エリア・カザン Elia Kazan

本名:
Elias Kazanjoglou
エリア・カザン
愛称:
ギャッジ
職業:
監督、製作者、脚本家 、俳優
生年:
1909年9月7日
出身国:
トルコ
出身地:
イスタンブール
没年:
2003年9月28日
代表作:
『紳士協定』(47)
『欲望という名の電車』(51)
『波止場』(54)

ギリシャ人の両親のもとに生まれ、彼が4歳の時、両親と共にトルコの圧政を逃れてアメリカに移住。 父親はニューヨークで絨毯商人として成功を収める。 セルゲイ・エイゼンシュティン監督の『戦艦ポチョムキン』(25)を観て演技に興味を示したカザンは、 大学を卒業するとイエール演劇学校で演技を学び、33年にはニューヨークの前衛劇団「グループ・シアター」に入団。 端役や裏方などの仕事を経て、35年にクリフォード・オデッツの戯曲『Waiting for Lefty』のタクシー運転手役で舞台デビューを果たす。 数々の舞台に出演しながら、演出家としての成功を求めるカザンは『Casey Jones』や『Cafe Crown』などを演出。 また、俳優としてワーナー・ブラザーズ社の『栄光の都』(40)と『Blues in the Night』(41)の2本の映画に出演した。 42年のソートン・ワイルダー原作の舞台『The Skin of Our Teeth』の演出は高く評価され、 舞台はピューリッツアー賞を受賞し、カザンはニューヨークのドラマ批評家協会賞を受賞。 舞台演出家としての手腕が認められたカザンは引き続き『One Touch of Venus』や『Jacobowsky and the Colonel』を手掛け、 44年には20世紀フォックス社のダリル・F・ザナックに招かれて監督としてハリウッド入りを果たし、長編映画『ブルックリン横丁』(45)を発表。 ニューヨークの下町に生きる人々の姿を描いたこの作品は高く評価されて、主演のジェームズ・ダンとペギー・アン・ガーナーにアカデミー賞をもたらした。 46年にはスペンサー・トレイシーキャサリン・ヘプバーンのコンビ作『大草原』と、ニューヨークでロケーション撮影を行った『影なき殺人』を発表。 翌47年の『紳士協定』(47)は、それまでタブー視されていた反ユダヤ人主義問題に真正面から挑んで、アカデミー作品賞、監督賞、助演女優賞の3部門を獲得して演劇界だけでなく映画界でも頂点を極めた。 同年にはブロードウェイでテネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』を演出。 マーロン・ブランド、ジェシカ・タンディ、カール・マルデンらの自然でリアルな「メソッド演技」によって舞台はセンセーションを巻き起こし、ロングランを記録する大ヒットとなった。 また、47年にはグループ・シアター時代の仲間で俳優のリー・ストラスバーグらと共に、俳優たちの演技学校「アクターズ・スタジオ」をニューヨークに創設。俳優の育成にも力を入れた。 49年にはジョン・フォードに代わって『ピンキー』を演出。白い肌を持つ黒人の苦悩を描いて硬派な社会派映画監督としての名声を高めた。 51年の映画版『欲望という名の電車』では、ブロードウェイ版のオリジナル・キャストと ヴィヴィアン・リーを主要キャストに迎えて舞台版以上の成功を収め、アカデミー賞4部門を受賞。 主演のブランド、マルデン、キム・ハンターらが披露したアクターズ・スタジオ仕込みのメソッド演技はハリウッドの演技スタイルに大きな影響を与えた。 冷戦の激化によって赤狩りの嵐が吹き荒れた52年。 共産主義者の疑いをかけられたカザンは、身の潔白を証明するために共産党員の疑いのある11人の友人の名前を非米活動委員会に公表。 ニューヨーク・タイムズ紙には共産党員である事を否定する広告を出した。 この裏切りとも言える行為によってカザンは長い間非難を受け、この一件は彼の作風にも強い影響を与えて、自らの苦悩を投影した、明確なメッセージと自己主張を持った作品を生み出すようになる。 52年の『革命児サパタ』は、メキシコの英雄を描きながら共産主義を痛烈に非難。 ニューヨークの港湾労働者たちの苦悩を描いた骨太の社会派ドラマ『波止場』(54)は作品賞を含むアカデミー賞8部門を受賞し、カザンは2度目の監督賞を獲得する。 ジョン・スタインベックのベストセラー小説を映画化した大ヒット作『エデンの東』(55)では、アクターズ・スタジオ出身の新人ジェームズ・ディーンを注目させ、 翌56年にはテネシー・ウィリアムズの二つの短編戯曲を基にした『ベイビー・ドール』を手掛けて大きな成功を収める。 映画だけでなく古巣の演劇界でも精力的に活動を続け、アーサー・ミラーのピューリッツアー賞受賞作『セールスマンの死』、ロバート・アンダーソンの『お茶と同情』、ウィリアムズのピューリッツアー賞受賞作『熱いトタン屋根の猫』など、演劇史に名を残す傑作舞台を多数手掛けた。 61年の『草原の輝き』ではナタリー・ウッドとアクターズ・スタジオ出身のウォーレン・ビーティを主演に迎えて思春期の若者の苦悩を描き、 62年にはギリシャ移民としてアメリカに渡った叔父をモデルにして自分のルーツを見つめ直した小説『アメリカ、アメリカ』を発表し、翌63年には自ら映画化して高い評価を得る。 69年には再び自分の小説『アレンジメント』を映画化したが、『アメリカ、アメリカ』並みの評価を得るには至らなかった。 76年のF・スコット・フィッツジェラルドの未完の小説を豪華キャストで映画化した『ラスト・タイクーン』を最後に映画界から引退。 88年には自伝『Elia Kazan: A Life』を出版し、98年のアカデミー賞では彼の映画界における長年の功績を称えて名誉賞が贈られたが、彼の赤狩り時代の行動を快く思わない人々から非難を浴びた。
俳優に対する要求の厳しさでは定評のあったウィリアム・ワイラー並みに演技に対する要求は厳しかったが、俳優達から最高の演技を引き出す術を心得ており、数多くの俳優たちをハリウッドの演技派スターに育て上げた。 彼の息子であるニコラス・カザンも映画界で脚本家や監督として活躍しており、『運命の逆転』(90)や『水曜に抱かれる女』(94)などを手掛けた。

紹介作品

紳士協定(47)

監督

欲望という名の電車(51)

監督

波止場(54)

監督

エデンの東(55)

製作/監督



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