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林秀彦「『みだら』の構造」 この「みだら」という言葉と表紙の浮世絵から、おお、これは、という本。そして、読んでもまさに、と思うこと。論文ではないので、客観性には、だいぶん欠けるが、それでも、説得力のある言い方をなさる。ことに、作中に出てくる本は、おお、読んでみたいっす、と思わせるようなのが多々ある。芸者は、文化ではなくて水商売だ、それは先日言われたことであるが、わたくしは、今、それに反論すべきいろいろな資料を集めているのであるよ。自分の考えとしては、日本の文化の奥深さ、質の高さみたいなのを、源氏や、何かでふと感じるので、そういうこととが書いてある本なので、まさに、って感じ。敗戦がよくない、というか、それで全てが失われたんだ、みたいなのは、本当まさに、って感じ。これはわたしは両方きちんと読んだわけじゃなくて、雰囲気なんだけれど、源氏物語に対抗する、あちらの文学、って「失われた時を求めて」だと思うのね。でも、断然、面白さでは、源氏にはかなわないと思うのですよ。それに、源氏西暦1000年に成立、失われた時、1900年という差を考えれば、かに、あちらさんとニッポンの文化のレヴェルの違いっていうの? そういうのを感じないかな、とか、根拠なく思ったりするわけね。いろいろな思想だって、その前に日本にあったアニミズムみたいなのから派生した、言霊信仰とか、昔の仏教の宿世思想みたいなのが、もっと早くから、理屈はないけれど、存在したニッポンという国と深さと豊穣さを感じたりするわけですよ。ただ、ちょっとこの方「××××」を連発しすぎ、つうか、ただやりたいだけのおじさん、になっているよ、って感じが気になるところである。
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中村勘九郎「勘九郎とはずがたり」 勘九郎さんに、中村座を見て、惚れてしまったのだ。で、単純だから、本を読む。これがまあ、すばらしい。芝居が好きで好きでたまらないのだろうなあ、というのがもう、漂いまくり。素敵すぎ!! 芝居愛は半端ではないし、それに対する考え方も、とても納得ができて素敵。もう、惚れてしまいます。しかも、このお方の、オクサマに対する愛とか、この人がいなきゃダメ、っていうようなそういうのも素敵。そういいう、本当に才能があって、しかもそのことが滅茶苦茶好きで、それしかできないようなオトコノヒトってすごい素敵。しかも、自分でそれをわかっているし、オクサンもそれをわかっていて、なにより、きちんとできてしまう。ああ、オンナが一番スバラシイのは、実はそういう男を補佐することなんじゃなかろうか、とか思ってしまうわよ。とか言うと、すげー、フェミニストに叩かれそうな発言だけれど、でも、そう思ってしまうし、そういうオシゴトがオンナにできるとしたら一番尊く立派なオシゴトではないか、と思うのよ。もちろん、そういうのじゃない道が長けている女性も数々おられるとは思うけれどね、肉体的に、そういう可能性のが高い気がするな。ただ、思うのは、自分もそういう男に惚れて、惚れて欲しい、とは思うが、自分のような数ならぬ身、といつも思う。ので、本当、そういうすごーい、素敵なオトコノヒトをね、垣間見るだけで、満足でございます、って気がするな。だって、それこそ、オンナの名誉じゃないですか。わたしは、自分は数ならぬ身のくせに、理想が高いので、そのかわり、そんなオクサマとか、そういうのなんか望まないですよ。望むなんておこがましい。自分には、それだけのモノを持ち合わせていないもの。でもね、でもね、やっぱり、そういう素敵な人が欲しいじゃない。でも、そういう素敵な人は、絶対そういうこと、もしないのよね。そこがフラストレーションですな。つくづく、何かに夢中になっているオトコノヒトってえのの、一番の思い人は、オンナじゃなくて、そのモノのような気がするな。勘九郎さんならお芝居であるのであろうしね。で、それに夢中になっているのを嫉妬するなんてえのは一番バカなことで、そういう夢中になっているものがある殿方、が素敵なんであって、そんな惚れ込んで夢中になっているモノもないような、オトコなんかにそう想われてもしょうがないでしょう、って気がするぞ。で、オトコノヒトも、その惚れ込んでいるものに熱中するために、それ意外のことを助けてくれる人がいるし、大事にするし、オンナも、そういうのに、携われるというのは、大層素敵なことであるとオモイますわよ。
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柳美里「魚が見た夢」 暗いエッセイの連続。つうか、同じネタが続く。つまり、御自身の身の上。確かに、ハードであったのだと思う。でも、その半分は自分がつくった気もするな。つくったというのは、捏造した、とか、夢想した、という意味ではなくて、自分でそのような結果に導いてしまった、というか。そして、ちょっとこのお方はそういうのに酔っている傾向が強いと思う。太宰好き、らしいが、まさに、という気がする。太宰なのだよ。安吾が、太宰をして、フツカヨイのマイコメジアン、と称していたが、柳美里も、あまりに過去、ばかりにこだわっているとそうなってしまうんじゃなかろうか、という気がしてしまう。ただ、今の文学界、でそういう、生きざまが作家、っていうのは希有だけれど。でもね、自分も、そういう傾向があるから言うのだけれど、でも、ワタクシはそこまで、ハードすぎる人生はかえってウソクサイと思うぞ、いや、嘘じゃないのでしょうけれどね。ワタクシのフランス語の先生が、少年犯罪に言及していたが、その加害者を、今どきの若いもの、つうか、チーマーつうか、なんかそういう、いわゆる、マスコミとかに登場しがちな、若者像、を言っているが、そういうのも確かに多いかもしれないけれど、もっとコワイし、確実に多いのは、一見、普通に見えるモノ、が犯す犯罪や、何事もないかのように、覆い隠された中にある、崩壊ではなかろうか、と。普通に見える御家族なのに、チチオヤが息子にいたずらしちまったりとか。もう、あまりに、日常化していて、それを犯罪とか、悪いこと、おかしいこと、という感覚すら麻痺しちゃって、そういうことが当然に行われているうちに、どこかで歯車が狂ってしまっていた、とかそういうこと、そういうことのがヨノナカには多いと思う。反対に、あまりにあけっぴろげで、なんでもあり、って状況だと却って、どうにかなるのかもしれない。だって、もともと、隠すべきこともないのでしょう。守るべきものも何もないのだもの。もし、たまに、なぐる蹴る、をする人が近くにいて、でも、そうじゃなくて、きちんと、本当にきちんとすらも愛してくれる、という状況があると、本当にわからなくなってしまい、ひたすらに自分を攻めるしかなくなってしまうのよ。状況が本当に悪い方が、まだまし、だと時として思う。昔、思ったもの。にしても、柳美里が、演劇やら、言葉に、救いを見い出したのは、本当によくわかる感覚なので、そこだけにはえらく共感。
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中村勘九郎「歌舞伎ッタ」 勘九郎様の御本である。最近、マイアイドル。にしても、勘九郎さんてえのは、クワタさんと同じ年齢で、勘九郎様、ファンなんだってね。傾向似ているものね。本当、オトコもほれるような、オトコくさいオトコ、という気がする。オクサマの手の平にいる、というのをわかっている辺りとか、も、女は、もう、ほれるしかないでしょう、というお方であられることと思う。芝居にかける情熱やアイジョウは半端でないし、その夢中に成り方たるや、大きな子供、みたいな感じでとても素敵。野田さんのおはなしが出てきて、興味深い。来年の、歌舞伎座でやる「カノン」by ノダヒデキ、非常に気になるところっす。見たいです。もう、是非。
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吉行淳之介「鞄の中身」 芳川センセイに、読め、と言われた、吉行ものである。この作家、前から興味に近いとは思っていた。娼婦とかを描いているので、まさに、と。でも、前は途中で止まってしまっていた。で、新たに、読む。書いていることが興味のあることなので、するするとは入ってくる。読みやすいお話であるとも思う。でも、この作家の小説は、つくづくと、男の視点だな、と感じる。キャバレーとかのお話とか、芸者の時のオキャクサマのお話に出てきたなあ、という感じ。そういえば、ワタクシって、あまりに小説を読んでいないのね。それは、おそらく、多分、わたしが思うような感情が描いてあって、感情移入できるようなのがないからだと思われる。わたし、小説読んで泣いたことって、安吾の「続戦争〜」が初めたてだったのだ。わたしはずっと、物語の中とかに、夢を見たかった。現実がハードだったから。でも、なかなか、それにぴったりするのがなくて、あっても、まだ、どうにかすることができなくて、自分で書きはじめたのだと思われる。そういえば、この吉行淳之介の作品の中に、自分の身を切り売りして、書く鮹のような作家、というのが出てくるが、ワタクシめなんかはおそらくそうなのであろう。自分を切り売りして、どうにかするしかできないのだ。
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ペレック「ものの時代 小さなバイク」 芳川教授の授業でやったので。本当は「眠る男」が読みたかった。が、ない。ので、こちらを。物質社会に生きる夫婦を批判的に描いた作品。大概の文章が、条件法、で書いてある。面白い、何が、と問われると困ってしまうのだが、病の床で、するすると読めたので、面白いのであろう、きっと。ちょっと、もの哀しくもある作品。なぜか、お知り合いの、コピーライター、というか、マーケティングとかを生業にしているお姉さんに読んでもらいたくなってしまった。最近WEB上の日記を拝見すると、悩んでいたようで、これを読むことなぞ何の解決にはならないのだけれど、なんとなく。センセイは、日本でいえば、バブルくらいの頃、と言っていたけれど、やっぱり、ちょっと昔の話であるような気がする。「小さなバイク」は、アルジェリア戦争に行く人とそれを止めようト企てる周囲の人々を描いたもの。コメディーには成り得ないようなものを、コメディーとして描いた、いかにも、ウーリポちっくな文章で、作品。で、また、訳がそれをちいとも損なっていない。名訳、とはセンセイのお言葉であるが、まさに。レーモンクノーの文体練習、とかにも通じるようなユーモアのある作品。とっても、フランスチックなウイットに満ちた作品。
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ペレック「考える/分類する」 ペレック続く。言葉による、メモというか、様々な断片、というか。何と言っていいかわからないが、とにかく、なんだか面白い。理屈ぽいといえば、そうなのかもしれないけれど。なんだか、面白い。何がかは、上のと同様よくわからないのだが、読んでしまうからそうなのであろうなあ、という書物。ちょっと、ペレックファンになった。つうか、もともと、レーモンクノーだの、このウーリポな人たちには興味があるのだ。スゴイ。
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