ベン・ハー (1925) Ben-Hur
公開:
1925年
ベン・ハー(25)
製作:
M-G-Mスタジオ

ルイス・B・メイヤー

アーヴィング・G・タルバーグ
監督:
フレッド・ニブロ
原作:
ルー・ウォレス
脚本:
ベス・メレディス

キャレー・ウィルソン

ジューン・マシス

キャスリン・リヒカー

H・H・コールドウェル
撮影:
レネ・ギッサート

パーシー・ヒルバーン

カール・ストラス

クライド・デ・ビンナ
出演:
フレッド・ニブロ

フランシス・X・ブッシュマン

ベティ・ブランソン

エルサレムのユダヤ人貴族ベン・ハーは、親友のローマ人メッサラの裏切りによって反逆罪に問われて奴隷としてガレー船に送られ、母親と妹は投獄されてしまう。 数奇な運命をたどってエルサレムに戻ったベン・ハーは、宿敵メッサラを戦車レースで負かして復讐を果たし、不治の病をわずらっていた母親と妹はキリストの奇蹟によって病気が治り、3人は平和な生活を取り戻す。 ベン・ハーの波乱の人生を巨額の制作費をかけて映画化した、サイレント映画黄金期を代表するスペクタクル 史劇

南北戦争の英雄で、作家でもあったルー・ウォレス将軍は新約聖書のエピソードをもとにして架空のユダヤの王ベン・ハーを主人公にした物語を執筆。5年の歳月を掛けて完成した小説『Ben-Hur: A Tale of the Christ (ベン・ハー:キリストの物語)』は1880年に出版されると、じわじわと人気を集めて2年後には一大ブームを巻き起こすほどの人気を獲得。 小説の人気を受けて1882年には舞台化が行われ、20年間ものロングランと2000万人の観客を動員を記録する大ヒットとなる。 1907年にはケイラム社が15分のサイレント映画として最初の映画化を行うが、著作権を取得していなかっためにウォレスの遺族から訴えられて、裁判に敗訴したケイラム社は遺族に25,000ドルを支払う。 ゴールドウィン社は小説の映画化権を獲得して2度目の映画化を企画。撮影はイタリアのローマで行われる事になり、スタッフとキャストは24年の1月にイタリアへ渡るが、現地ではムッソリーニ率いるファシストの台頭やストライキに悩まされ、セットの建造も予定よりも遅れて撮影は思うように進まなかった。 ハリウッドではゴールドウィン社がメトロ社、メイヤー社と合併してM-G-M社となり、スタジオの運営を任されたルイス・B・メイヤーと彼の右腕アーヴィング・G・タルバーグが『ベン・ハー』の製作を引き継ぐ。 二人は撮影済みのフィルムを見て監督をフレッド・ニブロに交代させ、ベン・ハー役のジョージ・ウォルシュも解雇して、新しいベン・ハー役にはルドルフ・バレンチノ、バック・ジョーンズ、ジョン・ギルバートらを候補にあげたあと、最終的にラモン・ナヴァロを抜擢。 他の配役も、メッサラ役のフランシス・X・ブッシュマンとメッサラの愛人役のカーメル・マイヤー以外はすべて新しい俳優を起用した。 新しいキャストとスタッフは24年の6月にローマ入りを果たし、製作は最初からやり直しとなる。 ローマの凱旋シーンでは、イタリア女性のエキストラは太りすぎで魅力がないと思ったニブロは、メイヤーに頼んでパリの女性たちをエキストラとして呼び寄せてもらう。 また、海戦シーンでは実物大のガレー船を作って、本物の海に浮かべて撮影を行うが、撮影中に船が燃えているように見せるために燃やしていた火が突風で船全体に燃え移り、アリウスを助けるシーンの撮影中だったナヴァロは火傷を負ってしまい、エキストラの多くは海に飛び込んで溺れそうになり、噂ではこのシーンの撮影で死者が出たとも言われている。 海戦シーンの撮影が終了すると、メイヤーとタルバーグは一行をイタリアから呼び戻してハリウッドで残りの撮影を敢行。 映画の目玉となる戦車競争のシーン撮影のために観客席のある巨大なセットが作られ、観客のエキストラとして3000人以上の人々が集められた。しかし、ハリウッドでは大きなセットを作るのは難しかったため、競技場のセットは下半分しか作られず、上半分は上下に動くミニチュアの人形を配した競技場の模型をキャメラの前に置いて撮影を行い、観客の数を増やして競技場を何倍も広く見せた。 競争の迫力を出すためにスタジオは5,000ドルの賞金をかけてロデオのスターやカウボーイたちを出場させ、42台ものキャメラを競技場のあらゆる場所に配置して、臨場感溢れる戦車レースを余すところなくフイルムに収めた。 撮影中、転倒した戦車に他の戦車が衝突する事故が起こったが、このシーンはカットされずに映画に残された。この戦車競争シーンの撮影は話題となってダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード、ハロルド・ロイドといった当時のハリウッド・スターたちも見学に訪れた。 また、いくつかのシーンでは2原色法のテクニカラーが採用され、特殊視覚効果を担当したフランク・ウィリアムズはローマの宮殿崩壊シーンなどでリアルな合成シーンを作り上げた。 映画は公開と共に絶大な人気を博して大ヒットを記録するが、通常の大作映画の4倍近い400万ドルもの制作費を投入していたため初公開時は赤字となり、効果音と音楽を加えて再公開した6年後の31年までスタジオは収益を得ることが出来なかった。

59年には空前の制作費を掛けて3度目の再映画化が行われ、新しい『ベン・ハー』は25年版で編集を務めたサム・ジンバリストが製作を担当、助監督だったウィリアム・ワイラーが監督を務めて今作以上の大きな成功を収めた。


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