ジンジャー・ロジャース  Ginger Rogers

本名:
ヴァージニア・キャサリン・マクマース
ジンジャー・ロジャース
職業:
俳優
生年:
1911年7月16日
出身国:
アメリカ
出身地:
ミズーリ州 インデペンデンス
没年:
1995年4月25日
代表作:
『トップ・ハット』(35)
『恋愛手帖』(40)
『モンキー・ビジネス』(52)

少女時代に両親は離婚し、母親に引き取られて育てられた。 抜群のスタイルとダンスの才能を併せ持っていたロジャースは、14歳の時にテキサス州のチャールストン・ダンスのコンテストで優勝。 「Ginger Rogers and The Redheads」を結成して、25年から28年まで母親レラのマネージメントのもと、テキサス、オクラホマ、シカゴなど全米各地のボードビルを転々とする芸能生活を送った。 17歳の時に結婚した最初の夫ジャック・ペッパーとダンス・チーム「ジンジャーとペッパー」を組んで舞台に立ち、29年には短編映画『Campus Sweethearts』で映画デビューを飾り、 ブロードウェイではガーシュウィン兄弟の『ガール・クレイジー』などに出演。 ブロードウェイの舞台『Top Speed』での好演によって注目を集め、パラマウント社に招かれて『恋愛四重奏』(30)で長編映画デビューを果たした。 31年にはハリウッドに移り、『The Tip Off』(31)、『Hat Check Girl』(32)などのBムービーに出演するが、なかなか芽が出ずに端役ばかり与えられていた。 脇役ながらも印象的な演技を披露した大ヒット・ミュージカル『四十二番街』(33)が転機となり、同年の『ゴールド・ディガーズ』(33)では「We are in the Summer」を熱唱。 そして、33年には20本目の出演映画『空中レヴュー時代』では、 RKO社と出演契約を結んだばかりの舞台出身のダンサー、フレッド・アステアとコンビを組み、 エキゾチックなダンス・ナンバー「キャリオカ」で華麗で息の合ったダンスを披露。 助演にも関わらず二人のダンスは観客から絶賛を浴び、二人の人気に注目したスタジオは34年にロジャースと専属契約を交わして、翌34年にはアステアとロジャースの初主演作『コンチネンタル』を製作。 アステア主演のヒット舞台を映画化した今作は大ヒットを記録し、二人は史上最高のダンス・カップルと評されて一躍トップ・スターの座に踊り出た。 以後『ロバータ』(35)、『トップ・ハット』(35)、『艦隊を追って』(36)、『有頂天時代』(36)、『踊らん哉』(37)といったアステア=ロジャース・コンビのダンス・ミュージカルが毎年のように公開されるが、 庶民的な親しみやすさと、下町育ちの健康的な美しさが魅力のロジャースはアステア以上の人気を獲得。 演技よりもダンスに打ち込むアステアとは反対に、ダンサーとしてよりも演技派女優としての成功を望むロジャースは、 ジャネット・ゲイナーと共演したドラマ『紐育の口笛』(34)、ウィリアム・パウエルの相手役を務めたミステリー『深夜の星』(35)、 キャサリン・ヘプバーンらオールスター・キャストのバックステージ・ドラマ『ステージ・ドア』(37)などミュージカル以外の映画にも積極的に出演。 安定した人気を保って独立配給者協会からは観客を呼べるスターの一人に選出された。 固定したイメージを恐れたアステアが、『踊る騎士』(37)をロジャース抜きで撮影すると発表したときは二人の不仲説が流れたが、38年の『気儘時代』でコンビが復活。 しかし、『有頂天時代』以降、アステア=ロジャース・ミュージカルの収益は落ち込みはじめており、『気儘時代』(38)も6万8000ドルの赤字を記録。 二人は実在した芸人夫妻を描いた9本目の共演作『カッスル夫妻』(39)を最後にコンビを解消した。 翌40年にはクリストファー・モーリーのベストセラー小説を映画化した『恋愛手帳』に出演。二人の男に愛される独立した女性キティ・フォイルを熱演して念願のアカデミー主演女優賞に輝いた。 ダンスだけでなく演技も出来る女優として認められたロジャースは、RKOのトップ・スターとしてロマンティック・コメディ『愛の鐘はキッスで鳴った』(41)、ケーリー・グラント共演の『恋の情報網』(42)、 ヒット・ミュージカル『シカゴ』(02)のモデルにもなった実在の女性ロキシー・ハートを演じた『Roxy Hart』(42)などに出演。 電車賃を値切るために12歳の少女に扮する女性をコミカルに演じたビリー・ワイルダーの監督デビュー作『少佐と少女』(42)では、母親レラとの共演を果たした。 49年には病気で降板したジュディ・ガーランドに代わって『ブロードウェイのバークレー夫妻』に出演。 久しぶりのミュージカル映画出演にも関わらず、10年ぶりの再共演が実現したアステアと息の合った華麗なステップを披露した。 ハワード・ホークス監督の『モンキー・ビジネス』(52)ではケーリー・グラントや新人のマリリン・モンロー相手にコミカルな演技を披露し、 53年には演劇界の内幕ドラマ『女性よ永遠に』などに出演するが、60年代以降は活動の場を古巣の舞台に戻して、ミュージカルを中心に活躍。 65年にはブロードウェイのスマッシュ・ヒット作『ハロー・ドリー』と、69年のロンドンの舞台『メイム』ではタイトル・ロールを熱演して好評を博した。 72年から75年にかけてアメリカの大型デパート、JCペニーのファッション・コンサルタントを務め、85年には舞台ミュージカル『Babes in Arms』を演出。 また、ウディ・アレンら新世代の映画人らと共にモノクロ映画のカラー化(カラライゼーション)反対運動にも参加した。 後年は糖尿病に苦しんで車椅子での生活を余儀なくされたが、91年には自伝『ジンジャー・ロジャース』を出版。 95年にはウィメンズ・インターナショナル・センターからLiving Legacy Awardが授与されたが、 その5週間後にこの世を去り、遺体はアステアと同じカリフォルニア州のオークウッド・メモリアル・センターに埋葬された。

紹介作品

コンチネンタル(34)

出演

トップ・ハット(35)

出演

踊らん哉(37)

出演

ブロードウェイのバークレー夫妻(49)

出演



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