四十二番街 42nd Street
公開:
1933年
四十二番街
製作:
ワーナー・ブラザーズ・スタジオ

ダリル・F・ザナック
監督:
ロイド・ベーコン
原作:
ブラッドフォード・ロープス
脚本:
ジェームズ・シーモア

ライアン・ジェームズ
撮影:
ソル・ポリト
音楽:
ハリー・ウォーレン
出演:
ワーナー・バクスター

ビービー・ダニエルズ

ジョージ・ブラント

大恐慌で破産した舞台演出家のジュリアンは、再起を賭けて新作ミュージカル『プリティ・レディ』を企画。 出資を受けた田舎の菓子会社の社長の希望でベテラン女優のドロシーが主演に起用されるが、 フィラデルフィアでの試験興行の前日、恋人とのトラブルからドロシーは足を捻挫して舞台に立てなくなってしまう。 ジュリアンは舞台経験のないコーラスガールのペギーを急遽代役に抜擢し、彼女は猛稽古の末に舞台を成功させる。 天才振付師バズビー・バークレーによる大掛かりで斬新な群舞やダンスが見所の、新作ミュージカルが上演されるまでの舞台裏を描いたバックステージ・ミュージカルの傑作。

1927年、初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が記録的な成功を収めると、 ハリウッドでは『ハリウッド・レビュー』(29)や『パラマウント・オン・パレイド』(30)などレビュー形式のミュージカル映画が量産されるが、冗漫でストーリーのないレビューは観客からすぐに飽きられてしまい、ミュージカルの製作本数は次第に少なくなっていった。 『ジャズ・シンガー』の成功で経営危機を脱したワーナー・ブラザーズ社も33年には再び赤字に苦しむようなり、制作費のかかるミュージカル映画は2年も作られていなかったが、 そろそろ新しいミュージカル映画を作る頃だと考えた製作主任のダリル・F・ザナックは、ブラッドフォード・ローブスの小説『四十二番街』の映画化を企画。 ミュージカル化にあたって、話の筋や登場人物はローブスの原作に大幅な変更が加えられた。 スタジオの重役ジャック・L・ワーナーはミュージカル映画が興行的に成功するとは考えていなかったので、ザナックはドラマ部分の撮影は昼に行い、ミュージカル・パートはワーナーが帰宅した後の夜に撮影。 ザナックは映画でしか表現できない斬新なミュージカル・シーンを作り出すために、ブロードウェイの振付師でエディ・カンター主演の『フーピー』(30)などを手掛けたバズビー・バークリーを抜擢。 「Shuffle Off to Buffalo」は、それまでのミュージカル映画のように舞台の観客席の視点から撮影されたが、「Young and Healthy」では舞台の制約を離れてキャメラを自由自在に移動。 スタジオいっぱいに幾何学的に配列させた女性ダンサーたちを頭上からとらえ、ダンサーたちの足の動きや布を使った動きによってモノクロの万華鏡のような華麗なミュージカル・シーンを創造した。 撮影前に入念なリハーサルを行い、完璧に準備が出来てから撮影に臨むバークリーのプロ精神に感服したザナックは、バークリーと週給1700ドルで7年の専属契約を結んだ。 『ジャズ・シンガー』でスターになったアル・ジョルスンの妻ルビー・キーラーがこの作品で本格的な映画デビューを果たし、フィナーレのナンバー「Forty-Second Street」では自慢のタップ・ダンスを披露。 キーラーの相手役を務めてブレイクしたディック・パウエルとのコンビも好評を博して、以後2人は『ゴールド・ディガーズ』(33)、『フットライト・パレード』(33)、『泥酔夢(でえむ)』(34)、『お姫様大行進』(34)の4本のミュージカルでも共演した。 また、フレッド・アステアとコンビを組む前のジンジャー・ロジャースが、ペギーに主役の座を譲るアニー役を演じて印象的な演技を披露している。 映画はその年の興行成績第2位となる大ヒットを記録し、第6回アカデミー賞では作品賞と録音賞の2部門にノミネートされたが無冠に終わった。 この映画の成功によって、32年には11本しか公開されなかったミュージカル映画は翌年には30本を超えて、ミュージカル映画は再び人気のジャンルとなった。 バークリーは引き続き『ゴールド・ディガーズ』シリーズや『フットライト・パレード』(33)などを手掛けてワーナーのミュージカルに一つの時代を生み出し、これらヒット作のおかげで35年にはスタジオの財政は回復した。

80年にはブロードウェイ・ミュージカルとして舞台化され、8年間のロングランを記録する大ヒットとなった。


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