市民ケーン Citizen Kane
公開:
1941年
市民ケーン
製作:
監督:
脚本:
オーソン・ウェルズ

ハーマン・J・マンキウィッツ
撮影:
音楽:
バーナード・ハーマン
出演:
オーソン・ウェルズ

ジョセフ・コットン

ドロシー・カミンガー

「薔薇の蕾」という謎の言葉を残してこの世を去った新聞王チャールズ・フォスター・ケーン。この複雑で謎に満ちた男の遺言の謎を調べる仕事を依頼された記者トンプソンは、ケーンの過去を知る人々の証言から「薔薇の蕾」の意味を探ろうとするが、インタビューを行ううちに人々に忌み嫌われ、恐れられた男の孤独な生涯が浮かび上がる。オーソン・ウェルズが若干25歳で手掛けた処女作にして、斬新な映画技法に満ちたアメリカ映画の最高傑作。

1938年10月30日、ウェルズはH・G・ウェルズの小説『宇宙戦争』のラジオ放送中に火星人来襲のニュース速報を挿入してアメリカ中を恐怖に陥れる。この事件によってウェルズは経営難から新しい人材の発掘を急務としていたハリウッドのメジャー・スタジオの一つRKOから映画製作のオファーを受ける。彼が率いるマーキュリー劇団のブロードウェイでの興行が芳しくなく、演劇活動の資金が必要なウェルズは、彼と劇団が新境地を開くチャンスと見て10万ドルの報酬と、制作、監督、脚本等全てに関してスタジオから一切の干渉をうけないという破格の待遇でRKOと2本の映画製作の契約を結ぶ。彼はデビュー作としてジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』(79年にフランシス・コッポラ監督が『地獄の黙示禄』として映画化)に取り掛かるが、原作の一人称の文体を生かすため映画を主人公の視点から撮影するというアイディアが技術的に難しく制作費も掛かる為に中止となり、続くニコラス・ブレイクのスパイ小説をスクリューボール・コメディ調に仕立てた『スマイラー・ウィズ・ア・ナイフ』は主演女優が決まらない為に中止となる。そんな中、ウェルズはマーキュリー劇団のラジオ劇の脚本を手掛けていた脚本家のハーマン・マンキーウィッツが温めていた実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにした映画のアイディアに目をつけ、マンキウィッツに脚本を執筆させる。ハーストの愛人マリオン・デイビスの友人でハーストの邸宅サンシメオンに訪れたこともあるマンキウィッツは所々ハーストに基づきながらナタラージュを駆使して『American(アメリカ人)』と題した第1稿を書き上げ、この時間配列を解体し、知人たちの証言によってストーリーを語るユニークなスタイルの脚本をウェルズと共に改訂を繰り返しながら完成させる。ウェルズはマーキュリー劇団のメンバーで映画出演はこれが初めてとなるジョセフ・コットン、アグネス・ムーアヘッドらを主要キャストに起用、ウェルズのラジオ劇の音楽を担当し、後にアルフレッド・ヒッチコック監督作品の音楽を数多く手掛けるバーナード・ハーマンが音楽を手掛け、『ウェスト・サイド物語』(61)等の大作を監督するロバート・ワイズが編集を手掛ける。ウィリアム・ワイラー監督の『嵐が丘』(39)やジョン・フォード監督の『怒りの葡萄』(40)の撮影を手掛けた名撮影監督グッレッグ・トーランドをサミュエル・ゴールドウィンから借り受け、俳優達の舞台的な演技スタイルを生かす為にカットを極力少なくした長まわしパン・フォーカスによる撮影を多用する。美術監督のペリー・ファーガソンはこの斬新な撮影方法に対応する為に今までにないセットの製作を要求され、パン・フォーカス撮影のためセットは奥まで詳細に再現され、ロー・アングル撮影のために天井とキャメラを入れる抜き穴のある床の高いセットが製作される。予算の問題でスタジオからは中々撮影の許可が出なかった為、ウェルズはテスト撮影と偽って映画の撮影を始めてしまい、真相に気づいたスタジオはそのまま撮影許可を出して本格的な撮影が開始される。ケーンの愛人スーザンのアパート・シーンを撮影中にウェルズは階段から落ちてくるぶしを骨折するが、演技を行う時は足にギブスをして、監督する時は車椅子に乗って撮影を行った。マンキウィッツがマリオン・デイビスの甥チャーリー・レダラーに脚本の写しを渡したことで、ハーストが映画の製作を知ることとなり、選挙での敗北、コーラスダンサーだったデイビスとの浮気(映画の鍵となる「薔薇の蕾(Rosebud)」はハーストが飼っていた犬の名前)などハーストをモデルにしたと明らかに分かるシーンが多数含まれていた為に彼の怒りを買い、ハースト系の新聞はRKO映画のボイコットを行う。ハーストはハリウッドのメジャー・スタジオの大物達にも圧力をかけ、ハーストの報復を恐れたM-G-Mのルイス・B・メイヤーらはRKOに84万2000ドル支払う代わりに映画の全てのネガとプリントを焼却するよう申し入れる。ラジオ・シティ・ミュージック・ホールは映画のプレミア上映を中止し、ハーストの報復を恐れて『市民ケーン』の上映を拒否する映画館が続出した。この騒動の間に、ウェルズはブロードウェイでの新しい舞台の準備の時間が出来、彼のラジオ放送の聴取率は上昇するが、攻撃の矛先はウェルズにも向けられ、ハースト系の新聞はウェルズおよび彼の舞台とラジオ・ドラマが共産主義的であると非難し、FBIも彼の身辺調査を始める。映画の公開を決めかねるRKOの態度にウェルズは業を煮やし、映画の公開を遅らせた場合はスタジオを提訴すると脅しをかける。RKOはハーストをほのめかす描写を削除することで、ハースト側の許可を得て公開にこぎつけるが、上映館の確保が難しく、ハーストの新聞は映画の広告掲載を見合わせた為、興行面でも悪戦苦闘して15万ドルの赤字を出して公開を終了する。映画はニューヨーク批評家協会とナショナル・ボード・オブ・レビューの最優秀作品に選出されるが、アカデミー賞では作品賞を含む9部門にノミネートされながらもマンキウィッツとウェルズの脚本賞のみの受賞に留まる。しかし、『市民ケーン』の斬新なビジュアル・スタイルは、後にハリウッドで製作された様々な映画に強い影響を与え、46年にフランスで始まった批評家のアンドレ・バザンらによる映画の再評価がきっかけとなって、映画の素晴らしさが世界的に認められるようになり、現在ではハリウッドだけでなく世界映画の頂点に立つ作品として認知されている。


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