〜★ 鏡の記 ★〜

歴史物の作品を、更に楽しむ為に、史実をちょっと覗いてみましょう。

主要参考文献: (山川出版社) 新詳細日本史 (角川書店) 平安時代史辞典
  (聖文社) 世界史人物百科 (新人物往来社) 徳川将軍家人物系譜総覧


宝塚:花:野風の笛

宝塚:宙:傭兵ピエール〜ジャンヌダルクの恋人〜

OSK:新・闇の貴公子

宝塚:雪:春麗の淡き光に

★男性 ☆女性  【役者名】 です。

 

≪ 野風の笛 ≫

★松平上総介忠輝 :まつだいら‐かずさのすけ‐ただてる (1592〜1683) 【轟悠】
文禄元年、徳川家康の6男として生まれる。母は、お茶阿の方。幼名を辰千代と称した。
皆川広照に養育され、慶長4年、一族長沢の松平康忠家を相続。同7年、従5位下上総介に叙任され、下総国佐倉で5万石を領した。翌年には、信濃国川中島12万石に加増転封となっている。さらに同10年、従4位下左近衛権少将に昇進し、翌年、伊達政宗の娘五郎八姫と結婚した。同15年、越後国高田70万石に加増転封されたが、家康の死後、元和2年に家中騒動により改易となった。これにより、忠輝は伊勢の朝熊、飛騨の高山と流刑地を再三移され、天和3年、信濃の諏訪で没した。時に92歳。諏訪の貞松院に葬られ、法名を寂林院と号した。

 

≪ 傭兵ピエール ≫

☆ジャンヌ・ダルク (1412〜1431)  【花總 まり】
百年戦争末期に活躍したフランス救国の女性である。その生涯の契機は、素朴で多感な乙女と神との出会いがすべてであった。
パリ東へ約250km、ドンレミ村で生まれた。1425年、13歳で、「行ってフランス王を救え。」という神の啓示を受けて奮起し、オルレアン開放とシャルル7世の権威確立に功績をたてた。しかし、最後は、宗教裁判で異端者と認知され、火焙りとなった。

 

≪ 新・闇の貴公子 ≫

・平安遷都(8世紀末)〜9世紀後半までの文化は、「弘仁・貞観文化 」と呼ばれ、唐文化を十分に消化して、漢文学が隆盛、そして新しい仏教、ことに密教が盛んになってきた。
・10世紀以降、かな文字が発達、和歌がもてはやされるようになり、文化の国風化がすすんだため、この時期の文化は、「国風文化 」と呼ばれる。

★嵯峨天皇 :さがてんのう (786〜842 在位809〜823)  【珠希 星佳】
桓武天皇の皇子。蔵人所・検非違使の設置、六衛府への改制などを行なう。また『新撰姓氏録』『弘仁格式』の編纂がある。漢詩文・文筆に優れ、三筆の一人。810年、兄の平城上皇が、藤原薬子の策で、復位と平城遷都を謀るが鎮圧する(薬子の変)。

★小野篁 :おののたかむら (802〜852)  【希望 なつ紀】
漢学者。古今集第1期の歌人でもある。父は岑守(778〜830)。漢詩の才や学才に優れ、21歳で文章生になる。『令義解』の編集に参加する。遣唐副使になった時、遣唐大使:藤原常嗣と、良船を争って乗船せず勅命に違反し、838(承和5)年12月、隠岐に流罪となる。この時に詠んだ 「わたの原八十島かけてこぎいでぬと人には告げよあまのつり舟」 が百人一首に入っており、良く知られている。2年後、その才を惜しまれ、許されて蔵人頭・参議を経て、従3位に叙された。

☆小野小町 :おののこまち (9世紀後半?) 【千爽 貴世】
六歌仙の一人。浪漫的な歌が多く、美貌の歌人だったと思われる。小野篁の孫?ともいわれる。

★朱雀天皇 :すざくてんのう (923〜952 在位:930〜946) 【珠希 星佳】2役
醍醐天皇の皇子。在位中、藤原忠平が摂関として補佐したが、承久・天慶の乱が起こり、政情は不安定だった。

★平将門 :たいらのまさかど (?〜940) 【有希 晃】
祖父は高望王(平の姓を賜る)、父は良将。父の遺領問題で伯父国香を殺す。939(天慶2)年反乱を起こして、常陸・下野・上野の国府を攻略する。新皇と称し、下総の猿島を内裏としたが、940年平貞盛・藤原秀郷に討たれる。(将門&藤原純友の反乱を併せ、その年号から、「承平・天慶の乱」という)

★袴垂保輔 :はかまだれやすすけ (10世紀後半〜11世紀前半) 【桜花 昇】
盗賊。今昔物語や宇治拾遺物語に、その姿と思われるものが描かれている。
・大赦で出獄。逢坂山で死人のふりをし、油断を誘い、着衣などを剥ぎ取った。これを機に、手下数十人を率いる大盗賊となった。(今昔29−19)
・都大路を笛吹き歩く、藤原保昌を襲うが、保昌の武勇がまさり、恐怖に屈み込む。保昌は罪に問うことはなく、錦衣を与えた(今昔25−7&宇治拾遺)
なお、藤原保昌の弟:保輔とするのは、後世の付会らしい。

 

≪ 春麗の淡き光に ≫

★藤原保輔 :ふじわらのやすすけ (?〜988) 【朝海 ひかる】
大盗賊。南家武智麻呂流。保昌の弟。正五位下。獄中で死。切腹は、彼から広まったらしい。

★藤原保昌 :ふじわらのやすまさ 【朝海 ひかる】2役 
保輔の兄。和泉式部の夫として有名である。(なお、春麗では、兄と弟が逆となっている。)

★藤原兼家 :ふじわらのかねいえ (929〜990) 【汝鳥 伶】
兄:兼通と摂政の地位を争い不和であった。のち、娘の詮子が一条天皇を生み、外戚として摂関・太政大臣となる。

★源頼光 :みなもとのよりみつ (?〜1021) 【貴城 けい】
満仲の長子。藤原兼家・道長に仕え、諸国の受領を歴任し、富裕を誇った。大江山酒呑童子退治の伝説で有名である。多田源氏を継ぐが、摂津源氏と称した。

★源頼信 :みなもとのよりのぶ (968〜1048) 【壮 一帆】
頼光の弟。道長に仕え、甲斐守の時平忠常の乱を平定、東国に源氏勢力進出の緒となる。河内守として土着し、河内源氏となる。

 

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