フリッツ・ラング Fritz Lang

職業:
製作者、監督、俳優、脚本家
フリッツ・ラング
生年:
1890年12月5日
出身国:
オーストリア
出身地:
ウィーン
没年:
1976年8月2日
代表作:
『メトロポリス』(26)
『暗黒街の弾痕』(37)
『飾り窓の女』(44)

建築家の父親のもとに生まれ、美術家を志して1907年にウィーン美術学校に入学。その後、科学技術学校に移って建築と絵画を学んだ。 冒険好きだったラングは、10年から14年まで日本、ヨーロッパ、東南アジア、アフリカを旅して回るが、パリ滞在時に第一次世界大戦が勃発。 敵性外国人として収容所に入れられるが、脱出して帰国するとオーストリア軍に従軍し、4度の負傷をする活躍を見せ中尉にまで昇進した。 陸軍病院入院中に暇つぶしに映画用のストーリーや脚本を書いていたが、これがドイツの大物映画製作者エーリッヒ・ポマーの目に留まり、16年にベルリンのデクラ社に入社。 17年にヨーエ・マイ監督によって『Hilde Warren und der Tod』と『Die Hochzeit im Excentricclub』の2本が映画化され、『Hilde〜』にはラング自身も出演した。 19年には自らの脚本『Halbblut』で監督デビューを果たし、3本目の監督作となった冒険活劇『黄金の湖』(19)が興行的なヒットを記録して、ドイツ映画界での地位を固めた。 20年には、すべてのドイツ時代のラング作品の脚本を手掛けるテア・フォン・ハルボウと初めて組んで犯罪映画『Kaepfende Herzen』を発表。 『死滅の谷』(21)以後はラング独特の作家性を帯びた作品が多くなり、 第1部「賭博師」、第2部「犯罪地獄」から成る、ドイツ経済を混乱させた犯罪者マブゼ博士を描いた『ドクトル・マブゼ』(22)は世界中から絶賛され、興行的にも大成功を収めた。 22年にはテア・フォン・ハルボウと結婚。 次回作『ニーベルンゲン』(24)は、「ジークフリード」と「クリームヒルトの復讐」の二部で構成され、2年の準備期間と7ヶ月の撮影期間を要する超大作となった。 ラングは巨竜の返り血を浴びて不死身となったジークフリードの伝説をもとにしてゲルマン人の精神世界を見事に描き、彼特有の洗練された様式美と造形美は絶賛を浴びた。 26年には『ニーベルンゲン』以上の制作費と20ヶ月もの撮影期間をかけたSF映画『メトロポリス』を発表。 ヒットラーをも魅了した労働者と権力者の闘争を描いたこの近未来映画は、現在ではSF映画の古典として認知されているが、 公開当時の評価は低く、興行面でも奮わずに製作会社ウーファを新聞社に身売りさせることになった。 28年には再起を賭けてスパイ映画『スピオーネ』を発表するが、またしても評価を得ることは出来ず、 続いて実際に起こった殺人事件をモデルにした犯罪ドラマ『M』(31)では、殺人鬼を主人公にしてその内面心理を深く追求。 32年には『ドクトル・マブゼ』の続編とも言える『怪人マブゼ博士』を発表。 33年に政権を握ったナチスの宣伝省のヨーゼフ・ゲッベルス博士は、『怪人マブゼ博士』のラストに反ナチの精神を読み取って出頭を命じるが、 母親がユダヤ人であるラングは、熱烈なナチス党員だった妻のハルボウに別れも告げずに、その日のうちに荷物をまとめてフランスに逃亡した。 パリでシャルル・ボワイエ主演のファンタジー映画『リリオム』(34)を手掛けた後、34年6月に渡米。 デヴィッド・O・セルズニックと契約を交わしてハリウッド入りを果たし、 M-G-M社でハリウッド・デビュー作となる<a href=s-tracy.html>スペンサー・トレイシー主演の『激怒』(36)を監督した。 37年にはボニーとクライドをモデルに男女の逃避行を描いた『暗黒街の弾痕』を発表。 『死刑執行人もまた死す』(43)ではナチスの恐怖を描き、 40年代にはウェスタン『西部魂』(41)、 フィルム・ノワール『飾り窓の女』(44)、スパイ映画『外套と短剣』(46)など様々なジャンルでエンターテインメント性の高い佳作を発表。 アメリカでは20年間で22本もの作品を演出したが、その多くが低予算のB級映画だったため、ドイツ時代の作品を知る批評家からはアメリカ時代のラング作品は高い評価を得ることはなかった。 しかし、ドイツ表現主義のスタイルをハリウッド映画に取り入れ、巧妙なプロットの積み重ねと、卓越したストーリー・テリングは後年高く評され、 ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらフランスのヌーヴェル・ヴァーグの若い批評家たちや、 批評家時代のピーター・ボグダノビッチらはドイツ時代よりもアメリカ時代のラング作品を絶賛。この傾向は年々強まってゆき、現在では逆にドイツ時代の作品が軽視されるまでになっている。 ハリウッドでの製作システムに疲れたラングは58年にドイツに戻って、『大いなる神秘/王城の掟』(58)、『大いなる神秘/情炎の砂漠』(58)、『怪人マブゼ博士』(60)をの3本を監督。 63年にはゴダールの依頼で映画産業を舞台にした『軽蔑』に出演して自分自身のパロディともいえる映画監督を好演し、76年の8月2日にビバリーヒルズの自宅で永眠した。

紹介作品

飾り窓の女(44)

監督



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