ダニー・ケイ Danny Kaye

本名:
デイヴィッド・ダニエル・カミンスキー
ダニー・ケイ
職業:
俳優
生年:
1913年1月18日
出身国:
アメリカ
出身地:
ニューヨーク州 ブルックリン
没年:
1987年3月3日
代表作:
『虹を掴む男』(47)
『ホワイト・クリスマス』(54)
『五つの銅貨』(59)

仕立屋を営むユダヤ系ロシア人の父親のもとに生まれ、 子供の頃から歌とおしゃべりが大好きで、高校を中退するとフロリダに移り、路上で歌を披露してお金を稼いでいた。 その後、避暑地キャットスキルズに移ってラジオ局やホテルで働きながら歌やダンスの芸を磨き、 33年にはレビュー劇団マーカス・ショー一座に参加。翌年のアジア巡業では日本にも訪れて東京と大阪で公演を行った。 アメリカに戻るとボードビルやナイトクラブへの出演へのかたわら、『Dime a Dance』(37)、『 Getting an Eyeful』(38)、『Cupid Takes a Holiday』(38)などの2巻物の短編コメディ映画にも出演。 長い下積みを経て、39年の『The Straw Hat Revue』でブロードウェイ・デビューを果たし、 41年にはナイトクラブでのパフォーマンスが劇作家モス・ハートの目に留まって彼の舞台『Lady in the Dark』に出演。 ブロードウェイの大物女優ガートルード・ローレンスと共演したこの舞台では、38秒で54人ものロシア人指揮者を暗唱する「チャイコフスキー」を歌って絶賛を博した。 41年にはピアニスト兼作家のシルヴィア・ファインと結婚。 彼女は「チャイコフスキー」をはじめとするケイの歌の作曲や、脚本を手掛けて彼のコミカルな才能を遺憾なく発揮させた。 舞台での評判に注目した独立製作者のサミュエル・ゴールドウィンは映画への出演をオファー。 しかし、ケイは映画出演に自信が持てず、このオファーを断って、初の主演舞台となったコール・ポーターの『Let's Face It』に出演。 彼のユダヤ人的な容姿を気にして契約に乗り気でないスタジオも少なくなかったが、 ケイの才能に惚れ込んでいたゴールドウィンはラブコールを送り続け、2年間辛抱強く働きかけた結果、 1本15万ドルという破格の出演料で映画界入りを承諾させた。 ゴールドウィンはケイを第二のエディ・カンターとして売り出し、 主演第一作としてカンターのヒット作『フーピー』をリメイクした『ダニー・ケイの新兵さん』を製作。 映画は観客に戦争の不安を忘れさせて大ヒットを記録し、 ケイの早口で歌うユニークな歌と体を張ったコミカルな演技やダンスは、観客と批評家の両方から絶賛されて華々しい映画デビューを飾った。 『ダニー・ケイの天国と地獄』(45)ではナイトクラブの芸人と気弱な青年の一人二役に挑戦。 45年には主演を務めたラジオ番組『ダニー・ケイ・ショー』が放送され、 牛乳配達人がボクサーに転向してチャンピオンになるまでをコミカルに描いた『ダニー・ケイの牛乳屋』(46)も大きな成功を収めて、 マルチ・エンターテイナーとして押しも押されぬ大スターとなった。 代表作の一本となった47年の『虹を掴む男』では、満たされない願望が白昼夢になって現れる気弱な青年を好演。 41年のヒット作『教授と美女』をリメイクした『ヒット・パレード』(48)では音楽研究家を演じたが、 当時のケイはファインと別居中で、精神的にも不安定だったため、得意のコミカルなダンスや歌を存分に披露させることが出来ず、 映画はそれまでの出演作の中で最低の評価を受けた。 48年にはイギリスでワンマンショーを行い、英国王室も観劇に訪れたこの舞台は大きな成功を収めた。 ゴールドウィンとの契約が切れると、ワーナー・ブラザーズ社の『ダニー・ケイの検察官閣下』(49)や20世紀フォックス社の『夫(ハズ)は偽者』(51)に出演。 再びゴールドウィンと組んだ伝記ミュージカル『アンデルセン物語』(52)ではタイトルロールのデンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンに扮して印象的な演技を披露。 映画のヒットに一役買った。 その後、パラマウント社に移籍して、クリスマス映画の定番『ホワイト・クリスマス』(54)に出演。 フレッド・アステアに代わってビング・クロスビーと共演した今作はその年最高のヒットを記録した。 54年には国連のユニセフに参加。パイロットとして活躍し、同年のアカデミー賞ではユニセフでの親善大使としての慈善活動とユニークな才能が認められて特別賞が贈られた。 慈善活動の合間には、スパイ合戦に巻き込まれる男を演じた『あの手この手』(54)や、中世のイギリスを舞台にしたコメディ『ダニー・ケイの黒いキツネ』(55)などの話題作に出演。 59年には実在のジャズ・ミュージシャン、レッド・ニコルズの波乱の人生を映画化した『五つの銅貨』でニコルズを演じ、コミカルな演技だけでなくシリアスな演技も披露して新境地を開拓した。 60年代に入るとユニセフの仕事に力を注ぐようになって映画への出演が減少したが、 63年から始まったテレビのバラエティー・ショー『ダニー・ケイ・ショー』は好評を博してその年のエミー賞を受賞。番組は4年にわたって放送された。 69年の『シャイヨの伯爵夫人』を最後に映画界を離れ、 70年には『Two by Two』でブロードウェイに復帰。公演中に怪我をしてしまうが、代役をたてず松葉杖やステッキを使って10ヶ月間の出演をこなした。 その後も、時折ブロードウェイの舞台やテレビ映画に出演し、テレビ映画『ピーター・パン』(76)ではフック船長、『ピノキオ』(76)ではゼペットを好演。 最後の出演作となったテレビ映画『Skokie』(81)ではナチスの収容所からの生存者を演じて絶賛を浴びた。 この頃にはオーケストラの指揮にも挑戦。 楽譜が読めないケイは、得意のコミカルな演技を存分に発揮してハエたたきでニューヨーク・フィルハーモニーの指揮を務め、オーケストラ界に新風を吹き込んだ。 また、ユニセフの活動も精力的に続け、世界各国を回ってボランティア活動やチャリティーショーを行って恵まれない子供たちの救済に尽力し、 81年のアカデミー賞では長年にわたるユニセフでの活動に対してジーン・ハーショルト友愛賞が贈られた。

紹介作品

ダニー・ケイの新兵さん(44)

出演

ホワイト・クリスマス(54)

出演



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