キャロル・ロンバード Carole Lombard

本名:
ジェーン・アリス・ピータース
キャロル・ロンバード
愛称:
The Profaine Angel
職業:
俳優
生年:
1908年10月6日
出身国:
アメリカ
出身地:
インディアナ州 フォート・ウェイン
没年:
1942年1月16日
代表作:
『特急二十世紀』(34)
『襤褸と宝石』(36)
『生きるべきか死ぬべきか』(41)

イングランド系とスコットランド系の両親のもとに生まれ、少女時代は二人の年上の兄と遊び回り、金曜の夜は家族と一緒に映画を見に行き、翌朝は昨日観た映画の場面を演じて家族を楽しませていた。 7歳の時に両親が離婚すると、二人の兄と共に母親に引き取られて一家はロサンゼルスに移住。 12歳の時には道端で隣人の男の子たちと一緒に野球に興じていた所を、近所に住むアラン・ドワン監督に見出されて一本限りの出演契約を結び、 ドワン監督の『陰陽の人』(21)に本名のジェーン・ピータースで出演。小さな役柄ながら幸運な映画デビューを果たした。 学生時代は運動に打ち込み、15歳の時に学校を中退して劇団に入団。 幾つかの舞台への出演をこなした後、映画界に進出。キャロル・ロンバードの芸名で『勇猛果敢』(24)や『Marriage in Transit』(25)などに小さな役で出演した。 25年にはフォックス社の重役に誘われてスクリーン・テストを受け見事合格。 フォックス社と5年の専属契約を交わし、ウェスタン『Hearts and Spurs』のヒロインに抜擢されて幸先の良いスタートを切った。 しかし、翌26年には交通事故に遭って左の頬に傷を負ってしまい、傷は整形手術とメイクアップで目立たなくなったものの、フォックスとの契約は破棄されてしまう。 27年にはマックス・セネットと契約を交わし、セネット映画の名物だった水着美人の一人として喜劇映画に出演。 1年半で18本の二巻ものコメディに出演して、コメディの才能を遺憾なく発揮。スタジオのトップ・コメディエンヌとして人気を博した。 セネットの喜劇映画を観たパテ社の監督ポール・ステインは、彼女の才能を見抜いて週給150ドルで契約。 28年にはフォックス社に戻ってラオール・ウォルシュ監督の犯罪ドラマ『Me, Gangster』に出演。 29年には最初のトーキー映画『High Voltage』に出演し、彼女の声は観客に受け入れられ、トーキーでも通用する事を証明した。 30年にはパテ社を離れ、パラマウント社と週給300ドルで専属契約を結んで『令嬢暴力団』に出演するが、 プリントミスでポスターの名前が“Carol”ではなく“Carole”になってしまい、以後“Carole Lombard”と名乗るようになった。 31年には『街の紳士』(31)と『Ladies' Mam』(31)で共演したパラマウントの大スター、ウィリアム・パウエルと結婚。 16歳年上のパウエルとの結婚生活は、年の差などが災いして2年足らずで終わりを告げたが、離婚後も良き友人として交流は続いた。 34年にはコロムビア社に貸し出されて『特急二十世紀』に出演。 いとこのハワード・ホークス監督の演出のもと、ジョン・バリモア演じるエキセントリックな俳優の妻を好演して絶賛を博した。 『特急二十世紀』のヒットによって都会的な知性、全身からあふれ出る色気、独自のユーモアのセンスを持ったコメディエンヌとして人気を博し、 元夫のパウエルと三度目の共演を果たした36年のコメディ『襤褸と宝石』では、富豪の未亡人を好演。高い評価を得て初のアカデミー主演女優賞にノミネートされた。 また、この映画でのロンバードの演技が「スクリューボール的」だと評された事から、この手のハイテンションでスラップスティックなコメディを「スクリューボール・コメディ」と呼ぶようになり、 ロンバードはスクリューボール・コメディの女王と呼ばれるようになった。 週3万5千ドルを稼ぐパラマウントのトップ・スターとなったロンバードは、次々と話題作に出演。 テクニカラー映画『Nothing Sacred』(37)では不治の病に冒されたと勘違いする女性をコミカルに演じ、 34年の『ボレロ』ではジョージ・ラフトとの官能的なタンゴを披露。 パラマウントの人気スター、フレッド・マクマレイとは『姫君海を渡る』(35)、『春を手さぐる』(35)、『真実の告白』(37)、『スイング』(37)などで共演し、 コメディからドラマまで幅広く活躍して観客に親しまれた。 その後は作品を吟味して年に一本のペースで映画に出演するようになり、 ジェームズ・スチュワートの妻に扮したメロドラマ『貴方なしでは』(39)、病院を舞台にしたドラマ『Vigil in the Night』(40)などに出演。 私生活では32年に『心の青空』で共演したクラーク・ゲイブルと恋に落ち、ゲイブルが『風と共に去りぬ』(39)の撮影を終えた39年に二人は結婚。 ハリウッドでの人目に立つ生活を嫌う2人は、サン・フェルナンドに20エーカーの牧場を購入して静かに理想的な結婚生活を送っていた。 41年のスクリューボール・コメディ『スミス夫妻』では彼女の要望でアルフレッド・ヒッチコックが演出を担当。 ヒッチコックと意気投合したロンバードは彼のカメオ・シーンを演出した。 エルンスト・ルビッチ監督の『生きるべきか死ぬべきか』(42)ではジャック・ベニー扮する夫を悩ませる浮気癖のある妻を好演し、 映画の撮影終了すると戦時国債公募キャンペーンに参加。 故郷のインディアナでキャンペーンを行った後、ロンバードは母親と共に飛行機でロサンゼルスに戻るが、 彼女を乗せた飛行機はラスベガス郊外のテーブル・ロック・マウンテンに墜落。 22人の乗客は全員死亡し、ロンバードは33歳の若さで帰らぬ人となった。 彼女の死後、国債キャンペーンでの功績が認められて、第二次世界大戦で戦死した女性として最初の自由勲章が授与され、 勲章を授与した第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ローズベルトは彼女の仕事ぶりと戦時中の功績を称えた。 愛する妻に先立たれたゲイブルは大いに失望し、映画界からの引退を表明して第二次世界大戦に参戦。 その後も、ロンバードの事を忘れることが出来ずに悲嘆に暮れる日々を過ごし、彼女の面影のある女性と再婚。 ゲーブルの死後、彼の遺体はフォレスト・ローンにあるロンバードの墓の隣に埋葬された。 ロンバードとゲーブルの悲恋は73年に『面影』のタイトルで映画化され、ジル・クレイバーグがロンバードを、ジェームズ・ブローリンがゲイブルを演じた。

紹介作品

生きるべきか死ぬべきか(41)

出演



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