グロリア・スワンソン  Gloria Swanson

本名:
グロリア・メイ・ジョセフィン・スワンソン
グロリア・スワンソン
職業:
製作者、俳優、衣装デザイナー
生年:
1899年3月27日
出身国:
アメリカ
出身地:
イリノイ州 シカゴ
没年:
1983年4月4日
代表作:
『ありし日のナポレオン』(25)
『港の女』(28)
『サンセット大通り』(50)

父親が陸軍運送部に勤務の大尉だったことから、フロリダ、テキサスといったアメリカ各地やプレルトリコを転々とする少女時代を送る。 学生時代は学生演劇の主役を務めることもあったが、夢はオペラ歌手になることだった。 学校を卒業するとデパートの売り子として働いていたが、 16歳のとき叔母に連れられてシカゴのエッサネイ社の映画撮影所を見学に行き、 その美貌が気に入られてスカウトされ、翌日『The Fable of Elvira and Farina and the Meal Ticket』(15)に端役として出演。エッサネイ社と契約を結んで、『チャップリンの役者』(15)などにエキストラとして出演する。 15年、一家と共にカリフォルニアに引っ越したスワンソンは、マックス・セネット率いるキーストン社と出演契約を結び、17歳の時に『チャンプ』(31)などで知られる俳優のウォーレス・ビアリーと結婚。 しかし、スワンソンから妊娠を告げられたビアリーが、つわりの薬と偽って彼女に堕胎薬を飲ませたために、二人の結婚生活は2ヶ月足らずで終りを告げた。 キーストン映画の名物「海水着美女」として、ボビー・バーノン主演の2巻物のコメディ『ボビーの危機』(16)や『Teddy at the Throttle』(17)などでヒロインを演じ、『雨中の逃亡』(16)では鎖で線路に縛られた状態から列車にひかれる前に脱出するという危険なスタントに挑戦した。 スラップスティック・コメディを嫌っていたスワンソンは、ドラマティックな俳優への転身を切望し、17年にトライアングル社に移籍して『社交界』(18)などに出演。 セネット社の短編映画への出演作がセシル・B・デミル監督の目に留まり、スワンソンはトライアングル社を離れてパラマウント社の前身であるフェイマス・プレイヤーズ・スタジオと19年に契約を交わす。 デミルは『夫を変へる勿れ』(19)や『男性と女性』(19)など上流社会の色恋沙汰をテーマにした作品にスワンソンを起用して、彼女をスターに仕立て上げる。 19年には映画配給会社を経営するハーバート・K・ソンボーンと再婚し、一女をもうけた。 スワンソンとデミルの才能に更なる興行価値を見出したスタジオは、スワンソンの映画復帰作で6本目のコンビ作となった『アナトール』(21)を最後にコンビを解消させる。 デミルと別れた後、スワンソンは主に第一次世界大戦後の好景気を繁栄したゴージャスな社交界を舞台にしたメロドラマに出演して人気を高め、『巨巌の彼方』(22)ではルドルフ・ヴァレンチノと共演を果たしてハリウッドの女王として君臨。 23年にはソンボーンと離婚したが、26年には俳優としては最も高い2万ドルの出演料を獲得するまでに至り、スクリーン上でのイメージそのままに私生活でも食費に月1,000ドルかけるなど豪奢を極めた。 大スターゆえにスキャンダルも多く、毎日のように新聞や雑誌のゴシップ欄を賑わすが、『ありし日のナポレオン』(25)の撮影のためフランスに渡ったスワンソンは、現地で通訳を務めたフランス人侯爵アンリ・ド・ラ・ファレーズと恋に落ちて結婚するが、結婚式の夜におなかの子を密かに堕胎した事件はスキャンダルに慣れたハリウッドをも騒然とさせた。 26年にはパラマウントを離れて独立プロダクション「グロリア・スワンソン・ピクチャーズ」を設立。『五つの魂を持つ女』(27)、アカデミー主演女優賞に初ノミネートされた『港の女』(28)などを手掛けるが経営難に陥り、 ジョン・F・ケネディの父親でスワンソンの愛人だったジョセフ・ケネディが救いの手を差し伸べる。 ケネディが共同制作を務めた『Queen Kelly』(29)は、監督のエーリッヒ・フォン・シュトロハイムとの確執などから制作費が膨らみ、80万ドルもの制作費をかけながら未完に終わった。 ハリウッドがトーキーの時代に入ると、スワンソンも初のトーキー『トレスパッサー』(29)に出演。声だけでなく歌声も披露して2度目のオスカー・ノミネーションを受ける。 続いてコメディ『陽気な後家さん』(30)やメロドラマ『恋愛即興詩』(30)などに出演するが、人気に陰りが見え始めてサイレント期ほどの人気を取り戻すことは出来ず、イギリスに渡って出演した『完全な諒解』(33)は興行的な失敗作となる。 31年にはスポーツ選手のマイケル・ファーマーと4度目の結婚をして、二人の子供をもうけ、 34年のビリー・ワイルダーの脚本による『空飛ぶ音楽』を最後にしばらく映画界から遠ざかる。 ボタンの製造業や旅行業などの事業を始るかたわら、ブロードウェイに進出して『Reflected Glory』などの舞台に出演。 45年には株式ブローカーのウィリアム・N・デイヴィと5度目の結婚をしたが、1年で破局。48年から始まったテレビ番組『グロリア・スワンソン・アワー』ではコメンテーターとして活躍する。 テレビでスワンソンを見たワイルダー監督は『サンセット大通り』(50)のヒロインに彼女を抜擢。スワンソンは彼女の分身ともいえるサイレント時代の大女優ノーマ・デスモンドを鬼気迫る迫力で演じて、51歳で見事なカムバックを果たし、3度目のオスカー・ノミネートを受ける。 その後『Three for Bedroom C』(52)と『わが息子暴君ネロ』(56)などの映画に出演。テレビ・シリーズ『Crown Theater with Gloria Swanson』ではホストと主演を務める。60年代はテレビ・ドラマへのゲスト出演が中心となり、71年にはブロードウェイの舞台『バタフライはフリー』に出演。 最後の映画出演作となった74年の『エアポート’75』では自分自身を演じて健在ぶりを披露。同年には作家のウィリアム・ダフティーと6度目の結婚をして、80年には自伝『Swanson on Swanson』を出版した。

紹介作品

サンセット大通り(50)

出演



MAIN | FILMS | STARS & MAKERS | DICTIONARY | HISTORY | BBS | OTHRES