三世代にわたる西部開拓者一家のドラマと、半世紀にわたる西部開拓の歴史を5つのエピソード
(両親を失った開拓者の娘と山男の恋愛、一攫千金を目論むショーガールとギャンブラーとの恋愛、
南北戦争に巻き込まれた西部の人々の葛藤、インディアンと鉄道敷設者たちの生死を賭けた攻防、
列車強盗団に孤独に立ち向かう保安官の活躍)で描いたウェスタン超大作。
3台のキャメラを使って撮影した映像を、湾曲した巨大スクリーンに3台の映写機で映写するワイドスクリーン「シネラマ」は、
52年に初のシネラマ紀行映画『これがシネラマだ』がアメリカで公開されると観客から絶大な支持を集めて、
僅か12館のシネラマ専用映画館で2年半ものロングランを記録するヒット作となった。
その後、『シネラマ・ホリデー』(55)、『世界の七不思議』(56)、『世界の楽園』(57)、『南海の冒険』(58)の4本の紀行映画が製作されたが、
シネラマの成功に触発された大手スタジオもシネマスコープやビスタビジョンなどの新しいスクリーンプロセスを次々と発表。
シネラマ社は他社のワイドスクリーンに対抗するため、大画面を駆使した本格的な劇映画の製作に乗り出し、
60年代初めにM-G-M社と提携。
第一弾としてグリム童話を映画化したファンタジー映画『不思議な世界の物語』(62)を製作した。
俳優で歌手のビング・クロスビーはタイム誌に7週に渡って掲載された記事『How the West was Won』の権利を獲得し、
59年に開拓時代の歌をトリビュートしたアルバム「How the West was Won」を発表。
この記事が大作映画の素材にうってつけだと考えたクロスビーはM-G-Mに話を持ち込み、スタジオはクロスビーから映画化権を獲得。
クロスビーはこれで得た利益をサンタモニカの病院に寄付した。
M-G-Mは『西部開拓史』をシネラマ用の大作として企画。ジェームズ・R・ウェッブが脚本を執筆し、
この映画の製作に2年近くかかると考えた製作者のバーナード・スミスは、効率よく撮影を進めるためハリウッドの第一線で活躍する3人の監督を起用。
「The Rivers (川)」、「The Plains (平原)」、「The Outlaws (無法者たち)」の3エピソードを『アラスカ魂』(60)のヘンリー・ハサウェイが担当。
「The Railroad (鉄道)」のエピソードは『砂塵』(39)のジョージ・マーシャルが担当し、西部劇の神様ジョン・フォードが「The Civil War (南北戦争)」のエピソードを担当した。
スミスはこの映画のために豪華なスター俳優の共演を実現。
西部劇の常連俳優ジェームズ・スチュワート、グレゴリー・ペック、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、リチャード・ウィドマーク、
演技派俳優のスペンサー・トレイシー(ナレーション担当)、イーライ・ウォーラック、カール・マルデン、リー・J・コッブ、
新進気鋭のキャロル・ベイカー、デビー・レイノルズ、ジョージ・ペパードなど総勢24名ものスターが集められ、
その出演料だけで220万ドルにものぼった。
61年の3月から撮影は開始され、開拓時代の雄大な自然が残るケンタッキー、サウスダコダ、コロラド、オレゴンなどで屋外ロケを敢行。
この映画のために77のセットが組まれ、5,000着もの衣装を用意されたが、
機械で縫製された衣装ではアップ撮影の際に縫い目が見えてしまいリアルさが損なわれたので、全て手作業で作り直された。
インディアンが汽車を襲撃するシーンでは2,000頭ものバッファローを駆り出して迫力あるシーンを披露。
使用された汽車はM-G-Mが30年代後半に買い取ったもので、撮影のためにハリウッドからロケ地のサウスダコダに運び込まれた。
この映画に使われた動物は馬630頭、牛550頭、羊200頭、ロバ160頭にものぼり、動物たちの飼育係として203人の人間が雇われ、エキストラは12,617人にものぼった。
一本あたりの制作費が300万ドルの時代に1,500万ドルもの巨費をかけて映画は完成し、
スタジオ製作の映画では『風と共に去りぬ』(39)、『ベン・ハー』(59)に次ぐ3番目の記録を樹立。
映画が公開されると批評家からも観客からも絶賛され、2年間ものロングランを記録。4,500万ドルもの収益を上げて63年度のNo.1ヒット作となった。
第36回アカデミー賞では作品賞を含む8部門にノミネートされ、オリジナル脚本賞、編集賞、録音賞の3部門を獲得。
63年に公開された『おかしな おかしな おかしな世界』からシネラマは1台の映写機を使う新しい方式に変更されたため、
『西部開拓史』は3台の映写機を使って公開された最後の本格的なシネラマ映画となった。
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