殺人の容疑で刑務所に服役していたトム・ジョードは、仮出所で4年ぶりに故郷オクラホマの農場にに戻ってくる。
しかし、農場に昔の面影はなく、荒れ果てた土地と飢えに苦しむ農民ばかりで、小作人として働くトムの家族も仕事を奪われ、貧しい生活を強いられていた。
一家は仕事を求めて新天地カリフォルニアを目指すが、彼らがカリフォルニアで見た光景はオクラホマと変わらぬものだった・・・。
ジョン・スタインベックのピューリッツァー賞受賞小説を、名匠ジョン・フォードが徹底したリアリズムで映画化した社会派ドラマの傑作。
文豪ジョン・スタインベックが、近代化の進む激動期のアメリカを舞台に不況と不作に苦しめられながらも貧しくもたくましく生きる農民たちの姿を描いた社会派小説『怒りの葡萄』は、発表と同時にセンセーションを巻き起こしてベストセラーとなった。
1939年の春、20世紀フォックス社の総帥ダリル・F・ザナックは、小説の主要なアクションと社会的な意図を忠実に再現するというスタインペックの条件を受け入れて映画化権を10万ドルで獲得。
小説の脚本化を依頼されたナナリー・ジョンソンは、脚本化にあたって小説のアメリカを批判する政治的な面よりも、人間的な面と家族のドラマを強調。
小説の中で「オーキー」と呼ばれる季節労働者を記述している部分を削除して、原作の3分の2にあたるトムが母親と別れるシーンで映画を終わらせた。
ザナックは監督にはジョン・フォード、主演にはヘンリー・フォンダが最適だと考え、『モホークの太鼓』(39)を撮影中だった二人に監督と出演をオファー。
フォンダはトム・ジョードを演じることに夢中になって二つ返事で出演に同意するが、ザナックはジョード役と引き換えにスタジオと7年間の専属契約を交わすことを要求。
フォンダはスタジオに縛られることを嫌っていたが、ジョード役を熱望した彼は嫌々ながらフォックスとの専属契約を結んで役を獲得した。
フォードは監督を引き受けたものの、立て続けに3本の映画を撮っていたので撮影開始前に1ヶ月の休養を申し入れ、ザナックは彼の意見を尊重して撮影開始を1ヶ月遅らせた。
美術監督のリチャード・デイは中西部の人々を描く画家トマス・ハート・ベントンの絵を参考にすることをフォードに提案。
撮影監督にはサミュエル・ゴールドウィンから5万ドルで借り受けたグレッグ・トーランドが起用され、フォードとトーランドはデイのスケッチを参考にして、コントラストを強調したドキュメンタリー映画のようなスタイルで撮影することに決める。
ロケーション撮影はカリフォルニア州ボモナにある季節労働者のキャンプで行われ、フォードは原作の忠実な映画化を心がけながら集中的に撮影を行い、通常の半分以下の4万フィートのフィルムしか回さずに撮影を完了させる。
劇中最も感動的なシーンとなった、トムが母親に別れを告げるラスト・シーンは、フォードの提案でワンカットで撮影されることになり、
フォンダとママ・ジョード役のジェーン・ダーウエル、そしてキャメラのスタッフたちは演技とキャメラ移動の流れをのみ込むまで何度もリハーサルを敢行。
フォンダとダーウエルは最初のテイクで誰もが認める完璧な演技を披露し、撮りたいものが撮れたことに満足したフォードは、そのシーンが終わると一言もいわずに現場を立ち去った。
音楽にはダニー・ボーゼージがアコーディオンで奏でた「レッドリバー・ヴァリー」をはじめとする数々の民謡が使われ、これらの曲は映画の雰囲気作りに大きく貢献した。
撮影が終了するとザナック監修のもとで編集作業が行われ、ラスト・シーンが暗すぎると感じたザナックは、スタインベックの承認を得て原作にはないママ・ジョードによるエピローグのナレーションを付け加えた。
映画は公開と同時に一大旋風を巻き起こし、批評家はこぞって映画を褒め称え、観客は劇場に長蛇の列を作り、批評と興行の両面で大きな成功を収めた。
ニューヨーク批評家協会は『怒りの葡萄』を作品賞と監督賞に選出し、第13回アカデミー賞では作品賞を含む7部門にノミネートされ、監督賞と助演女優賞(ダーウェル)の2部門に輝いた
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