南部の大農場ポリット家の当主ビッグ・ダディは、癌によって死期が近づいていた。
長男夫婦はダディの多額の遺産と土地を狙ってダディが深い愛情を注ぐ次男のブリックに対抗心をみせるが、ブリックはとり合おうとしない。
元カレッジ・フットボールの花形だったブリックは過去の栄光を捨て去ることが出来ずに酒に溺れ、夫婦仲の冷めた美人の妻マギーに親友スキッパーの死の責めを負わせていた・・・。
南部の旧家を舞台に家族間の葛藤を描いたヒット舞台劇の映画化。
M-G-M社は、大ヒットを収めたテネシー・ウィリアムズの同性愛をテーマにした戯曲『熱いトタン屋根の猫』の映画化権を45万ドルで獲得。
監督に起用されたリチャード・ブルックスは原作の脚色も担当。映画化にあたって原作の一部のみを採用し、
当時のプロダクション・コードの規定では同性愛の描写は禁じられていたため、原作の持つ性的要素を大幅にカット。
そのため、ブリックの行動の核となる今は亡き親友スキッパーへの秘められた同性愛的感情や、自殺に対する抑圧された罪悪感といった原作の重要な部分は曖昧にされ、
彼の感情の未熟さとマギーへの怒りが過度に誇張された。
映画は200万ドルの予算が組まれ、ブリック役にはワーナー・ブラザーズ社から2万5,000ドルで借り受けたポール・ニューマンを起用。
ウィリアムズの戯曲の映画化を知ったエリザベス・テイラーは、脚本を読んでマギー役を熱望。
彼女はマギー役が決まっていないことを知ると、ブルックスと製作者のローレンス・ワインガーテンに自分を売り込みに行き、
二人はテイラーのネームバリューによって映画の収益が上がると考え彼女を起用することを了承した。
テイラーの夫で『80日間世界一周』(56)の製作者マイケル・トッドは彼女がこの映画に出ることに乗り気ではなく、
テイラーをロンドンに連れて行ってキム・スタンリー主演の舞台版『熱いトタン屋根の猫』を見せたり、ドガやユトリロの絵を買い与えて考えを改めさせようとしたが、彼女の決意がゆらぐことはなかった。
ジョーク好きのニューマンは、リハーサル中に皆を驚かせようと、突如パジャマの上着を引きちぎり、マギーのドレスにしがみついて「スキッパー!スキッパー!」と叫びだしたが、
居合わせた人々はニューマンがアクターズ・スタジオ仕込のメソッド演技を実践しているのだと勘違いして、誰ひとり笑おうとしなかった。
スタジオは映画をモノクロで撮影させようとしたが、ブルックスとトッドの反対によってカラーで撮影。
撮影が始まって3週間ほど経つとテイラーは鼻風邪にかかってしまい、
ニューヨークで行われる全米興行者協会の授賞式にテイラーと一緒に出席する予定だったトッドは、彼女を残してチャーター機でニューヨークに出発。
ブルックスもこの旅行に誘われていたが、彼は脚本の書き直しで忙しかったため、この申し出を辞退していた。
トッドを乗せた飛行機は悪天候のため翼が氷に覆われて墜落。
トッドは帰らぬ人となり、結婚から1年半で夫を失ったテイラーのショックは激しく、一時は映画から降りるのではないかとまで言われたが、
トッドの友人で『雨に唄えば』(52)の女優デビー・レイノルズの夫エディ・フィッシャーらの励ましもあって、約1ヵ月後には撮影に復帰。
復帰したテイラーは5キロ以上も体重が減っていたので、ブルックスはビッグ・ダディの豪華な晩餐シーンの撮影を2日かけて何度も撮り直しを行い、
撮影と称してテイラーに豪華な料理を強制的に食べさせることによって彼女に食欲と体重を取り戻させた。
多くの批評家は原作を切り刻んで台無しにしたことに不平を並べ立てたが、観客は二大セクシー・スターの共演を見るために劇場につめかけ、1000万ドル近い収入をあげて58年度の興行成績第8位に輝く大ヒットを記録。
第31回アカデミー賞では作品賞、監督賞を含む6部門にノミネートされたが無冠に終わった。
ウィリアムズにとって『熱いトタン屋根の猫』は自分の戯曲の中で一番のお気に入りの作品だったが、
オリジナルの戯曲を大幅に削り取り、検閲への配慮から性的要素を曖昧にした映画版にはテイラーの演技を除いて大いに失望。
収益から歩合がもらえるにも関わらずに、映画が公開されると劇場の前で観客に映画を見ないよう忠告していた。
テイラーはトッドの悲劇の際に励ましを受けたフィッシャーと恋に落ちて翌年結婚。レイノルズから夫を奪ったこの掠奪結婚はマスコミと一般大衆から非難を浴びた。
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