ジョーン・クロフォード  Joan Crawford

本名:
ルシール・フェイ・ルスール
ジョーン・クロフォード
愛称:
ビリー / カシン / クランベリー
職業:
俳優
生年:
1905年3月23日
出身国:
アメリカ
出身地:
テキサス州 サン・アントニオ
没年:
1977年5月10日
代表作:
『グランド・ホテル』(32)
『ミルドレッド・ピアース』(45)
『何がジェーンに起こったか?』(62)

生まれた時には既に両親は離婚しており、決して裕福とはいえない少女時代をすごす。大学を中退した後、華麗なショービジネス界に憧れてウェイトレスをしながらダンスを習いはじめる。23年に地方のチャールストン・コンテストで優勝したのをきっかけに芸能界入りを果たし、コーラス・ラインのダンサーとしてシカゴやデトロイトを巡業。ニューヨークに移ってレビュー劇団に入団して3年間働く。舞台での活躍がM-G-M社の製作者ハワード・ラプトに認められてハリウッド入りを果たし、25年の『美人帝国』で本名のルシール=フェイ・ルスールで映画デビューを飾る。同年には天才子役ジャッキー・クーガン主演の『古着屋クーガン』での好演によって人気が出はじめ、彼女の名前ルスール(Sueur)の発音がお針子(Sewer)に似ていると考えたM-G-Mは、彼女にふさわしい芸名を「フォトプレイ」誌で一般公募する。新しくジョーン・クロフォードの芸名を与えられて、主に時代の最先端を行くフラッパー娘役で大いに売り出される。28年の『踊る娘達』でスターとしての地位を獲得、翌年には活劇スターのダグラス・フェアバンクスJr.と結婚して人気は不動のものとなる。サイレントからトーキーに映画界が移行した後も、彼女の人気は衰えることはなく、歌もダンスも出来るM-G-Mの大物スターの一人として憧れのグレタ・ガルボと共演した『グランドホテル』(32)、サマセット・モーム原作の『雨』(32)、フレッド・アステアと共演した『ダンシング・レディ』(33)などに出演、M-G-Mのトップ・マネー・メーキング・スターの一人として活躍する。33年にはフェアバンクスJr.と離婚して、2年後俳優のフランチョット・チョーンと再婚。38年には年間90万通のファン・レターを受け取るほどの人気を獲得するが、40年代に入って戦争が始まるとスターの世代交代が始まり、彼女にふさわしい役が少なくなり人気は下がりはじめて「ボックスオフィス・ポイズン」のレッテルを貼られてしまう。43年には18年在籍したM-G-Mとの契約を打ち切られてしまい、同年には以前の3分の1の給料でライバル社のワーナー・ブラザーズ社に移籍して、大物女優達が断った『ミルドレッド・ピアース』(45)に出演する。クロフォードは主婦からウェイトレスに転向する女性を熱演し、映画は予想外のヒットを記録しただけでなく、クロフォードにアカデミー主演女優賞をもたらす。この一作によってクロフォードの人気は回復しただけでなく、熟年の演技派女優へと転向して新境地を開拓。『失われた心』(47)や『突然の恐怖』(52)でもアカデミー賞にノミネートされる好演技を披露する。その後、彼女のキャリアは再び下り坂となるが、56年にはペプシ・コーラ社の会長アルフレッド・スティールと四度目の結婚、夫が59年に心臓発作で亡くなると72年までペプシ社の取締役を務める。62年には彼女のライバルであるベティ・デイヴィスと『何がジェーンに起こったか?』で共演し、デイビスに虐げられる元女優を熱演し健在ぶりを示して、往年のファンだけでなく若い世代からも支持される。しかし、今作のイメージが強烈だった為、以後ホラー映画への出演が多くなり、ウィリアム・キャッスルの『血だらけの惨劇』(63)や『I Saw What You Did』(65)などに出演。70年の駄作『地底の原始人キングゴリラ』への出演を最後に74年には映画界からの引退を表明。晩年はキリスト教の一派であるクリスチャン・サイエンスにのめり込み、酒に溺れる日々を過ごす。彼女の3人の養子の一人クリスティーナはクロフォードとの私生活を暴いた自叙伝『Mommie Dearest(最愛の母)』を執筆。81年に『ネットワーク』(71)のフェイ・ダナウェイがクロフォードに扮した『愛と憎しみの伝説』として映画化される。

紹介作品

グランド・ホテル(32)

出演



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