地獄の天使 Hell's Angels
公開:
1930年
地獄の天使
製作:
ザ・カッド・カンパニー

ハワード・ヒューズ
監督:
原作:
マーシャル・ニーラン

ジョセフ・モンキュア・マーチ
脚本:
ハワード・エスタブルック

ハリ・ベーン
撮影:
ガエタノ・ゴーディオ

ハリー・ペリー

E・ヴァートン・ステーン

エルマー・ダイヤー

ハリー・ゼック

デュウェイ・リングレイ
音楽:
ヒューゴ・リーゼンフェルド
出演:
ベン・ライオン

ジェームズ・ホール

ジーン・ハーロー

イギリス人青年のローイとモンティの兄弟は、オックスフォードの学友カールを訪ねて彼の故郷ドイツにやってくる。 奔放なモンティは、クランツ将軍夫人に接近したことから将軍に決闘を申し込まれてしまい、イギリスに逃げ帰るはめになってしまう。 また、ローイもヘレンという若い娘に惹かれるが、ローイの想いとは裏腹に、ヘレンは男を次から次へと変える移り気な女だった。 そんな頃、第一次世界大戦の戦火はヨーロッパ全土に広がり、ローイとモンティは英国空軍に、カールはドイツ空軍に入隊。 敵味方に別れて戦線に立つことになった三人は、それぞれの思惑を胸に航空機を駆って大空を駆け巡る。 飛行機好きの大富豪ハワード・ヒューズが、第一次世界大戦下のロンドンを舞台に、 実物の航空機を駆使してリアルに描いた手掛けた本格的な航空アクション映画。

父親の遺産で映画製作に乗り出した若き富豪のハワード・ヒューズは、27年のコメディ『美人国二人行脚』がアカデミー賞を受賞して大きな成功を収めると、 長い間暖めていた第一次世界対戦を舞台に、戦闘機パイロットたちの物語を主人公にした第1回アカデミー作品賞受賞作『つばさ』を遥かに超える航空映画の製作に着手する。 監督に起用されたマーシャル・ニーランとジョーゼフ・モンキュア・マーチが共同でストーリーを組み立て、ハワード・エスタブルックとハリー・ベーンが脚色を担当。 『地獄の天使』というタイトルはニーランのアイディアだった。 当時20歳のヒューズは、有り余る金に物を言わせてスパッド、フォッカー、ソップウィズ、キャメルといったアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ各国の年代ものの現物の戦闘機を87機購入。 かかった費用は50万ドルを超えるといわれた。 パイロットには第一次世界大戦で実際に活躍した戦闘機乗りたちを雇い入れ、地上では100人以上もの整備士たちが戦闘機の整備に当たった。 現在はロサンゼルス国際空港の敷地となっているイングルウッドのマインズ・フィールド上空で空中戦の撮影を敢行。 ツェッペリン飛行船によるロンドンの空襲シーンの撮影は、特撮だけで46万ドルもかかった。 しかし、撮影開始の2ヵ月後、ニーランは度重なるヒューズからの干渉に腹を立てて降板。 新たに起用されたルーサー・リードもヒューズからの口出しに閉口して監督の座を降りてしまい、ヒューズ自ら監督をすることになった。 ヒューズは誰も引き受けなかったトマス・モース偵察機を1500フィートからの急降下させるスタントを自ら行うが、機体はコントロールを失って墜落。 ヒューズは残骸の中から意識不明の状態で助け出されたが、頬骨を砕く大怪我を負ってしまい、彼が複雑な整形手術を受けている間、撮影は中断してしまう。 また、ドイツのゴータ爆撃機を撃墜するシーンの撮影では、ヒューズはリアルさにこだわって本物のきりもみ下降をパイロットに要求。 パイロットだけでなく、機関銃で撃たれた穴から煙が上がる効果を出すために発煙弾を発射する技術者も必要だったが、誰もこの危険なスタントに挑戦しようとはしなかった。 そこでヒューズはボーナスをはずんでアル・ウィルソンというスタント・パイロットを起用。フィル・ジョーンズという整備士を効果を手掛ける助手として雇った。 予定ではきりもみ降下後、機体は急降下から立ち直ることになっていたが、本番では機体は立ち直ることが出来ずにそのまま下降。 ジョーンズはパラシュートを与えられておらず、土壇場になってウィルソンは予備のパラシュートを彼に装備させようとしたが、 恐怖で凍りついたジョーンズはパラシュートが使えず、ウィルソンは無事に飛行機から飛び降りたが、ジョーンズは炎に包まれた飛行機と一緒に墜落した。 この事故を含めて、数ヶ月の撮影の間に3人のスタント・パイロットが墜落事故で死亡したといわれている。 ヒューズはこの映画の製作に200万ドルもの制作費と二年もの撮影期間を費やしていたが、『ジャズ・シンガー』(27)の成功でハリウッドではトーキーが主流となっていたので、 完成直前になってヒューズはトーキーに作り変えるため全体の撮り直しを敢行。 しかし、イギリス人のヒロイン、ヘレンを演じる主演のグレタ・ニッセンはノルウェー訛りがひどかったため、ヒューズは彼女を解雇し、 ヒロイン抜きで撮影を行いながらスクリーン・テストを進めていたところ、エージェントのアーサー・ランドが当時18歳の新人女優ジーン・ハーローを紹介。 ヒューズは乗り気ではなかったが、ランドに説得されて週給250ドルでハーローを新たなヒロインに抜擢した。 ハーロウの出演シーンは、後に『フランケンシュタイン』(31)を手掛けるジェームズ・ホエールが担当。トーキー化の費用だけで170万ドルもかかった。 3年間の製作期間と250万フィートものフイルムを使い、総制作費は420万ドルにも達したが、これは当時としては記録破りの制作費だった。 ロサンゼルスでのプレミアでは、飛行機の編隊を飛ばしてチャイニーズ・シアター前のハリウッド大通りに降下せる宣伝パフォーマンスを披露。 ニューヨークのプレミアでは、飛行船ツェッペリン号からパラシュートで42番街とブロードウェイの交差点に降下させようとしたが、拒否されて実現しなかった。 派手な宣伝が功を奏して映画は大きな成功を収めたものの、莫大な制作費を回収することは出来なかった。 また、プラチナ・ブロンドの髪と白い肌、豊満なバストで男性を魅了したハーロウはこれ一作で注目を浴び、翌年には主演作が5本も作られて、たった2年で大スターの仲間入りを果たした。


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