クレオパトラ Cleopatora
公開:
1963年
クレオパトラ
製作:
20世紀フォックス・スタジオ

ウォルター・ウェンジャー
監督:
原作:
カーロ・フレンツェロ
脚本:
ジョセフ・L・マンキーウィッツ

ラナルド・マクドーガル

シドニー・バックマン
撮影:
レオン・シャムロイ
音楽:
アレックス・ノース
出演:
エリザベス・テイラー

リチャード・バートン

レックス・ハリスン

紀元前48年、内戦の続くエジプトに侵攻したローマ帝国の将軍シーザーは、美しきクレオパトラの虜となり自分の愛人とし、彼の後押しでクレオパトラはエジプトの女王となる。やがてローマ皇帝となったシーザーは部下に暗殺され、彼の死後政権を握ったアントニーは父親的な存在だったシーザーに劣等感を抱き、クレオパトラを手に入れることでそれを解消しようとする。しかし、二人の結婚はローマの怒りを買って、ローマはエジプトに宣戦布告する。豪華なセット、監督の交代、主演女優のスキャンダルなどで巨額の制作費がかかり、スタジオを倒産寸前まで追い込んだスペクタクル 史劇

製作者のウォルター・ウェンジャーは『十戒』(56)や『戦争と平和』(56)などワイドスクリーンを生かしたスペクタクル史劇全盛期の58年に20世紀フォックス社に招かれて、長年温めていたクレオパトラの映画化を提案、同年にカーロ・フランツェロの小説『クレオパトラの生涯とその時代』の映画化権を獲得する。フォックスは300万ドルの予算で企画を承認、スペクタクル映画としてではなくサスペンス調の作品を求めるウェンジャーはサスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックに監督を依頼するが断られ、軽いタッチの作品を得意とするルーベン・マームリアンを起用する。シーザー役にはピーター・フィンチ、アント二―役にはスティーブン・ボイドを起用し、主役のクレオパトラにはギャラの安い女優を使いたいフォックスの意向に反して、ウェンジャーは大スターだったエリザベス・テイラーの起用を望み、フォックスは予算の3分の1である100万ドルの出演料と興行収入の10%及び撮影が延びた場合の延長金と撮影中の生活費をテイラーに保証する。美術監督のジョン・デキューアは撮影セットをロサンゼルスのフォックス・スタジオに作り始めると、フォックスの社長スパイロス・スクラスは人件費と経費を節約するためにロンドンで撮影を行うことを提案、ロサンゼルスのセットは取り壊される。撮影は予定より1ヶ月遅れて60年の9月から開始されるが、脚本は完成していなかった上に、テイラーが熱を出して倒れた為、撮影は彼女抜きで行われる。また、テイラーはマームリアンの手腕に満足出来なかったので、彼を追い出して『去年の夏、突然に』(59)で一緒に仕事をしたジョセフ・L・マンキーウィッツを起用させる。この時点で制作費は予算の倍以上の700万ドルを使い、10分半しか終わっていなかった撮影済みのフィルムは使用できる代物ではなかったので、撮影は一からやり直しとなる。撮影所は再びロサンゼルスに移り、その後ローマに移り、撮影スケジュールの為、テイラー以外の主役も交代し、シーザー役にはレックス・ハリスン、アントニー役にはリチャード・バートンが起用される。61年の9月から撮影は再開されるが、脚本家でもあるマンキーウィッツは未完成の脚本の執筆も行わなければならず、撮影スケジュールが遅れていこともあって昼に映画の撮影を行い、夜に脚本の執筆を行う生活を強いられた。62年にはテイラーとバートンの不倫が暴露され、スタジオにはマスコミが群がり、事が大きくなってバートンが妻のもとに戻ろうとした事を知るとテイラーは半狂乱状態になり入院する。スキャンダルのために製作は更に遅れ、プロデューサーのウェンジャーは解雇されてスクラスも辞任して、フォックス社の創設者ダリル・F・ザナックが社長に復帰する。彼はスタジオの損失をこれ以上増やさないために、『クレオパトラ』と未完に終わったマリリン・モンロー主演の『Something's Got To Give』以外の撮影を中止してスタジオを閉鎖する。マンキーウィッツはエジプトで撮影中に看護婦の注射で挫骨神経を傷つけられて入院するが、担架で運ばれている間も脚本の執筆を行っていた。製作の開始から4年後の63年に映画は完成し、総制作費3100万ドル(約144億円)、総登場人物22万3千人を贅沢に使い、クレオパトラのローマ入城シーンだけでも10万人のエキストラと、30機の飛行機をチャーターしてハリウッドから招いたプロのダンサーたちが動員された。映画は批評家から酷評されながらもまずまずの興収をあげるが、莫大な制作費を回収するまでには至らなかった。


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