ジーン・アーサー  Jean Arthur

本名:
グラディス・ジョージアナ・グリーン
ジーン・アーサー
職業:
俳優
生年:
1900年10月17日
出身国:
アメリカ
出身地:
ニューヨーク州 プラッツバーグ
没年:
1991年6月19日
代表作:
『オペラハット』(36)
『スミス都へ行く』(39)
『シェーン』(52)

父親がプロの写真家だったことから、小学生の頃から人気デザイナー、ハワード・チャンドラー・クリスティらのモデルとして活躍、それが切っ掛けとなってニューヨークの舞台に端役として出演する。23年にフォックス社のスカウトマンに見出されて、ジョン・フォード監督の『侠骨カービー』に準主役に抜擢されて華々しい映画デビューを飾る。しかし、評判が悪かったために端役に格下げとなって、ウォーリー・ウォレスやバディ・ルーズベルト主演の低予算西部劇や、バスター・キートンのコメディ『セブン・チャンス』(25)、連続活劇『The Masked Menace』(27)などに出演して主に純真な少女役を演じる。映画がサイレントからトーキーに移行すると、独特のハスキー・ボイスに魅力を感じずに彼女の起用をためらう製作者や監督も多く、トーキー時代を生き残れるか危ぶまれたが、28年の『野球王』では主役を堂々と演じてスターとしての地位を確立する。翌29年にはパラマウント社に移り、ウィリアム・パウエルと主演の探偵映画『グリーン家の惨劇』(29)、『カナリア殺人事件』(29)や、『フーマンチュウ博士の秘密』(29)に出演する。しかし、アーサーは自分の演技に満足出来ず、31年に映画界を離れてニューヨークに戻り『Foreign Affairs』などの舞台に立って演技を磨き直す。32年には後にアーサー主演の『The Devil and Miss Jones』(41)などをプロデュースする製作者のフランク・ロスと再婚。34年にはハリウッドに戻ってコロムビア社と契約を交わすが、ジャック・ホルト主演のアクション映画などで刺身のツマのような役柄ばかり与えられる。しかし、『The Whole Town’s Talking』(35)での独立志向のキャリア・ウーマンぶりが好評を博し、36年にはフランク・キャプラ監督に見出されて『オペラハット』に出演、キャプラの名演出の下でゲーリー・クーパーに取材を試みるタフな女性記者を好演してスターの座に返り咲き、ハスキー・ボイスが魅力のキャリア・ウーマン役は彼女のトレード・マークとなる。セシル・B・デミル監督のウェスタン『平原児』(36)でもクーパーと共演、カラミティ・ジェーンを持ち前の男勝りの魅力で熱演、ミッチェル・ライゼン監督のスクリューボール・コメディ『街は春風』(37)では再びキャリア・ウーマンをコミカルに演じ、メロドラマ『歴史は夜作られる』(37)ではシャルル・ボワイエの相手役を務める。『我が家の楽園』(38)と『スミス都へ行く』(39) では、再びキャプラ監督と組んで男勝りの気の強い女性を好演、43年の『西部を駆ける恋』では唯一のアカデミー主演女優賞ノミネートを果たす。彼女は作り物の映画スターになることを嫌い、本物の女優として成功することを望み、44年にコロムビアとの契約が切れると映画界を離れて舞台に活動の場を移し、46年には舞台『ボーン・イエスタディ』の主役に抜擢されるが、役が気に入らずに試験公演中に降板、代わってジュディ・ホリディが抜擢され、彼女の当り役となる。ビリー・ワイルダー監督の『外国の事件』(48)で女性議員を演じた後、50年にはブロードウェイの舞台ミュージカル『ピーター・パン』でタイトル・ロールを演じて大きな成功を収める。53年の『シェーン』でスクリーン復帰を果たし、円熟した女の魅力を発散して開拓者の妻を好演するが、これが最後の映画出演作となる。60年代に入ると時折舞台に出演し、66年にはテレビ界に進出、コメディ・ドラマ『ジーン・アーサー・ショー』で弁護士を演じるが、視聴率が伸びずに11週間で打ち切られる。ジェローム・ローレンスとバート・E・リーは舞台『十月の第一月曜日』の女性最高裁判事役をアーサーにオファーするが、彼女はリハーサル途中で舞台を降りてしまう。数年間ヴァッサー大学とノース・カロライナ芸術大学で学生達にドラマを教え、映画復帰の企画もいくつかあったが実現することなく、隠遁生活の末に心臓発作でこの世を去る。

紹介作品

オペラハット(36)

出演

我が家の楽園(38)

出演

スミス都へ行く(39)

出演



MAIN | FILMS | STARS & MAKERS | DICTIONARY | HISTORY | BBS | OTHRES