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本名: | ジョン・チャールトン・カーター | ![]() |
職業: | 俳優、監督、製作者、脚本家 | |
生年: | 1924年10月4日 | |
出身国: | アメリカ | |
出身地: | イリノイ州 エバンストン | |
没年: | ---- | |
代表作: | 『十戒』(56) 『ベン・ハー』(59) 『猿の惑星』(68) | |
狩猟や魚釣りを楽しむ腕白な少年時代を過ごしていたが、12歳の時に両親が離婚。
高校時代に演劇の面白さに目覚め、ノースウエスタン大学では言語学を専攻しながら学生演劇や弁論大会に参加し、41年には大学で製作した自主映画『Peer Gynt』で主演を務めて映画デビューを果たす。
44年に大学を卒業すると、大学で知り合った演劇仲間のリディア・クラークと結婚。第二次世界大戦時は空軍に入隊してB29爆撃機の無線技師の任務につく。
戦争が終結するとニューヨークに移ってキャサリン・コーネル劇団に入団。アート・スチューデント・センターで時給1ドル25セントのヌードモデルの仕事などをしながら演技を磨き、47年の舞台『アントニーとクレオパトラ』でブロードウェイ・デビューを果たす。
舞台だけでなく生放送のテレビドラマ『Studio One』にも出演し、『ジュリアス・シーザー』や『嵐が丘』などの古典文学の主人公を演じて人気を集める。
『カサブランカ』(42)の製作者ハル・B・ウォリスに見出されて、犯罪映画『虐殺の街』(50)でハリウッド・デビューを果たし、
52年にはセシル・B・デミル監督の『地上最大のショウ』に出演。サーカス一座の人間模様を描いたこのオールスター・キャスト映画で、ヘストンは一座の団長を演じて一躍注目を集める。
ヘストンを「ミケランジェロが手掛けた聖書の人物の彫刻にそっくりだ」と評したデミルは、彼の遺作となったスペクタクル 史劇『十戒』(56)の主人公モーゼ役にヘストンを抜擢。
莫大な制作費をかけた『十戒』は興行的に大きな成功を収め、モーゼ役を好演したヘストンはスターとしての確固たる地位を確立する。
58年のフィルム・ノワールの傑作『黒い罠』では、ハリウッドから追放された共演者のオーソン・ウェルズを監督に推薦し、
同年の『大いなる西部』(58)では名匠ウィリアム・ワイラーの演出の下、グレゴリー・ペックのライバルを好演。
再びワイラーと組んたスペクタクル史劇『ベン・ハー』(59)では、タイトル・ロールのベン・ハーを迫真の演技と過激なアクションでダイナミックに演じて絶大な支持を集め、その年のアカデミー主演男優賞を獲得する。
スペクタクル映画には欠かせない俳優となったへストンは、『エル・シド』(61)、『北京の55日』(63)、『偉大な生涯の物語』(65)、『華麗なる激情』(65)などの史劇大作に相次いで出演し、ヨハネやミケランジェロなど歴史上の人物を演じた。
68年のSF映画『猿の惑星』では、猿が支配する世界に迷い込んだ宇宙飛行士を熱演。映画は衝撃的なストーリーと意外なラストが話題を読んで大ヒットを記録し、以後シリーズ化されて、ヘストンは第二作『続・猿の惑星』(69)にも出演する。
老練なカウボーイを演じた『ウィル・ペニー』(68)は話題にはならかかったものの、彼のお気に入りの作品となり、70年には念願のシェイクスピア舞台劇の映画化『ジュリアス・シーザー』にアントニー役で出演。再びアントニーを演じた続編『アンソニーとクレオパトラ』(71)ではヘストンは脚本と監督も手掛けてその多彩な才能を披露した。
70年代に入ってオールスター・キャストのパニック映画がブームになると『大地震』(74)、『エアポート'75』(74)、『パニック・イン・スタジアム』(75)などに出演し、災難に巻き込まれたタフなヒーローを熱演。
80年の西部劇『ワイオミング』以降は映画出演は減り、主にテレビ・ドラマやテレビ用映画に出演。
90年代に入ると助演やゲスト出演で再び映画にも顔を出すようになり、『トゥルーライズ』(94)、『エニイ・ギブン・サンデー』(99)、ティム・バートン監督によるリメイク版『PLANET OF THE APES 猿の惑星』(01)などの大作や話題作で、出番は少ないものの存在感のある演技を披露している。
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紹介作品 | ||
出演 | ||
出演 | ||