俺たちに明日はない Bonnie and Clyde
公開:
1967年
俺たちに明日はない
製作:
ワーナー・ブラザーズ / セヴン・アーツ

ウォーレン・ベイティ
監督:
アーサー・ペン
脚本:
デヴィッド・ニューマン

ロバート・ベントン
撮影:
バーネット・ガフィ
音楽:
チャールズ・ストラウス
出演:
ウォーレン・ベイティ

フェイ・ダナウェイ

ジーン・ハックマン

大不況真っ只中の30年代アメリカ。テキサスの田舎町でウェイトレスをしながら退屈な日々を送るボニーは、刑務所を出所したばかりのチンピラ、クライドと知り合い、意気投合した二人はコンビを組んでテキサス中の銀行を荒らし始める。二人は前科者のモス、クライドの兄夫婦バックとブランチを仲間に加えて荒稼ぎを続けるが、警官達の執拗な追跡に追い詰められてゆき、二人は仲間に裏切られ、警官隊の待ち伏せにあって悲惨な最期を遂げる。社会からはみ出した若者たちの無軌道な生き様を暴力的に描いて、後のハリウッド映画に多大な影響を与えた「アメリカン・ニューシネマ」の先駆けとなった作品。

「エスクァイア」誌の編集者デイヴィッド・ニューマンと、アート・ディレクターのロバート・ベントンは、ハリウッド映画に物足りなさを感じて、37年のフリッツ・ラング監督作『暗黒街の弾痕』でも扱われた、実在の銀行強盗カップル、ボニー・パーカーとクライド・バロウをモデルにした脚本を執筆。自分達が強い影響を受けたヌーヴェルヴァーグの旗手フランソワ・トリュフォー監督に脚本を送るが、トリュフォーは他の映画の撮影トラブルに巻き込まれていたために申し出を辞退して、ジャン=リュック・ゴダールを推薦する。しかし、ゴダールも他の映画の撮影のため引き受けることが出来ず、アメリカのメジャー・スタジオも映画化に興味を示そうとはしなかった。数年後、ウォーレン・ベイティはこの脚本の存在をトリュフォーから聞き、クライド役に惚れ込んで映画の製作を引き受けるが、メージャー・スタジオ2社に断られた後、ワーナー・ブラザーズ社の総帥ジャック・ワーナーに頼み込んで製作資金を調達する。ベイティはゴダールを監督に希望するが、話がまとまらず、代わって『Micky One』(64)で一緒に仕事をした親友のアーサー・ペンに監督を依頼する。ヒロインのボニー役に、ベイティは当時の恋人だったレスリー・キャロンを推薦するが、ペンはテレビ・ドラマに出ていたフェイ・ダナウェイを気に入って抜擢する。ダナウェイはクレジットで自分の名前をタイトルの前に出してもらう為に、6万ドルの出演料から2万5,000ドルを払い戻し、監督たちの要請でグレープフルーツとゆで卵だけの減量を行い、13キロも体重を減らして恐慌時代のやつれた風貌を作り上げる。衣装デザインにはこれが映画デビュー作となったセオドア・ヴァン・ランクルが担当し、彼女が手掛けたダナウェイの30年代風のノスタルジックなファッションは、「ボニー・ルック」と呼ばれて当時のファッション界にセンセーションを巻き起こし、若者たちの間で大流行する。 ボニーとクライドが警官隊に87発の銃弾を打ち込まれる「死のバレエ」と呼ばれたラスト・シーンでは、弾が命中した効果を出すために、主演の二人はフォームラバーで裏打ちされた薄い鉄の板に搭載された小型の無煙爆薬を体中に取り付け、ダナウェイの足は自動車から落ちないようにギア・シフトに縛られていた。無線操縦で爆薬を爆発させながら高速度撮影されたため、ゆるやかで夢のような動きを生み出して、この映画以降『ワイルドバンチ』(69)や『ソルジャー・ブルー』(70)など、主人公が体じゅうに銃弾を受けながらスロー・モーションで死んでいくシーンがはやりになる。 ニューヨークでの初公開時は、暴力的な内容が保守派の批判を招いて話題を集めることはなかったが、ヨーロッパでは絶大な支持を集め、「タイム」誌がカバー・ストーリーを組んでこの作品がいままでのハリウッド映画にはない斬新さを持っていると特集したことから、アメリカでも大きな注目を集めることとなる。アカデミー賞では作品賞を含む11部門にノミネートされるが、エステル・パーソンズの助演女優賞と撮影賞の2部門の受賞に留まる。この映画以降、ハリウッド映画の暴力描写や性描写はより大胆に描かれるようになり、『卒業』(67)や『イージー・ライダー』(69)など今までのハリウッドでは決して作られることのなかった斬新な映画が続々と製作され、これらの作品は「タイム」誌が『俺たち〜』を特集した時の見出し「ニューシネマ/暴力・・・セックス・・・芸術」から「ニューシネマ」と呼ばれるようになる。


MAIN | FILMS | STARS & MAKERS | DICTIONARY | HISTORY | BBS | OTHRES