ジョージ・キューカー George Cukor

本名:
ジョージ・デューイ・キューカー
ジョージ・キューカー
職業:
監督
生年:
1899年7月7日
出身国:
アメリカ
出身地:
ニューヨーク州 ニューヨーク
没年:
1983年1月23日
代表作:
『フィラデルフィア物語』(40)
『スタア誕生』(54)
『マイ・フェア・レディ』(64)

20年代にはブロードウェイの舞台俳優として活躍するが、のちに舞台監督に転向してエセル・バリモアやエミール・ヤニングス主演の舞台を手掛ける。サイレントからトーキーへの移行が始まった1929年にハリウッド入りし、アカデミー賞受賞作『西部戦線異常なし』(30)や、パラマウント社が製作したトーキー映画のダイアローグの監修を務めて実力を認められる。翌31年には『雷親父』の共同監督を務め、翌年の『心を汚されし女』(32)で映画監督として一本立ちする。その後、プロデューサーのデビッド・O・セルズニックと出会い、31年にセルズニックはパラマウントを離れてRKO社に移ると、キューカーをRKOに呼び寄せる。キューカーは舞台女優キャサリン・ヘプバーンをハリウッドに呼び寄せて、彼女を主演に迎えた『愛の嗚咽』(32)や、『若草物語』(33)、『男装』(36)などを手掛ける。33年セズニックがM-G-M社に移るとキューカーもM-G-Mに移籍し、オール・スター・キャストの群像劇『晩餐八時』(33)、チャールズ・ディケンスの文学小説の映画化『孤児ダビド物語』(35)、ノーマ・シアラー主演の『ロミオとジュエット』(36)、グレタ・ガルボ主演の『Camille』(37)などを手掛け、38年にはコロムビア社に貸し出されて再びヘプバーンと組んだ『素晴らしき休日』を手掛ける。キューカーは俳優の魅力を最大限に引き出す手腕に長けており、同性愛者だったこともあってか、特に女優の魅力を引き出すことにその才能は遺憾なく発揮され、その手腕はヘプバーンやガルボをはじめとする多くのスター女優たちに支持されていた。セルズニックが手掛けた超大作『風と共に去りぬ』(39)の監督に起用されるが、男性のキャラクターを犠牲にしてまで女性のキャラクターに夢中になるという定評があった上に、主演男優のクラーク・ゲーブルは、キューカーが自分よりもヴィヴィアン・リーオリヴィア・デ・ハヴィランドにばかり注意を向けていると思い込んでしまい、製作者のセルズニックとの確執もあって、撮影開始10日後に監督の座を追われる。しかし、キューカーが解雇された後もリーとデ・ハヴィランドは彼から密かに演技指導を受けていた。40年代に入っても女性を主役に据えたドラマやコメディを作り続け、中にはガルボの最後の出演作『奥様は顔が二つ』(41)のような失敗作もあったが、ノーマ・シアラーとジョーン・クロフォード主演の『女性たち』(39)、ヘプバーン主演の『フィラデルフィア物語』(40)や『アダム氏とマダム』(49)など、ハリウッドの大物女優を起用して、彼女達の美しさと演技力を最大限に引き出した上質の女性映画を続々と手掛けてゆく。47年にはグリア・ガーソン主演の『Desire Me』を手掛けるが、作品の出来に満足できずにクレジットから名前を外すようスタジオに要求し、映画は監督のクレジットなしで公開される。50年代に入ってもされの才能は衰えることがなく、スクリューボール・コメディの良作『ボーン・イェスタディ』(50)では主演のジュディ・ホリディにオスカーをもたらし、リメイク版『スタア誕生』(54) ではジュディ・ガーランドに再び脚光を浴びさせる。64年にはブロードウェイのヒット・ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の映画版をオードリー・ヘプバーン主演で映画化して唯一のアカデミー監督賞を獲得する。75年には米・ソ合作の『青い鳥』をエヴァ・ガードナーとエリザベス・テイラーの共演で手掛け、81年にはジャクリーン・ビセットの依頼で遺作となった『ベストフレンズ』を演出、82歳という老齢にも関わらずに往年の優雅な手腕を披露して話題を集めた。

紹介作品

若草物語(33)

監督

フィラデルフィア物語(40)

監督

マイ・フェア・レディ(64)

監督



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