで映画を撮らないか?」と言われて出演を依頼されました。とてもいい思い出です、イザベル・ユペールとサンドリーヌ・ボネールとも共演できたし。

この後、エドワード・ヤン監督の『カップルズ』、この作品はフランスでは未公開ですけど、この映画の撮影のために台湾へ行きましたね。

これもまたオリヴィエのお陰ですね。エドワード・ヤンは彼の友人なんです。私はオリヴィエと『冷たい水』を映画祭へ出品するのに日本へ行ったんですが、エドワード・ヤンは『恋愛時代』を出品するのに来日していました。その後、ニューヨークの映画祭で再会したんですね。それから7ヶ月後に彼からシナリオが送られてきたんです、フィアンセを探して台湾にやって来たフランス人の女の子の話で、私は彼の映画が大好きでした、特に『嶺街少年殺人事件』が好きなので、すぐに出演すると返事をしました、数ヶ月(撮影で)台北にいました。

外国へ英語で映画を撮りに行くというのはその時、あなたにとっては当たり前の事でしたか?

それが当たり前とも普通だとも思いませんでした。でもさっき言ったようにそれが映画の仕事なんです。自分とは違う人、違う文化の人たちと仕事をすることです。中国の俳優たちの間に入れたのは本当に貴重な経験でしたね。私は中国語は出来ないし、彼らも英語はまったくダメでしたが、分り合えたんです。

後に『ヤンヤン 夏の思い出』を撮ることになる監督との仕事はいかがでした?

彼は独特のやり方をします。2週間続けて撮影して中断。また2週間撮って、また中断と言った具合です。エドワードはとても長回しです。あまりしゃべりませんし、俳優に任せてくれますね。ちょっと掴み所のない人です。

『ジャンヌの素敵な男の子』ではどんな事が印象に残っていますか?

いい思い出ばかりです!まずミュージカルに出られたことが嬉しくて・・・撮影も素晴らしいものでした。真夏のパリで、太陽の下、ロケで黄色、青、赤、緑のコスチュームに、ダンサーたち、音楽をかけて、凄い移動撮影でした。オリヴィエ・(デュカステル)とジャック・(マルチノー)の生きる喜びに満ちた、全て神々しい感じでした。

この作品の後は、『天使の肉体』で、既に『メランコリー』で共演したジェラール・ランヴァンと再会しました・・・

私は彼の大ファンなんです。最高に優しい人の一人です。それに凄く個性的で!義理堅くて、正直で・・・それにあの映画で初めてギヨーム・(カネ)とも仕事をしました。『バラクーダ』の彼の演技には感心していましたから。

これからフランソワ・オゾン監督の『8人の女』の撮影に入る訳ですが・・・

その話は出来ないわ!(笑)トップ・シークレットなのよ!すばらしいシナリオなの、キャストもね、それに監督としての彼の視点、人物の撮り方や彼のはみ出た世界も大好きよ。この映画に出演出来てとても嬉しいわ!★