ニューヨークの下町にある、いまにも潰れそうな古い教会に赴任してきた若い牧師チャック・オマリー。
老神父フィッツギボンの後任としてやってきたオマリーは、
ユーモアと型破りな行動で人々の信頼を得て、街の問題を次々と解決してゆくが、頑固なフィッツギボンと対立してしまう。
彼は人生に疲れた老神父を励ましながら交流を深めてゆき、得意の歌で教会の再建資金を調達しようとする。
レオ・マッケリー監督がヒューマンな個性を色濃く出してアメリカ人の自由精神を高らかに唄った、アメリカン・ヒューマニズムとアメリカン・デモクラシーの見本ともいえる傑作ドラマ。
監督のレオ・マッケリーは、
彼の自宅に現れて施しを求めた年老いた神父にインスピレーションを受けて、善良な神父を主人公にした人情喜劇の企画をパラマウント社に持ち込む。
フランク・バトラーとフランク・キャボットの二人の脚本家が、マッケリーの主導のもとでニューヨークにあるセント・ドミニコ教会を舞台にした物語を執筆。
主役のオマリー役に、マッケリーは歌手と俳優の両方で成功を収めていたビング・クロスビーに白羽の矢をあてた。
スタジオの重役は流行歌手のクロスビーが神父を演じるのは不釣合いだと考え、抜擢されたクロスビー本人も今までとは全く違う役柄を演じることに抵抗を感じて神経質になっていたが、
マッケリーの説得によって出演を承諾。
老神父フィッツギボン役にはジョン・フォード作品などで個性的な演技を披露してきたベテラン俳優バリー・フィッツジェラルドが扮した。
マッケリーは俳優たちの意見を取り入れながら彼らの即興による自由な演技を歓迎。
脚本通りに撮影することはほとんどなく、彼は朝セットに入って1〜2時間ピアノを弾きながらその日に撮影するシーンを考え出してから撮影を行っていた。
当時のスタジオでは撮影前に20〜30ページの脚本の提出を要求していたため、マッケリーは映画に使うつもりのないシーンを書いて提出。
そのため、マッケリーがスタジオの重役たちに話したストーリーや脚本は完成した映画は全く違うものとなった。
クロスビーは俳優としてだけでなく歌手としての魅力も存分に発揮して、ジョニー・バーグ作詞、ジェームズ・ヴァン・ヒューゼン作曲による「星にスイング」やタイトル・ソング「我が道を往く」など5曲で自慢の歌声を披露。
映画が公開されると記録的なヒットとなり、それまで歌に頼っての出演や珍道中シリーズが中心だったクロスビーにとって、
このドラマティックなオマリー牧師役は彼の飄々とした持ち味が存分に生かされた当り役となり、
この映画の成功でクロスビーは44年度のマネー・メイキング・スター第一位に選出され、以後4年間首位の座をキープした。
第17回アカデミー賞では作品賞を含む10部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演男優賞(クロスビー)、助演男優賞(フィッツジェラルド)、原案賞、脚色賞、歌曲賞(「星にスイング」)の7部門を制覇。
クロスビーは、授賞式には最後に顔を出すだけでいいと考えて趣味のゴルフに興じていたが、スタジオと両親から呼び出されてカツラもつけずにあわてて受賞式の会場に駆けつけてオスカー像を受け取った。
フィッツジェラルドは、フィッツギボン役で主演男優賞と助演男優賞の両方にノミネートされるという快挙を成し遂げただけでなく助演男優賞を獲得。
しかし、戦時中のオスカーは石膏で出来ていたため、自分の部屋でゴルフの練習をしていたフィッツジェラルドは誤ってオスカー像の首をはねてしまう。
スタジオは、アカデミー協会から10ドルで新しいオスカーを購入してフィッツジェラルドにプレゼントした。
マッケリーは翌45年に再びクロスビーをオマリー役に起用して舞台を尼僧院に移した続編『聖メリイの鐘』を発表。
『ガス燈』(44)でアカデミー主演女優賞を受賞したイングリッド・バーグマンが、オマリーと対立する尼僧に扮して前作以上の成功をおさめた。
62年には連続テレビ・ドラマとしてリメイクされ、オマリー役をジーン・ケリーが、フィッツギボン役をアルフレッド・ヒッチコックの映画でおなじみのレオ・G・キャロルが演じた。
また、クロスビーとフィッツジェラルドは47年の『楽し我が道』でも共演を果たした。
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