ファッション雑誌の撮影で古本屋を訪れたファション・カメラマンのディックは、本屋で働く女性ジョーを雑誌の新しい企画のモデルとしてスカウトする。ジョーはモデルの仕事に興味はないものの、彼女が信奉する共感主義の提唱者フロストル教授に会いたいがためにパリに赴く。当時57歳のダンスの神様フレッド・アステアと元バレリーナだった当時27歳の銀幕の妖精オードリー・ヘプバーンとの共演が楽しいカラフルなミュージカル映画。ヘプバーンが着こなす華麗なジヴァンシーの衣装も見所の一つ。
ハリウッド進出前のアステアと姉のアデールの共演で1927年に上演されたアイラとジョージ・ガーシュウィン兄弟の舞台ミュージカル『ファニー・フェイス』は好評を博し、ブロードウェイで250回、ロンドンで263回上演されるヒット作となる。翌28年にアステアとアデールは、舞台の映画化のためパラマウント社に招かれてスクリーン・テストを受けるが、テストを見たスタジオはアステアを「演技は出来ない、唄えない、髪は薄く、少し踊れる」と評価して、映画化は実現しなかった(8年後にイギリスで別の俳優を使って『She Knew What She Want』のタイトルで映画化された)。脚本家のレナード・ガーシュは『Wedding Day』を執筆し、ブロードウェイ・ミュージカルとして企画するが、舞台化は実現せずに終り、映画化権はM-G-M社に売却される。M-G-Mの製作者ロジャー・イーディンズは、ガーシュのストーリーに『ファニー・フェイス』の音楽を加えて映画化することを思い立ち、ワーナー・ブラザーズ社から『ファニー・フェイス』の権利を購入する。舞台版から「Fanny Face」、「Let's Kiss and Make Up」、「He Loves and She Loves」、「S Wonderful」の4曲が採用され、舞台版のために作曲されたが使用されなかった「How Long Has This Been Going On?」と、26年の舞台『オー・ケイ!』から「Clap Yo' Hands」の2曲が追加される。しかし、ガーシュウィンの曲はあまりにも演劇的すぎたため、オープニング・ナンバーの「Think Pink!」を含むロジャー・イーデンス作曲、レナード・ガーシュ作詞による4曲が新たに加えられる。
また、アトランティック・シティで宝石泥棒をするという舞台版のストーリーは、ガーシュの『Wedding Day』を基にパリのハイ・ファッションの世界を舞台にしたストーリーに差し換えられる。脚本はアステア演じるカメラマン、ディックのモデルとなったファッション写真の第一人者リチャード・アヴェドンが、イヴリン・フランクリンをスター・モデルに育て上げて後に結婚した実話がヒントになっており、ケイ・トンプソン演じる雑誌の編集長マギーは「ハーパーズ・バザール」と「ヴォーグ」誌の敏腕編集長ダイアナ・ヴリーランドがモデルになっている。
主演にはアステアと、舞台『パジャマ・ゲーム』で好評を博したキャロル・へイニーの共演が予定されたが、M-G-Mは大物女優を起用するべきだと考え、ガーシュの提案でヘプバーンが候補に上がる。脚本を読んだヘプバーンはアステアとの共演に惹かれて、出演料15万ドル、撮影時に滞在するパリの一流ホテルの費用と、撮影に使用したジヴァンシーの衣装をもらう事を条件に出演を承諾する。M-G-Mは人気が下降気味のミュージカル映画に大金を投じることに難色を示したため、映画の権利をアステアとヘプバーンが専属契約を交わしていたパラマウントに売却し、イーデンス、ガーシュ、監督のスタンリー・ドーネンをパラマウントに貸し出すが、この時点で制作費は100万ドルに達していた。
ヘプバーンはアステアの水準に少しでも近づく為、撮影開始前の2ヶ月間パリのオペラ座のダンス教師についてダンスのレッスンを受ける。ヘプバーンはダンス同様、今作で初めて本格的な歌を披露したが、彼女のソロ・ナンバー「How Long Has This Been Going On?」は、ニューヨークでのプレミア公開時には削除されていた。
撮影はパラマウントのスタジオで開始され、その後パリで1ヶ月のロケーション撮影が行われて、ルーブル美術館、エッフェル塔、凱旋門などパリの主要な名所がフィルムに収められる。しかし、パリでは何週間も雨が降りつづき、シャンティ公園近くの野外が舞台のダンス・ナンバー「He Loves and She Loves」の撮影は雨が止むまで延期されるが、待ちきれなくなった撮影隊は撮影を敢行し、アステアとヘプバーンはくるぶしまで脚が沈むぬかるみ中で泥だらけになってダンスを踊った。
映画のモデルとなったアヴェドンは撮影監修者として製作に参加。ドーネンと共に毎夜遅くまで撮影計画について話し合っていたが、パラマウントは撮影現場でアヴェドンがドーネンにアドバイスする事を好まなかったため、撮影の指示はスタジオに気づかれぬようアヴェドンのネクタイを使って行われた。
上質紙を使った写真技術の映画への応用を模索していたアヴェドンはドーネンと協力して新しい撮影技法を開発。キャメラに両面ミラーをかぶせて、撮影と同時にアヴェドンがミラーにピントを合わせて写真を撮り、そのスチール写真を映画のフレームに合わせることによって静止画像の透明度の劣化を防ぎ、写真と同等の質の高い映像を維持することが可能となる。この静止画面による斬新なモンタージュ技法は、ダンスと写真の世界両方で大きな話題となった。
制作費300万ドルをかけた今作の映像美は高い評価を受け、興行的にもまずまずの成功を収めて、映画の原題である「ファニー・フェイス」は流行語になり、美人ではないが個性的でチャーミングな女性の誉め言葉として使われるようになった。
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