ビング・クロスビー Bing Crosby

本名:
ハリー・ライリス・クロスビー
ビング・クロスビー
愛称:
デア・ビングル
職業:
俳優、製作者
生年:
1904年5月2日
出身国:
アメリカ
出身地:
ワシントン州 タコマ
没年:
1977年10月14日
代表作:
『我が道を往く』(44)
『アラスカ珍道中』(46)
『ホワイト・クリスマス』(54)

七人兄弟の四男として生まれ、高校では学生演劇に熱中していたが、やがて音楽に興味を示すようになって仲間とバンド「ジューシー・セブン」を結成し、歌とドラムを担当する。大学では司法を専攻するが、歌手としての夢を捨てきれず友人のアル・リンカーらと共にジャズ・バンド「ミュージカル・レイダース」を結成。歌手としての成功を夢見るクロスビーは、リンカーと共に大学を中退。25年にロサンゼルスに移ってリンカーとコンビを組んで、クラブやボードビルなどでその歌声を披露する。ロサンゼルスのメトロポリタン劇場に出演したことが切っ掛けとなって一躍注目を集め、26年には初のレコード「I've Got the Girl」を発表。同年にはポール・ホワイトマンに認められて、「ホワイトマン楽団」に加入する。27年にはピアニスト兼歌手のハリー・バリスが加わってトリオ「リズム・ボーイズ」を結成してホワイト万楽団の売り物のひとつとなる。30年には短編映画『Two Plus Fours』で映画デビューを果たし、同年にはポール・ホワイトの伝記映画『キング・オブ・ジャズ』にゲスト出演する。映画撮影終了後にトリオは楽団を退団し、ロサンジェルスのクラブやガス・アーンハイム楽団と共演する。31年にクロスビーのソロ・レコード「I Surrender, Dear」と「Jazza Gigolo」がヒットしたことからリズム・ボーイズは解散し、以後ソロか主として活躍。兄エヴァレットの売込みによって、31年にはCBSラジオで『ビング・クロスビー・ショー』が放送され、彼の甘い歌声は全米の視聴者を魅了して20週間にわたって放送されるヒット番組となる。この人気に目をつけたパラマウント社は、2年間で5本映画を製作する契約を交わしてミュージカル・コメディ『ラヂオは笑ふ』(32)の主役に起用。ラジオでの人気も手伝って、クロスビーは映画界でも大きな成功を収めてゆき、『ミシシッピ』(35)、『海は桃色』(36)、『ワイキキの結婚』(37)など彼の歌を中心にしたミュージカル映画が続々と製作された。40年にはボブ・ホープ、ドロシー・ラムーアとトリオを組んで『シンガポール珍道中』を発表。楽屋落ち的なドタバタ・ギャグで笑わせ、クロスビーの甘い歌声で和ませる今作は大ヒットを記録し、シリーズ化されて62年の『ミサイル珍道中』まで7本が製作された。42年には『スイング・ホテル』でゴルフ仲間のフレッド・アステアと共演を果たし、劇中クロスビーが唄ったアービング・バーリン作曲の「ホワイト・クリスマス」は映画以上のヒットを記録してクリスマス・ソングの定番となる。レオ・マッケリー監督の『我が道を往く』(44)では、教会再建を目指す気さくな神父オマリーを好演。それまで自らの歌唱力に頼っての出演が多かったクロスビーは、自分の持ち味を十分に発揮してミュージカル・コメディ・スターから演技派俳優への見事な転身を果たし、その年のアカデミー主演男優賞を獲得する。また、同年にはマネー・メイキング・スターの第一位に選出され、名実共にハリウッドのトップ・スターの地位を確立。翌45年の『我が道〜』の続編『聖(セント)メリーの鐘』でもクロスビーはオマリー神父を演じて再びオスカーにノミネートされ、映画は前作以上のヒットを記録する。その後も、『珍道中』シリーズの最高傑作と評された『アラスカ珍道中』(46)や、アステアとの再共演を果たした『ブルー・スカイ』(46)、ビリー・ワイルダー監督の『皇帝円舞曲』(48)などのヒット作に出演。44年から49年までマネー・メイキング・スター第一位に5年連続して選出された。50年代に入っても『スイング・ホテル』のリメイク『ホワイト・クリスマス』(54)や、「トゥルー・ラブ」、「これがジャズ」などのヒット・ソングを生んだ『上流社会』(56)などのヒット・ミュージカルに出演。54年のクリフォード・オデッツの戯曲の映画化『喝采』ではアルコール中毒の歌手という難しい役を見事に演じて、再びアカデミー主演男優賞にノミネートされる。映画出演だけでなく、製作にも意欲を示して「ビング・クロスビー・プロダクション」を設立。映画『バリ島珍道中』(52)や『上流社会』、テレビ・シリーズ『ベン・ケーシー』(61-66)や『ビング・クロスビー・ショー』(64-65)などのヒット作を送り出す。映画出演はジョン・フォード監督の傑作をリメイクした66年の『駅馬車』が最後となり、芸能生活50周年を記念するコンサート・ツアーの最中、スペインのマドリッド郊外で趣味のゴルフを楽しんでいたところ、心臓発作に襲われて73歳でその生涯を閉じる。
ゴルフをこよなく愛し、映画、コード、ラジオ、テレビとあらゆるメディアで活躍。59本の映画主演作と、22枚のミリオン・セラー・レコードを持ち、全世界での彼のレコードの売り上げは4億枚に達して、「ギネスブック」には世界でもっとも成功したレコード・アーティストと記されている。最も売れた彼のレコードはクリスマス・ソングの定番「サイレント・ナイト」だが、これは宗教音楽と認められたために、全ての収入はクロスビーではなく慈善事業に寄付された。また、人気テレビ・ドラマ『刑事コロンボ』のコロンボ役をオファーされたが、都合がつかずに出演は実現せず、代わってピーター・フォークが抜擢される。2度の結婚歴があり、30年に結婚した女優のディキシー・リーと、57年に再婚した女優のキャサリン・グラントとの間に7人の子供をもうけた。

紹介作品

スイング・ホテル(42)

出演

我が道を往く(44)

出演

アラスカ珍道中(45)

出演

聖メリーの鐘(45)

出演

ブルー・スカイ(46)

出演

皇帝円舞曲(48)

出演

ホワイト・クリスマス(54)

出演

喝采(54)

出演

上流社会(56)

出演



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