フレッド・アステア Fred Astaire

本名:
フレドリック・オースタリッツ・ジュニア
フレッド・アステア
職業:
俳優、製作者、作曲家
生年:
1899年5月10日
出身国:
アメリカ
出身地:
ネブラスカ州 オマハ
没年:
1987年6月22日
代表作:
『トップ・ハット』(35)
『イースター・パレード』(48)
『バンド・ワゴン』(53)

オーストリア移民でビール工場を経営していた両親のもとに生まれ、 ダンス教室に通う1歳年上の姉アデールの付き添いで訪れたことがきっかけでダンスを習い始め、5歳の時には姉と一緒に初舞台を踏んだ。 姉弟のダンスの才能を認めた母親は、1905年にニューヨークのボードビルに入れて、プロとして活躍させる。 15年にはサイレント映画の大スター、メアリー・ピックフォードに見出されて、彼女が主演する『こうろぎのファンチョン』に飛び入り参加して映画デビューを果たした。 二人の愛らしいダンスは評判を呼び、17年に上演された『Over the Top』で二人はブロードウェイ・デビューを果たして絶賛を浴び、22年の『バンチとジュディ』では主演デビューを飾って、舞台は1年以上のロングランを記録。 アステア姉弟の舞台はアメリカだけでなくロンドンでも好評を博し、28年には彼らのヒット舞台『ファニー・フェイス』の映画化を持ちかけられるが、アステアのスクリーン・テストを見たスタジオは「演技は出来ない、唄えない、髪は薄く、少し踊れる」と評した。 31年に上演された『バンド・ワゴン』を最後に、結婚したアデールは芸能界から引退。 アステアは舞台に残るか映画界に入るか迷うが、32年の舞台『Gay Divorce』を最後に製作者デビッド・O・セルズニックの誘いを受けてハリウッド入りを果たす。 RKO社と専属契約を交わしたアステアは、M-G-M社の『ダンシング・レディ』(33)にゲスト出演した後、同年RKOの『空中レヴュー時代』(33)に脇役として出演。 製作者と監督が決めたダンス・パートナー、ジンジャー・ロジャースとコンビを組んでダンス・ナンバー「ザ・カリオカ」で息の合った素晴しいダンスを披露して観客の心を一気に掴んだ。 この映画の成功によって人気に火がつき、二人は主演スターに昇格。翌34年にはアステア主演の舞台を映画化した初主演作『コンチネンタル』が公開されて大ヒットを記録した。 以後、アステアとロジャースはハリウッド史上最高のダンス・コンビと謳われて『ロバータ』(35)、『トップ・ハット』(35)、『艦隊を追って』(36)、『有頂天時代』(36)、『踊らん哉』(37)、『気儘時代』(38)などの唄と踊りが満載のダンス・ミュージカルが相次いで公開された。 しかし、物語に変化のない二人の映画は次第に観客に飽きられ始め、ロジャースが演技派俳優を目指していた事もあって、39年の『カッスル夫妻』を最後にコンビを解消。 ロジャースと別れたアステアはスタジオを転々としながら、エレノア・パウエル共演の『踊るニュウ・ヨーク』(40) 、リタ・ヘイワースの相手役を務めた『踊る結婚式』(41)と『晴れて今宵は』(42)、ゴルフ仲間のビング・クロスビーと組んだ『スイング・ホテル』(42)と『ブルー・スカイ』(46)、ジーン・ケリーとの唯一の共演作『ジーグフェルド・フォーリーズ』(46)なで華麗なステップを披露。 ダンサーとして年齢的にピークを過ぎた事を自覚したアステアは46年に引退を宣言。 引退後はダンス教室の運営や競走馬の育成に力を入れていたが、48年に怪我をしたケリーのピンチヒッターとして『イースター・パレード』で映画界に復帰し、ジュディ・ガーランドの相手役を見事に務めた。 この映画の成功によって出演依頼が相次ぎ、ロジャースとの10本目にして最後の共演作『ブロードウェイのバークレー夫妻』(49)、シド・チャリシーと共演した『バンド・ワゴン』(53)などに出演。 『足ながおじさん』(55)のリハーサル中に、21年連れ添った最愛の妻フィリスを癌で失うが、悲しみから逃れるために映画出演を続け、オードリー・ヘプバーンとの共演作『パリの恋人』(57)、チャリシーとの再共演を果たした『絹の靴下』(57)などで、年齢を感じさせないエネルギッシュかつ繊細なダンスで観客を魅了した。 58年にはアステア主演のテレビのスペシャル・ショー『An Evening with Fred Astaire』が放映され、唄あり踊りありの贅沢な生放送のTVショーは好評を得てエミー賞の9部門を獲得。59、60年にもアステア主演のTVショーが製作された。 59年の近未来SF映画『渚にて』ではダンス抜きのシリアスな演技を披露して新境地を開拓。 68年の舞台ミュージカルの映画化『ファニアンの虹』が最後のミュージカル出演作となった。 74年にはM-G-Mミュージカルのアンソロジー『ザッツ・エンターテインメント』の司会者の一人を務め、2年後に公開された『ザッツ・エンターテインメント Part2』では、ケリーと二人で歌と踊りを盛り込みながらM-G-Mミュージカルの名シーンを紹介。 74年に公開されたパニック映画『タワーリング・インフェルノ』では老詐欺師に扮し、哀愁漂う好演技を披露してアカデミー助演男優賞にノミネートされた。 80年には45歳年下のロビン・スミスと再婚、翌81年に公開されたミステリー『ゴースト・ストーリー』が最後の出演作となった。
「ダンスの神様」と呼ばれ、トップ・ハット、白タイ、燕尾服に身を包んで、タップを中心とした目もくらむような華麗で洗練されたモダン・ダンスをスクリーン上で披露して映画ファンを魅了。 ダンスに関しては完全主義者として知られ、長期のリハーサル時間を要求し、撮影が始まっても自分の納得がいくまで何度も繰り返して、自分が納得できるまでOKを出さなかった。 後年は、ライバルのジーン・ケリーに触発されて、伝統的な名人芸だけでなくアクロバティックで奇抜なダンスも披露するようになり、2人の活躍によってハリウッドのシネ・ミュージカルは驚くべき発展を遂げた。 50年にはアカデミー特別賞、81年にはアメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)の生涯功績賞を受賞。自伝『Steps in Time』も出版している。

紹介作品

コンチネンタル(34)

出演

トップ・ハット(35)

出演

踊らん哉(37)

出演

スイング・ホテル(42)

出演

ブルー・スカイ(46)

出演

イースター・パレード(48)

出演

ブロードウェイのバークレー夫妻(49)

出演

恋愛準決勝戦(51)

出演

バンド・ワゴン(53)

出演

パリの恋人(57)

出演

渚にて(59)

出演



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